第25話:つわものとの距離
「うん。悪くないよ。でも、もう少しコース丁寧に。よほど角度を付けられる時以外、落点は奥に照準を定めて」
「はい!」
学院、金石学院付属高校は県下の数少ない私立高の一角である。私立だから強い、と言うわけではない。されど私立だから金の融通が利き、結果として強くなると言えば決して間違いではないだろう。
いい条件で県内外から学生を引っ張り、公立には不可能な早さで設備投資をし、よりよい環境を構築する。もちろん、指導者や選手には相応の結果が求められるのだが、一度好循環が回り始めると手が付けられなくなる。
そういう意味で学院は、決していい循環が回っているとは言えなかった。
県下最強、否、全国最強の龍星館が同じ地区にいるから。
どうしても営利企業でもある学校側は投資を渋る。
その中に在ってこの学校は県下の強豪として、しっかりと地に足を付けた育成を主眼に置き、打倒龍星館を掲げて日々精進していた。
其処に不知火湊ら明菱卓球部がお邪魔をしていたのだ。
「戻り速く。そう、うん、疲れても足を緩めない」
「は、はい!」
現在、一通り合同練習前の試合を終え、学生コーチでもある湊の出番となっていた。湊お得意の多球練習、その球出し役として精を出していたのだ。
素早く、鋭く、厳しいコースを突く。
しかし、
「……あの野郎、随分優しいじゃねえか」
「ソフトなコーチよりハードの方がいいなぁ」
花音、小春の言う通り、普段の練習では飛び交う罵詈雑言が鳴りを潜めていた。正直、普段から言葉攻めにもあっている花音は釈然としない気分である。
まあ、それ以外にも気分が落ち込んでいる理由はあったが。
「不知火生徒には厳に、言葉には気を付けるよう言い含めてあります。普段の言動を他所ですれば、学校間の問題になりかねませんから」
卓球部顧問、黒峰の言葉が彼女たちに、
(((確かに)))「……?」
納得を与える。約一名は理解出来ず首をかしげていたが。
「それに彼自身、今後を見据えるのであれば自分と他者に向けられた厳しさを、少し丸める必要があります。世の中あなたたちほどに熱量を持ち、厳しい言葉に耐えられるような人間ばかりではありませんからね」
「……この試みはあいつのためでもあるんですね」
「そういうことです、神崎部長。ところで皆さん、タコ負けしていましたね」
全員、しゅんと肩を落とす。
先ほど行われた顔合わせを兼ねたチーム戦方式の試合。これがまたバッサリと敗れ去ったのだ。S1、香月小春は学院のエースに。S2の神崎沙紀も、ダブルスは神崎、円城寺ペアも惨敗、S3の紅子谷、S4の円城寺、共に敗れ去った。
ものの見事に全廃を喫していたのだ。
「さすが私立の強豪、一筋縄ではいきませんね」
もう少しやれるんじゃないか、と言う考えを粉々に粉砕する全敗。クラブの子たちのような強い子が集まり、ああやって鎬を削る。
私立の、強豪の強さを改めて肌で感じた。
「……ところでさ、円城寺さん」
「秋良で構わないよ、部長」
「……練習、滅茶苦茶上手かったよね」
「光栄だね」
「たぶんここの生徒の中でも技術はかなり上だよね」
「かもしれないね」
「……普通に私たちと同じくらいボコボコにされているのは、何故?」
そして最大の計算違い。元全国区の円城寺秋良。彼女の加入で白星が増えたぜひゃっほい、と浮かれていた神崎部長であったが、現実は試合内容はともかくスコア的には自分たちとさして変わらない結果となっていた。
別に相手がとびぬけて強かったわけではないと思うのだが。
「ふふ、昔からシングルスは滅法弱くてね。と言うか、その、お姉ちゃんがいないと私、普通に弱いですね、あ、あはは」
そして秋良、普通に落ち込む。
「あ、ごめん、責めているわけじゃないの。ただ、上手なのに、どうしてかなって疑問に思っただけで」
「……昔から、上手なのに、ってよく言われていましたよ。あはは」
さらに落ち込む秋良。オタオタする沙紀。
其処に、
「技術の巧拙と勝負事における強弱は必ずしも一致するわけではありません。それはどの競技でも同じです。技術的に特筆すべきものがないのに特筆した結果を出す者がいれば、技術的に素晴らしいものがあるのに結果が出ない。そういった事例は数多あります。おそらく、卓球と言う競技にもそれはあるでしょう」
黒峰が一応の解答を述べる。
「それって上手くなっても意味ねえってことですか?」
花音の問い。
「いいえ。身体能力があればあるほど有利なように、技術もまた同じです。手札は多ければ多いほど、勝利への選択肢は増えますから。ただ、勝負の綾はそれだけではない。相手の行動を読む、相手の嫌がることをする、相手の裏をかく、そう言った知恵もあれば。執念、気合、根性、それら精神面も馬鹿には出来ません」
「……」
「勝負は常に総合力で決します。ただ上手くなるだけでは足りませんが、上手くならねば勝負の土俵にも立てません。円城寺生徒以外は皆、技術不足です」
素人目に見ても卓球の手札、その枚数差で負けたようなもの。
秋良だけはその部分では負けていなかったが、逆に彼女はそれ以外の部分でタコ負けを喫していた。打つべき時に打たねば、勝てるものも勝てない。
相手のミスを待つオールドスタイルの卓球を貫くには、ブランクのある彼女ではスタミナもまたあまりに足りていなかった。
総じて力不足、それが現実、現状の明菱卓球部、である。
「さあ、折角の合同練習です。座っていないで参加して来なさい。不知火生徒がああして貢献してくれているから、私たちは強豪の練習を垣間見ることが出来る。休んでいる暇はありませんよ。この環境に早く適応しなさい」
「「「「はい」」」」
黒峰の激と共に四人は立ち上がる。わかり切っていたことではあるが強豪とは差がある。一朝一夕で届くものでもない。
日々の積み重ねのみが、其処へ手を伸ばす権利を与えてくれるのだ。
ただ、
「うん、上手だね。今の回り込みはよかった」
「え、えへへ。どうも、湊君」
「さあ、まだまだ行くよ。頑張ろう」
「はい!」
あの余所行きの、無駄に爽やかな不知火湊だけはどうにも釈然としない想いはあった。特に紅子谷と神崎の両名からすれば、普段からああやって好感の持てる言葉を吐け、と思ってしまうのも無理はないだろう。
○
電車に揺られ、地元の方面へ戻る神崎、紅子谷、香月、円城寺の四名。湊はそのまま帰宅、黒峰も駅まで四名を連れて行ったあと、そのまま車で帰って行った。
「……あの行け好かねえ感じだけは、釈然としねえ」
「……あの暴言、抑えられるなら普段も抑えて欲しいわよね」
「それっすよ、先輩」
負けたことは悔しかった。だが、総体を経てある程度覚悟は出来ていた部分もある。それに思ったよりも善戦出来た、セットもあった。
だからその部分は飲み込める。
しかし、あの余所行きの不知火湊だけは我慢ならない。
「えー、小春的には物足りなかったなぁ」
「ストイックじゃない湊君は、湊君ではないと思うけどね」
ここは部が二つに割れる。ドМと信者、致し方がない。
「それに特別感がありませんか? 自分たちだけに厳しくしてくれる、と言うのは。本当の、本気を向けてくれるのは、私たちにだけ」
何処か悦に浸る秋良。それを横目に沙紀は首をかしげる。
あれ、もしかして常識人だと思っていたけどこいつもヤバい奴なのでは、と。
「それそれそれ! 小春的にはそこキュンキュン萌えポイント!」
「んだよ、キュンキュン燃えポイントって」
「萌えね、萌え。まったくもう、花音ちゃんは乙女心が足りないね」
「要らねえよ、そんなもん」
小春と花音の噛み合わぬ感じはいつものこと。
「……まあ、一つだけ認めなきゃいけない部分もあったな」
「なになに、花音ちゃん」
「……あいつ、クソほど有名人なんだなって」
「あー」
強豪校、未熟な自分たちはいわば招かれざる客である。しかし、其処に不知火湊を一人足しただけで、ウェルカムになるぐらいの知名度、実力があった。
今日の学院もそう。生徒はもちろん、先生やコーチ陣すら彼を特別視していた部分がある。あと男子の監督が普通にぶっこ抜こうと勧誘していた。
黒峰先生がにらみを利かせて退散させていたが。
「でも不思議よね。あれだけ特別なら、一般人にも知名度がありそうなものなのに。ほら、天才少年少女ってテレビが好きじゃない?」
ただ、卓球界から遠い沙紀たちにはいまいちピンとこないのもまた事実。
「……メディアからは嫌われていましたからね。佐伯親子は」
「なんで?」
秋良は沙紀に向かって苦笑と共に、
「練習は非公開。インタビューは親子そろって塩対応。父親に至っては一言も発しないことがザラ。ストイックな面、私は憧れていたけれど、外側の人間からすれば鼻につく部分でもあったんじゃないですかね」
思いつく理由を述べる。
「……なるほどね」
それは沙紀に納得させるには充分な理由であった。あくまで佐伯湊が、不知火湊が卓球界の有名人に留まっていた理由は、メディアが取り上げなかったから。いや、メディアが取り上げようとしても遮断していたから、なのだろう。
武士のようなストイックさ。何人も寄せ付けない求道。
その部分は今も、かすかに残っている。
「でも、同世代の卓球少年少女からすればやはり憧れですよ、湊君は」
「秋良も?」
「ま、まさか。私より姉でしたね、ファンだったのは」
「ふぅん」
「何ですか、その信じていない感じは」
「別にぃ」
「私は、断じて、ファンではないです。ファンクラブにも入っていません」
円城寺秋良、
「は? あんなのにファンクラブとかあんの? 珍獣同好会か?」
「口を慎め、ゴリラ」
「ゴ、て、てめ、言っていいことと悪いことがあるだろうが!」
墓穴をゴリゴリと掘り進む。
「……小春は興味ある? ファンクラブ」
「ない。コーチは小春のコーチだから」
「あんたはわかりやすくていいわね。よしよし」
「わぉん!」
そんな感じで敗残兵四人組は地元へと帰っていく。騒がしく。
○
「コーチ、これ見ました? 今月の卓球帝国」
其処は愛知の名門、幾度も全国制覇を成し遂げている男子卓球界最強の環境。
其処に、
「なんだ?」
「お子さんですよ、湊君。でかでか写真載っています」
「……まだ続けていたのか。無駄なことを」
湊の父、佐伯崇がいた。
「し、辛辣ですね」
「山口如きに敗れているようでは、話にならん。この世代はすでに国内に目を向けている者は周回遅れ。一流には届かん」
「……」
厳しい。あまりにも厳しく冷たい言葉。
「貴翔、準備は良いな」
「はい」
細く、無駄が削ぎ落とされた身体。繊細で儚く、今にも砕け散りそうな雰囲気。されどこの男が国内最強、大学、一般も含めた頂点である。
「多球練習だ。あらゆる局面を前で制圧しろ。お前なら、出来る」
「はい、コーチ」
中学から卓球を始めた天才。まさにそう呼ぶしかない。当時の神童を打ち破り、その座を奪った男は今、世界を視野に戦っている。
国内の、底辺に視線を向けることはない。
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