第22話:円城寺秋良攻略さくせんそのいち
「行ってきます、おばあさま」
「はい、いってらっしゃい」
円城寺秋良、高校一年生。旧姓佐久間。昨年までは家族仲睦まじく一家団欒であった、少なくとも表向きは。だが、姉の佐久間夏姫が東北の超名門、青森田中高等学校へ特待生として声がかかり、妹の秋良は声がかからなかった。
その一件から家族仲が拗れに拗れた。双子の姉妹に差を付けたくない母とせっかくの機会に挑戦させてやりたい父。姉妹を差し置いて連日喧嘩三昧。家族仲はボロボロで、最後は姉の夏姫が挑戦したいと言い切って家族は見事空中分解。
父と姉は東北へ、母と妹は母方の実家である円城寺家へ戻って来た。離婚、こんな小さなことから家族とは壊れるのか、と秋良は驚いたものである。
ただ、卓球と言う競技に対する熱は昔から父と母で温度差があったし、その点は姉妹も認識していた。そして、こちらは誰もが認識していたことであったが佐久間夏姫と佐久間秋良、このペアには温度差も、実力差もあった。
カットで姉へ繋ぎ、姉がポイントを奪い取る。ダブルスとしては歪な構造、目立つ姉と目立たぬ妹。姉の引き立て役、金魚の糞。
ポチパートナー。
いつか捨てられるかもしれない。だけど勝ち続けたなら、ペアとして勝利し続けられたなら、姉と一緒に夢を見続けることが出来る。
だけど、
『にゃああああァ!』
『ヨォォォオオッ!』
中学二年の時、一つ上のペアに敗れた。去年は勝てたのに、その年は負けた。あちらは成長して、こちらは成長できなかった。
あの日はよく覚えている。
たぶん、青森田中から声がかからずとも、
『ごめん、秋良。私のせいで。次は、絶対に――』
目を血走らせ、勝者を睨みつけていた姉との温度差は埋められなかったと思う。
死に物狂いで勝ちたかった姉。姉と一緒にいたかっただけの妹。
父母と同じ、姉妹もまた破綻する運命だった。
今は納得している。姉と一緒にいられなくなった以上、卓球を続ける気はない。続ける意味がない。何より母が嫌がると思った。
きっと母は卓球に仲良し姉妹を引き裂かれた、と思っているから。
どちらにせよその程度でしかなかったのだ。
佐久間秋良、否、円城寺秋良にとって、
「……おや、これは」
卓球はその程度であった、それで話は終わり。
「王子ぃ、それ何?」
「下駄箱に手紙……ま、まさか!? 駄目よ、王子。男からのあれとか、不潔よ!」
「この学校芋しかいないからやめた方がいいって!」
そのはずだった。
「……いや、違うね。どちらかと言えばこれは果たし状、かな?」
「「「へ?」」」
困惑する取り巻きたちをよそに、秋良はその手紙をぐしゃりと握りつぶした。自らの中にくすぶる何かをもみ消そうとするかのように。
○
「――と言う作戦だったのさ」
放課後に体育館へ皆を集めて緊急会議、何せ部の未来がかかっている案件である。事後承諾となってしまうのは申し訳ないが善は急げ。明日予定が入っている以上、出来れば今日中に終わらせたい。夏休みまであと少し、期末テストは目と鼻の先。
ここで決める、と僕の行動力をここらでバシッと――
「あ、あんた、馬鹿じゃないの」
へ?
「コーチ、卓球以外本当にダメダメだね」
は?
「……普通に脅迫だろ。何でそういうこと相談してからにしねえんだよ。卓球以外冴えねえんだから大人しくしとけよ」
それはライン越えだぞ紅子谷ァ!
「手紙に盗撮写真を同封して? 秘密をばらされたくなかったら放課後体育館に来るように? 卓球が君を待っている? あんたバカァ?」
「あ、いや、その、まずですね、先輩。卓球の大会にわざわざ来ているってことは、その、卓球に未練があるんだろうなぁ、と思いまして。なのでその、卓球と向き合う機会を設けようかなぁ、と思案したわけでして」
「下手。ド下手。つか、それ裏取れてんの?」
沙紀先輩、鬼の形相で詰めてくるじゃん。
「う、裏と言いますと?」
「訳は話せないけど卓球経験者、ってことはあんたの話からわかったけど、これ男子の大会でしょ? 普通に卓球部の彼氏がいたとかじゃないの?」
「……あれ?」
「未練があるなら女子の方に来るはずじゃん」
「……?」
あれ、もしかして僕、やらかした?
「裏、取れてないのね」
「……はい」
「空前絶後の馬鹿じゃん。あのね、これ表沙汰になったらむしろうちの部活の方がヤバいでしょ。あっちは無断欠席、こっちは脅迫。エロ同人誌の体育教師じゃないんだからあんた、もうちょい頭使いなさいよ。頭スポンジで出来てんじゃない?」
何でこの人、女性なのに男性向けのエッチな定番を知っているんだろう、と思ったが、それを聞いたら殺されそうだから触れないでおく。
意外とこの人、陰キャ寄りなのかもしれない。
まあ今はそんな些事よりも――
「面目次第もございません」
僕、誠意全開の土下座。仕事の出来ない人間のやる気ほど厄介なものはない、と言うのは誰の言葉であったか。
今の僕に、実にぴったりな言葉である。
「とりあえず開幕即謝――」
体育館へ向かう足音が僕らの耳に入る。このテスト期間中、放課後に体育館へ向かう足音などほとんどない。見回りの先生か、用がある生徒か。
どう考えても後者。とりあえず土下座はかますとして、その後どうすべきか中間テスト上位三人衆へ伺おうと思ったら、
「……あれ?」
用具庫へ駆け込む三人の姿が。
「おい」
僕、孤立無援。
○
「や、やべ、慌てて逃げちまった」
紅子谷花音、あわてんぼ。
「な、何故逃げた、神崎沙紀」
神崎沙紀、うっかりさん。
「小春はねえ、あの子のことあんまり好きくないから」
香月小春、腹黒ちゃん。
「何でだよ?」
花音の問いに、
「何でだろ?」
小春も首をかしげる。どうやら言語化出来ない何かがある模様。
「き、来たわよ!」
用具庫の扉、隙間から三人が覗く中、
「やあ、少し早かったかな?」
くだんの人物、円城寺秋良が体育館に現れた。
その瞬間、
「すいませんでしたァ!」
烈火の如く、不知火湊が魂の土下座をぶちかます。あまりにもその堂に入った動きに、三人は物陰で「おおっ」と感嘆の声を上げる。
あれだけ美しい土下座ならばもしかすると、そう思わせるに足る見事な土下座だった。相当な修練を積んだとしか思えないが、そう言う事実はない。
「……困るなァ」
土下座の最中、ちらりと表情を窺う湊。
其処には、
「私の前で君がそういうこと、二度とやらないでもらっていいかな?」
ゴミ虫を見下すが如し円城寺秋良の冷ややかな眼があった。
どうやら何故か、状況は土下座にて悪化した模様。
「あ、すいません。もうやらないです」
湊は恐縮しながら立ち上がる。
「で、用件は?」
「……実は卓球部が現在、部員が足りなくてですね」
「知ってる」
「あ、そうですか」
同級生に敬語全開の湊。これほど情けない男もそういないだろう。すっかり縮こまっていた。借りてきた猫の方が堂々としているレベル。
「それで、その、この前授業で経験者だ、と知って、総体の会場にもいらしたので、もしかしたら卓球をやりたいのかな、と思い、その、声をかけさせていただいた次第です。はい。悪気はなかったんです」
「……待ってくれ」
「はい?」
「経験者だと、知って? まるで私が経験者だと知らなかったような口ぶりだけど、それはどういうことなんだい?」
「……へ?」
そのままの意味ですが、と思う湊。
「……私の旧姓は?」
「あ、佐久間です」
「ほら、知っているじゃないか」
「あ、うん、調べたから」
「調べ、た?」
困惑する湊。何故か愕然とする秋良。それを隙間から窺う三名も頭に疑問符が浮かんでいる。どういうこっちゃ、と。
「君は、佐伯湊君だよね?」
「あ、僕のこと知っているんだ。いやぁ、照れるなぁ」
湊、照れながら頭をかく。
「はは、なるほど。これは傑作だ。私はてっきり、お互いやめた者同士、不干渉でいこう、と君が思っていたのだと勘違いしていたよ」
秋良、何故か表情から感情が抜け落ちた虚無を浮かべていた。
「……え、と、どういうこと?」
「昔、とある卓球専門誌の取材を受けた。君にとってはありふれた日常だっただろうけれど、私たちにとっては特別な日だったよ。何せあの、『閃光』の佐伯湊と一緒にインタビューを受ける、と言うとても光栄なお仕事だったからね」
「……へ?」
ふと、湊は思い出す。
『そんなわけないけど――』
あの時の困惑した那由多の顔を。彼女は知っていたのだ。過去に佐伯湊が佐久間姉妹と雑誌のインタビューを受けていたことを。
そう、
「哀しいね、随分と印象が薄かったみたいだ」
「ご、ごめん、ね」
謝るも、やはり全く思い出せない湊。そもそも口下手だしそういう仕事は嫌いだったから、さっさと終われと適当に受け答えしていた記憶しかない。
父からも無駄だと言い含められていたし。
「いいさ。所詮は双子と言う話題先行の、当時の君からしたらカスみたいな選手とのお仕事だから。君が忘れてしまうのも仕方がないことさ」
佐伯湊と佐久間秋良は、すでに出会っていた。
その会話を盗み聞きした三名は、
「あいつ、マジで何か病気かなんかじゃねえの?」
「あ、あの男、卓球が上手いこと以外褒めるところがないわね」
「さ、さすがの小春も擁護できない」
改めて不知火湊のダメっぷりを理解する。いくらなんでもこれはない。彼女たちの予想、その斜め上を行くどうしようもない局面が其処に在った。
勝手に窮地へと至る不知火湊。この勧誘、そもそも活路はあるのか。
後半へ続く。
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