第21話:秘密の調査

 僕の名前は不知火湊。高校一年生である。

 高校生の朝は……いでででででででででででッ!?

 全身筋肉痛である。

「はい、朝ごはん」

「……お母様、我が家はパン食だった気が」

 別にご飯が嫌いなわけではないけれど、朝食はパンと言う不知火家の不文律が何故か突然、米によって侵略されていた。

「昨日、黒峰先生に色々教えて貰っちゃってね。小麦よりもお米の方がリーンだとか何とか。あと脂質もある程度抑えた方がいいらしいの。普通の料理をすれば必要分は摂取できるんですって。ほら、湊バター大好きじゃない?」

「……バター醤油ご飯もダメ?」

「ダメよぉ。お母さん先生に写真送らなきゃいけないのに」

「は?」

「これから食事のアドバイスも頂けるのよ。いい先生ねぇ」

 待て、待って欲しい。僕は健全な男子高校生だ。バターのみならず油物は大好きである。コロッケ、メンチカツ、とんかつ、もはや油を食べていると言っても過言ではない。僕自身、そんなに太っているわけではないのに――

「あとこれ、先生が食後にって。別に食前でもいいそうよぉ」

「ぷ、プロテイン!?」

 昨日やたら話し込んでいるな、と思っていたけれど、まさか試供品の如くプロテインまで押し付けていたとは。

「お昼用にシェイカーも貰っちゃった」

「昼も!?」

「タンパク質って高いの。でも、プロテインはタンパク質量比で考えると、とってもお得なんですって。先生が言ってた」

「……母さん、ちょっと先生のこと信じ過ぎじゃない?」

「ま、先生を疑うなんて不良なの!? お母さんは悲しい!」

「……」

 たった一晩、たった一夜で我が家が黒峰先生に侵略されていたことを、今更僕は知った。何故昨日、先生と親の会話を阻止できなかったのか。

 何故のんびりとお風呂へ直行してしまったのか、悔やまれる油断であった。

 まあ、阻止は出来なかったと思うけどね。

 ちなみにこれから先生のご指導もあり、我が家は黒峰色へ染まっていくことになる。ゆっくりと、しかし着実に。

 揚げ物は行方不明に。鶏もも肉はむね肉へ変貌し、大好きだった皮も取り除かれ、お母様の晩酌、そのつまみへ流用されてしまう。

 とは言え、其処まで猛烈な節制と言うわけではないけれど。


     ○


「円城寺秋良(えんじょうじあきら)、身長162センチ、体重不詳、スリーサイズは72,55,78、右利き。誕生日は八月三十一日だそうだ」

 新聞部の星、写真家菊池修平のありがたい情報を受け、

「……ななじゅう、にィ!?」

 僕は驚愕していた。あまりにも、あまりにも、貧相、失礼、貧乳過ぎる。

「あだ名は王子、ってのはみんな知ってるか」

「いや、今初めて知った」

 王子様っぽいとは思っていたけど、まさか本当にそれがあだ名とは。

 恥ずかしくないんだろうか。

「……不知火君、君あんまり他人に関心ないよね」

 そうかな、最近は結構興味津々だと思うんだけど。

「こっちの学区ではないと思う。大体の中学は渡り歩いたから。カメラ片手に」

「……凄いけどキモイな」

「よせやい、照れるぜ」

 菊池にしろ草加にしろ、どいつもこいつも変態であることを誇りに思っている節がある。例外である髭パイセンは今、瞑想もとい机に突っ伏して寝ている。年を経るごとに睡眠への渇望が強くなる、とは髭パイセンの御言葉。

 草加は最近調子を取り戻すため、休み時間は女子をガン見して性欲を高めているそうな。そろそろあいつは捕まると思う。

「で、円城寺がどうしたん?」

「いや、卓球部にどうかなって。運動神経ありそうだし」

「あー、なるほどね。でも卓球の授業じゃパッとしていなかったような」

 素人め。あのボールタッチがわからないとは。

 ま、紅子谷や香月もわかってなさそうだったし当然と言えば当然なのだが。

「……円城寺、卓球、あ、忘れてた」

「なに?」

「ちょい待ってろ」

 菊池は自分の鞄を漁り、教科書よりも重厚なファイルを取り出す。僕も知っている。あそこには彼の金のなる木たちがいるのだ。

 女子の写真、ほぼすべて盗撮であろう。

 さあ、のぞきの草加か、盗撮の菊池か。豚箱行きはどっちだ。

「これこれ。いつかどっかで使えるかな、と思って取っておいたんだよ」

「これは?」

「総体の時の写真。お前さんの試合の時にいたんだよ、会場の隅にさ」

「……えっ」

 遠間から撮影したのだろう。被写体は小さくて見え辛いが、間違いなく王子様こと円城寺秋良であった。

「どうよ?」

「……これ、もらえるかな?」

 持つべきものは友人だ。これは彼女が卓球に興味がある紛れもない証拠。この切り札を持って、交渉人としての腕を見せてやるぜ。

「五百円」

「……ん?」

「五百円」

 僕たち、友達だろ?

「五百円」

 クソが。いつか先生に言いつけてやる。


     ○


 切り札を手に入れたからっていきなり仕掛けるのは素人。僕はそこまで馬鹿じゃない。本日はテスト期間前最後の部活だった。今日も今日とて実りの多い練習だったと思う。紅子谷と神崎先輩の死にそうな顔はガンに効く、と思う。

 香月は、その、なんかねっちょりしているから――

 そう言えばテスト期間中のフィジカルトレってどうなるんだろ。まあさすがに黒峰先生とは言え先生だし、其処はきちんとルールを守るはず。

 と言うか明日には収まるのかな、この筋肉痛。

 話は逸れたけれど、あれだけ好条件の逸材を逃すわけにはいかない。僕見立てで上手で、わざわざ会場まで足を運ぶ熱心さ。

 だからこそ、慎重に事を進める。全ては皆のため、いや、皆を思う佐村先輩のために。あの人だけは辛い顔よりも笑顔が可愛いんだよなぁ。

 和婚か、洋婚か、早く話し合いたいなぁ。

 と言うわけで僕は外堀を埋めるべく、

「那由多ぁ」

 全国の卓球を知る女、星宮那由多を召喚する。

 しかし、

「……あれ? おーい、那由多ぁ。どうしたぁ?」

 いつもワンコールで現れるお隣の召喚獣が今日に限ってなかなか姿を現さない。ただ、部屋に明かりはついているため在宅ではあると思うのだけど。

「今、質問に答えてくれたらスリースターのボールをあげるぞ」

「……メーカーは?」

「バタフライ」

「……ん」

 ひょっこり現れた那由多は何やらご機嫌斜めの様子。僕が投げ込んだボールを睨みつけ、そのまま去っていきそうな気配すら漂わせている。

「何か嫌なことあったか?」

「湊の胸に聞いて」

「……僕?」

 心当たりが微塵もない。最近はちょいちょい会話しているけれど、元々卓球から離れていた期間はほとんど話していなかったし、むしろ関係は良好だと思っていたほどである。が、現に今の那由多は今まで見たことないほどに不貞腐れていた。

「……いやぁ、心当たりが」

「今日、久しぶりにクラブに顔を出した」

「……あっ」

 心当たり、あった。

「美里たちと、皆で卓球をやっているって。楽しそうだったって」

「あ、いや、美里とは偶然遭遇していただけで……他の子たちも経験をね、積ませないとさ。圧倒的に其処が足りないから」

「私、のけもの」

 ま、まずい。話を聞くどころか嫌われそうな気配がする。

「こ、今度一緒に行こう。な」

「明後日」

「……いやに限定的だね」

「テスト期間でもうちは部活ある。けど、其処は休みだから」

「わ、わかった。それで手を打とう。那由多と卓球なんて久しぶりだなぁ、僕すっごく楽しみだなぁ。……ちらり」

「むふ」

 よし、機嫌は取り戻せたみたいだ。今更男子の僕と卓球をする意味があるのか甚だ疑問だけど、まあいっか。明日中にけりをつけるだけよ。

「で、質問って何?」

「あ、そうそう。僕女子選手のことあんまり知らないからさ、那由多に聞きたいんだけど、円城寺秋良って選手知ってる? 同い年の」

「円城寺? 知らない」

「あ、そうなの。結構上手そうだったから、てっきり那由多なら知っていると思ってたんだけど。じゃあ県外の子なのかなぁ」

「県内でそれだけ特徴的な名字なら忘れないと思う」

「だよなぁ」

「湊は女子選手の名前何人言える?」

「那由多、聖、美里……県内はこれだけ。名字だけなら犬さん猫さん如月さんあたりは言えるよ。さすがにね。名前は、その、呼ぶことないから覚えてないけど」

「県外は?」

「……中国選手なら何人かは」

「湊はダメダメ」

 そう言いながら何故か嬉しそうな那由多。女心は秋の空、何で秋の空なのかは知らない。こっちは春夏秋冬、天気なんてそうそう変わらないけど。

「あ、一応写真あるんだけど」

「ん。見る」

 さすがに写真は投げ入れるわけにはいかない。一応、お互いに全力で手を伸ばせば届かないことはないけれど、そんな面倒なことはしないのだ。

 お隣さん歴の長さ、舐めてもらっては困る。

 こちら秘密兵器、

「ほいよ」

「これ久しぶり」

 びよーんと伸びるマジックハンド。これが対お隣さん用決戦兵器だ。こいつがあれば安全に物の受け渡しが出来る。ただし、軽い物に限るが。

 何せしっかりしたやつではなく玩具だからね、これ。

「彼女、前に会場に来ていたらしいんだけど。あれかな、男子の日だし、彼氏の応援に来たとか。いや、卓球の場でそんな光景見たことねえし、見たくねえ」

 卓球の選手って言うのは僕みたいに陰キャで、モテなくて、女っ気が微塵もあっちゃいけないんだ。女の子と絡む男性選手なんて許されない。

 ……あれ?

「湊、本気で言ってるの?」

「いや、その、ちょっと、僻み的な」

「そうじゃなくて、この人見たことないって話」

「……え? そりゃあ、無いから聞いているんだけど」

 どういうこと?

「……そんなわけないけど、この顔は知っている」

「本当か!?」

「ん、本当。私は対戦したことないけど、犬さん猫さんはある」

「……あの二人が? 逆に珍しいね」

「うん。珍しい。この人、佐久間姉妹。ほぼダブルス専だったはず」

「佐久間、佐久間、何処かで、聞いたことあるような」

「……呆れた」

 喉元までは出かかっているんだよなぁ。もうちょいで出そうなんだけどなぁ。

「双子の卓球姉妹、佐久間夏姫と佐久間秋良。姉は青森田中だから妹の方」

「……いたような、いなかったような」

「湊はもう少し他人へ関心を持った方がいい」

「ぐぬ」

 まさか対人関係で那由多に苦言を呈される日がこようとは。悔しいけど今回の件は何も言い返せない。だってやっぱり覚えていなかったから。

 仕方ないだろ。女子選手は対戦しないんだしさぁ。

「で、その佐久間姉妹って強かったの?」

「一応全国区。でも、青森田中へ誘われたのは姉の方だけ、だったはず」

「……なるほど」

 双子は珍しいけれど、卓球兄弟、姉妹ではよくある話。

「佐久間秋良、か」

 要するに彼女は――じゃない方、と言うことなのだろう。

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