第19話:再始動

 僕の名前は不知火湊。高校一年生である。

 高校生の朝は早い。

「湊ー、朝ごはーん!」

「ふぁい」

 バターをたっぷり塗った香ばしいトーストと目玉焼き。牛乳も添えてご機嫌な朝食と言えるだろう。母に感謝、いつもありがとう。

 朝のニュース番組をチラ見する。なんだか世界情勢が色々グニャグニャしているみたいだけれど、残念ながら僕にはよくわからない。

 時事問題は大学によっては受験にも出るらしいけれど、まだ一年生だし僕の通う明菱高校は所謂自称進だ。進学校と謳うも三分の一は高卒か短大専門学校だし、三分の一はほぼFラン、もう三分の一でようやくそれなりのとこ、となる。

 学校の理想は地元の国立大学。これはもう田舎の宿命である。国立至上主義は根強く、いつまで経っても僕ら高校生を苛む呪いとなる。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 食事を終えた僕は母への感謝を胸(口には出さない。恥ずかしいから。思春期だからね、僕)に家を出る。家を出るのは早め、その理由は僕が通う高校が遠いから、である。都会のキッズにはわからないだろうが、車社会の田舎にとって電車通学と言う時点で大きな、とても大きな足かせとなるのだ。

 毎日眠たい目をしながら電車に乗り込み、ガタゴトと学校へ向かう。僕ら学生も辛いが、僕らより大人たちの方が死にそうな目をしている。

 社会の荒波は大変なんだなぁ、と思った。

 そんなこんなで学校へ。

「おはようコーチ!」

「ん、おはよう」

「部活まだかな?」

「うん、まあ、まだ一限も始まってないからね」

 教室へ赴くと一目散に近寄ってくる小動物的な何か、香月小春が現れる。この背の低さでその胸は反則だろう、とセクハラまがいのことを考えてしまうが、どうにも性欲がむくむくしないのは彼女が卓球女子だからだろうか。

 胸が大きな女の子は大好きなのだけれど――

「朝っぱらからうるせえなぁ」

「おー、おはよう、紅子谷」

「おう」

 彼女は紅子谷花音。僕より背が高く、僕よりたぶん体重もあるがれっきとした女子である。外国の血が混じっているため身長はもちろん胸もお尻も大層立派、なのだがこれまた彼女も卓球女子のためそそられない。

 卓球をやっていなくてもヤンキーは苦手なんだけど。これで意外と真面目なんだよな。見た目に反して、と言うと殺されそうだから言わない。

「花音ちゃん、コーチと小春の時間を邪魔しないで」

「……なんだそりゃ。いいから席に着けよ。あれが来るぞ」

「あっ」

 紅子谷が香月を引きずって席に戻る。朝のホームルームの時間がやって来るのだ。そう、我らが担任、

「おはようございます」

 狂師黒峰先生が。

 スタイル抜群で見た目だけはこれまた美人なのだが、他を寄せ付けぬ雰囲気が生徒たちに邪な心を抱かせない。

 僕の友達であるブンヤ菊池、ドスケベ草加、謎のヒゲ、彼らをして黒峯先生に情欲を抱くことはないだろう。と言うか草加は真顔でちんちんを押さえている。

 未だにトラウマは拭えていない模様。

 急所だからね、仕方ないね。

「不知火生徒」

「え、僕ですか?」

「昼休み職員室に来なさい」

「り、理由は?」

「命令です」

「へ、へい」

 日本広と言えども生徒へ命令する教師は彼女ぐらいの者であろう。最近では色々気遣ってお願いすら躊躇われる世の中であると言うのに。

 この女帝には世情など関係がないのだ。


     ○


「部員の勧誘は順調ですか?」

「あ、あー」

 そう、実は何を隠そう僕不知火湊は現在卓球部の部員及び学生コーチをしているのだ。そして現在、卓球部は団体戦出場のため女子部員を熱望している。

 だが、今は総体の県予選が終わった時期。気の早い者は夏休みへ視線を移しているし、真面目な生徒は期末試験へ向けて努力している頃合いである。

 となれば新入部員など夢のまた夢。

「神崎先輩が一応、元部員に声をかけてくれたみたいなんですけど」

「駄目でしょうね」

「ええ、まあ」

 卓球部二年、現部長の神崎沙紀はかつて自分の友達を引き連れて入部し、無様に敗れて退部。それに伴ってお友達も続々と退部し、哀れ僕の激推しである三年の元部長佐村光先輩を一人ぼっちにした大罪人である。

 それは冗談として、一応経験者ではあるので声をかけて貰ってはいたのだが、当たり前だがいい返事は貰えなかった。

 今更どの面下げて、というやつである。

「今日、体育の時間は卓球をやるそうです」

「……そうですかぁ」

「あまり嬉しそうではありませんね」

「そりゃまあ」

 体育の授業で卓球、これほどおぞましいことはない。これはまあどのスポーツでも言えることだが、経験者が未経験者を蹂躙するほど冷めることはないのだ。しかも卓球はその、いい勝負なら格好いいと思うのだが、実力差があって無双すると途端にクソダサく見えてしまうところがある。

 これがサッカーやバスケなら華麗なプレーで女子の黄色い声援も飛ぶのだろうが、陰キャがぎゅんぎゅんドライブを叩き込んでも女子の眼は冷めていく一方。

 如何に手を抜くか、未経験者に楽しく卓球、と言うか温泉卓球を楽しんで貰うか、半ば接待する気持ちで授業に臨む必要がある。

 だから、嬉しい気持ちは皆無であった。

「もし経験者がいたら声の一つでもかけてください」

「わかりました。でもいるんですかね、うちのクラスに」

「さあ。ただ、意外と合縁奇縁というのも馬鹿にならないものですよ」

「……はぁ」

 黒峰先生の言っている意味がよくわからないが(アイエーキエーって何?)、とりあえず生返事を一つ返しておく。

「あと、覚悟の方はどうですか?」

 黒峰先生のふくんだ問いかけ。こちらはまあ、意味はわかる。総体後に投げかけられた選択、地獄のフィジカルトレーニングを受けるか否か、である。

 正直、怖い。そもそも黒峰先生が怖い。

 だけど、

「……お願いしようと思っています」

 今の時代、フィジカルトレーニングは避けて通れない。自分が現役の時はまだ中学生だったから、自重以外のトレーニングは求められなかった。ただ、上の世代が其処の注力しているのも知っている。それで結果を出していることも。

 それに何よりも、僕だってそれなりの選手だったから幾度か対戦したことはある。海外の、異次元の身体能力を持つ化け物たちと。

 だからこそ父さんはそれ以外の道を模索した。日本人が其処で戦っても勝てないと考えたから。その考え自体は間違っていない、とは思う。

 戦ったからわかる絶望的な差があった。日本なら野球やサッカー、バスケなどに流れるフィジカルお化けが中国では卓球を選ぶ。欧州勢はアジア勢よりさらに一つ規格が上だし、最近では黒人選手も数を増やしている。

 技術が煮詰まり、身体能力で差が出始めるのはどの競技も同じ道。

 避けては通れないのだろう。選手としても、教える立場としても。

 だから、

「では、私も準備をしておきます」

「……はい」

 向き合ってみようと思う。このか細い身体でどこまで行けるのか、を。その経験はきっと、教える側でも役に立つと思うから。


     ○


「……あいつらアホかよ」

 運動部の不文律、自分の専門競技が体育の授業で出た際は手を抜きましょう、と言うものを微塵も理解していない二人が全力で暴れ散らかしていた。

 女子、全員ドン引きである。

 男子は基本、女子の胸しか見ていない。卓球は男女混合で出来るので、普段まじまじと見られない分、此処でガン見してやろうと言う不埒なオーラを感じる。

 かくいう僕も結構チラ見していた。

 なるほどね、あの子隠れ巨乳だったか。要チェックや!

「知らんぷり知らんぷり」

 僕は草加らとのんびり温泉卓球に興じていた。彼らが好き放題スマッシュやらをぶち込み、僕が打ち返しやすい球を返してやる。

 すると楽しいラリーが出来るのだ。上手いもんでしょ。

「いやー、卓球って意外と楽しいな」

「あはは、だろー」

 楽しく打たせてあげてるんだな、これが。

 これぞ授業における卓球部のあるべき姿である。しかも調子に乗ったド素人がぶんぶん振り回す球を綺麗に拾うのも意外にいい練習となる。

 あいつらにも今度言い含めておこう、と空気を読まない二人組を見る。

 今も、

「オラァ!」

 紅子谷が暴れている。相手は確か、円城寺、なんだっけ。王子とか呼ばれて女子に人気な子だ。おっぱいはない。だからあまり興味はないけれど美人だとは思う。

 僕も巨乳好きだが、貧乳の女の子も好きだ。

 女子から消しゴムを拾ってもらうだけで惚れてしまうくらいには。

 ただ、その僕が彼女はどうにもピンと来ていなかった。

 その理由が、

「ありゃ?」

「きゃあ! 王子最高!」

「あはは、偶然入っちゃったよ」

 ようやくわかった。

「……あの子、経験者だ」

 円城寺何とかさんはおそらく経験者だ。紅子谷のドライブに対し、経験者とは思えない動きで適当に振ったら入った、ように見せていた。

 でも、僕の眼は誤魔化せない。振りは素人っぽく誤魔化せても、ボールタッチには経験が滲んでいた。かなり上手い。

 それに、

「おそらく、カットマン」

 推測だけどたぶん、彼女は現代卓球では希少種、後陣主戦のカットマン、だと思う。あのさりげないボールタッチだけで見れば――全国区の。

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