番外編:1番になれずとも
俺の名前は五十里長親(いかりながちか)、高校三年生の梅雨、湿気むんむんの体育館で汗を流すナイスガイだ。自称コミュ力高め、性格○、顔は女子から暑苦しい顔をしていると言われるが、近所のおばさまたちからは好評。
結構イケてると自己評価は高め。
しかも体育会系の熱血スポーツマンである。これで彼女いない歴=年齢なのは釈然としない。まあ、やっているスポーツが動く文化部って揶揄される程度にはモテないため、それはもう仕方がないと割り切っている。
何せ小学校低学年からずっとやっているのだ。
この死ぬほどモテないスポーツを、卓球って競技を。
「監督、球出し頼みます!」
「おう。足腰立たなくしてやるぞ、長親ぁ!」
「うっす!」
卓球の悪い所を挙げると、まず球が小さいこと。台も狭いし、ちまちまやっているように見えてしまう。あと短パン、これは本当にどうにかして欲しい。女子はともかく男子のホットパンツなんて誰が見たいんだよ、と思うくらい短い。
だからみんな、極力腰パンしてる。もう令和だと言うのに。
「はぁ、はぁ」
「どうしたどうした、まだまだ行くぞオラァ!」
「しゃす!」
で、卓球の良いところを挙げると、これがまた止まらない。球が小さく、台が狭いからこそのスピード感、息つく暇もない攻防。考えることは山ほどある。球の回転、コース、落点の深さ。一秒が永遠に感じるほど、この競技は速い。
正直言おう。俺はこの卓球ってクソダサいスポーツが大好きだ。
だからここまで続けられた。
だからこんなクソほど地味でしんどい多球練習もこなせる。本当にきついんだ、これ。嘘だと思うなら卓球部に頼んでさせてもらうと良い。
絶対一分もしない内に無理、ってなるから。
「五十里先輩、燃えてますね」
「そりゃあ三年だしな」
ナイスガイな俺が愛してやまない卓球だが、これまたムカつくことに卓球はどうにも俺を愛してくれなかった。最初は良かったのだ。
小学生時代全国大会常連、県規模のタイトルは多数。将来有望である。
中学生時代、父の転勤で今の県に移り、全国トップクラスの化け物に全国行きを二度阻まれる。世代最強の男に惨殺され、翌年それを追う男にメタクソにやられた。さすがに天狗の鼻も折れ、必死で努力した三年時、くじ運に恵まれ個人で全国行き。全国では一度しか勝てなかったが、それでも行くことが出来た。
全国行きは、それまで。
高校に入るともっとひどい。全国常連校の名も無き三年に三回戦で圧倒された一年生。一度は卓球をやめた世代最強だった天才が復活し、瞬殺された二年生。今度は県二回戦、さすがに心が折れかけた。もうやめたくなった。
「先輩、実力あるのに」
「くじ運ばかりは仕方ないだろ。そんなこと、あいつが一番わかってるさ」
という言い訳をしたが、実はとうの昔に俺の心は折れている。この卓球っていう競技は他の球技よりフィジカルの影響が少なめで、早い奴は中学時代から世界のトップレベルで、大人と一緒に戦っている。雲の上の連中だ。
俺はそんな世界を横目に卓球をしてきた。強豪校からの誘いはあったよ。でも受けなかったのは、たぶん、とうの昔に折れていたから。
せめてお山の大将で、そんな弱さが今の立ち位置になっている。
「もう一丁!」
「今年こそ全国だ! 長親!」
「うっす!」
まあ、くじ運に恵まれて全国に行ったところで、その先で惨殺されるだけ。大した意味もない。俺程度の実力じゃ大学の推薦もないし、勉強も出来ない俺はこのド田舎の工場かどこかに就職して、ただ生きていくだけ。
それが俺、五十里長親の十二年の、結果である。
○
地元、と言っても中学からだけど、ここはまあド田舎である。良いところと言えば海が近いこと、山も近いこと。ちょっと行けば温泉地もあるけど、地元に住んでいるとそのちょっとが億劫でほとんど行かない。家に風呂あるし。
毎日海を見て、山を見て、特に何も感じず過ぎ去っていく。
「長親ぁ、テストどうだった?」
「馬鹿野郎。今の俺は卓球一筋、お勉強なんぞしている暇はない」
「いつもの赤点回避、か」
「言うな。赤点回避してるだけ真面目だよ、俺は」
「確かに」
この男は友達ランク暫定一位の恋路くん。名前の通りチャラついているサッカー部三年主将である。中学から彼女を切らしたことがないと専らの噂。友達になっておけばおこぼれにありつけるかと思って三年になったが、なしのつぶて。
友達甲斐のない男である。
「総体、始まるな」
「まあな」
「長親の目標は?」
「個人団体とも全国、と言うのが建前」
「本音は?」
「行けるとこまで行って散るのみよ」
「はは、俺らも同じ。万年二回戦、三回戦勢だしな。俺たちサッカー部も」
「現実は厳しいわ」
正直、個人競技ならともかく団体競技は昨今、強豪校以外に夢を見ることも出来ない現状がある。皆強豪校に人材が集まり、その大半がベンチにも座れずスタンドに消えていく。それも大変だな、と俺は思うわけよ。
「そんなことばっかり言ってるから勝てないんじゃない?」
そんな現実に打ちのめされている二人に、追い打ちをかける存在が現れた。
「げげ、不動寺かよ。全国常連はあっち行け、しっし」
不動寺千夏(ふどうじちなつ)、我らが八尾高の星、高校陸上界に燦然と輝く美人アスリート様である。すでに大学からも推薦が山ほど来ているとか。
実に妬ましい話である。
「あんたも全国行ったじゃん、中学で」
「俺のはくじ運。不動寺のは実力。天地の差があんの」
「私も予選敗退だったけどね。中学は」
「高校は決勝常連だろ。格が違いますわ、格が」
「卑屈過ぎ。私はさ、お山の大将だった時のあんたの方が良かったけどね」
そう言って去っていくお星さまを眺めて、凡人の俺はため息をつくのだ。
「前から仲良いよな、千夏と」
「名前呼びする幼馴染には勝てませんとも」
「最後の意地だよ。これは」
「……そっか」
青春も色々。モテモテの恋路くんだが、不動寺という初恋だけは敗れたそうで、未だに引きずっているのがバレバレなのだ。そのせいで彼女とも長続きしない。
中学時代、不動寺と俺はちょいといい関係になったけど、その時は恋路くんとの仲は最悪に近かった。まあ当時の俺は天狗だったし、彼らを見下していたところもあったので、その辺は申し訳なさすらある。ただ結局、価値観と才能の違いから、俺と不動寺は付き合うまですら至らなかった。手を繋いだのが最大の戦果。
だからまあ、恋路くんとは今も仲良くやれている。大変居心地がいい関係だ。
「昔はさ、肩を並べようと必死だったんだ」
「…………」
「今は、もう、そんな気も起きない。だから気にすんなよ、長親」
「何の話だよ」
「お前はさ、俺らとはやっぱり、ちょっと違うから」
「仲間外れは勘弁だ。舐め合おうぜ、傷を」
「総体が終わったらな」
夏が来る。まあ、大体の競技は本格的な夏が来る前にインターハイの予選をやるし、大体の選手は夏前に競技からほっぽり出される。
そうしたらもう、二度としがみ付くことも出来ない。
夢を見ることも、出来なくなる。
いつもの景色が告げる。気温が告げる。終わりの時が来た、と。
○
「何度見てもひでーよ。何で最後の年まで、こんな組み合わせなんだよ」
「……五十里先輩」
同期が、後輩たちが運命の悪戯に憤慨してくれている。だけどまあ、正直予感はあった。昔は結構くじ運に恵まれていた方で、それで分不相応に全国まで行ったのだ。ならまあ、今その揺り返しが来ても文句は言えないだろう。
相手は去年、自分を瞬殺してのけた元神童。一年でさらに飛躍したのか、もう体つきから変わっている。彼も苦労したのだろう。色々あって卓球から離れ、それでも卓球が離してくれなかったのか、自分と同じようにしがみ付いたのか。
どちらにせよ、同じではない。
彼は卓球に選ばれた。自分は、選ばれなかった。
「そんな顔するなよ。まだ負けるって決まったわけじゃないさ。やれることは全部やった。あとはまあ、やるだけだろ」
最後の相手が彼ならば、本望。きっと彼はこれから全日本で、世界卓球で、オリンピックに出て、卓球史に名を刻む男だ。さすがに十二年もしがみ付いていたら、そういう匂いはわかるもの。復活し、入念な準備を遂げた天才。
そんな男と県大会でやり合えるのは、不幸とは言うまい。
「今年もよろしく」
「……あ、はい」
残念ながら、先方の記憶には残っていなかったようである。まあ仕方ない。今まで二度やって、ほんのひとかきの爪痕すら残せていないのだ。
だから、目標は――
「上等だ」
ひっかき傷でもつける。全身全霊で、死に物狂いで。
「ファーストゲーム五十里選手、トゥ、サーブ。ラブオール」
「っしゃあ!」
奴さん無意識の煽りで気合満点。ここが自分の総決算。全部を出し切る。
「ファイトファイト、五十里!」
応援も力に変える。野郎どもの声でも、無いよりはマシ。強豪校でもないのに無駄に熱血な自分に付き合ってくれた同期、後輩たち。彼らに無様は見せられない。年寄りの顧問にも死ぬほど球出しを付き合ってもらった。ダサい所は見せたくない。死ぬ気で喰らいつく。十二年、遊んできたつもりはない。
自分にできることは全てやってきたつもりである。
「アアアアアアア!」
「ッ⁉」
後は野となれ山となれ。そっちに取っちゃただの通過点だろうけど、悪いが俺からすりゃあここが天王山。一番になるのは諦めている。今の学校を選んだ時点で、トップ争いから逃げ出した小心者なのが俺。今更高望みなど許されない。
だけど、燃えるのは勝手だろ。
「まだ、まだァ!」
「……しつ、こい!」
燃えて燃えて燃え尽きて、灰になるのは、俺の勝手だ。
出し惜しみはない。技術も、体力も、情熱も、全部ここに置いていく。
「俺の名前は、五十里長親だ! 覚えとけ、二年坊主!」
「……こんな濃い顔の人、忘れませんよ」
忘れてただろうが、ド阿呆。
「マッチ、トゥ、不知火選手!」
そして俺は、灰になった。
○
海は広い。そして大きい。無事県予選で散った者同士、恋路くんとしゃらくせえサーフィンを始めてみた。さすが陽キャの恋路くん、上手い人を捕まえて教わるまでの流れが非常に美しい。俺もおこぼれを貰い、何とかへっぴり腰だけど板の上で立てるぐらいにはなった。だからどうしたって感じだが。
「筋良いよ、ながっち」
「どうもっす」
「今年の夏は、熱くなりそうだ」
「っすね」
とりあえず相槌を打つ。だけど心はどうにも熱くなれそうにない。サーフィンは楽しい。思っていた十倍は楽しかった。波待ちとかのルールも、経験者から教わればすぐにわかるし、輪の中に入ってしまえばみんな親切だし。
だけど十二年間当たり前のようにそこに在った熱さは、なかった。
○
あまりにも勉強が出来ないから学校主催の夏期講習に参加してみた。夏休み前と皆別人みたいな顔で、そう言えばここ進学校だったと思い出してしまう。今まで目に入らなかった光景、景色も否応にも目に入ってしまう。
集中できていない。輪の中に入れていない。
こんなんじゃダメだ、と思うのだが、やはり心は微動だにもしてくれない。
そんなこんなで昼休憩、母親が持たしてくれたおにぎりを一人校庭の片隅で頬張る。季節は夏、暑くてしんどいのだが、教室の居心地の悪さよりマシだと外にいた。
恋路くんは手頃な県内の大学を目指すらしく頑張っている。
俺はまあ、見ての通り。
「クソ暑い中、何してんの?」
「おお、不動寺か。聞いてくれ。受験族が教室を占拠していて、肩身が狭いのだ」
「あんたも受験するから学校来てんでしょ」
「親が大学ぐらい行っておけと言うから来たのだ」
「親不孝者」
「まったくだ」
自分でクソ暑いと言いながら、不動寺は俺の横に座る。
「おめでとう。全国二位」
「何もめでたくない。一位目指してたんだから、ただの負け」
「……厳しいねえ」
「そっちは?」
「安定の三回戦負け。去年より一回戦多く戦えたぜ。団体は県ベスト8まで行ったけど、個人の代わりにくじ運が良かっただけだわな」
「結果に悔いは?」
「ない。全部出し切った」
俺の顔が物珍しいのか、じろじろ眺めて来る。よせやい、イケメンなのがバレてしまうじゃないか。
「私は東京の大学に行く」
「スポーツ入学か。ま、頑張れよ。地元で応援してるわ」
「……一般で入学して、卓球を続ける道もあるんじゃない?」
「県三回戦が? 冗談きついって」
「あんたに、それ以外何があるってのよ」
勝手なことを言うだけ言って、不動寺は眼も合わせず立ち上がって去って行った。相変わらずどぎつい性格をしている。
本当に、厳しい奴なんだ。昔から。あの頃は受け止められたけど、今はもう。
「……本当にな。なーんも残ってないわ、俺」
抜け殻、出し殻、一滴も残っていない、カラッカラの自分。
「……くそ」
少し、泣く。だけど、気温が暑過ぎて、絞り出した一滴も、すぐに消える。
セミの鳴き声だけが、慰めてくれる。彼らにそんな気はないだろうけど。
○
夏も終わり、夏期講習も大詰めと言うところで、俺は学校側に呼び出された。何か悪いことしたかな、と考えるも何も浮かばない。自転車通学のヘルメットをかぶっていないことか、とも思ったが、それだとほぼ全校生徒が対象のはず。
まさか見せしめか、と思って校長室の扉をノックする。
「どうぞ」
「失礼します!」
元気よく挨拶。卓球部も一応、体育会系なのだ。校長室には校長に教頭、あと卓球部の顧問と、見知らぬおじさんがいた。
「初めまして、五十里長親君だね」
「はい」
顔も知らない大人に名前を呼ばれ、柄にもなく緊張してしまう。
「私は熊西学院大学の卓球部でコーチをしている清水です。よろしく」
内心、え、卓球部、熊西ってどこだ、なんて考えていたが、とりあえず受け取り方も良く分からない名刺を受け取って、頭を下げておく。
勧められたままに座ったが、頭は混乱したまま。
「遠方の君は知らないだろうけど、うちは九州では少し名の知れた学校でね。九州地区では強豪、全国的には無名の挑戦者、と言うところです。ただ、学校側も今後は力を入れたいと、こうして全国の選手に声をかけさせてもらっています」
ここまで来ればさすがにわかる。これは、スカウト、と言うことなのだろう。
「あ、あの、なんで、自分なのでしょうか? 自分は、県三回戦で敗れました。とても他県からお声をかけて頂ける立場とも思えないのですが」
「君の相手、不知火選手は今年、大きな結果を残した。私も実は彼を見るつもりであの会場にいたんだ。全国でも彼を見た。その中で、君ほどに彼を苦しめたのは全国でも指折りの強豪たちだけだったよ。あの日の君は、間違いなく強かった」
俺は、こう、胸の奥からグッとくるものをこらえるので精一杯だった。声をかけてもらえたことにじゃない。あの日の自分が強かった、と認めてもらえたことに、涙が出そうになったのだ。自分如きの全力が、誰かに伝わってくれたから。
「技術はまだまだ。身体能力も、上のクラスだと標準ぐらいだろう。だけど、君の闘志は、あの眼は、私には光って見えた。卓球は心のスポーツでもある。そして心は、どれだけ優れた指導者でも簡単に高めてやることは出来ない。君のそれは武器になる。技術は、私が責任をもって叩き込もう。少し、考えてみてくれないか?」
「……はい」
そう、絞り出すのが精一杯だった。
「君はもっと上手くなれる。強くなれる。適切な環境に身を置けば」
一番欲しかった言葉だったから。もう、可能性などないと思っていたから。か細くても、一等賞から見れば大したことがない道でも、先に進んでいいと言われた気がしたから。灰の中からひょっこりと、火種が、くすぶり始めた。
○
「何してんの?」
「さあ、わかんねえ」
気づいたら中学時代、死ぬほど上り下りしていた神社の境内に座り込んでいた。現役を引退してからひと夏、だいぶ体がなまっていたのかへとへとである。そんな感じでへろへろになっていたところに、不動寺がやって来たのだ。
「走ってたの?」
「おう」
「制服で?」
「おう」
「馬鹿じゃないの」
「本当にな」
「なんで?」
「……今日、大学の人が学校に来て、うちで卓球しないか、って誘われた」
「本当に⁉」
「県三回戦なのにな。はは、相手が良かったんだ、すげえ強い相手に、根性で喰らいついたら、その根性を買ってくれたみたいだ」
「まさか断る気じゃないよね?」
「引退してすぐだったら、断ってたかもな。でも、もう無理だ。下手くそだけどよ、卓球やってない自分が想像つかねえ。選ばれてないのは重々わかってんだ。それでも、行けるとこまでしがみ付く。その先は、道がなくなった時に考えるよ」
もう十分わかった。卓球がない自分はありえない。少なくとも今は考えられない。だから、行けるとこまで行ってみようと思った。
許される限りしがみ付こうと、思った。
「そっか。うん、よかったねぇ、長親」
「何でそっちが泣くんだよ」
「知らんし」
「俺も泣いていい?」
「勝手に泣け。馬鹿ちか」
不動寺のおかげで、ようやく、思いっ切り、泣くことが出来た。小さな爪痕、誰も見ちゃいないと思っていたけれど、足掻いて良かったと思う。
卓球を、続けて良かったと、思う。
○
もう一生分泣いたんじゃないか、と思うぐらい泣いて、すっきりしたら途端に気恥ずかしくなる。一緒に自転車押しながら帰っているけど、中々に気まずい。
「熊西って九州?」
「みたいだな。そっちは東京だし、地元にいるより離れるなぁ」
「そう? 私はそう思わないけど」
「脈ありみたいな言い方すんなよ。モテないから勘違いするぞ」
「競技にしがみ付いたまま大学を卒業して、社会人になれたら考えてあげる」
「……脈なしじゃねえか!」
「条件達成すればワンチャンでしょ! 濃い顔のくせに図々しいのよ」
「おま、顔のことは言うなよ! たぶん九州じゃモテるはずだ!」
「残念でした。時代が一巡りするまでその顔はモテません」
「ゆ、許せねえ」
「はいはい」
結局、高校時代に不動寺千夏とがっつり話したのはこの日が最後だった。東京と九州、大学生活、まあスポーツ推薦に巷で言う花のキャンパスライフは幻かもしれないが、彼氏彼女が出来ないなんてことはないだろう。
東京は怖い所だと近所のおばさまも言っていたし。
だからまあ、きっと人生が重なることはたぶんないのだと思う。でも、あの日涙を流せたおかげで踏ん切りがついたのもまた事実。
全力でしがみ付こうと思った。もしかしたらワンチャンあるかもしれないし。
○
卒業式では卓球部員一同、盛大に送り出してくれた。後輩なんて泣いている子もいたし、改めて自分の人望って凄いな、と自己評価が微増したのは内緒。ちなみにそう言うのは全部男子部員だった。女子は寄せ書きの内容も簡素だった気がする。
やはり世の中が一周しないことにはモテないのだろうか。
大学に入ってからは鬼のような練習で卓球漬けだった。何度も逃げ出そうと思った。親も泣いて喜び、送り出してくれたことと仕送りも貰っていたから逃げ出せず、地獄のような四年間を過ごす羽目になった。
自分も努力していたと思っていたが、強豪校のスパルタは次元が違うことを大学になって知る。もっと早く知っていれば逃げ出せたのに、と思った。
まあそのおかげで、それなりの結果は残せたけど。
中学ぶりに全国、インカレにも出た。しかも三年時と四年時の二回も。我ながら大変よくやったと思う。四年時は結構いいところまで行った。
継続は力なり、全日本にも出場出来て――これはやめておこう。あの瞬間は俺にとって一生の宝物になったから。むやみやたらに教えることでもない。
とりあえず大学でそこそこの結果を出して、こっそり実業団にも入ることが出来た。結果はまあ、やはりそこそこ止まりの選手だったけど。
でも、
「……また俺、長親とだ」
「あー、ご愁傷様。あいつ煩いし、しつこいし、ペースが乱れるんだよなぁ」
全国の有名選手たちに嫌がられる程度には成長した。俺、偉い。
そんなこんなで光陰矢の如し、選手を引退して今は何と体育教師である。大学のスポーツ学部を出て教員免許を取得しておいたのが良かった。何でもやっておくものだな、としみじみ思う。相変わらず男子受けはよく、女子受けは悪いが、何とかやっている。今のところセクハラで訴えられることもなく真面目に勤めています。
「先生、球出しお願いします」
「おう」
高校生は中々難しい。モチベーションの高い子がいれば低い子もいる。なるべく彼らを尊重し、その上で導いていくのは結構大変である。
まあ厳しい指導が欲しい子には施すし、趣味の延長線ならそれも良し。正解はない。一番を目指す道もあれば、そこそこを目指す道だってある。
俺が教えられるのは、何だかんだ選択肢はある、と言うことだけ。
一番だけが道じゃないと教えることだけ、である。
「五十里先生ってさ、全日本で結構いいとこまで行ったらしいよ」
「うそ⁉ あのしょうゆ顔で?」
「しかも、あの不知火選手に勝ったみたい。相手絶不調だったっぽいけど」
「凄くない? しょうゆ顔なのに見直したわ」
「全部聞こえてんぞ女子!」
こんな感じでまあ、舐められることも多々あります。精進せねば。
「今日は練習終わり!」
「早くないですか?」
「俺のちびちゃんの誕生日だから」
「公私混同!」
いろんな経験をして、酸いも甘いも経験して、地元に戻ってきた。未だに恋路くんとはパパ友同士遊ぶ仲だし、何だかんだと親友は継続中である。
昔は何とも思わなかった景色だけど、色々経験して戻ってきた海と山は、何となくしっくり来て、腰を落ち着けようと思えた。
そんなことを思いながら、夕焼け模様の中を爆走する。誰よりも、風のように早く帰る。今日ぐらいは許して欲しい。
靴は俺のとあいつの、で、おちびちゃん二人分。それを見るだけで相好が緩む。
「ただいまぁ!」
「パパうるさーい」「うるさーい」
「ガハハ、うるさいゾウ」
「「きゃー!」」
一等賞にはなれなかったけど、そうじゃなくても色んな道があるし、続けていくことで見えてくることもある。やめることで見つかる道もあるだろう。人生色々、まあ俺は報われた方であるし、正直今誰よりも幸せな自信がある。
「おかえり」
「おう、ただいま」
とりあえずまあ、そこそこ良い人生を送っています。
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