第18話:次のステージへ

「と言うわけで佐村さんは引退です。ご苦労様でした」

「「「「お疲れ様でしたー!」」」」

 覚悟していた終わりが来る。総体で敗れ去ったということは三年生は引退。すでに湊などボロボロと涙を流しつつあった。これで湊にとって卓球部にいる八割五分ほどの理由が喪失したことになるのだ、冗談であるが。

「目標を果たせた人も、そうでない人も、今後はより一層の研鑽を求めます。貴方たちは小さいながらも結果を出しました。悔しさもあるでしょう。しかし、成長の実感もあるはずです。それらを忘れずに次の一歩を踏み出してください。それは佐村さんも同じです。改めて、お疲れ様でした」

「はい」

「先輩、僕、ずび、その」

「もー、湊君泣いちゃだめだよ。折角の男前が台無しだよー」

 ハンカチで湊の涙と鼻水まみれの不細工面を迷うことなく拭いてくれる大天使、光。すでに湊など結婚どころか一緒にお墓に入りたいなどと真剣に考えていた。

 対象の意向は不明である。

「ちなみに、佐村さんは大変成績優秀ですので、すでに大学への指定校推薦がほぼ決まっております。本人の希望とも合致致しましたので」

「お、おめでどうございまずー!」

「あはは、ありがとう。だからね、迷惑じゃなかったらもうちょっとだけ、皆と一緒に練習してもいいかな? もちろん、駄目だったらいいんだけど」

「……え?」

「顧問として問題ありません。依然として少人数の部活、人手がいることもあるでしょう。夏には合宿を次期主将が計画しているようなので、猫の手でも必要です」

「猫よりは役に立つつもりです!」

「光ぃ。もう、そういうの私には話しておいてよ」

「えへへ、ごめんね。でも、皆の意見も聞いておかなくちゃ。どうかな?」

「小春は大賛成!」

「あたしもありがたいです。先輩の本気サーブも受けてないんで」

「そんなに大したものじゃないよう。湊君は、どうかな?」

「……」

「ちょっと、黙ってないで何か言いなさ、いよ」

「おい、これ気絶してねえか?」

「小春のお家芸なのに!」

「まあ、この幸せそうな顔なら答えは明白でしょう」

 立ったまま幸福を噛み締めて気絶する男、不知火湊。最近気絶するのが癖になってしまったことが目下の悩みである。これは冗談ではない。

「次期主将は神崎沙紀さんです。今度は投げ出さないように」

「はぁい」

「もちろん、佐村さんも推薦が確定と言うわけではありません。勉学にも並行して取り組みますし、以前ほど部活にエネルギーを割くことは出来ないでしょう。まずは自分たちで出来ることを考えてください。わかりますね?」

「え、と、練習内容とかですか?」

「何を言っているんですか、紅子谷生徒。団体戦は最低でも四名、必要なのです。あと一名、来年に期待するのではなく本年度中、いえ、夏までには確保すべきかと思います。どんな手段を使ってでもあと一名、拉致、失礼、確保願います」

「大概滅茶苦茶だな、この先生も」

「揃い次第、今回の結果を踏まえて何件か練習試合の問い合わせも来ていますので、殴り込みです。来年度の目標は今年ほど甘くないと考えておくように。加えてペナルティも課しますので、腹積もりだけはしておいてください。以上、連絡を終えます」

「本当に酷い先生よね、冷静に考えなくても」

 去ろうとした黒峰は、一瞬考えこんで、振り向く。

「不知火生徒」

「あー、気絶してるんでたぶん、起きない、す」

 轟、黒峰の正拳突きが湊の顔面ギリギリで寸止めされていた。風圧で湊の顔がひしゃげる。髪が、ぼさっとかき上げられ、何なら後ろの小春は尻もちをついた。

「あれ、僕今死んでました?」

「もし、貴方がトップレベルのフィジカルを求めるなら、私に声をかけるように。ただ、私は格闘技出身ですので、それほどフィジカルが重視されない競技の方には少々酷、かと思います。なので、貴方が望むなら、としておきましょう」

「……それは、どういう?」

「素人ながら、貴方が最後に見せたプレースタイルを完成させるには、フィジカル強化が必須と考えます。そして私見では、あの会場に私の水準を満たした生徒はいなかった、と思っています。意味は、分かりますね?」

「山口徹宵でも、ですか?」

「そういうことです。覚悟が出来たら、お声掛けください。貴方が知らぬ地獄をお見せしましょう。楽しいですよ、フィジカルトレーニングは」

 あの女帝が、嗤った。

「ひえ⁉」

 とビビり倒す花音。体に見合わず以外とビビりだが、そもそもここに連れてこられた時に格付けは済んでいるので仕方ない一面もある。

「考えておきます」

 まだ、選手に復帰するかも決めていない。前回は皆に自分の引き出しを全部見せるために頑張った。だが、同時に今まで押しても引いても開かなかった扉が開いた気もした。今はまだ、次を考えられるほど整理がついていないが、いずれは。

「じゃあ、練習しよう! あ、出しゃばっちゃまずいよね」

「いつも通りで良いんだって。じゃ、ウォーミングアップから。とりあえず打倒明進、気合入れていくわよ! 私は光ほど甘くないからビシビシやるからね!」

「……まあ、結局なんすけど」

 あー、練習開始かぁと湊は眼鏡を外す。

「あによ?」

「あいつが眼鏡外したらビシビシなるんじゃないすかね?」

「あ」

「ちんたらしてんじゃねえよ。さっさとアップして台に並べや! ひゃくまんさん部費で追加購入したからよォ、死ぬほど吹き飛ばさせてやる!」

「あはは、いつも通り、だね!」

 不知火湊の咆哮。それと共に再動する新生、と言ってもほとんど変わっていない明菱高校卓球部は、いつも通りのスパルタ指導で他の部活を威圧していた。

 こんな部に入りたい酔狂な人間がいるかは、神のみぞ知る。


     ○


「テメエ、何か写真のあれ、売れたらしいじゃねえか」

「まあね、他のも好評だったみたいでそこそこいい仕事になったよ。男子は湊のが一枚だけ、女子はめちゃクソ売れた。性的搾取ってやつさ」

「まあ俺でも男子の写真より女子のを見るもんな」

 のんびりと放課後、だらけ切った三人が窓の外を見つめる。

「ちなみに一枚どう? 安くしとくよ友達価格で」

「いや、やめとくわ」

 菊池は唖然として写真を取りこぼす。あの草加が性を搾取しないと言うのだ。

 天変地異の前触れかもしれない。

「……この前、黒峰先生に殺されかけてよ、睾丸も潰されそうになったんだ。未だに、あの人生終了した感じが抜けなくて、性欲が起きねえんだ」

「そうか、悪い、すまなかったな」

「良いんだ。俺が悪かった。それだけさ」

 そんな二人の茶番を見つめながら、男は一人髭を撫でつける。久方ぶりの熱、あの二人を見てむくむくと沸き上がった創作意欲をぶつけた渾身の一作はすでに郵送済み。二人のおかげで良い作品が書けた、と充足する男。

 その名は――


     ○


「王子ぃ、体調不良治った?」

「もう、万全だとも。すまないね、子ネコちゃんたち、心配をかけて」

「よかったぁ。マジ王子休みだとガチぴえんだから」

「あはは、ありがとう」

「今日はどこ行くー?」

「そうだね。とりあえず、ピンポン玉の音が聞こえないところ、かな?」

「なにそれー」

 湊のクラスメイトである王子、女子なのだが女子に大人気の王子系女子である。色々とこう複雑な感じだが、とにかく人気者だと考えておけば間違いない。

 そんな彼女が休んだ日は、奇しくも明菱高校卓球部の総体予選と被っていた。偶然か、はたまた必然か、今はまだ神のみぞ知る。


     ○


 いつもの夜、隣り合う二つの家、二階の窓が開いていた。

「よう那由多」

「ん、湊。珍しい」

「そうでもないよ。でさ、那由多の目から見て、この前の俺どうだった?」

「体力不足」

「うぐ、それは、痛感してるけど。その、手応えは、あった、つもりだ。でも、競技に戻るべきかはまだ、わからなくて。那由多の目から見て通じるかどうか、忌憚のない意見を伝えて欲しい。粗品で、スリースターのボールもあげる」

「……ボール欲しいけど、それは、私が伝えることじゃない、と思う」

「むう、確かに、そうなんだよなぁ。美里にも聞いたんだけどさ、ガチャ切りされたんだよ。何か心当たりある? 怒らせた記憶はないんだけど」

「それも知らない」

「だよなぁ。ちょっと、考えてみるよ。悪いな、夜更けに」

「湊」

「何?」

「あの子たち、強くなる。湊が進んだ分、そんな気がした」

「そっか、うん、ありがとな、那由多。今度一緒に美里の店荒らしに行こうぜ」

「うん」

 二つの窓が閉まり、一人の夜がやってくる。片方は爆睡、もう片方はぎゅっと枕を抱きしめ、嬉しそうに微笑んでいた。

 本当の湊が帰ってくる、そんな確信と共に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る