第15話:頂点との距離

 団体戦、破竹の勢いで駆け上がったダークホース、明進高校。誰もが予想していなかった県下最強龍星館に次ぐ強豪青陵をも破り、決勝にまで上り詰めていた。

 決勝の相手は当然、龍星館。

 誰もが固唾をのんで見守る中、全国行きを決める戦いが始まった。

 シングルス1は星宮那由他と鶴来美里である。実績からすれば星宮が圧勝する。さすがのダークホース、明進のエース鶴来とてここは届かないだろう。

 誰もがそう思っていた。鶴来美里以外の全員が。

「ゲームトゥ星宮選手、イレブンナイン」

 だが、一セット目でその空気が変わる。今まで一セット六点以上与えたことがない星宮が、いきなり九点まで肉薄されたのだ。

 星宮にミスがあったわけではない。ゲーム内容は互角と言って差し支えない。誰もが唖然としていた。世界で戦う星宮に、まさか届き得る選手が県内にいたとは。

「クソ」

「悪くない展開だったぞ、鶴来。お前の卓球は通用していた」

「……はい」

 顧問兼監督である彼女すら予想外の善戦。それだけ鶴来美里はこの戦いに賭けていたのだ。ちらりと向けた視線の先、馬鹿面で驚いている男子を見て、嗤う。

「こんなもんで、驚いてんじゃないわよ」

 いつからだろうか。星宮那由他に負けることが当たり前となったのは。いつからだろうか。周囲から期待の視線が消えたのは。いつからだろうか――

 佐伯湊の練習相手が、自分から星宮那由他に代わったのは。

『那由多、やろう』

『うん!』

 ずっとそこは自分の席だった。小さな頃からずっと、ウォーミングアップのラリーは自分と湊がやっていたのだ。いつだってペアは決まっていた。

『あれ?』

『……!』

 たった一度の敗北。そこからだんだん勝てなくなって、勝ち方がわからなくなって、それでも自分には湊がいる。そう思っていた。

 そう思っていたのは、自分だけだった。

 どろり、と美里の眼から暗い感情が零れ出す。あの日、彼の隣が自分ではなくなった時、ぐしゃぐしゃになった感情は、未だ遺っている。深く、心に刻まれている。

 今の自分にとって不知火湊はただの幼馴染であるが、かつての己にとっては大好きな、唯一無二の存在だった。それをあの日からずっと奪われたまま。

 不知火湊はいい。ただ、その席だけは返せ。

「くた、ばれ!」

 星宮那由他の逆を突く、冴えるようなストレート。美しく、繊細で、何処か脆かった鶴来美里はもういない。彼女は変わった。今も変わろうともがいている。

「小春の時と全然印象が違う」

「怖いな、何かわかんねえけど、とにかく、怖い」

 獣のような眼光。幼馴染である湊も見たことがない姿であった。精神面の変化は正直、よくわからないが、一つだけ言えるのは――

「鍛え上げたんだな、美里」

 かつての鶴来と今の鶴来、決定的な違いはフィジカルの強度である、と湊は見た。

「あかんな。ホンマに強うなったわ、美里ちゃん」

「モンスター、デス」

 龍星館の面々にとっても衝撃の接戦。正直、鶴来美里以外は警戒にも値しない、と彼女らは考えていたが、それにしても強過ぎである。

「卓球におけるフィジカルトレーニングの効果は主に移動速度の向上、スイングスピードの向上、この二点や。技術に比べたら些細な差ァしか生まへんけど、元々卓越した技術がある選手が自分を変えようと思たら、そこしかないやろ」

 有栖川聖は死闘を前に、嗤った。

「届かん球が届くようになった。身長が多少伸びたんもあるやろうけどな。押し負けたとった球を強く打てるようになった。紙一重やけど、この差はデカいで」

 卓球の明暗とはいつだって紙一重のところにある。鶴来美里は強かった。星宮那由他さえいなければ全国区の選手であっただろう。世界で戦っていたかもしれない。

 だが、現実は彼女がいて、壁に弾き飛ばされ、心が折れた。

 折れて、朽ち果てるだけのはずだった錆びた刀を、今一度磨いた。監督が言った自分なら星宮那由他を越えさせることが出来る。その言葉を信じてウェイトトレーニングをしたし、学校の設備で足りない分はジムで補っている。

 名刀は蘇った。かつてより強くなって。

「士ィ!」

 がぎり、常に美しい軌跡を描いていた名刀の一振り。しかし今は泥臭く、不細工な、それでいて強い威力をもってクロスで星宮那由他を抜き去る。

 技で届かぬ所は力で持っていく。

「げ、ゲームトゥ鶴来、イレブンエイト」

「シャアッ!」

 鶴来美里、吼える。

 シャッター音が鳴り響く。新たなる星の誕生を祝福するかのように。

「……負けたらあかんよ」

「わかっています。たった一度の敗北が格付けに繋がるのは、私も知っているので」

 小さな身体の星宮那由他が纏う空気を見て、有栖川聖は苦笑いを浮かべる。

「おお、怖」

 トップレベルの競技者は皆、極度の負けず嫌いである。一セットでも落とせば吐くほど腹が立ち、苛立ちも募るもの。だが、今の星宮は少し、それらとは違った。

 鶴来美里が己に向けている敵意のまなざし、それを見て、

「…………」

 星宮那由他は微笑むのだ。それはいつかの自分の鑑写しであったから。ずっとあの眼を鶴来美里に向けていた。最初から全部持っていた彼女を、あの眼で見ていた。

 彼女は気づかなかっただろう。勝ち続けている時は下など見ないから。

「勝ちます。絶対に」

 奪い取った席は渡さない。だって、彼女はもう湊を必要としていないから。自分とは違う。自分には絶対に必要。だから、絶対に負けてあげない。

 自分が引退するまでは、

「返さない」

 たん、星宮那由他のストップは、まるで時を止めたかのように美しく、球を停止させた。卓球経験者であれば言葉を失うほどの、絶技。

 鶴来美里は、触りに行くことすら出来なかった。

「今の、コーチがやってたやつ!」

 小春の言葉に、湊は頷く。あの前捌きは、自分が得意だった技であった。打つのではなく、落とす。打つと見せかけ力を吸収して、転がすように落とす、いや、置く。

 打ち合いの最中、あれを決められたならお手上げ、である。

「那由多も美里も、ボールタッチが非凡な選手だ。だからこそ、二人は毛色こそ違うが綺麗なドライブを打つ」

 糸を引くような流星、煌めくような白刃、どちらも非凡な武器である。

「さらに上を目指すために、美里はフィジカルを、そして那由多は、あえて前の技術を磨いたのか。どちらが正しいとかじゃない。どちらも、選択しただけ」

 選択し、前に進んだ。片方は強さを得て、もう片方はさらなる美しさを、得た。星宮那由他は小柄な選手である。選んだというよりは、そこしかなかったという見方も出来るだろう。人には与えられた器がある。競技をする上で積めるウェイトには限りがあるし、星宮のそれは残念ながら人よりも少ないのかもしれない。

 だからこそ彼女は迷わなかった。

「クソ巧ェ」

「信じらんない。何なの、あのフェイントからのフリック」

「凄いねえ」

 明菱の面々は星宮那由他の卓球に言葉を失っていた。

 磨き抜いた技、積み重ねてきた勝利の数々。世界で戦う経験が、

「サァ!」

 今の星宮那由他を形作っている。容易く超えさせてなるものか。

「美里」

「なに、試合中に」

「まだまだ、私の方が上」

 ピクリ、と青筋を浮かべる鶴来美里。絶対に負けない。ぶっ潰してやる。

「まだ、だァ!」

 鶴来美里必殺のバックハンドドライブ、名刀『吉光』のそれを、

「ふっ」

 へし折るは美しき流星。どれだけ速い球が来ようとも彼女は打ち損じない。スィートスポットで捉える技術は国内随一、否、世界で見ても一二を争うだろう。

 鶴来美里と互角のボールタッチに、超速の世界を見切る眼。

 それが小さな彼女の武器である。

 真芯で捉えたボールは美しき流れ星と化して、相手を絶望の淵に叩き込んだ。

「サァ!」

 シングルス1、星宮那由多対鶴来美里、勝者星宮。前を織り交ぜながら鶴来美里の鋭いドライブを寄せ付けず、圧巻の横綱相撲。それでも団体戦全てを通して最も彼女を苦しめたのが鶴来美里であることは疑問を挟む余地もない。

「ちく、しょう」

 まだ勝てるとは思っていなかった。ブランクのある自分とその間世界で戦っていた那由多では大きな差があってもおかしくはない。それでも悔しいものは悔しいし、理屈はどうでもいいけど、彼女相手にはどうしても勝ちたい気持ちがある。

 その理由は――

「ナイスゲーム!」

「……は?」

「湊が、拍手してる。初めて見た」

「ほんと、らしくないじゃん。あの馬鹿」

 よくわからないけれど。

 悔しげに鼻をすすりながら、鶴来美里は敗北を噛み締め笑った。

 まだ遠い。でも、いつかは――

 熱戦を終え、続く――

「好ッ!」

 シングルス2、趙欣怡(チャオ シィンイー)対竜宮レオナ、勝者趙欣怡。卓球大国中国からの留学生、容姿端麗でジュニア時代から本国でも人気の高い選手であったが、伸び悩み環境を変えるために日本にやってきた。

 無駄を削ぎ落とした機能美、それが彼女の卓球である。レオナの猛攻を冷徹に捌き、最善手にて圧死させるやり口は、見た目以上に苛烈であった。

「にゃあ!」

 そしてダブルスは御馴染み、犬猫ペア。どちらもダブルス専門でありながら、そのレベル差は今までよりも大きく、惜しい場面すら何一つなかった。

 まさに盤石、勢いのある挑戦者を迎えてなお、国内女子最強の有栖川聖すら出てくる必要がなかったのだ。美里との戦いを除き、一セットすら落としていない。

 これぞ王者、他を寄せ付けぬ強さを示す。

「……来年こそは、そうだろ、鶴来」

「はい。必ず」

 主力である鶴来と竜宮はどちらも一年、明進高校はおそらく来年さらに力を増す。今年は大敗を喫したが、来年もそうなるとは限らない。

「弱いな、あたしら」

「うん。でも、来年の小春は絶対に勝つから」

「ったりめえだ」

 自分たちを負かした相手が蹂躙されていく様。頂点との距離を見つめ、花音と小春は改めて決意する。距離は理解した。途方もないことも。

 それでも知らなかった昨日までとは違う。

 必ず強くなってみせる、悔しさを糧に彼女たちは決意を改めた。


     ○


 女子個人戦、総勢二百名以上が参加する熱き戦い。

 激戦に次ぐ激戦、明菱高校の者たちも参加するが――

「……強いっすね」

「古豪の意地ってね。だいぶ、龍星館には水を開けられちゃったけど、諦めたわけじゃない。明菱も結構やるじゃない。聞いたことなかったけど、良いよ、ほんと」

 一回戦は勝利するも次はシードの古豪青菱のエースと当たり、敗れ去った紅子谷花音。竜宮レオナの時にも感じたが、とにかく基礎があまりにも足りていなかった。

 力だけでは届かない。逆に言えば伸びる余地は山ほどあるということ。

「今度練習試合組もうよ。ちゃんとしてるとこいくつか呼んで合同でさ。うちの監督にも話し通しとくから。打倒龍星館! ってなら、やれることは何でもやるっしょ」

「あ、あざっす。願ったり叶ったりで」

「あはは、ちなみにさ、佐伯湊君がコーチしてるって本当?」

 快活で格好良いなぁ、と思っていた青菱エースの眼がどす黒く曇る。

「あ、はい。それがどうしたんすか?」

「練習試合の時、握手は、行き過ぎだから、えと、サインくださいって言っといて」

「……えー」

「一生のお願い! マジでファンだったの。ってか今も! お願シャス!」

 ちょっと格好良いな、と思っていた全てが砕け散る。

「完全それ目当てじゃないすか」

「んまー半分くらいは」

 にししと笑う青菱エースであったが、次の瞬間には真顔になって――

「でも、それだけで誘うほど私らも暇じゃない。ちゃんとうちにもメリットがあると思ってるから誘ったんだぜ? 吉報待ってるよ、一年生! アデュー」

 しゅぴっとウィンクをして去って行く古豪のエース。何だかんだと男前である。

 とりあえず黒峰先生には伝えておこう、と思う花音であった。

 そして、香月小春の個人戦は――

「わん!」

「しゅる!」

 前陣速攻対カットマンという組み合わせとなっていた。お互いノーシード、一回戦であるが凄まじい長丁場となる。今大会随一の、長期戦。

「わふーわふーわふー」

「ふしゅる、ふしゅる、ふしゅる」

 互いに何かを感じ取る。変態のオーラ。常人は疲労困憊となれば顔を歪め、苦しそうな顔をするのだが、この二人はどんどん表情が晴れやかに、気持ちよさそうに、何なら少し恍惚の表情で打ち合っていた。観戦者もドン引きである。

 事前に湊がカット打ちの練習をさせていなかったら、わからん殺しをされていたことは明白。それほどにカットマンとは異質で、苦手とする選手は多い。

 何よりもカットマンとの試合は長引くのだ。昔ながらのカットマンであれば。

「「えへへへへへ」」

 対するカットマンの天敵もまた前陣速攻。前で容易く捌かせる球は打たせずとも、多少甘くとも前で角度をつけられた返球をされると苦しくなる。

 互いに苦しい。ゆえにハッピー。

 決着はまさかの――

「わ、ん」

 香月小春が気絶し試合続行不可能となる、つまりはKO。まさかの珍事に大会関係者も頭を抱えたとかなんとか。普通はあり得ない決着に会場は騒然とする。

 そしてそれ以上に――

「また、やろうね。小春ちゃん。ぐひ。今度は、湊君も一緒に」

 邪悪な笑みを浮かべて次の試合に向かう彼女こそ今大会のダークホース。このままシード選手を破り、決勝トーナメントに進出、あの星宮那由多をあと一歩まで追い詰める偉業を達成する。異質なる蛇、奥能登が生んだモンスター。

 その戦い全てが長丁場であることも話題を呼ぶ。

 神崎沙紀の個人戦は、花音と同じく一回戦は勝利するも次は――

「ヨォ!」

 龍星館主将、如月。地味な風貌に似合わず情熱溢れるプレイスタイルは、対戦相手すら一定の敬意を浮かべてしまうほど、選手にとって格好良く映る。

 その相手に三タテを喰らうも、出来る限りは喰らいついた。

「韓信選手、ですか。私も好きな選手です。よく分析していますね」

 試合終了後の握手で如月から語りかけてきた。沙紀、びっくり。

「あ、ありがとうございます」

「他の選手の分析もするべきです。貴女なら噛み砕いて上手く消化できる。きっと強くなれますよ、貴女のそれは才能です。神崎選手」

「が、頑張ります! あの、如月さんも頑張ってください。応援してます」

「ありがとうございます。では、またどこかで」

 湊の言う通りめちゃくちゃ良い人だった主将如月。実力も人望もある彼女であるが、トーナメントで後輩有栖川聖に敗れ、北信越代表決定戦でも控えの選手に敗れ、そのまま団体レギュラーを辞退、高校での部活および卓球人生を終える決断をすることになる。

 悔いはない、限界を突き付けられながらも足掻いた二年間、であった。

 そして佐村光は――

 明菱高校最多の二勝を刻み、

「サァ!」

 星宮那由多に圧倒され、佐村光の大会は終わった。『魔女』のチームメイトであり、誰よりも彼女への対策を、勉強を積んでいた那由多にとって光はあまりにも相性が悪く、そもそもの実力差もありただの一点すら取らせてもらえなかった。

「終わりです。どうでした、卓球、楽しかったですか?」

 辛辣な一言。一瞬、言い過ぎたと那由多は思うが――

「うん、楽しかったよ」

 返ってきたのは予想外の反応。那由多は眼を大きく見開く。

 佐村光の笑み、それを見て那由多は視線を逸らす。

「本気で戦ってくれてありがとう。応援してるね」

「……はい。いいサーブでした。サーブ以外を良くすると、もっと強くなれます」

「うん! ありがとう。星宮さんはいい子だねえ」

 謎の敗北感に包まれ、星宮那由多は上へと駒を進めていく。良い人だった。とても、優しい人だった。自分はああなれない。もう引き返せないところまで来たから。良い人じゃ、優しい人じゃ、勝てないから。

 勝つために、嫌な人にならなきゃいけない。

「ほな、やろか。那由多ちゃん」

「はい。胸をお借りします、聖さん」

 女子で一番強くなる。そして大好きな人と肩を並べる。

 そうしないと昔みたいに戻れないから。女子の壁を越えて、男子の領域に、立ち止まっている彼に追いつく。そしてまた、あの時みたいに笑い合って――

「それ、雑念やで」

 星宮那由多、決勝戦敗退。『魔女』の牙城、未だ聳え立つ。

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