第10話:突き抜けろ

 人の成長とは均一ではない。

 同じ努力をしていても成長曲線は人それぞれ。すぐ伸びる者もいれば、時間を積み重ねた先に伸び始める者もいる。個々人に差があるのだ。

 足並みの揃っていた初心者から、ある日突然突き抜けるモノ。

「ウォラ!」

 女子選手とは思えない破壊力。スイングが様になってきた。紅子谷花音という規格外の体格に基礎が乗り、手が付けられない。部内戦、普段は何だかんだと佐村光か神崎沙紀、一応経験者枠の二人が勝利を掴んでいたが、今日は彼女が下した。

 否、彼女『たち』が、下した。

「わん!」

 疾風が如く。

「く、そ、がァ!」

 その動きは何処か、ある男を連想させた。

 何とか食らいつき、腕の力だけでドライブを叩き込む花音はやはり規格外。されど、今日最も強かったのは彼女ではなかった。

「わんわん!」

 ショートバウンド、かなり深めに刺さったドライブだったのに、跳ねた瞬間を小春は前で捌いて見せた。あっさりと花音渾身の返球を逆サイドに跳ね返す。

 如何に花音が規格外であっても戻り切れねば追いつけない。

「ゲーム、トゥ、香月、イレブン、ファイブ」

「わおーん!」

 小春の咆哮が体育館に響き渡った。可愛らしいガッツポーズで喜ぶ彼女であったが、卓球の内容は無慈悲の一言。深めに刺した程度では問題なく前で捌く。そもそも小春が主導権を握っている間は深く打てない、打たせない立ち回り。

 まさに在りし日の湊の卓球であった。

「ちょっと強過ぎるわね、今日の小春は」

「うん。私、手も足も出なかったよぉ」

「私だって今の見てたら勝てないって。こんな急に、強くなるもんなの?」

 それこそ昨日までほぼ横並びだった。勝ったり負けたり、誰が決勝に行ってもおかしくなかったし、力の差というモノは感じなかった。

 だが、今日の小春は明らかに抜けていた。

「この、物真似わんこが」

「わんわん。コーチの試合全部見て、もっかい見て、沢山見て、で、今日ようやく、ちょっぴり重なった。小春、強くなっちゃったみたい」

 タイプが似ていた。だから、重なるように練習を施してはいた。それでもこの短期間で重なり始めたのは彼女の才能なのだろう。

 前陣は才能。湊は父に言われ続けた言葉を思い出す。自分に時間を与えず、それ以上に相手の時間を奪う天才の領域。同じ返球でも前と後ろでは相手に与える時間は雲泥であり、後ろでは繋ぎにしかならぬ球も前では必殺と成る。

 全球必殺、前に陣取る覚悟ならばそれを目指せ、と。

「小春がなんばーわん!」

 まだまだ台上処理は甘い。本当に深く差し込まれたら、どうにも出来ない。だが、そこを見切り、付け込める力があるのは県上位クラス。

 穴はあれど前陣に必要な才能は元々備えている。

「ちょっと、水飲んできます」

 俯く花音は部長である光の前でぼそりとつぶやく。

「う、うん。一旦休憩にしよ、湊君」

「ですね」

「えー、小春まだまだできるよー」

「ステイだ、香月」

「わんだふる!」

 自分のバッグに駆け寄っていき、スマホを取り出す小春。見るのはやはり湊の動画。何度も見たのだろう。シークバーを操り、見たいシーン、今日のミスにかかわる攻防を見つけ、自分に重ねる。違う部分を塗り潰していく作業。

「……何見てるんですかね?」

「あんたの動画」

「……ホワイ⁉」

「あはは、私たちも見ちゃった」

「佐村先輩にも⁉ 恥ずかしい!」

 眼鏡をしていない湊にしてはオーバーな感情表現。本気で恥ずかしがっている。まあ休憩中は心の眼鏡を装備しているらしく、台の近くにいる時よりもそもそも態度は柔らかいが。心の眼鏡とは何か、というのは永遠の謎である。

「でも、疑問が氷解しました。捌き方が教えた以上に似てたので。恥ずかしいですけど、あいつには正解ですね。まずは上手い人のを真似る。大事ですよ」

「私たちも見たはずなのにね。真似る気にもならなかったけど」

「タイプが違います。かつての俺は特化型、香月以外参考になりません。佐村先輩なら『魔女』有栖川聖が参考になると思いますよ。先輩はサーブが上手いですけど、狡さが圧倒的に足りません。其処からの組み立ても。彼女は国内のトップ選手ですし、サーブが売りの選手なので、意図をくみ取って真似するだけで強くなれます」

「テレビで見たことあるよ、関西弁の人だよね?」

「ええ、エセ関西弁の奴ですね。小細工させたら世界一です」

「と、棘があるね」

「一応同じ地区ですし聖とは幼馴染で、子供の頃は煮え湯も飲まされたので。一個上ですけどね。幼馴染だと呼び方なかなか修正できなくて」

「あー、それわかる。私も未だに光呼びだもん」

「えへへ。私も今更沙紀ちゃんに先輩呼びされてもムズムズしちゃうよ」

「……え?」

「何が、え? なの」

「先輩、三年じゃ」

「三年なのは私で沙紀ちゃんは二年生だよ」

「あんたどんだけ私に興味ないのよ。とっくに知ってるもんだと思ってた」

「逆になりません?」

「オウコラ、休憩中眼鏡に気を付けとけ。破壊してやる」

「あはは、沙紀ちゃんどうどう」

 憤怒する沙紀を抑え込む光。このタガがいなくなった後を想像すると気が滅入る。やっぱり逆が良いなぁと思う湊であった。

「で、私は?」

「何がです?」

「私向けの選手。いるでしょ、何か」

「いません」

「泣くわよ。あんたの教室で。あんたのせいでって」

「最悪ですね⁉ まあ、冗談ですよ。先輩、何でもそつなくこなすじゃないですか。頭も賢し、良さそうですし。何でも出来るけど何にも特化していないタイプ」

「……全力で喧嘩売ってんのね、オッケーわかった」

 結構気にしている部分を突かれ、そこそこマジで怒り始めた沙紀。

「昔、世界で一番強かった人がそんな感じでした。元世界ランク一位、現在二位、中国卓球界の英雄、『国士無双』の韓信選手! 俺の憧れ、機能美を突き詰めた至高の卓球。鬼フィジカルまみれの中国卓球界では平均的な身体能力に、上位勢では特筆するほどではないドライブ、それなのに強い。そういう選手です」

「……へ、へえ、結構考えてたんだ。ふーん」

「あ、沙紀ちゃん照れてるねぇ」

「う、うっさいな光! あんたもおばあちゃんの手伝いなしでユアチューブくらい見れるようにしなさいよ。普通逆でしょうが!」

「うう、言わないでぇ。ネット怖くて苦手なの」

「昭和のおっさんでも、もうそんなこと言わないってのに」

「大事なのは、ただ見るんじゃなくて自分ならどうするか、何故この行動を取ったか、常に考えながら見ることです。選手視点で見ると色んな発見がありますよ」

 よいしょっと、と湊は立ち上がる。

「どこ行くの?」

「あいつに発破かけに。一応これでもコーチなので」

「お願いね、湊君」

「任されました」

 まあ、たまにはコーチらしいこともしよう。と思い歩き出した湊であったが道中、あれ、これって顧問の先生とかがやることなんじゃ、とか思ったりしていた。

 意外でもなくしょうもない男であった。


     ○


「顔洗い過ぎだろ、紅子谷」

「……すぐ戻る」

 屋外に設置された水道、その蛇口を全開にして水を被り続ける紅子谷花音を見て、不知火湊は苦笑する。これだけ悔しがれるのも才能なのだ。

 この世界、負けず嫌いほど強くなるから。

「香月に負けてショックだった?」

「うっせえ。あいつの方が強かった。それだけの話だ。すぐにぶち抜く」

「俺の映像だけ見ても意味ないぞ。香月とお前じゃタイプが違い過ぎる。前で勝負する選手じゃないだろ、お前。最近無駄に張り付いてると思ってたら」

「テメエが、言ってた。前は才能、前での攻防こそ卓球だって」

「俺が?」

「インタビュー。だから、あたしは――」

「あっはっは、俺、そんなこと言ってたのか。本当にさ、馬鹿だよなぁ」

 湊は蛇口を閉じる。びしょ濡れの花音の隣に立っていた。

 双方、視線は合わせない。

「前が才能、それは本当だ。極限の反応速度、判断力、直感、よく父さんが言っていた。前は天才の領域、其処に最後までいた者が頂点に立つって」

「ああ、似たようなこと言ってたな。ガキのテメエも」

「でも、今の世界一位はオールラウンダーだ。と言うよりも、ここ二十年を紐解いても前だけの選手が頂点だったことはない。父さんは世界選手権で一度だけ勝ったけど、それっきり中国勢には勝ててないしね。あくまで夢想だよ、それは」

「…………」

「さっき沙紀先輩にはちょっと前までの一位を薦めた。で、紅子谷には今の一位を薦める。お前でも真似は出来ない。唯一無二、史上最強、あの卓球大国中国でその男はそう呼ばれている。『最強』王虎、最強の身体能力とそれを活かすテクニックを兼ね備えた、まさに最強、だ。規格外のお手本だな」

「そいつの真似をしたら強くなれんのか?」

「真似が出来たら世界一位だよ」

「小春よりも?」

「俺の物真似で終わるのならそうなるだろうね」

「テメエよりも?」

「……ああ」

 紅子谷花音は顔を張り、背筋を伸ばす。

「あたしの最終目標はテメエだ」

「小さい目標だよ」

「それはあたしが決める。テメエをぶっ殺す。卓球で、メタクソに、そのために小春もぶっ潰す。最後に勝つのはあたしだ」

 いつだって少し努力したら周りがついてこれなくなった。初めての経験だったのだ。自分が抜かされたのは。同じスタートラインに立ちながら、もう一人は突き抜けて自分はまだその域にいない。彼女は今日初めて知った。

 自分がとてつもなく負けず嫌いであったことを。

「なあ」

「なに?」

「ありがとよ、卓球教えてくれて。楽しいぜ、マジでな」

 自分に敗北を教えてくれた。何をやってもすぐに突き抜けて、何一つ楽しくなかった競技とは違う。ここでは決して自分は天才ではない。この体格は手札の一つ程度、この武器を使わねば四人だけの部活でさえ最下位。

 彼女にとってそれは刺激的な日々であったのだ。

 彼女は感謝する。この出会いに。

 だから彼女は嗤う。獣の如く凄絶に。


     ○


 楽しい、か。

 僕にとって卓球って楽しいモノじゃなかった。でも、最近はそうじゃない。

「奥だっつってんだろ! 角のひゃくまんさんを吹き飛ばせ! 深く差し込ませるんだよ。ここにお前のパワードライブぶち込めば前で捌くのは不可能だ。正確無比に思いっきり叩きこめ。テメエの土俵に持ち込め。甘いの来たらぶっ殺すからな」

「じょ、上等だゴラァ!」

「まだ浅い! やる気あんのか紅子谷ァ!」

 たぶん僕はこの時間を楽しんでいる。

「台上甘い! ツッツキ辛く、ネットギリギリ狙ってけ。相手の逆を突け、フェイント入れて、そう。それだ。だがまだコースが甘い!」

「わん!」

「ストップ短く、フリック速く、流れの中で瞬時に判断しろ。どう捌くか、刹那の判断が明暗を分ける。まだテメエのは遅い。遅すぎる! 寝てんのか香月ィ!」

「わふーん」

 彼女たちは本気で取り組んでくれている。

「もっとコース厳しく。かつ、先々を考えて打ち分けろ! 三球先のために球を打て。伏線を、布石を、張り巡らせ! 相手の意図を超えた球は必ず抜ける!」

「はい!」

「緩急も交えろ。左右だけじゃなく上下でも揺さぶれる。考えろ、どう揺さぶったら相手が嫌がるか。得意だろーが、性悪先輩!」

「はい(あとで眼鏡壊す)!」

 その熱が心地よく――

「何でそのサーブを打つのか、考察が足りてない。相手にどう打たせて、自分がどう打つのか、最低でも三球目まで組み立てて!」

「うん!」

「まだ狡さが足りてない! あの人がそう打っていたか!? 打つ瞬間が完全に見えないのは反則。ほとんど見えないのは技術、だ。もっと狡く打て!」

「うん!」

 僕もつい熱くなってしまう。

 たまに行き過ぎて――

「バド部から怖いと苦情が来ています」

「すいません」

「まあ、別に構いませんが」

「いいんですか⁉」

 周囲から引かれてしまうけれど、それでも打てば響く、本気を打てば本気で返ってくるのは楽しいものだ。気持ち良いほどの熱意。

 そのラリーが僕の心を軽くしてくれる。

「……上手くなったなぁ」

「あ、湊君笑ってた!」

「わふ⁉」

「マジか⁉」

「あいつちょくちょくニヤニヤしてるでしょ」

「してないです! サーブ練習も飽きたみたいなんで多球練習いっときますか」

 本当にさ、最近大変なんだ。厳しくしなきゃいけないのに、ふとした時に、気を抜いたら、嗚呼、楽しそうでいいなぁって思ってしまうんだ。

 これは未練なのかな。でも、もうあの日々に戻りたくはない。

 最近、僕は僕が分からなくなる。どうしたいんだろうな、僕は。

「卓球楽しいね、湊君」

「そうですか? なら、良かったです」

「ありがとう、湊君」

「え?」

「君が来てから、私は毎日が楽しいんだぁ」

 とりあえずこれはもう結婚だろ、って最近毎日思ってます。げへへ。


     ○


 彼らの活動を積極的に関与せずに、ただ見つめ続けてきた卓球部顧問、黒峰響子。あれだけ自主的に練習する子たちも今どき珍しいだろう。朱に交われば赤くなる、ではないが下のカテゴリーで徹し切れる群れは皆無と言える。

 指導者が良いのだ。彼は徹さないやり方を知らない。彼は徹するしか出来ないし、それはやり過ぎだ、と言う者は一度壊れた部には残っていなかった。

 熱意のラリー。見ていて心地よい。

 それはかつて、己と同じやり方を強いて反発、崩壊させた黒峰にとって得難いほど美しく、情熱に満ち満ちた時であった。

 彼女は卓球を知らないが、彼らの努力はきっと普通ではない。彼らが向ける熱意は決して頂点に劣るものではないだろう。

「……さて、迷いますね」

 総体の参加。女子は団体戦も最低限、全員参加は確定で個人戦も同様。そこは問題ない。問題があるとすればもう一方。

「吉と出るか凶と出るか」

 もう一枚の用紙を見つめ、黒峰は静かに決心する。

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