第8話:楽しむと言うこと
「あれ、新入部員ですか?」
不知火湊の反応に神崎沙紀は頬をぴくぴくさせていた。本気でこの男、覚えていないのだ。興味を持てない人の顔は覚えない、ある意味特技である。
「沙紀ちゃんだよ。ほら、この前すれ違った」
「……あ、ああ、よろしくお願いします」
絶対に覚えていない、光を除く全員がそう思った。
「途中でやめちゃったけど元卓球部です。よろしく」
「改めてよろしくね、沙紀ちゃん!」
(仲の良い人なんだ。よくわからないけど先輩が楽しそうでよかったなあ)
やはり全く思い出せない湊は、とりあえず微笑みながら頷いておこうという結論に至っていた。バレバレであるが一番重要な光を騙せているので無問題である。
「今日からは多球練習の後、実戦形式も増やしていきます。色々と使っていないラケットやラバーを借りてきたので、それを使って主に僕が複数役をやる感じかな。他の皆は自分の戦型で対戦、余りはサーブ練習に当てましょう」
「ランニングとかしないの?」
「体を温める準備運動はしますよ。体力は多球練習でつけます」
「フォアとかバックとかのラリー練習とか?」
「ラリーの練習してどうするんですか? きっちり打てれば嫌でも出来ることですし、そのための練習は必要ありません。それより多球練習です」
「同じ人が出し続けるのだと彼女たちに変な癖つかない? 実際――」
「今日からはラケットも打ち方も変えていきます。そのために用意してきましたので。では、練習を開始しましょう。まずは軽く準備運動」
そう言って湊は眼鏡を外す。それを仕舞ってコンタクトを装着、眼鏡と共に微笑みが抜け落ち、性格が変じる。本人に自覚はない。
「あの、あと数点質問があるんだけど」
「つべこべ言ってんじゃねえよ、黙って準備しろ」
「……え?」
「全員、よく理解したと思うが、卓球と言う競技は道具、競技者によって大きく対応方法が変わってくる。だからこそ普遍的な知識と多くの経験が必要だ。普遍的な知識は多球練習によって刷り込む。疑似的な経験も俺が工夫して与える」
神崎沙紀だけがこの変化についていけていない。
他の三人はいつも通り、一名を除いて表情を失っていた。
「本当の、実戦の経験はその後だ。総体まで余裕はない。最短を最速で駆け抜ける。質問は受け付けるが、疑問は受け付けない。黙って俺に従え」
「わんわん!」
約一名小躍りしているが、それ以外の顔は死んでいた。
「さあ、楽しんでいこう」
全然、楽しそうじゃない顔つきで台の前に立つ湊。
「まず、小春から! コーチコーチ!」
「香月、紅子谷、せんぱ、佐村先輩、神崎先輩の順。他は実戦を想定した打ち合い。残りはサーブ練習、ローテーションだ。手ェ抜いたら殺すぞ」
「あの、三面使われるのはちょっと」
メンバーが増え、体育館内の領土がさらに拡張した結果、とうとう他の部活からちょっとしたクレームが発生した。眼鏡をつけている湊であれば先輩、ないし顧問に相談しますとかわしていたところだが、あいにく――
「あ?」
眼鏡のない湊に理屈は通じない。
「い、いえ、なんでもないです!」
まあそもそも理屈であれば卓球部の方に分があるのだ。縮小した結果、余っていた場所を使っていいですよと渡しただけで、本来この半面は卓球部が申請している場所であった。ゆえに本来の理屈では卓球部が勝つ。
そんなこと知る由がない男であっても圧一つで押しのけたが。
「今日からは回転数もランダムで出す。しっかり見切ってきっちり返せ。甘い返球は許さない。セーフティーなプレイも論外だ。攻めろ、その上でミスを削れ」
「わん!」
見ずともすべて彼は理解している。彼女たちがどういう経験をしてきたか、全て計算した上で送り出している。次のステップのための準備は上々。
彼女たち自身が勝つために必要なことを学んできた。
今日からはそこに、必要なモノを敷き詰めていく戦いが始まるのだ。
○
「じ、地獄ね。光、よく耐えてるわ。私初日から死にそうなんだけど」
「あはは、私もまだまだ大変だよぉ。でも、楽しいんだぁ」
佐村光の笑顔を見て神崎沙紀は俯く。
弱音を吐くのはともかく、彼女の笑顔を今度こそ曇らせてはならない。噂通り辛く苦しい練習であったが、光の隣に戻ってきて思う。
もう二度と裏切りたくない、と。
「まあ、きちんと理論だって教えてくれるのはありがたいわね。口は悪いけど」
「えへへ、湊君は自慢の後輩だよぉ」
「ふーん、自慢の後輩ねえ」
「変な風に取らないでよぉ」
「どーだか。あーあ、あの光に春が来ちゃったかぁ」
「もー、沙紀ちゃん!」
裏切って、逃げて、失って、距離が出来て思った。
今度こそ一緒にいよう。そうでなければ友達なんて言えないから。
部活後の帰り道、神崎沙紀は一人誓う。
〇
僕にとって卓球は苦しいモノだった。
『湊、全てが遅過ぎる。死ぬ気で食らいつけ。出来ねばお前に価値はない』
『競技者は勝たねば意味がない。頂点に立つ以外、全てを切り捨てろ。俺も母も、全部不要になった時、お前は完成する』
『何故それが出来ない⁉ やる気がないのか? それとも才能の欠如か? 後者ならすぐにやめろ。時間の無駄だ。凡人に卓球をやる資格などない!』
『今日の試合は最低だったな。あの程度の相手に苦戦したこと自体恥だ。誰が相手でも圧倒しろ、食い下がられた時点でお前の負けだ』
勝って当たり前、勝たねば父親だった男からの叱責が飛んでくる。勝ったところで褒めてもらえるわけではない。上に行くしかなかった。昔は楽しくて、褒めて欲しくて卓球を始めた気がするけど、気づけば叱られたくないから頑張っていた。
勝ち続ける以外、選択肢なんてなかった。
「あー、沙紀ちゃんまた新しいサーブ!」
「ふふ、ユアチューブで勉強してきたのよ。その名も王子サーブ」
「小春もやってみる!」
「あんまりふざけてると眼鏡が眼鏡外すぞ」
「小春的にはエビでタイ的なやつ」
「……そーかい」
勝つこと以外、全部そぎ落としてきた。
あんな風に卓球を、楽しそうにプレイするなんていつからやってないだろうか。笑うのも、泣くのも、無駄だから捨ててきた。
でも、気づけば勝てなくなって、勝つためだけにやってきたから、負けたら全部失って、負け続けたら父親もいなくなった。
やる意味を見出せなくて辞めた競技。
「試すのはサーブ練習でやれよ。あたしの練習にならねえ」
「ぬ、意外と難しい。沙紀ちゃん先輩があっさり出来てたから小春も余裕かなって」
「あのおチビちゃん結構生意気よね」
「学年はともかく部活は小春が先輩なので」
「去年もいたんだけど⁉ 途中辞めたけど!」
今も選手としてはやる意義を見出せないまま。それでも結局、卓球に縋りついているのは何故なんだろうか。勝てなくなった勝利至上主義者は何処へ向かうべきなのだろうか。未だ何一つわからないまま。ふわふわしてる。
ただ、何故だろうか。
「おら、試合やるぞ。勝ったもん同士、負けたもん同士で最強決定戦」
「うわぁ、楽しそう!」
「この新技で生意気な一年坊主どもを蹴散らしてやるわ」
「うわぁ、弱そう」
「小春ちゃんが先輩に喧嘩吹っ掛けてきたので、私、一回戦この子とね」
「へいへい、じゃ、光先輩、あたしとやりますか」
「よろしく、紅子谷さん」
「前から言ってるっすけど、花音でいいっすよ」
何故か、あんなにも苦しかった場所が息苦しくない。彼女たちの馬鹿面を見ていると、どうにも気が抜けてしまう。強くなりたいと言い続ける限り、手を抜くつもりはないが、徹し切れていないのもまた事実。
笑いながら、楽しみながら、其処に水を差す気にはなれない。
「……下手くそだなぁ」
思い出すのは、記憶の奥底にしまい込んでいた日々。父親はまだ選手で、母親と二人で向かった卓球場。那由多がいて、美里がいて、あんな風に覚えたばかりのサーブとか使って笑いながら、楽しみながら、卓球をやっていた。
『ママ、見て、那由多に勝った!』
『もう、那由多ちゃん泣かせちゃダメでしょ。男の子なんだから』
『美里にも勝つよ!』
『むーりー、私が一番強いもん』
『もっがい、しょうぶ』
懐かしい、景色。
「本当に、下手くそだ」
彼女たちを見ていると、自然と笑みがこぼれてしまう。厳しくするのがなかなか難しい。教える側としてどうにもなぁ、と思うんだけど――
「そんなに楽しいかね、卓球」
こういうのも悪くない、と思ってしまう。
「ま、負けた」
「小春ちゃん大勝利ぃ!」
「わ、私の王子サーブがぁ!」
「しょぼいな王子」
「あ、あはは、どんまい沙紀ちゃん!」
それが良いことなのか悪いことなのかわからないけれど――
「王子サーブ、しゃがみ込みサーブって難しいんですよ」
「コーチ! 小春は王子を倒したよ!」
「あー、神崎先輩のは未完成だから。ちゃんとしたのは難しいよ。嫌いな選手は多いと思う。回転自体は強烈だしね」
「む、そんなに言うならやってみなさいよ」
「言われずとも。香月、受けてみて」
「はい!」
「何で受けろって言われただけで頬赤らめてんだ、あの馬鹿」
「あらよっと」
「あれ、ボールが逆に飛んでっちゃった」
「もう一丁」
「次は、え、こっち⁉」
「そ、始動からインパクトの瞬間まで、出来る限り同じ動作で、両面に当てられる技術があれば、しゃがみ込みサーブって強いんだよ。あとは当て方を変えてみたりとかね。下回転入れてみたり、上混ぜてみるとか。今、女子で一番強い選手の得意技でもあるかな、有栖川聖って人なんだけど。あの人のは本当に分からない」
「ぐぬ、早口で捲し立てて、陰キャ眼鏡め」
「教えてあげたのに……神崎先輩、ひどくないですか?」
「ち、ちなみに、練習方法は?」
「サーブ全般に言えることですけど、映像を取りながら、鏡を見ながらフォームチェックが一番良いと思います。遮二無二やっても変な癖付くだけなんで。でも、タッチ感は遮二無二打たないと付かないですし」
「つまり?」
「チェックしながら遮二無二打ちまくる、です」
「眼鏡のコーチもソフトで素敵!」
「こいつ、何でもありだな」
「あ、湊君が眼鏡を、外した!」
「しまっ――」
「さっさと何の意味もない現状の最強決定戦終わらせてください。練習、再開しますよ。本日の多球練習は御馴染みひゃくまんさん倒し切るまでエンドレス、です」
「「鬼、悪魔、陰キャ!」」
「紅子谷と神崎先輩はひゃくまんさん増量希望、と」
「「ひい⁉」」
「いいなぁ。小春も虐められたい」
「小春ちゃん⁉」
本当に、毎日が大変なんだ。ふとした拍子にさ、笑っちゃいそうで。
「あ、湊君、今笑ったでしょ」
「笑ってないですよ、佐村先輩」
「えー、本当かなぁ」
「本当です。仏頂面で有名だったんですよ、俺」
「私はそう思わないけどね」
あと、普通に佐村先輩が可愛いんだ、これが。持ち帰りたい。
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