第7話:幼馴染
「ちわーっす、クソおやじいますか?」
挨拶すれど誰も反応しない、そのことに卓球用品店の娘、鶴来美里は首を傾げつつも黒山の人だかりの中に入り込んでいく。目的は店番を娘にぶん投げて放浪しているであろう父親の捜索である。首根っこ引っ掴まえて店に叩き込む。
鼻息荒く、彼女は人だかりをかき分け、そして――
「え?」
信じ難い光景を目のあたりにする。
湊が選手として復活したこと自体に驚きはない。店にまで顔を出してきたのだ。時間の問題だな、と同じ遍歴を辿った彼女は思っていた。
だが、湊の戦型に関しては理解不能であった。
「なんであいつ、後ろでカットしてんの?」
前どころか中陣ですらなく、後陣でのカットマン。元々基本的に何でも出来る技術はあるが、それでも彼は前に固執していたし、前から離れる気はなかったはず。再開したって絶対に前、それは彼女ならずともそう思っていたはず。
「美里ちゃん、湊君来てるよ」
「あ、はい。でも、なんであいつ」
「わからない。でも、さっきまでは中陣でドライブ合戦だったんだ。今度は後ろ、だ。いやはや、器用な子だったけど、意外といけるもんだね」
(いや、全然いけてない。カットは切れてるし、セオリー通り動けてる。でも、前の時みたいな凄みはないよ。どうしたの、らしくないよ湊)
ただ、迷っているようには見えなかった。幼馴染である彼女の眼にはそう見える。だからこそ一層理解が遠くなる。何故今更、戦型を変える必要があるのか、と。
「和倉君、やり辛そうですね」
「ああ、小学生でカットマンスタイルはなかなかいないからね。そもそもドライブ合戦だってきつかったはずさ。まだ体が出来ていない彼だと」
「小学生に勝つために前を捨てたって、いくら何でも」
「お、また中陣に戻った」
「と思ったらまた後ろ。おお、強いドライブだなぁ」
まさに男子、といった動きである。強烈なドライブ、体が出来ていない小学生には出せない威力に、ホープス準優勝の和倉は顔を歪めた。
「なめ、るなッ!」
ドライブを無理やり前に落とす。少し甘い返球になってしまったけど――
「シッ!」
その時、閃光が走った。
「あっ」
即座に前へと戻った湊が、中途半端なストップをバックハンドで弾き返したのだ。狙いすましたような一撃に、全員がどよめいた。
誰よりも、対戦していた和倉が、驚愕する。
一瞬、彼が帰ってきたのだ。貴翔が現れるまで世代最強だった、和倉の憧れが。
「……相変わらず、前だとほんと、凄みあるなぁ」
息を呑む攻防に嘆息するしかない野次馬一同。
「なんで、これで戦わないんですか! 出来るじゃないですか、前!」
「練習だから。俺、人に教えてるんだ。だから、全部、出来るようにならなきゃいけないだろ? あいつらに経験を積ませてやらなきゃいけない。カットマンも、ドライブマンも、前も中も後ろも、全部だ。半端でやる気は、ない」
冷たい言葉の中に、かつての彼からは絶対に出ない言葉があった。
誰かのために彼は此処に来ているのだ。そして彼らしく徹底的にやる。卓球に関しては妥協の欠片もない男らしい、異常な選択。
彼女たちに教えるための、練習台としてのオールラウンダー。
前にこだわっていた男があっさりと、選手じゃなくなったからそれを捨てた。いや、捨てたというよりも手札の一つとした。
「……納得できません」
「なら、俺に無理だと教えてみなよ。今のところ、何とかなるとしか思えない」
空気が、ひりつく。
「良いですよ。そろそろ温まってきたんで、倒して見せます!」
「ああ、期待してる」
互いに持てる力を結集し、試合はさらに過熱する。
〇
佐村光と神崎沙紀は昔から仲が良かった。
引っ込み思案な光とぐいぐい引っ張っていく沙紀は凸凹のように噛み合っていたのだ。家族同士も仲が良く、特に爺さん世代はどっぷりであり、彼らの趣味がそのまま共通の趣味となった。ただ、光が小児喘息を患っていたため、小中と卓球部に入ることなくあくまで趣味として彼女たちは卓球に触れていた。
だから、競技としての卓球に触れて、双方ともに心が折れてしまった。
光と沙紀の違いはやるかやらないか、の違いでしかない。どちらも勝つことは諦め、一方はやめて一方は残った。せっかく卓球が長時間できるようになった、出来るだけで楽しかった光と勝ちたかった沙紀、ただそれだけの差。
不知火湊と言う異分子と出会わなければ――
「……沙紀ちゃん」
この勝ち負けは生まれなかった。
沙紀は一度として光に負けたことはない。それでも僅差であれば、続けている光とやめた沙紀、その言い訳が通じた。だが、ここまで大差だと――
「…………」
言い訳の余地は、ない。
「……強くなったじゃん」
「う、うん。湊君がね、もうバリバリ鍛えてくれるの! 本当に、その」
「そんなに楽しい?」
「うん。こんなに自分が頑張れるんだって知らなかった。何より一人じゃないから」
沙紀は顔を歪める。決して、彼女を一人にするつもりはなかった。勝てる気がしなくて、勝てると思っていた自分が恥ずかしくて、一人でやめた。でも、それが流れを作ってしまったのも事実。大量退部、気づけば彼女一人だけ。
心が痛んだ。でも、学校の勉強とは違って自分たちだけでどうにかなる気もしなかった。再開する気にはなれなかったし、時間が経つにつれて目も合わせられなくなって、それに慣れて、見ないふりを続けて、その内に、彼女は強くなった。
ただ一人との出会いによって。
「よかったじゃん。ちゃんとやれる仲間が出来て」
「うん。今は、本当に充実してる」
そこに途中でやめた自分の居場所なんてあるはずがない。沙紀は苦笑する。半端な気持ちで卓球に触れ、またしても半端な気持ちでここに来てしまった。
来るべきではなかったのだろう。
「でも、一番の親友がいないのは、やっぱりちょっと寂しいかな」
本当に、来るべきではなかった。
「……へえ、そんな友達いたんだ」
「いるよぉ、目の前に。沙紀ちゃんにとっては大勢の友達の内の一人でも、私はあんまり友達いないから、えへへ、重たいね、私」
未練よりも大きい、親友を見捨てた後悔。
彼女が思っているほど沙紀に友達は多くない。上辺だけ、仲が良さそうに繕っているだけ。彼女たちが自分の容姿や振舞い、実家が金持ちであることなどの陰口を言っていることも知っている。腹を割って話せる相手は彼女だけだった。
今更、その重さが、苦しい。
「だー、くそ、勝てねえ!」
「私、勝ったけど、さっきから勝ったり負けたりだぁ」
「……小春よりもあたしが劣ると?」
「どっちにしろ全勝出来てないぃぃい」
「どこまでも欲望だな、テメエは。くそ、ミスが多いってのは分かるんだがよ。丁寧にやってもどうにも上手くいかねえ」
そんなシリアスな雰囲気も何のその、花音と小春は思ったよりも勝ち切れず頭を抱えていた。勝ったり負けたり、小春の方が勝ち星は多いが、どちらも似たようなものである。とにかく勝ち切れない。良い球は打ててはいるのだが。
「練習見てたら、結構上手そうに見えてたけど、おばあちゃんたちに負けるんだ」
「仕方ないよ。まだまだ初心者だし、それよりも練習見ててくれたんだ!」
「ちが、たまたま通りがかっただけだし。つーかあいつらミス多過ぎでしょ。半分くらいミスで負けてるじゃん。緩い回転のボールに対してもツッツキして球を浮かせたり、オーバーしたり、ドライブをネットに突き刺したり、端的にドヘタ」
「「なんだと⁉」」
「まあでも、湊君も二人は勝てないって言ってたからね」
「「え⁉」」
初耳である二人は驚愕する。
「上手い人とやり過ぎてるのかもね。あいつ、練習からきっちり回転かけてきてるけど、この辺のおじいちゃんおばあちゃんなんてラバー使い倒すわ、そもそも回転かけられないわ、で全然別物なんだから。やり方も変わるんじゃない?」
知らんけど、と適当な発言をした沙紀であったが――
「「な、なるほどぉ」」
卓球素人の花音、小春にとっては天啓であった。
「道理で球が浮くと思ったぜ」
「小春も!」
「……ってかあれだな、美人先輩卓球できるんだな」
「光先輩には負けてたよ」
「うっさいわね! どーせ私は光に負けましたよーだ」
「でも、卓球できるなら入って下さいよ。あたしら三人なんで団体出られないらしいんすわ。まあ、個人戦だけでもいいっちゃいいんすけど」
「……そ、そうなの⁉ 小春も団体戦出たいなあ。コーチも一緒に」
「それは無理だろ、あいつ一応男子だぞ」
「⁉」
男子は別競技、無知であった小春はまた一つ学習を終えた。
「いや、その、私、一度勝手にやめちゃってるし」
「あー、光先輩に恨まれてるんじゃないかって話ですか」
「ま、まあ、そんな感じ」
「どーなんすか? 先輩」
ぐいぐいと一切空気を読むことなく花音は詰めてくる。出られるなら団体も出ておきたい。やるからには勝ちたいし、勝つには経験が必要。
場数を踏むためにも試合の数は増やしておきたい、という至極個人的観点からの勧誘である。其処に情とかそんなものはない。話も聞こえていなかった。
「私が沙紀ちゃんを嫌うわけないよ。むしろ誘った私が申し訳ないくらいで」
「ひ、光、あんた、本当に」
「じゃあ決まりっすね。黒峰さんに伝えておくんで」
「ちょ、ま、勝手に」
「やったー、団体戦だぁ!」
空気を読まない、読めない二人組によって強制加入を余儀なくされた沙紀。まあそもそも元は強制入部させられた二人である。他人の心情など知ったことではない。
「嫌だったら言ってね、沙紀ちゃん。私、これでも部長だから」
そう言いながらも目を輝かせている光。
それが、とどめと成った。
〇
練習を終えた不知火湊と鶴来美里は喧嘩しながらクラブを後にする。
社会人勢は変わらぬ光景にほっこりしていた。
だが、ある一角だけは静かなものであった。ホープス準優勝の和倉は何とも言えぬ表情で彼らの背を見送る。勝負には勝った。だが、想像していた勝利ではなかったのだ。湊は本気であるが、あくまで練習というスタンスを崩さなかったし、以前はしなかった中陣後陣のスタイルは彼の憧れた選手ではなかった。
憧れの選手ではなかったが、失望したかと言えば感想は異なる。
「…………」
言語化できない歯がゆさ。されど彼は思った。
憧れだった選手は戻ってこないが、不知火湊という選手は戻ってくるのかもしれない、と。いや、戻ると言うのは適切ではない。
今、生まれつつある。何かが胎動し始めていた。
「どう思った、和倉君」
「……まだ、わかりません」
かつての姿とは違う、新たなるカタチが。
〇
僕は幼馴染である美里と帰路につく。
「部員のために色んなスタイルの練習ねえ、ほんとらしくないことしてんじゃん」
「色んな人と打てる環境があれば良いんだけどさ」
こいつと一緒に自転車に乗ると、何故か競争になる。鼻先でも前に出れば、相手も同じように前へ。結局、ひとしきり立ちこぎした後に、双方緩める。
体力切れである。
今は二度ほどそれを終えた後の休憩期間だ。
「そうじゃなくて、人様のために、何てキャラじゃなかったでしょ」
「別にそんなことないと思うけど。まあ、今は選手じゃないし、自分に投資する意味もないからね。コーチが自己中心じゃ頭おかしいでしょーよ」
「まあ、そりゃそっか。ねえ、もう選手はやらないの?」
「んー、やる気はないかな。それよりも二人だ。やっぱり才能あるよ、あの二人」
「花音ちゃんはあからさまよね。もう一人の子も見込みあり、かぁ」
「結構イイ線行くと思う。もちろん今年の総体には間に合わないけど」
「つまりいつかは私の敵になる、と」
「それは、どうだろ? 三年まで真面目にやってれば、何とかって感じかな」
「実質二年、ね。上等じゃない!」
「おい、くそ、体力、落ちてるなぁ、ほんと」
颯爽と前に出た美里を追いかけようとするも、残念ながら足に余力なし。
それに反して美里は今日打ってる感じを見ても本気で復帰したっぽい。軽く汗を流した程度だったけど、思い出の彼女まですでに追いついている感じがした。
美里は強いな、と僕は思う。
全力を賭して届かなかった絶望を経ても、彼女は挑戦者に舞い戻った。僕が彼女のように思える日が来るのだろうか。戻ろうと思う日が来るのだろうか。
今は何も考えられない。
とりあえず彼女たちを強くしよう、今はそれぐらいである。
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