第6話:修行
「次の休み、市民会館で佐村先輩のおばあちゃんたちの集まりがあるらしい」
「……ゼェ、ゼェ、だから、何だよ。この、クソ眼鏡」
練習終わり、眼鏡を装備した湊には強気な花音。さっきまで「ひぃひぃ」言っていた彼女と同一人物とは思えなかった。
「ひぐぅ!」
「小春ちゃん。ここ、公共の場所だから、ね」
一名、寝転がりながら絶頂し続ける化け物がいるが、もはや湊は視線を向けることすらしない。花音も無視しているので、構ってくれるのは佐村先輩だけである。まあ、彼女的には放っておかれる方が捗るのだろうが。
嫌な性癖である。
「試合してきなよ。出来るだけ沢山の人とね」
「あん? あたしの打球だとバーさん死んじまうぞ」
「大丈夫。古今、ピンポン玉が当たって死んだ人はいないから」
「上等だ。ぶっ殺してやるよ」
「あの、私のおばあちゃんなんだけど」
何故か殺す気満々の花音に光は苦言を呈する。
彼女の体格だと割とシャレにならない気もする。人間とライオンなら若干ライオンよりな雰囲気なのだ。湊は頑としてゴリラと言い続けていたが。
「ちなみに僕はついていかないからね」
「わふ⁉ なんでなんで⁉」
「別の用事があるから」
「え、じゃあ私そっちに行く」
「じゃあ、おばあちゃんたちに全勝したら今度連れてってあげるよ」
「絶対勝とうね花音ちゃん!」
「お、おう。やる気満々だな」
「勝ったら休日にもコーチに虐めてもらえるんだよ⁉」
「それ、罰ゲームだからな? 興奮しながら言うことじゃねえよ」
やる気に満ち溢れた小春と何だかなぁという様子の花音。それを見ながら苦笑する光はちらりと湊に視線を向ける。それに気づいた湊が近づいてきた。
「気になります?」
「練習になるとは思えないよ。そりゃあおばあちゃんたちも強い人はいるけど、あくまで趣味の範囲だし、私でもほとんどの人に勝てるのに」
「だと思ってました。先輩はちゃんと武器持ってますよ。そして、それは僕との練習だけじゃ身につかないんです。やらせてみれば分かります」
「むう、先輩なのに全然分からないよぉ」
「あいつら、最初は絶対に勝てませんから」
眼鏡をくい、と上げてドヤ顔をする湊。誰もポージングには突っ込んでくれなかった。基本的に眼鏡装備時はあまり影響力がなかったのだ。
〇
何というのほほんとした景色であろうか。
右を見ても左を見てもおじいちゃんかおばあちゃんしかいない。先ほど小耳に挟んだところによると六十代が若造扱いされるらしい。
げに恐ろしき空間である。
「で、どのバーさんから血祭にあげてやろうかな」
「よーし全勝しちゃうぞぉ!」
「血は駄目だよ。あと小春ちゃんも興奮しすぎだから」
やる気満々の二人組を押さえつけ、久方ぶりに市民会館へやってきた光。入念過ぎるストレッチをしている姿は皆、昔のままである。
まあ、老人方にとっては彼女の子供時代すら昨日のことであろうが。
「もう、やめてよじーちゃん」
「かっか、久しぶりに孫が付き合ってくれたんじゃ。土産に今日こそ柳の爺の息の根を止めてくれるわい」
「止めんでいい! あーもう、ごめんね、柳のおじいちゃん」
「構わんよ、神崎のはいつも口ばかりじゃからの」
「オウコラ、わしの必殺ペンドラで消し飛ばしたるわい」
「いつまでもゼロ戦で戦っとるようではな。シェークで受け潰してくれる」
「ハァ、もう勝手に、し、て――」
ストレッチをしている三人の前に現れたのは、二人のいがみ合うおじいちゃんとそれを仲裁する神崎沙紀、であった。
「沙紀ちゃん⁉」
「……な、何で光がここに来るのよ⁉ 部活じゃないの⁉」
まさか遭遇するとは思っていなかったのか、慌てふためく沙紀。
「今日の部活、ここでやるんだけど」
「……ハァ? いや、意味わかんないし、ってかあの眼鏡いないじゃん」
「コーチィ」
禁断症状に陥った小春。もはや誰も視線を向けていない。
「それよりも沙紀ちゃん卓球再開したんだ!」
「う、うちのじーちゃんの付き添いで。別にやる気なんてないっての」
「カバンの中に入っとるぞ、ラケット」
「じーちゃん⁉」
「かっか、光ちゃん、久しぶりに相手してやってくれんか? どうにもあれじゃ、最近の沙紀は眼が死んでおる。負け犬の眼よ」
有無を言わせぬ眼光。高度経済成長の折、会社を興し一代で多くの財を築いた男は老いてなお圧があった。ちなみに柳のじいさんもこの辺りでは知らぬ者がいない元実業家である。ちなみに卓球は双方それほど強くなかった。
下手の横好き、というやつである。
「やろうよ、沙紀ちゃん!」
「……別に、良いけど」
ぎくしゃくした空気感が流れる横で、花音と小春はストレッチを終える。
「何か訳ありみてーだな、あの女と先輩」
「どうでもいいよぉ。誰でもいいから戦って一回勝ったらコーチに会いに行く」
「全勝って話だろ?」
「一回勝って終われば全勝だよ?」
悪知恵の働くマゾである。
「ま、それは置いといてさっさとやるのは賛成だ。ぶちかましてやろうぜ」
「今、会いに行きます!」
因縁のある二人をよそに、欲望まみれの小春と戦意十分の花音がラケットを握る。いざ果し合い、尋常なる勝負を――
「ハァ? なんてぇ?」
「だから、あたしと、勝負、してくれ!」
「ハァ、三丁目の鈴木さんが亡くなったのは五年前ですよ」
「何の話だよ⁉」
するために、まずは意思疎通が必要であった。
〇
僕は中途半端が嫌いだ。
やるからには徹底的にやる。そもそもそれ以外のやり方を知らない。だから、決して卓球熱が戻ってきたとか、未練があるから、とかじゃない。
彼女たちを強くするために、僕もアップデートする必要がある。
「ご無沙汰してます」
「おお、佐伯、いや、今は不知火だったね。ようこそ湊君、待っていたよ」
松任卓球クラブ。地域密着型のクラブで老若男女問わず多くの選手が所属している。僕も小学生時代はお世話になっていた。
全体のレベルが高いわけじゃないけど、そもそもきちんとしたクラブ自体が地域として少ないため必然、突出した人材も一度は此処に所属する必要がある。
強い小学生も弱い社会人も、此処には存在する。
「いつぶりだい?」
「中学時代は顔を出せなかったので、三年、四年ぶりくらいかと」
「はー、僕も年を取るわけだ。あの湊君が高校生か」
「はい」
「やっぱり卓球を続けたくなった?」
「いえ、今、学生コーチをしているんです」
「おお、指導者の道を目指すんだ。だったら今の内は選手で良い気もするけど」
「そんな大層なことじゃないですよ。ただ、指導している同級生、女子なんですけど、結構才能ある気がするんです。僕がそう思うってだけですけど。それに、今のところ本気で取り組んでくれている。だったら僕も半端じゃ駄目だって」
「あの湊君が他人をそう評すかぁ。以前までの君なら考えられなかったね。自分しか見ていなかった。そしてそれは選手として良い方に転がっていたと思うよ。全部切り捨てて自分のためだけに特化するのは、個人競技のアスリートとして必要な素養だ」
「でも、僕は届きませんでした」
「諦めるには随分早い気もするけどね。まあ、その見切りに関しては戦ってきた者にしか分からない。僕は尊重するよ。そして、改めてようこそ!」
以前、僕がいた時と内装は変わっていない。でも、顔触れは随分変わっている。社会人組にそれほど変化はないと思うけど、ホープス以下は知らない子ばかりだ。
ちなみにホープスって小学六年生以下の種目、下にはカブとかバンビとかがある。ちなみのちなみに僕はバンビからがっつり優勝してます!
今となっては何の自慢にもならんけどね、ハハ。
「あれ、湊君か?」
「随分と大きくなったね」
「色々あったろうに、頑張ってるなあ」
顔見知りの社会人組が遠巻きに話しているけど、正直今は会釈程度で済ませたい。目的は強い小学生、出来れば中学生なのだ。
「一番強い子、だろ? ホープス準優勝、来年はEAに進む子がいる」
「それは願ったりかなったりです」
「君も知っている子だよ。まあ、覚えているかは分からないけど」
正直に言って、施設内に入った瞬間から、誰が一番強いのかは視えていた。何となくわかるのだ、立っているだけでも強い選手って言うのは。
打てば、より明確に浮き出てくる。たとえウォーミングアップでも。
「佐伯先輩、ですか?」
「今は不知火だよ。ホープス準優勝おめでとう」
「ありがとうございます。コーチから話は伺っていますし、早速打ちましょうか。ただ、僕は目標としていた選手が無様に負けっぱなし、それで競技をやめたってこと、愉快には思ってません。幻滅してますし、腹も立っています」
だから、絶対に負けてやらない。良い眼だね、強い子の眼だ。
卓球は子供が大人に勝つことなんてザラな競技だ。このクラブには沢山の大人が在籍しているけど、競技レベルの上がったホープスで準優勝なら、たぶんほとんどの大人が太刀打ちできないと思う。今の僕だって正直、勝ち切れるかどうか。
いや、違う違う。今日は勝ちに来たんじゃ、ない。
「僕は『貴翔』選手を倒します。絶対に」
「……ぜひ頑張ってくれ。君には可能性がある」
小学生なのに聡いな。『君には』に含まれたニュアンスをちゃんと理解してる。だから不機嫌にもなるし、より負けたくないって貌にもなった。
「じゃあ、まずは軽く打とうか」
フォアでのラリー。ただの準備運動である。
それでも、違いは出る。
○
ただのラリー、この場の全員が鼻くそを穿りながらでも出来る芸当である。それでもレベルの差、というのは浮かび上がってくるもので、気づけばここにいる全員が見学する状態となっていた。小さな子など目を輝かせている。
(まだ小学生、か。来年EAってことは準優勝は五年生、今年は優勝するかもしれないな。今のレベルは分からないけど、全国区の中学生と変わらない手応えだ)
まだまだ伸びしろは大きいが、それでも十二分に強い。
こんな玉がこういった場所で混じらざるを得ないのが、マイナースポーツの地域格差でもあった。相当、強い子である。
あの貴翔選手に勝つというのも満更でたらめではないかもしれない。
天津風貴翔(あまつかぜきしょう)、湊世代最強の日本人選手である。否、現在の日本人最強選手と言ってもいい。次回の五輪は確実視されており、天才的な前陣は中国のトップ選手にも引けを取らない。メダル候補と目されており、中学時代国内で無双していた佐伯湊を十八番の前陣で打ち砕いた選手でもある。
今、日本で最も人気の男子選手であった。イケメンと言う点も相まって。
「いやー、軽いラリーでも見ごたえがありますね」
「やっぱり湊君は上手いなぁ」
フォアとバックで軽く汗を流し、
「じゃあ、どうしますか?」
「試合形式でお願いするよ」
「分かりました」
試合、と聞いてギャラリーと化した選手たちが色めきだった。
「絶対に勝つ」
少年にとって佐伯湊は絶対だった。初めて見た瞬間から、大きくなったらあんな選手になりたい。プロ選手以上に身近だった先輩に憧れた。
気高く、孤高、誰も寄り付かせないあの雰囲気。
(今の貴方は、貴方じゃない!)
コーチであった父親以外、寄せ付けず、有名選手であった父親と同じように徹底して前に張り付くスタイル。そこからのカウンターは芸術的ですらあった。
だから――
(やめてくれよ、これ以上、僕の夢を壊さないでくれ)
彼が試合を開始してすぐ、前から離れて中陣に陣取った。その時、少年は顔を歪めたのだ。あの頃の湊なら絶対にしなかった、プレイであったから。
(僕が、湊先輩の目を覚まさせるんだ!)
憧れを取り戻す。そのためにこんな付け焼刃、貴翔選手や徹宵選手ではなく、格下であるはずの自分が勝たねばならない。それが自分の使命だと幼い彼は思う。
その意に反して、湊は中陣から動く気配がなかったが。
「へえ、中陣か。確かに体格も以前より大きくなったし、ありかもしれないな」
かつての湊を知る皆にとっても驚きの光景であった。
彼が前から離れるなど、試合中そう見れるものじゃない。それだけの技量があったし、何よりも父と同じプレースタイルにこだわっていたから。
そんな彼が前から離れた。それは逃げか、それとも――
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