第5話:内側と外側
「つーかよ、あのチキータってやつあたしにも教えろよ」
「私も私も! コーチ教えてよぉ」
「近いって」
とうとう僕にもモテ期が来た、わけではない。初心者の内は何でも楽しいモノ。出来るようになる、の連続はとても快感であろう。だから教えて欲しい、気が急いて仕方がない。ゆえにコーチである僕に聞きに来る、それだけなのだ。
僕にとってはもう記憶にすらない時代の話だけど。
しかし、香月め、おっぱいめっちゃデカいな。今更だけど。つーか紅子谷もデカいな。ケツもデカい。よく見なくてもエロいのに、何故卓球女子だとこうムラムラしてこないのだろうか。ほんと、卓球女子でさえなければなぁ。
「あれズルじゃねえの?」
「裏裏剛力でチキータって手首千切れるよ、普通」
「余裕だっての。むしろ前使ってたのは軽すぎて駄目だぜ。小春のはあれだな、もう別宇宙だ。あたしにゃ理解不能だわ」
「私は花音ちゃんの奴が無理。まず振れない。それよりチキータは⁉」
「まあ、あるなしで言えばないと辛い技術ではあるよ」
「じゃあ教えろや」
「教えろー!」
「順序があるから。今は基礎固め、染み込むまで続けるから。まあ、総体までには教えるよ。どっちにとっても重要な技術だ。対策も含めてね」
「勿体ぶりやがって。つーか湊は出ないのか、大会」
「出ないよ。僕の練習してないだろ?」
「……そう言われるとあれだな、悪い気がしてくるな」
「そんなナリで何言ってんだよ」
似合わないぞゴリラよ。
「殺すぞゴラ」
「殺すなら卓球で殺してくれ。出来るもんならね、なっはっは」
「こいつ、卓球強くなけりゃあただの眼鏡の癖に」
なんてひどい言い草だ。まあ正しいから何も言えないけど。
「まあ、部活やらなきゃいけないし、他にやりたいこともないからさ。良いんだよ、それに結構楽しんでるんだ。人の成長見るってのも、悪くない」
良いこと言った気がする。まあちょっと臭いセリフだったかな。
「…………」
何か言えよゴリラァ! 何ちょっと赤くなってんだよ、僕が恥ずかしいだろ!
「何でもいいよ、私。コーチに虐めてもらえるなら」
一瞬で僕らは声を失った。
この女だけは心底楽しんでいるからゾッとする。僕だって多球練習って嫌だったぞ。辛いし、しんどいし。それなのにこいつ、僕が止めなきゃ気絶するまで続けるし、気絶しているのか絶頂しているのか正直分からなくなってきたし。
ちょっと怖い、と思ってしまう。
〇
華やかな卓球部三人組を見て、『童貞王』草加宗次は涙を流していた。
あんなに一緒だったのに、気づけば地平線の彼方。これが高校デビューって奴か、と見当違いの腹の立て方をしていた。チア部再三の警告を無視し、眺めまわした結果応援団を追い出され、無事無職と成った草加にとってあそこは眩しすぎた。
「草加はやり過ぎなんだって」
「ぐっ、ブンヤ風情が生意気な」
「この前、入学前に出してた写真で賞取ったら先輩方や顧問が手のひらを返してね。学校側もむしろ撮ってくれってなもんさ。やっぱ実績だよ実績」
やってることは変わらない、『女子限定写真家』菊池修平はドヤ顔であった。何度でも言うが、やっていることは変わらない。
女子の写真を撮り回って悦に浸っている変態である。
しかもそれを裏で売買している守銭奴でもある。
「あいつ、楽しそうでよかったな。水に合うんだろ」
今は己を高める時、と一切作品発表をしていない髭パイセン(名前不詳)は謎の説得力を持っていた。年上の持つオーラ、なのかもしれない。
〇
「ごめんね、道具運ぶの手伝わせちゃって」
「良いんですよ、先輩。一応これでも男手なので」
「頼りになるー」
「えへへ」
佐村先輩は卓球女子でも別腹だなあ、と思う今日この頃の僕。
正式な部としてきっちり存続し、部費で新しいボールやその他諸々の用具を購入(湊の地元にある卓球用品店より)した卓球部は飛ぶ鳥を落とす勢い、というわけでもないが、校内で結構話題になっていた。
弱小零細部活なのにめちゃくちゃスパルタ。しかも学生コーチである。
そりゃあ目立つだろう。
何よりも男子一同学年を超えて僕に嫉妬しているのだ。
佐村先輩とその他二名と仲良くする権利、男子なら喉から手が出るほど欲しいだろう。人生で初めて卓球やっててよかった、と思う今日この頃である。
「光ぃ、調子良さそうじゃん、卓球部」
「あ、沙紀ちゃん」
沙紀ちゃんと呼ばれた女性を見て、この学校って結構レベル高いよなあとしみじみ思う僕。おっぱいは普通だが顔はべらぼうにレベルが高い。少しきつそうな顔つきだが、それが良いと言う者も世には多いだろう。
僕は地味でも佐村派である。
おそらく呼び捨てだから同学年かな、と思うも女子の交友関係はあまり興味がない。と言うよりも割って入る勇気がない。
「でもさ、頑張っても無駄じゃん? どーせ勝てないでしょ、素人の集まりなんて」
「そ、そんなことないよ。湊君は凄く上手だし、みんな頑張ってるから」
「あはは、で、負けて現実を知るってね。前とおんなじー」
どうにも浅からぬ因縁があるようである。
僕は佐村派なのであまり沙紀ちゃん先輩が好ましく思えなくなってきた。
「そ、それは」
「湊君、だっけ、君はどう思う? この子たち頑張ってるし、勝てるようになる? あー、君みたいな熱血タイプだと勝てるって言っちゃうよね。わかるわかる」
「え、と、どのレベルの話です、それ?」
そこを言ってくれないと答えようがない質問だぞ。
何故か先輩、きょとんとしてるけど。
「女子のトップって意味ならどう足掻いても無理です。才能ある子たちが子供の頃から死に物狂いで頑張ってますし、女子の方が早熟なのでもう選手として完成してなきゃいけない年齢です。今、世界で戦っている彼女たちに追いつくのはほぼ不可能だと思いますよ。ほぼ、ですけど」
「そ、そんな雲の上の話はしてないわよ!」
「じゃあどれくらいの話ですか?」
「……何か調子狂うわね。いい、此処の卓球部は万年地区大会初戦敗退なの。一回戦勝ったのが五年前、それも二回戦であっさり負けてる。わかる、三年間頑張って、部活動に時間を割いて、初戦敗退。みじめ過ぎると思わない?」
「めちゃくちゃみじめですね」
「……そうそう、だから――」
「その人たちって本当に頑張ってたんですか?」
県内って龍星館以外、大した高校なかったと思うけど。
まあそこに当たったら初戦敗退、ってあそこシードだろうしありえないか。
「……そりゃあ花の高校生活を三年捧げてるわけで」
あー、なるほど。ようやくわかった。
「ああ、そういう」
昔、よく向けられていた視線。あいつは才能があるから強い。父親が有名選手でずるい。あの年でもうメーカーと契約しているえこひいき。色々影で言われてきた。で、大抵彼らはそう言う割に、自分たちは特段頑張ってなどいなかった。
妬み嫉み、努力せず端から勝利を捨てた人種。
「行きましょうか、先輩」
「え、と、湊君?」
卓球を捨てた僕は、彼女たちと同じなのかな?
だとしたら少し、嫌だな。
「ご、ごめんね、沙紀ちゃん」
まあどちらにしろ、ああいう輩は視界から消すに限る。彼女たちは頑張らない。頑張れないから頑張るのハードルを下げる。
「あいつ、私を鼻で笑いやがった」
そのハードルを押し付けて共感を得ようとする。
ただの害悪だ。
「沙紀ちゃんはね、私の幼馴染で、前に卓球部で――」
「すいません先輩。ちょっと僕、あの人に興味持てないです」
「そ、そっか」
あーあ、佐村先輩に気を遣わせちゃったな。でも、仕方がないんだ。
だって無駄だから。あの手の輩と関わること自体。
「今日は台上の練習を中心的にやりましょうか」
「ツッツキとか?」
「あとストップとフリックも」
「すとっぷ? ふりっく?」
「先輩、可愛いんですけど、もうちょっと文明の利器で調べてください」
「ふえ⁉」
もう頭の中に佐村先輩の幼馴染なる人の存在は消えていた。今脳内にあるのはこの可愛らしい先輩にどうやってスマートフォンでユアチューブを見させることが出来るのか、である。色んな動画あるから勉強になるんだけど。
如何せんこの人、電子辞書代わりにしか使えてないからさ。
〇
頭脳明晰、成績優秀、しかも容姿端麗ともなれば、世の男は大体そのような女性を放ってはおかないだろう。実際に彼女は多数のアプローチを向けられてきたし、それが当たり前だとも思っていた。そんな自分に、あんな眼が向けられる。
完全に興味が失せた眼。好き嫌いではなく、自分が消えたのだ。
彼女の人生、神崎沙紀の人生において初めての経験である。ゆえに許せない。
「……不知火湊って全然出てこないじゃん。有名でもないくせ偉そうに」
スマホで軽く調べものした結果、ヒットなし。
二階から手すりによしかかり、彼女は様子を窺っていた。
「つ、つまらねえ。激烈につまらねえんだけど」
「つまらないよー、コーチィ」
「そ、そうかな、私結構好きだけど」
「さすが先輩。他の愚図二人は今すぐに悔い改めろ」
「「グズ⁉」」
「先輩、下回転のサーブだけであいつらをぶち殺してください」
「不穏だよ、湊君⁉」
「ほう、あたしの必殺チキータが火を噴くぜ」
「私も私も!」
「か、勝てるかな? 私、実は試合で勝ったことあんまりなくて」
「いつも通りでサーブを出せばあの阿呆二人は自滅します」
「「聞こえてるぞ!」」
素人二人、いくら何でも佐村光が勝つだろう。光の勝負弱さを知っている沙紀でもそう思う。卓球は経験者と未経験の差が他の競技と比較しても相当大きい部類に入る。どれだけ運動神経が高くとも半年も習った者には絶対に勝てない。
それが卓球と言う競技である。
だが、それは相手が未経験である場合の話。
「え?」
ウォーミングアップのラリー、じゃんけんで勝った紅子谷花音が相手と成る。経験者である沙紀にとっては信じ難いほど、そのラリーはスムーズであった。
いや、荒くはあるが、それ以上に強いのだ。
自分たちがやっていた時よりもずっと強い球の応酬。何でもない顔でやっている花音は体格故わかるが、それに応じる光も、同様に強くなっている。
自分の知っている彼女ではない。
「ウォラ、チキータだ!」
「はいネット」
「ぐぬ⁉」
あっさりと得点を積み重ねていく幼馴染。昔は今の花音がやっているような勢いのあるロングサーブは苦手だったのに、問題なくドライブで返球している。
コースも丁寧について――
それなのに、
「ふは、やるな佐村パイセン!」
紅子谷花音は追いつく。そして崩れた体勢から腕の振りだけで、強烈なドライブで返してくるのだ。素人とは思えない。荒いが、女子としては破格な身体能力。
「どーだ⁉」
「浅いよ、紅子谷」
会心の返球を佐村光は習ったばかりのストップで手前に落とした。
「……負け?」
「負けだ、下手くそゴリラめ」
「何でテメエが偉そうなんだよ⁉」
「次、香月」
「わん!」
次に現れた香月小春は全く異なるプレイスタイルであったが、佐村光の下回転サーブにチキータで返そうとし失敗。諦めてツッツキをするも甘い返球が多く、台上の手札の差で花音よりもあっさりとカタがつく。
「怒らないぞ」
「わふ⁉」
怒られなかったことにショックを受けている小春。さすがの湊も彼女の扱いを熟知しつつあった。おあずけをすれば勝手に頑張る。欲望に忠実な女である。
どちらも卓球の試合が成立していた。この短期間で、どんな魔術を。
もしかすると彼女たちは完全な素人ではなかったのかもしれない。沙紀はそう思った。そう思うしかなかった。
「先輩の下回転はとても綺麗な回転がかかっている。純下回転だ。短いサーブでチキータを殺す手法の一つ。意外と難しいサーブだが、使える人は使える。返すにはきっちりとコース、長さをコントロールしたツッツキが必須だ。わかったら再開するぞ」
「く、くそが」
「中陣でも台上を疎かにすると勝てないぞ。前ならなおさらだ。まずは紅子谷から。きっちりコースを狙え。この色褪せたひゃくまんさん指人形付近にな」
どこで手に入れたのか分からない謎の景品を的に地味な多球練習が始まる。
他の二人にも事細かに指示を出し、あの男が中心となって意識の高い、緊張感のある練習風景が広がっていた。自分たちがいた頃とはまるで違う景色。
「先輩、香月相手にサーブ練習。香月はひたすらそれをあらゆる方法で返せ。短く、素早く、相手をぶち抜け。先輩は逆に返させないようなサーブを」
「「はい!」」
先輩後輩の上下関係よりもコーチと選手の関係性。
「紅子谷はひゃくまんさんの半径十センチに連続五球、返せなきゃ永遠にツッツキしてろ。終わったらストップ、フリックまで終わったら交替。ギブアップはいつでも受け付けているぞ。俺は優しいからな」
「上等だオラァ!」
集中している。何よりも出し手が上手かった。
自分たちも多球練習をしようとしたことはあるが、出し手が下手くそでグダっていた印象しかない。沙紀にとってあまりいい印象はなかったものである。
様々なシチュエーションを用意し、目的を設定した上で、正確無比な球を出す。当たり前のようにやっていることが当たり前ではない。
自分たちはあんなに回転をかけれない。あんなに強い球を静止状態から打てない。多球練習で実戦さながらの状態を作り出すなど、到底不可能だった。
不知火湊は当たり前のように球を出す。シチュエーションに応じたそれを。
「っしゃ!」
「次、香月」
そりゃあ上手くもなる。教える人間が上手過ぎるのだ。こんなの反則である。誰も教えてくれなかった。誰も知らなかった。闇雲に、こんな感じだろうと練習して、試合で惨敗する。彼女たちからはそんな雰囲気、微塵も感じられない。
「わん!」
「次、先輩」
そんなダメな自分たちの一員であった彼女は――
「……何よ、光の癖に、上手くなってるじゃん」
目に見えて上手くなっていた。地味な練習を楽しそうにこなす彼女を沙紀は直視できなかった。不器用で、勝負弱くて、引っ込み思案、少なくとも卓球をしている姿にその面影はなかった。急速に成長している。
「おや、神崎さん。お久しぶりです」
「っ⁉」
黒峰と遭遇し神崎沙紀は去って行く。その背を見てほくそ笑む黒峰。
「あの手のタイプは引きに弱い。よくわかっていますね、不知火生徒」
一度気になった以上、無視し続けることは出来ないだろう。
いずれ瓦解する。だが、それを先生である黒峰がコントロールすることは出来ない。むしろ悪化させるだけである。彼女に出来るのは見ているだけ。
「まあ、心底興味がないだけでしょうが」
とことん卓球人間、あれが一度それを捨てようとしたのだから面白い。
彼女の経験上、其処から立ち上がった人間は強い、いや、強くなる。
さあ、彼女はどう転ぶか。
○
「でさー」
神崎沙紀はいつだってクラスの中心にいた。スクールカースト最上位、それが彼女の定位置。賑やかな世界、其処が自分の居場所であった。
居心地が良かった。誰もが一目置く、優越感が自分を満たしてくれる。
「沙紀、どしたん?」
「ん、ちょい最近オチ気味でさー」
「えー、マジヤバじゃん」
「アゲてこーぜ」
「もち、ぶちアゲてくっしょ」
卓球部のことなんて、地味な幼馴染のことなんて、全部忘れていたのに。
あの眼のせいで、忘れたい記憶が浮かんでくる。
『沙紀ちゃん、卓球部入ってくれるんだ』
『ま、光の頼みだから仕方なくね』
『一緒に頑張ろうね! 目指せ団体一勝!』
『あっは、冗談でしょ。私がいるんだから優勝に決まってるじゃん』
当時のクラスメイトに声をかけて、そこそこの人数が集まった。自分たちで練習メニューを考えて、動画を見て色々サーブを試してみたり、結果は――
『一回戦どうだった?』
『明菱だもん、楽勝だって』
惨憺たる出来だった。光と一緒の遊び場だった場所とは桁違い、時代が、競技が違う。あそこは積み重ねのない人間が来るところじゃないのだ。
幼い頃から競技として触れてきた人間だけが――
心が折れた。根拠のない自信を抱いていた自分を張り飛ばしたくなる。
小さな世界で、閉じた学校と言う空間で、女王をしていた方が良い。
だってここなら傷つかないから。
卓球部に誘った光以外の彼女たちとはほとんど交流すらなくなっていた。クラスが変わったのもある。でも、本当は沙紀が避けていたから。
彼女の居場所は此処なのだ。
それなのに、なぜチラつく。あの眼、そして楽しそうな光の顔が。
なぜ自分は――
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