第4話:ギア選び

「テメエの家遠過ぎるだろうが!」

「仕方ないだろ! そこなら値引きしてくれるんだしトータルは安くなるんだから文句言うなよ! 嫌ならそこらのスポーツショップで買って来い!」

「高いだろうが!」

「だから誘ってやったんだろ!」

「ふ、二人とも落ち着いて。ここ、電車内だから」

 佐村先輩の仲裁なくば危うくこのゴリラと戦ってしまうところだった。もちろん卓球部だから卓球で勝負だぞ、ゴリラ。肉弾戦じゃ五秒で僕負けるし。

「部のラケットで良いじゃねえか」

「手入れもされてて私もいいと思うけど」

「……正気ですか?」

 僕、びっくり。まさか佐村先輩までそう思っているとは思わなかったのだ。勝手に苦学生だとかおばあちゃんから譲り受けた形見だとか思っていた。

 本当に勝手な妄想である。

「ねえねえコーチぃ、ラケットっていくらするの?」

「モノによるよ。カーボン入りとか高いけど、硬過ぎるし初心者向きじゃない。でも、あんまり柔らかいの買ってもスピードが物足りなくなってくる。ラケットはラバーと違って使おうと思えば長く使えるから、よく考えた方が良いよ」

「私はラバーだけ張り替えようかなー」

「あ、お金があるなら先輩も買った方が良いですよ。それ、古過ぎますから」

「……卓球のことだと本当に厳しいよね、湊君」

「そうですか? 普通ですよ普通」

 んもう、常識知らずなんだから。

 僕がしっかりしないとダメだね。卓球は道具が命、モノによって本当に感覚が変わってくるし、同じ商品でもラケットなんて木で出来てるから全然違う。そもそも重さも結構ブレるからきちんとしたショップには量りが置いてあるのだよ。

 しっかり教えてあげなきゃだね。

 何か気づけば僕、凄い前のめりになってるような――


     〇


「いらっしゃーい。げっ、湊じゃん」

「知り合い?」

「幼馴染です。同じ卓球引退仲間だもんな」

「勝手に仲間にすんな。あっち行けしっし」

 幼馴染に邪険にされる僕、一応客なんだけどな。

「おじさんは?」

「たぶんそこらの卓球道場じゃない? あのクソおやじまた商品剥いて遊びに行きやがって、マジでしまいにゃ潰れるぞこの店」

 おじさん不在ではちょっと間が悪いかもしれない。

「あ、値引きの件なら聞いてるから。二人は初心者なんでしょ。色々私が教えてあげる。つーかこいつ、小六ぐらいからメーカー支給してもらってたし、市販品のことなんて大してわかんないから。あっはっは」

「わ、わかるわい!」

「ほーん、じゃあ今年の春出たバタフライの新ラバーは何でしょう?」

「いっぱい出てるだろ! 知らねえよ」

「正解はディグニクス05でした」

 2019年発売の新型ラバーである。今は2019年なのだ。

「テナジー使っときゃ良いんだよ!」

「時が止まってるね。こと卓球用品の世界で卓球用品店の娘に勝てるわけがなかろうが。隅っこに座ってな!」

「畜生!」

 せっかくここでも先輩風吹かせてやろうと思ったのに。おじさんだったらきっと気を使って、いや、あの人でもしゃしゃるな、むしろもっとしゃしゃり出てくるわ。

 相手女の子だし、ぐいぐい来ただろうなぁ。いなくて良かった。

「え、と、メーカーからって?」

「ん? こいつ何も言ってなかったの? こっちじゃ有名な卓球馬鹿だったんだけど、ああ、だからあんな遠い学校通ってんのか、あのチキン」

 僕、沈黙。あ、このサイドテープ格好いいや。

「あいつガキの頃からナショナル入りしてて、俗に言う天才少年って奴だったんですよ。でもま、其処から一回外されて不貞腐れてやめたんです。ほんと、超ダサい。私みたいな凡人に言わせればふざけるな、って感じですよ」

 同じだって。僕もお前も凡人だったんだよ。

 外されたからやめたんじゃない。外れてほっとしたからやめたんだ。

「そうなんだ」

「で、今は初心者相手にコーチって、ほんと、泣けてくる」

 なんでお前が泣くんだよ。泣きたいのは僕だってのに。

「憧れてたんだねー」

「え、全然。ひとかけらもないですよ。さ、あんなの放っておいて前途ある皆さんの道具、揃えちゃいましょ!」

「ふふ、湊君モテモテだぁ」

「「違います!」」

 佐村先輩に勘違いされるわけにはいかんのだ。

 道具屋の娘め、さっさと案内しろい。

「まずはラケットですね。色々あって迷うと思いますが、おすすめはシェイクハンドです。ペンホルダーがダメと言うわけではありませんが、使用者は年々減っていますし、そもそも教えられる指導者がほとんどいません」

「へえ、何か卓球って言ったらこういうの想像してたわ」

「温泉や学校の備品とか、多いですよね。もちろん、使いたいのであればペンでもいいと思います。指導者は多くないですが、今はネットで動画と見れば簡単に勉強できる時代ですし。父もペン使いです。まあ、そんなに強くないですけどね」

 ほんと、おじさん弱いよなぁ。たぶん六歳くらいの時に勝ってから一度も負けてないもんな。そう言えばあの時は僕らの中じゃこいつが一番強かったっけ。

 卓球用品店の娘なんてずるいって思ってたし。

「どうされます?」

「私、コーチと一緒で良いよ!」

「私もこだわりはねえな」

「じゃあ三人ともシェイクでお願いします」

「わかりました。で、シェイクにも色々あるんです。木材を何枚重ねたとか、特殊素材が入ってるとか、メーカーによって打感も違いますので」

 まあ、あそこのひと区画全部シェイクのラケットだしね。ちなみにペンはこの一部分だけ。これが需要と供給の差ですよ。一目瞭然なんだな。

 ペンでも強い人はいるし、独特な軌道だからやり辛いけど、やっぱり弱点が勝るんだよなぁ。明確にバックが弱いし、それを補って裏にもラバー張ったら、じゃあシェイクで良くね、ってなるもん。中ペンはまあ、文化圏の違いとしか。

 何よりも度重なるルール改正のあおりをもろに喰らって持ち味を潰されちゃったのが痛い。趣味ならまだしも、競技レベルで戦うのは本当にきつい。

「初心者なら球感を掴むまでは柔らかめ、なんて言われてますけど、私なんか別に特殊素材でもいいんじゃないって思いますね。ガッチガチのハードじゃなければ」

 僕もそっち側だね。ちょいちょい買い替えるなら話は別だけど、強くて速いボール打てなきゃ勝てないんだし、慣らす意味なんてあまりない。

 打感なんて多球練習してりゃすぐ身につくし。

「おすすめはスワットとかコルベルですね。王道です。初心者から上級者まで使えますし、一つ自分の中で基準になりますので」

「あ、このコルベルってラケットは知ってる!」

「名器ですね。昔から愛されてます」

「私これにしよっかなぁ。小春ちゃんはどうする?」

「コーチと一緒がいい」

「……あー、あいつの真似はやめておいた方が良いです」

 失礼だな。聞こえてるぞ。

「なんで?」

「あいつ馬鹿だからグリップの色で決めてますもん、赤色が好きって理由で」

 い、言ったことないのにバレてる⁉

「それに支給品ですし、厳密には、ちょっと違いますから」

 別に性能が凄いわけじゃないからね。ちょっと違うだけだから。

「私共はしがない町の道具屋ですのでメーカー直の方とは住む世界が違いますの、おほほ」

「僕も今日買ってくよ。せっかくだし」

「はぁ?」

「母親に今日のこと言ったら全部入れ替えてこいってさ。まあ、こういうのも全部あいつに繋がるし、母親的にも嫌でしょ」

「……そっか」

 どうにもしんみりしていけないね。お家事情は。

 あ、アポロニア選手モデルあるじゃん。これ超格好いいよなぁ。

「これください!」

「ほら、赤色ォ!」

「大丈夫、インナーフォースレイヤーZLCは使ったことあるから」

「まあ、別にあんたに関しては好きにしろって感じだけど。他の人は握ったりして感触も確かめてみた方が良いですよ。グリップもラケットによっては違いますし」

「ラバー何にしようかな? なんかこういうの新鮮だ」

 優秀な幼馴染がいると好きに物色できていいね。テナジー、は高いなおい⁉ ほんと良いラバーなんだけどね。ちょっと消耗品の値段じゃないよ。

 今日初めて知ったわ。

 トップ選手は意外と用具の値段を知らない、これマメ知識ね。

「色々握っていいですか?」

「どうぞどうぞ」

 僕には当たりが強いのにお客さんには評判良いんだよな、この看板娘。

 まあ当たり前か。

「で、どういう風の吹き回し? あんたが誰かに教えるなんて想像も出来ないんだけど。まだ、那由多の方がマシでしょ」

 隅っこにいた僕に道具屋の娘、もとい幼馴染その二が話しかけてきた。

 非常に聞き捨てならぬ台詞を吐きながら。

「え、それ本気で言ってる?」

 あんな寡黙な奴よりか僕の方が良いと思うけど。

「あんた、全員に一番になること求めるじゃん。あんたはそれが当然の世界にいたから良かったけど、あの子たちにそれを求めるのは酷だからね」

「……それは」

 わかっている、つもりではある。

「部活動には部活動の、趣味には趣味の程度ってのがあるの。競技、それもトップの世界観を持ち込んだら破綻するよ。これは、あんたのために言ってるからね」

「ああ、わかった。肝に銘じておくよ」

 これ以上厳しくするのはやめておこう。

「でもさ、勝たなきゃ卓球はつまらない。勝たせるようにはするよ」

「……ったく、もうちょい丸くなってから再開しろっての」

 幼馴染の笑顔なんて久しぶりに見た。今日会うまで、そうだった、最後に会ったのはこいつが卓球をやめた日だったな。那由多と戦って、惨敗、か。

 そりゃあやめたくなるよ。昔はこいつの方が上手かったんだし。

「あの子たちの特徴は? 多過ぎてどうせ決めらんないだろうし」

「香月小春は軽いラケットが良いと思う。反応が良い。前のセンス有り、だ」

「前は才能の世界だからねー、いよ、超速カウンターの湊選手」

「茶化すなよ。反面、あの体格だしパワーはない。スポーツ経験もほとんどないから、女子とはいえ今からパワーを標準まで求めるのはきついと思う」

「ふーん、オッケー。もう一人は?」

「見たまんま。パワーはマジで規格外だ。へったくそだけど、ドライブは光るものがある。ゴリラだと思えば良いよ。握力もリンゴ潰せるらしい」

「……冗談?」

「さあ?」

「逆に難しいんだけど。ま、考えてみる。もう一人の、先輩さんは?」

「あの人はタッチが繊細かな。プレイは本当に、おじさんみたいに古臭いけど、子供の頃から振ってるだけはある。コルベルでいいんじゃない、と思う」

「まあ、そんな感じだね。選手としては私と同じタイプかな」

「そう? あんまり似てないと思うけど」

「上手いけど勝てない典型的お利口さんタイプってね。何か突き抜けたものがないと勝てない。器用貧乏と万能は似て非なるものだから」

「でも、頑張る人だよ」

「……あんたがそれ言うんだ」

「何だよ、その眼は」

「ううん、何でもない。結構いい感じだよ、湊。今の方が、良いと思う」

「じゃあ付き合ってくれよ」

「有名大学に入っていい企業に入ったら考えてあげる」

「ほら断られたぁ」

 こいつはいつもこんな感じだったと思う。行けそうな雰囲気を出して、軽くジャブを打ったら跳ね返される。そんな繰り返し。

「あと、ラバーは全員適当でいいよ」

「そこ一番こだわるところだと思うけど」

「総体までには買い替えさせるから。そこまで手ェ抜く気はねえよ」

「わん!」

 何故か吼える香月。いつもいつも変なの、と思いますね僕は。

「……私もさ、卓球、再開したから」

「おっ⁉ そうなの?」

「大して強い高校じゃないけどさ、やっぱやるからには勝つよ。団体も個人も」

「その意気だよ。勝たなきゃ面白くない」

「うん。でも勝つだけが楽しみでもないよ。コーチならさ、総体の会場にも来るんでしょ? 私のプレイなんて見るのいつぶりよ?」

「見るかどうかは分からんけどね」

「当たったら嫌でも見るでしょ。少し、やる気出てきたわ」

 何故やる気が出てきたのかは分からないけど、良いことであろう。

「あんたもさ、楽しそうに思えたら再開しなさいよ」

「那由多みたいなこと言うなぁ」

「全然違うって。楽しけりゃやればいいし、楽しくなければやらなくていい」

 それだけのこと。

「私は今、楽しいよ」

 はにかむ幼馴染はいつかの時のような顔をしていた。あれだけ那由多に勝てなくて、顔をぐしゃぐしゃにしながらラケットを捨てた彼女が、今笑っている。

 自分にもそんな日が来るのだろうか。今はまだ考えられないけど。


     〇


 買い物に行った翌日、早速各自手に入れたラケットを振るう。

「お、おお⁉ 全然違うぞ、これ。めっちゃ回転かかる!」

「うわー、軽い軽い! 楽しい!」

 初心者二人は借り物のラケットから卒業し、感動にむせび泣いていた。

 香月小春は掟破りのブラックバルサ7.0。ラケット界でも異端中の異端である超軽量でありながら、弾み性能も高いという漆黒の異端児。回転性能は劣るが、前に張り付いて戦うのであれば回転よりも軽さと弾み。

 フォアとバックの切り替えも軽量ゆえ今までになくスムーズ。

 本来玄人向けのラケットだが、戦型を前と決め打ちするならうってつけのラケットである。本人にはまだ何も言っていないが。

 紅子谷花音は完全受注生産、であるはずの剛力。これまた初心者向けではないラケットである。業界でもひと際重く、それゆえの破壊力こそがこのラケットの持ち味。本来、異質(裏ソフトと表ソフト)にする前提の商品であるが、見ての通り超パワーを持つ彼女にだけ許されたこれまた掟破りの裏裏剛力。

 ちなみにほぼ新品同然の中古品である。店長が購入したはいいものを、まったく使いこなせずに倉庫に仕舞われていたものを格安で譲り受けたのだ。

「あーん、花音ちゃんずるいィ」

「うっせー小春。パワーこそ正義だ」

 ニューラケット、ニューラバーで回転をかけるのが楽しくなったのか、花音はより強烈な回転をかけてラリーを破壊しようとする。

 何故か花音にはあまり負けたくないのか、小春も工夫をする。同じように後ろに下がるのではなく、あえて前に出る。伝える前に、彼女は自分の居場所を見つけてみせた。ただのラリーである。準備運動、お遊びみたいなもの。

 それでも明らかに、彼女たちの成長速度は異常であった。

「テメ、パチパチ弾いて楽しいかァ⁉」

「すっごい楽しい!」

 初心者の成長速度、というのは凄まじいものである。無論、ある程度のところで停滞するのが成長曲線というものだが、それにしても大したものである。

「あの二人、凄いなぁ」

「先輩もだいぶ変わりましたよ。卓球が新しくなりました」

「あはは、私はそれほど違いを感じ取れないから」

「あの二人のは違い過ぎるやつですから。馬鹿でもわかりますよ」

 湊と佐村もラリーを続ける。多球練習前のウォーミングアップである。

「道具に頓着しないのはよくないですけど、それにこだわり過ぎても意味ないです。結局は自分、ですし。と言うか先輩、違いは分かってるでしょ? さっきから手、縮こまってますよ。旧式の三枚合板と五枚で結構重いコルベルに、入門用とはいえハイテンションラバーですしね。ずばり、使い辛い、ですね」

「うっ⁉」

 図星を突かれて困り顔の佐村にニヤニヤとする湊。

「打感の違いは沢山打たないと消せないです。せっかく強い道具に変わったんだから、それを無駄にしちゃもったいない。使いこなしましょう、だから――」

 佐村、困り顔が凍る。

「多球練習するぞオラァ!」

「わん!」

「クソがァ! やってやんよォ!」

「うう、楽しいんだけど楽しくないよぉ」

 結局、此処に戻るのだ。

 多球練習に始まり、多球練習に終わる。これぞ卓球の練習。

 もちろん指導者によりますが。


     〇


 顧問である黒峰はその光景を不思議そうに見ていた。

 普通、生徒だけで部活をすると甘えが出るものであろう。厳しく徹するのは難しく、それを皆に強要すると、かつて部が空中分解したようになる。

 佐村光のやる気を見て、それを是とした己の失態。それによって彼女は暗黒の時代を送ることになった。打つ相手がいない地獄。そうさせたのは自分。

 ゆえに、彼女はあまり部に干渉しないようにしている。

 とはいえ、あの彼女が困った顔をするほどのスパルタを強要し、他のメンバーも続いているのが不思議で仕方なかった。

 確かにあの二人は変わり者であろう。クラスでも浮くだろう、と初対面の時に黒峰などは思ったものである。しかし今、存外彼女たちはクラスになじんでいる。それはこうして学校名物となるほどのしごきに耐えているから。

 ああ、あの卓球部の、となりつつあるのだ。

 それに、実に楽しそうにやっている。あんな地味で辛そうな練習を。まあ一名は性癖が絡んでいるし、もう一名は誰とも打てない地獄を知っている。となると最後の一人は負けず嫌いなので辛そうな顔などしない、か。

「ふふ、よく出来ていますね」

 その中心に立つのは不知火湊。彼女なりに調べた結果、大層な人物だということが分かった。そして大きな傷を持っていることも。挫折、それは其処に己がどれだけのリソースを注いだかで大きく変わってくるだろう。

 彼にとってそれはとても大きかったはず。

 ぬるい環境を知らない、からこその強度。

 今回に関しては其処に疑問を持たない彼が彼女たちを引き上げている。

 素晴らしい化学反応であろう。今のところは。

「……では、もう一人突っ込んでみますか」

 女帝、暗躍を開始する。

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