D.許せること、許せないこと
「
高峰家の専属運転手は、他にも何人かいるけれども、『増野木』は僕専属の運転手である。たった今僕らが乗車していた車も、彼の運転だ。救急車を呼ぶように指示するも、この時の僕は相当にテンパっていたらしい。
冷静になってから振り返ってみれば、自分が何を指示したか、どういう言動を取ったかも、殆ど思い出せなくて…。普段から僕の
家の前で不意に倒れた彼女を、僕は咄嗟に抱き留めた。目を覚まさない彼女を支えながら、彼女の名を何度も呼んだことは、覚えている。冷静さを欠いた近所迷惑な言動だとしても、僕は何度過去をやり直せようと、同じ言動を取るに違いない。
「…高峰君、落ち着いて。紗明良は大丈夫よ。
「……えっ?!…僕の行動が彼女を、追い詰めてしまった…?」
朱里さんの宥める風な声で、ハッと意識が舞い戻る。気を失っただけだと知らされた途端、ホッと胸を撫で下ろした。彼女は一杯一杯の状態で、精神的にダメージを受けており、僕の猛アピールも原因の1つに、なったとか。知らず知らず、彼女を追い詰めていたらしい。
僕は彼女が傷つくのを恐れ、日直当番の一件を隠し通す気でいたが、結局全部バレてしまった。彼女も同じく当事者の1人として、知る権利があるというのに、僕は謝った判断を下した。流礼の言う通りだと、分かった後も尚……
ずっと隠せないと知りつつ、知らない方が彼女も悲しまないとでも、認識していたように。
「紗明良は恋愛事に鈍感だから、アピールに必死なのも分かるけれど、
「……すみません。僕の配慮が足りませんでした…」
自分が事態を回収することばかりに、囚われた。自分勝手な想いを、一方的に押し付けていた。彼女は本気で僕を嫌っていないと分かって、気が
朱里さんの言う通り、事前に伝えて彼女の言い分を聞き、彼女の心の負担を減らすことが、僕の一番すべき行動であろうか。彼女の意思を無視してまで隠すことが、守ることにはならないと、漸く僕はそれに気付いた。恋は盲目というが、正にその通りであるらしい。
「私の知るあの子と、貴方の知るあの子とは、微妙に異なるみたいね。私の知る彼女は暫く、男性恐怖症に陥っていたわ。1~2歳上の男子達から、イジメ同様の扱いを受けたのよ。美人な実姉と比べては、侮辱的な言葉を浴びせた上、終いには暴力を振るったわ。その後あの子は、年齢に関係なく異性全てに、恐怖を抱いてしまったみたいで…」
「……っ!………」
朱里さんの話を聞いて、僕は衝撃を受けた。まさかあの日のことが…と、思い当たる出来事を思い出す。同年代ぐらいの少年達が、数人がかりで彼女を罵詈雑言で罵り、突き飛ばしたあの光景を……
あれが日常的なことだったのかと、血の気が引いていく。いくら当時は幼いとはいえど、そこまで考えが及ばずにいた。僕の中では単なる過去で終わらせ、彼女との都合の良い出来事のみ美化し、覚えていたのだろう。あの後、流石に彼らも反省しただろうと、もう二度と彼女を困らせないと、信じることで。実際に僕は母から、既に解決済みで問題はないと、聞いている。
しかし、本当は…解決していなかったのか?…それとも、あの後もまた似たようなことが、起きたのか?…もしそうならば、僕にも責任がある。傍観という行動が、最も罪深いからこそ。
「……僕は何も、知らずにいた。…いや、知ろうともしなかった。元気に過ごしていると、勝手に解釈していたんだ。彼女を困らせる者はもういないと、信じて疑いもしなくて…」
何も知らず過ごした日々を、不甲斐なく感じる。彼女にとっては僕も、加害者と同じ異性だ。彼女が目覚めた後、本気で怖がられたらどうしよう…。彼女に本気で嫌われたら、僕は…立ち直れなくなりそうだ。
****************************
「高峰君が責任を感じる、必要はないのよ。その頃の貴方は、紗明良と同じ幼い子供だったし、そんな幼い子ができることなんて、殆どないんだもの。貴方の家と一般的な家庭とでは、違うかもしれない。それでも貴方が何かできたと、誰も責める資格はないわ。」
僕の心中を垣間見たかのように、優しく諭すような口調で、朱里さんは一瞬眉を顰めた。何でもできると思っていた、過去の傲慢な僕を慰めようと、また僕が罪悪感を持たないようにと、配慮してくれたらしい。
姿形は僕達と同年代に見えるも、違う時代に生きていたという、別の人生経験を持つからこそ、僕達を我が子のように慈しみ、見守ってくれるのだろう。人生の先輩として時に僕達を導き、あまりに道を外そうとすれば、何気なく諭しつつ戻してくれたのだと、今は僕もそう感じている。
「朱里さんの気遣いは嬉しいですが、僕は今までずっと何も気付けず、知ろうともしていなかった。紗明良さんの苦しみを理解せず、彼女と再会することばかり、夢見ていた。その後も僕は何を見ていたのか、自分でも疑問に思うよ。僕は本当に不甲斐ない…」
あの頃からずっと、後悔している。さよならも言えず、彼女の前から去らねばならなくて、一度も会うことが叶わなかったことを。忘れていたら…と危惧したけど、まさか本当に忘れるなんて……
あの頃僕は頻繁に熱を出すほど、病弱な子供であった。偶々父の仕事の関係で会った女性に、悪霊に憑かれていると言われ、当初両親は激怒した。だが、女性が神代家現当主と知るや否や、僕のお祓いを正式に依頼した。傍で暫く様子を見たいと言われ、母と共に神代家の本家近くで、仮住まいをした。巫女修業中の彼女と本家で出逢ったのも、必然のことだと信じている。
お祓いを終えて間もなく、父から強制的に連れ戻された。その後、彼女と会う機会も与えられないまま、別々の人生を歩んできた。それがずっと僕の心残りとなるとは、父は思いもしなかったようだ。
「李遠。お前はまだ幼いが、高峰家の血を引く人間なのだ。跡継ぎでないと言えども、高峰家の人間としての立場を、弁えなければならない。」
父は母とは違い、狡猾で冷たい人だ。長男が家を継ぐと仄めかし、次男の僕が兄を助ける立場になれと、父の決める人生を歩ませようとする。口調は柔らかくあれ、これは父の命令に違いない。父は実の息子さえ、自らの人生の駒なのだから。
……父が彼女の存在を知れば、利用されるかもしれない。神代家当主に感謝するようでいて、神代家の事業に口を挟むのは、裏があるようにも思える。だからこっそり、彼女の状況を探らせた。彼女が今の高校を受験すると知って、僕も同様に受験する。反対しようとした両親を、長年温めた言い訳で説き伏せて……
本来、僕は彼女より1学年上だ。悪霊に憑かれて病弱だった僕は、1学年遅れで入学した。偶然にも同クラスになれたのは、ラッキーなことだ。級友として彼女に、悠々と近づけるのだから。
「
1学年遅れての在籍は、小学校入学時からずっとであり、親しい友人でなくとも同級生ならば知る、公然の事情でもあった。しかし、本来の同級生や現同級生に当たる、僕と親しくない生徒達の中には、成績が良くて当然だとする意味で、皮肉ってくる者が若干いる。
下手に気を遣われるも嫌だが、1学年下の在籍理由も知らぬ状況で、学年が違うから余裕だとか、成績良くても当然だとか言われても、迷惑この上ない。本来の学年には一度も通学しておらず、他の生徒達と何が違うと言うのか、甚だ疑問だ。
「俺とお前は小1からずっと、一緒のクラスだったからな。李遠が年上でもそうでなくても、俺は最初から気にならなかったぞ。」
彼は滅多に冗談を言わず、されど冗談が通じないこともなく、冗談が嫌いというわけでもない。自ら巫山戯たりしないだけで、他人の冗談を聞くのは好きだと、知っている。勿論であるが、明らかに他人を馬鹿にした嘘、悪意を持って他人を騙す嘘には、例外なく嫌悪するだろう。だからこそ、同様の悪意のある嘘を
「尾上さんみたいな法螺吹きに、僕が好意を持つはずもない。まだ僕に悪意を向けるだけなら兎も角、彼女を巻き込んだ時点で、絶対に許す気になれない。学校側も今回の一件は、目を瞑るわけにいかないと、厳しく対処するそうだ。」
「そうだろうな。これを許したら、他にも示しがつかない。最早数人規模の問題ではなく、クラスの半分以上の生徒が、被害者同然だからな…」
何とも言えない怒りが、沸々と湧く。例えどんな理由があろうと、彼女を害する者は許せない。帰り際に会った流礼もまた、良く似た表情を浮かべていることには、その時僕はまだ気付かずにいた。
======================================
神代家に到着した直後、主人公が倒れた場面からの開始、となりました。紗明良の自宅に到着しても、紗明良が気を失ったところから、ストーリーが殆ど進行していません。結局、次回に持ち越すことに。
後半の途中で話が飛んでいますが、朱里さんとの会話を機に、自分の過去を振り返りながら、高峰君が感傷に浸る…という場面です。彼の過去の一部が明かされて、紗明良との接点もあったようで……
さて次回は、紗明良は家に入るの?…それとも、別の展開へ移るの?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます