196-手帳と僕
「数式の……乙女。まあ、俺も白絹糸の君らしいからな、さすがに噂でしか知らないけれども」
取り敢えず笑わずにいてくれる友人は、やはり優しい気質なのだと思った。
イットリウム・フォン・サルメントーサ。
彼は僕からしたら身分と立場が遥かに上のご家庭の息女たる婚約者リチウムの姉妹であられるカリウム様の婚約者。
彼もまた副大臣令息で伯爵令息だが、コヨミ王国の花の八割以上を産出する領地(しかも、外国にも販路を有している!)を持つ彼のご実家の方が、所謂普通の伯爵領の僕の故郷より上である事は疑いない。
だが、意外と気が合うというか、何となく王立学院での空き時間を共にする事が多い。
例えそれが、図書館棟で寝こけている友人の回収依頼を受けた為であろうと。
そう、どちらかと言えば、世話を焼くのは僕の役目。
……の筈だったのだが。
「ほら、カントリス! ここ記入ミス! 専門用語が不安ならば、逐一辞書を引く! イットリウムは実力を発揮して天下の選抜クラス編入試験に合格済だよ? 君も本来の実力を! こういった細かい数字や語彙の記入作業は根気を養えるから!呪文詠唱の集中にも繋がるよ!」
やはり友人のカルサイト・フォン・ウレックスにどやされながらの事務作業。
とは言え、経理に関わるかなりの重大案件なので学院生に任せて頂くのは光栄ではある。
けれども。
「あのね、カントリス君。第三王子殿下が君の為にスズオミ君のお母君とのお茶会に出席して下さってるのは何の為? 一応ライオネアとスズオミ君との交友を深める為にとされているし、殿下の伝令鳥であられる高位精霊獣殿が付いていらっしゃるけれど! 君が寡婦様達と色々出掛けたりしていたのを、金輪際一切の接触禁止、と社交界と実業界から手を回して下さったコッパー侯爵へのお礼としてのお茶会なんだよ? 本来なら君が、きちんと先方のご都合を伺って、直接、コッパー侯爵家に出向くべき! なのに! 理解した? したなら、作業の一つや二つ、とっとと終える! リチウムは予算会議にお母君の秘書官代理として出席してるんだから!」
厳しいお言葉はカルサイトの婚約者、ナイカ様。
耳に痛いが、当然過ぎるご指摘ばかり。
コッパー侯爵家のご当主であられるスズオミの母君は、社交界の薔薇と言われるゴールド公爵夫人と親しいばかりか、王都や二の都市等大都市で高名な様々な店舗の経営権をお持ちでいらして、女性の世界での所謂清濁合わせた部分の情報にお詳しい、多種多様な実権を有しておられるお方なのだ。
スズオミに言い寄る婚約者をまだ持たない女子学院生の事を第二王子殿下がコッパー侯爵家ご当主に内々に伝えられたという噂は母から聞いていたが、まさか、僕の女性に対する諸事までもを解消して頂けるとは。
やはり、第三王子殿下がこの件を気にして下さっていた事が大きいのだろうか。
選抜クラス編入試験合格という慶事を知らせてくれたイットリウムの手紙にも殿下が心配をされていたぞ、と書かれていた。
多分だが、殿下ご本人はこの件はご存知ない。
今頃、ライオネア様とスズオミとの友人達同士の気の置けない集まりに、何故スズオミのお母君が、と思っておられる事だろう。
そうだった、会の前にスズオミ自身が、
「ライオネアとも相談したのだが、殿下に詳細をお伝えするのは心苦しい。何とか御身をお守りし、会の終了後にこの身をもって父と共にお詫びを……。ただ、会の途中で僕達は不在になるかも知れないからライオネアに頼むとするよ」と言っていた。
元々は、スズオミが母君から第三王子殿下にお会いしたいと言われていたのを、何とか年度末にご予定を調整して頂けるだろうかと思案していた所、父君が三人の茶会の件について口を滑らせ騎士団団長閣下とご令嬢ライオネア様まで巻き込み、その結果、とにかく殿下の御身を第一に、となったらしい。
何故それがスズオミ達の不在に繋がるのかは分からないが、色々あるのだろう。
「君の女性に対する態度が殿下とスズオミの母君がお会いになるきっかけになった事は間違いないよ。やっぱり、女性達とのやり取り、君の母君にも全てバレていたのでは?」
カルサイト、多分、君の意見はご明察だと思う。
申し訳ございません、第三王子殿下。
せめて、この僕、カントリス・フォン・マンガン、仕事は誠心誠意、真面目に行います。
それにしても、今日はおかしい。
僕は、自分で言うのも何だが集中さえしていればここまでミスが多いタイプではないのに。
いっそのこと、間違えた箇所を書き抜いてみようか。
そう言えば、「癖が分かって逆にミスが減るよ」と殿下にもご指導頂いていたなあ。
丁度良いから試してみよう。
自分でもどうかと思うがリチウムに贈ったあの手帳と揃いの手帳をポケットから取り出す。
表紙の色は変えてあるから彼女以外には分からない筈の物。
よし、集中できる気がしてきた。
と言うよりも、するのだ。
何よりも、僕自身の為に。
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