114-コヨミさんと黒白と私(3)
「よろしければ支配人さん、貴方からお話になりますか?」
そう言ったのはコヨミさん。
すっきりとした香りが心地良いオレンジティーを差し出してくれていた支配人さんは、
「ありがとうございます」と一礼。
更にスモークサーモン? とクリームチーズ、ハムとチーズ、キュウリのサンドイッチまで出してくれたのだった。
「コヨミ様が魚や動物の名前は多くお伝えしておられますから、似た魚はほぼその様に解釈頂けます。サーモン、鮭、
「嬉しいです! あと、これ、食べて良いでしょうか。……おいしそう」
「どうぞ、是非お召し上がり下さい。私の話はマトイ様がこの大書店の所有者であられる理由でございますから」
「ありがとうございます。……いただきます」
うわ、キュウリのサンドイッチ、みずみずしい!
ハムとチーズも味に深みがあって、少しだけ効いた黒胡椒がいい! スモークサーモンとクリームチーズは言うまでもなくおいしい!
……レシピが欲しい。
あとこの食パン、切り落としの耳の部分も食べたい。元々耳の部分は好きなのです。
「……耳の部位はこの後、フレンチトーストにしてお出しいたしましょうか。レシピ集も、幾つかご用意を」
「……すみません、重ね重ねの食い意地。お話も伺いたいのに」
「いえいえ、健康的で良い事です。マトイさんがおいしそうに召し上がるのは私も嬉しいですよ」
「その通りにございます。……私の話は、簡潔に申しあげますと私共がコヨミ様に命を救われた本や雑誌達である、と言う事に尽きますので」
そうして話し出された支配人さん達の昔話。
コヨミさんがこの世界に渡る前、聖霊王様以外を尊重する様な印刷物は全て廃棄、焼き捨て(いわゆる焚書)せよという通達が行われていたのを若き日の聖教会大司教様(つまり百斎さん)を筆頭にした聖教会の皆さんや心ある人達がこっそりと隠匿してくれていたのだった。
立場上、陰ながらでしか人々を守れなかった事を悔いていらした聖教会の皆さんに感謝を示し、現在の聖教会本部の前身を創設させたのがコヨミさん、高位精霊殿や学院長先生達。
勿論、隠匿されていた印刷物は大切に保管され、逆に、裁かれた者達の資産の中の書物等もきちんと保管し、後世に伝えようとしたのだと言う。
これには当然、反対意見もあったが、聖霊王様達や聖教会を貶める様な思想を持たない為に、また、書物や記録はそれ自体が知的財産だとそれについてはコヨミさんが押し切ったのだ。
「……勿論、人々の心と生活の安定が第一でしたが、書物や文字に触れる事で得られるものは、何ものにも代えがたい部分がありますからね。支配人さん達は、本当に素敵な文献でいらしたのですよ」
「……我々、書物や様々な筆写物、複写物、印刷物といった存在に宿りました精霊達はコヨミ様への感謝の念で、いつしか人型へと変化できる様になりました。そして、昔々の知識で得た財を用いましてここを建てさせて頂いたのです。……コヨミ様に所有者様にお成り頂く事は叶いませんでしたが、それでも、この書棚をお守りする大役を命じて頂けたのでございます」
「もしかしたら、異世界の高位精霊殿や獣の皆さん達のお力で、現世知識も吸収しておられたりもするのですか?」
「……ご明察にございます。こちらの世界でも、今回の禁地の一斉浄化の様な大事の際にはここをご存知の皆様の念話や伝令鳥殿が知らせて下さいます故、私達の仲間がその場に飛び、情報を頂戴する事もございます。そして、この大陸中、そして異世界にも仲間はおりますので」
そうか、この書棚を知る方々なら筆記用具や手帳、本といった何かしらをお持ちの筈だから、支配人さん達、つまり知識のものさん達と通じる存在が必ずそこにいてくれる。
更に、この大陸や異世界には多くの文献や書類が存在していて……という訳だ。
「左様にございます。……ありがとうございます、コヨミ様。まさか、私達の口から末裔様に真実をお話できますとは」
「……驚いたけれど、ここに誘って頂いてありがとうございます、支配人さん。……コヨミさん、約束します。必ずまた伺いますよ」
「お待ちしています。……最後に、と申し上げましたが」
そろそろかな、と思っていたのだけれど、コヨミさん? どうしたのだろう。
書棚から、ゴトゴトとこの場所には不似合いな音が響く。
……まさか、地震?
身構えたら、支配人さんが
「コヨミ様! それはマトイ様に今お知らせするのは……」
と少し声を大きくした。
『大丈夫です。もうマトイ様は受け止めます』
え、黒白の念話?
……何をなの?
「……黒白さんの仰る通りですね。然しながら、訊かせて下さい。……マトイさん、貴方は日本に帰る方法をお知りになりますか?」
え、あ、またあのノートが手元に。
私は思わず立ち上がる。
「……もしかして、この会話だけは、コヨミさんが直接していらっしゃいますか。……この帳面? ノート? で」
それに多分、コヨミさんの直接の言葉を受け止められる様に、黒白が私の魔力を一時的に底上げしてくれているのではないだろうか。
視線を落としたら、黒白は変化していた。
そうか、黒白。
パタパタは無くなり、黒と白が綺麗に分かれた盤面。文字盤と針の色は見やすい銀色に変化している。
『はい。これで少しずつでもご恩を返せましたら』
「ありがとう。でも黒白はもう色々助けてくれているから恩返しとかはあまり気にしないでね」
そうだ、お返事を。
「……コヨミさん、多分貴方が
コヨミさんも多分、同じ問いを同じ気持ちの時に高貴な方とか、誰かから問われたのではないかな。
何となく、そんな気がした。
「……ごめんなさい、本当に酷な事を申しました。その通りです。私に会いに来てくれた暦の末裔が真にこちらに在りたいと感じてくれていたら、この問いを発動する様にしておりました。この問いに関してだけは、このノートを通じて、この世界に残った私の魂の一部を用いて、私が話しております。どなたが、どのようにして残した方法かは、まだ申し上げられませんが」
やっぱり、そうでしたか。
……コヨミさん。貴方は本当に優しい方だ。
「……どういたしましょうか。マトイ様、この部位だけ、記憶を消去なさいますか? ご希望でしたら細かくご指示を頂きましてこの部位だけを、と限定する事も可能でございます」
支配人さんも何だかうろたえている。
困惑させてしまった。支配人さん、そんな風に繊細な記憶操作魔法も使えるんだね。
「……はい、私達知識のものが持つ財は金銀魔石等の場所を示す古地図や文献等のみではございませんから。ただ、どなたがコヨミ様にお帰りになる方法をお伝えしたのかは、我々も存じ上げないのです」
「そうなのですか。でも、平気です、ありがとうございます。私としてはできればこのままで。……もし、コヨミさんが心配でしたら、それでも構いませんが」
一瞬、ノートのコヨミさんが微笑んだ気がした。
全部、お見通しなのかな。
「……では、そのままに。ありがとう、マトイさん、黒白さん。私の言葉でお礼が言えて、良かった。まだ全てをお話してはおりませんし、お伝えできないこともございますが、でも……」
いいえ、コヨミさん。
私こそ、です。
「ありがとうございます。……また必ず伺います。話せないことやご事情があるのは当たり前ですよ。それよりも、支配人さん、私のリュックさんから転移して頂きたい物があるのですが。貴方達にだったら、活用してもらえそうだから」
「可能ですが、何を?」
「ノートパソコンです。私も使いたい時はこちらに伺いますから。この書棚の制限内で、使いこなして頂けるかと思ったんです」
「有難いお言葉に存じますが、マトイ様はご不便では?」
正直、スマホでさえ毎日は使っていない今の状況でパソコンにまで手を掛ける事は難しいと思っていたので、支配人さん達に預けられるなら、むしろ安心なのだ。
その旨を説明したら、納得して頂けた。
「黒白、私のノートパソコンと話は出来るかな。もし良かったら、ここにお世話になるかい? って」
『……やってみます』
「どうやら、お呼びしてもよさそうですね」
『はい』
支配人さんと黒白が何だか阿吽の呼吸で会話をすると、本当に上手くテーブルの空いている場所にノートパソコンが転移してきた。
『まだこの方は念話等は出来ませんが、こちらにお世話になりたいそうです。リュックさん達にも、一応のお別れは出来ましたそうです』
「……お立場とか状況は何となく分かるけれど、現世の時の様に毎日使って頂きたかったから、ばりばり働きます! と仰っておられます。よろしくお願い申し上げます、ノートパソコン様。私は支配人です」
『支配人様、よろしくお願いします。と』
パソコンバッグはデザインそのまま、合皮が獣皮に変化していた。強そう。
「パスワードとかは、特に必要ありませんか?」
「問題ございません。次にマトイ様にお越し頂いた際にはご満足頂ける様に手配致したく存じます」
「マトイさん、では本当にこの度はありがとうございました。……支配人さん、上手く戻して差し上げて下さい」
「畏まりました」
「また必ず伺いますから!ノーパソもまたね。……あ、何か一冊、は支配人さんにお任せして良いですか?」
「畏まりましてございます。最高の品を」
『ありがとうございました』
良かった。最高の品、楽しみだな。
……あ、そう言えば、この黒白の変化、そのままでいいのかな?
なんて事を考えながら一歩を踏み出したら、
「お帰りなさいませ。
本当にあっという間に、元の階層、元の着物の支配人さん。
……ただ今戻りました。
それじゃあ、お任せしてしまいますね。
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