42-庶民の聖女候補と子爵令息の僕

「本家様ではなくこちら様にお仕えできました事、嬉しく存じます」


 小さい頃、メイドの一人がそう言いながら泣いていて、ベテランメイドは叱りもせずにただ静かに彼女を見つめていた。


 不思議だった。長子である僕にも、たとえ同じ子爵位であっても、分家の我が家よりも本家の方が地位が高いことは理解できる。


 不思議に思い、父上に告げると、

「使用人の皆にそう思ってもらえるなら何よりだ」と笑っておられた。

 母上も同じ。

 正直、よく分からなかった。


 ただ、魔力測定の結果、僕が男子には稀な聖魔力属性であることが分かり、家庭教師ではなく王立学院中等部に入学し、聖教会本部にも必要に応じて通うようにと聖教会からご指示が出た時は、本家から祝いと嫌みが届いたので、貴族にも色々な人間がいるものなのだということは何となく感じられた。


 ああ、僕の名前はタンタル・フォン・バリウム。

 コヨミ王国の子爵令息で、聖女候補の一人だ。珍しい男の聖女候補だが、特に魔力が強いとかではない。ただ、属性が聖魔力というだけ。


 その後、本家の意向なのか、僕の王立学院中等部入学に続いて、高等部に本家の跡取りが入学したと聞いた。

 不思議だったのは、僕は執事やメイドを伴える中級学院生寮に入ったけれど、彼は下級貴族や騎士階級、平民も暮らす一般寮に入寮したことだ。当たり前だが、一般寮に執事やメイドを置くことは許されてはいない。


「分家の分際で、我が家に援助を申し出るとは何事だ」


 それについては、休暇で帰省した時に、音声伝言魔法付きの手紙が本家から届いたので、やっと本家の状況を理解し、これが理由かと納得した。


 ただ、それでも僕はまだ、どこかで貴族階級とは選ばれた者なのだと勘違いをしていたのだ。


 そのまま一年と少しが過ぎた頃、聖教会本部に新しい聖女候補がやって来た。

 平民で、遠方の七の街の聖教会で学んでいたが、この度、高等部の二年生の普通クラス一組に中途編入するのだという。

 ただ、基礎学力は高く、本来ならなんと上クラスレベルなのだそうだ。


 信じられなかった。

 ちなみに僕は中上クラスだ。平民で、田舎の中学部しか出ていないような者が。あり得ないと思った。


 だが、聖教会本部のご判断で、平民の聖女候補は普通クラスの最上である一組に在籍することになったらしい。

 聖教会本部が本人には実力を伝えないおつもりなのは何故だろう。


 もしかしたら、高等部の噂の普通クラス生、まぬけ王子達への発奮のためかと思ったが、一応聖女候補である僕が聖教会本部にお訊きする事ではないと思って、もう一人の男子の聖女候補にこの事をどう思うか尋ねてみた。


 初等部の学院生で、貴族の階級が伯爵位、つまり僕より立場が上である筈の彼は、「素晴らしい努力をされた方なのですね」と感心しているようだった。

 他の女の子や女性達も似たような反応。


 僕は聖女候補としてはどこか間違っている存在なのかもしれない。初めてそう考えた。


「はじめまして、セレン-コバルトと申します。八の街の出身で、実家は小さな診療所です。よろしくお願いします」


 セレン-コバルトは、紫の髪と瞳の、たいへんにかわいらしい女性で、七の街より更に田舎の出自だった。


 他の皆がようこそ、よくいらっしゃいました、一緒に聖魔法を学びましょう、皆様を助ける診療所がご実家とは素敵ですね等と言っていた中で、僕だけが、


「ようこそ平民、僕は子爵令息のタンタル・フォン・バリウムだ」

 と自分ながら失礼な挨拶をしていた。


 無意識だった。自分でも驚いた。


 当然、指導を頂いている聖教会本部の方々から厳しく叱責をされて、『聖教会経典』と並んで必携の本、『コヨミ王国初代国王陛下のお言葉集』の差別についての項目を全て書写するように言われてしまった。

 聖魔法の自動筆記は使用禁止。全て手書きだ。たいへんだった。


 人に優劣をつけるべからず、から始まる、コヨミ王国の貴族階級者なら必ず習得していないといけない項目だ。


 ……本家の者達は、この項目を忘れてしまったのかもしれない。


 勿論、平民の聖女候補には嫌われた。当たり前だ。


 僕はとにかく、まぬけ王子達よりも先に、僕という人間を彼女に印象付けたかったのだろう。

 彼らは素晴らし過ぎると噂の婚約者のご令嬢達にはさすがに劣るものの、皆がみな、高位の方々で、容姿端麗であることは紛れもない事実だったから。

 子爵位の、しかも分家の嫡男ができる唯一のアピールだった。


 そんな彼女に、久しぶりに会うことができた。

 いや、毎月同じ特別講義に出席してはいるのだが、常に無視されていたのだ。


「久しぶりだなセレン-コバルト」


 うわ、嫌な奴に会っちゃった。どちら様でしたっけ? ってとぼけたいー、って顔をしている。そんな顔でも彼女はかわいい。


 月に一度聖教会本部が行う聖教会特別講義。

 開始前なら話ができるかと思って声をかけたが、案の定、嫌がられた。


「おい、聞いているのか」


 僕の言葉など、聞きたくないのだろうな。

 僕のことはどう思われているのだろう。

 子爵令息なのをいちいち自慢してくる奴。馬鹿。あとは何があるだろうか。


 それでも、悪口でもいいから、僕は声が聞きたかった。


「何度言ったら覚えるんだ。僕の名前は」


 僕と話したくはないのだろう。それでも声を掛けたら。


「あーはいはい。子爵令息様、王立学院学院長様からお預かりした書簡を聖魔法大導師様に直接じかお渡ししないといけないので失礼致します」


 このように、ぐうの音も出ない事を言われた。

 名前は勿論呼んでもらえない。


 自分は平民の聖女候補だけどね、王立学院高等部の学院生で、建国の英雄、学院長先生から書簡を託される立場なんだよ、分かったか、話しかけるな! と言われた気がした。


 まぬけ王子とその周辺、等と言われた方々も、最初の方こそ彼女に馴れ馴れしかったようだが、最近はなかなかきちんとされているらしい。

 婚約者方と聖女候補のお陰、という評価も聞こえてくる。


 それに引き換え、僕は一体何がしたいのだろう。


 彼女は、もはやまぬけなどではないらしい第三王子殿下の親友、スズオミ・フォン・コッパー騎士団副団長令息(侯爵令息殿)のご婚約者ライオネア・フォン・ゴールド公爵令嬢(獅子騎士様と呼ばれるお方。騎士団団長のご令嬢でもあられる)の応援会の事務局に参加して、聖魔法で姿絵を作って応援会の会員に配布するなどして中等部の生徒にも大人気だ。

 もともとご婚約者方はあらゆる階級の子女達の憧れだったが、優しくて明るい平民の聖女候補も下級生からは人気が出てきていた。


 実家から遠く離れて勉強している彼女の生活に潤いが出たことは嬉しかった。


 ただ一つ気になっていたことは、本家の跡取りが住む一般寮には、平民差別行為の噂があったことだ。

 聖女候補には聖教会から守護魔法が掛けられているから大丈夫だとは思うが、彼女は他人がそんな目にあっていたら見過ごすようなことができる人ではあるまい。


 相談したくてもできる筈もなく月日が過ぎ、あと数ヶ月で年度が終わるという時。


 高等部二年次の終了前のパーティーで、ニッケル・フォン・ベリリウム・コヨミ第三王子殿下、殿下のご婚約者、筆頭公爵令嬢にして法務大臣令嬢のナーハルテ・フォン・プラティウム様、そしてコッパー侯爵令息と聖女候補セレン-コバルトが協力して平民差別を行っていた者達を全て断罪したというのだ。


 断罪された者達の中に、本家の跡取りがいた事に疑念はなかった。

 むしろ、的確な素晴らしい断罪だと思った。


 これは、快挙だ。もう、第三王子殿下をまぬけなどと呼ぶ者は二度と現れまい。


 むしろ、まぬけを装われていたのだと噂され始めたほどだ。


 父上と母上は、本家を諫めることができなかった分家として罰を受けても仕方ないというお考えだった。

 ただ、「使用人に十分な給与を与える為に財を残すことだけはお許し頂けないかお願いはしてみようか」と心配するお二人を誇らしいと思う自分に驚いたが、これでいいと思った。


 結果は、分家である我が家には一切沙汰はない為心配無用、と王家からペガサス便の特急便で書簡を頂いた。

 但し、本家の扱いは検討中とのお達しだった。

 どうやら、跡取り個人だけの問題ではなかったようだ。


 その書簡を頂いたことで、僕は安心していたが、数日後、父上の様子がおかしいことに気付いた。

 無理やり聞き出すと、第三王子殿下や他の高位の方々ではなく平民の聖女候補を恨んだ本家が、今回の断罪の功績による里帰り中(滞在先は七の街の聖教会)の彼女の実家に向けて冒険者崩れ(冒険者ギルドに登録しているか否かも怪しい者達)を雇い、実家を襲撃させたのだという。


 彼女が実家に寄っている可能性もあるし、実家にいる人達が危険なのは間違いない。しかも彼女の実家は診療所だ!


 父上も、聞いた当日に僕に伝えてくれたのだった。僕がこの事実を受け止められるかを気にされていたのだ。


「お前は聖女候補だから、聖教会本部にお伝えできないだろうか。お友達を助けて差し上げなさい。私の執務室に行きなさい」


 父上に言われて気が付いた。


 そうだ、僕は聖女候補だ。お友達とは程遠い気がするけれど。


 ああ、今はそれよりも、父上の執務室。急いで移動して、伝達水晶に聖魔力を注ぐ。


「はい、聖教会本部です。貴方は聖女候補の方ですね。どうされました?」


 良かった、通じた。


 聖女候補専用の、特別伝達の為の聖魔法。邪な気配があると、受けては頂けない聖魔法。


 焦るな。きちんと、正確に。


「聖教会本部に至急お伝えしたいことがございます。自分はタンタル・フォン・バリウム。聖女候補です。どうか、同じく聖女候補のセレン-コバルトをお救い下さい!」


 しばし待たれよ、と本部の水晶通信担当者が上の方々に繋いで下さるのが気配で分かった。


 そうか、あの時もこの間も、僕はこう言えば良かったのか。


「僕は聖女候補タンタル・フォン・バリウムです。どうか僕の名前を覚えて下さい。」


 次に君に会えたら、こう名乗ろう。


 だから、どうか、セレン-コバルト。


 お願いだから、無事でいて。



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