第6話 事情

「俺の名は、五百瀬いおせ藤吾とうご春永はるながという。五百瀬家は代々、新柄家にいづかけつかえている。あ、新柄家というのは、麻岐国の守護代しゅごだいを務めておられる家だ。俺は五百瀬家の嫡男ちゃくなんとして、槻伏荘つきぶせのしょう守護所しゅごしょ出仕しゅっししていた」

 俺は頭の中を整理しつつ、一つ一つ説明し始めた。

 をはさんだ向こう側で、少年は姿勢よく座り、こちらの話に耳を傾けている。

 炉の五徳の上には、持ち手と注ぎ口のついた鋳物いもの薬鑵やかんが置かれている。

 先ほど薬草らしき物を入れていたから、どうやら薬をせんじているようだ。


「ええと、同じ新柄家に仕える者の中に、沖沼十郎兵衛おきぬまじゅうろうべえという国衆くにしゅうがいたんだが。沖沼家は、今でこそ新柄家の家臣だが、元々は古くから麻岐で勢力を張っていた有力者だ。その沖沼が謀反むほんを起こした」

 ちゃんと伝わっているだろうか。

 これまでの経緯を順に並べてつなげているが、うまく出来ているのかどうか、よく分からなくなってくる。

 こういうのは、あまり得手えてではない。

「新柄家の当主だった尚時なおとき様が、都から麻岐へ戻られる途中で、沖沼とその手勢てぜいに襲撃され、あやめられたんだ。沖沼たちは尚時様の側近たちも殺害して逃走し、麻岐と斯野の国境くにざかいにある笹羅山ささらやまの、使われなくなって放置されていたとりでに立てこもった」


 国衆たちは、元々麻岐の各地で力を持っていた小領主だ。

 彼らから見れば、守護や、守護から現地支配をまかされた守護代、そして守護代に付き従う五百瀬家のような譜代直臣ふだいじきしんは、ある意味よそ者だろう。この土地の者ではないのだから。

 当初、国衆たちは新柄家に反目していたが、今は完全に支配下に置かれ、家臣として従っている……はずだったが。あんなことをくわだてるとは。

 苦い記憶がよみがえってきて、その先を語る前に、少し間が空いた。

 過去はどうやっても変わらない。消えて無くなったりしない。

 俺の中には、ずっと残り続ける。


「新柄家の嫡男だった新三郎様が総大将として軍をひきい、鎮圧ちんあつすることになった。俺もそれに加わった。向こうの兵は多くて三百。小勢こぜいに過ぎない。鎮圧など簡単だとみんなが思っていたが――背後からの襲撃を受けて、新柄軍はたちまち総崩れした」

 実のところ、勝てると思っていた「みんな」の中に、俺はふくまれていない。

 いくさが始まる前から、嫌な予感が消えなかった。誰に言っても取り合ってもらえなかったが。


 ここまで黙って聞いていた少年が、おもむろに口を開いた。

「砦を守っていた兵の一部を奇襲にいたのではなく、実は沖沼軍は砦以外の場所にもひそんでいて、その者たちが奇襲をかけたということですか?」

「え?」

「そうでもなければ、守護代の軍を総崩れさせるほどの兵数は確保できないと思いますが」

「いや、背後から攻めてきたのは沖沼の軍ではない。どうも、領内の他の国衆や、斯野しのの国衆たちともひそかに手を結んでいたらしい。その軍勢だったんだ。謀反人を捕らえるつもりが、むしろこちらのほうが捕り物にでもあっているようだった」

「そもそも、なぜその沖沼という方は謀反を起こしたのですか?」

「新柄家に不満かうらみでも抱いてたんだろう。日頃はそんな様子は見せなかったが、人の内心など分からんからな」

 恨みの反映と言われればすんなり納得できる、鬼気ききせまる勢いだった

 あの時の自軍の混乱ぶりは、今も目と耳にまざまざと残っている。


 それまで意気いき揚々ようようとしていた新柄家の軍勢は、想定外の援軍の姿と雄叫おたけびに動揺し、あっという間に戦意を失っていった。

 敵の矢に倒れる者や、戦うことを放棄して逃げ出す者が相次いだ。

 まるで、突然の土砂崩れにでも見舞われたかのような惨状さんじょうだった。

 次々と地に伏して動かなくなる者たち。金属同士がぶつかり合う音。血のにおい……華々しいとは言い難い初陣ういじんの記憶は、体にみついて、いまだに消えない。

 戦とはこういうものだと、思い知らされた。何とも後味の悪い経験だ。


 沖沼討伐とうばつせ参じるよううながす伝令に対して、事情があって遅参ちさんせざるを得ないむねを告げてきた国衆が数名いた。

 参陣はしたが、少数の兵しか集められなかったとびてきた国衆もいた。

 それでも数ではこちらがずっと優位だったし、「一刻も早く、謀反人を捕らえねばならん。主君に刃を向けたこと、後悔こうかいさせてやる」と総大将が息巻いていたから、みんな勇んで出陣したが……。

 沖沼が単独で事を起こした、と判断した時点で、敗北は決まっていたのだろう。


 ああ。過去にひたっている場合ではない。

 俺は気を取り直し、話を続けた。

「軍は退却することになった。俺は若殿わかとの――新三郎様や、その側仕そばづかえの者たちとともに、槻伏の守護所へ戻るために山道を走っていたが……その途中で谷に転落したんだ」

 命は取り留めたが、気がつけば、どこなのかも分からない場所に倒れていた。

 そこから必死に人里を目指し、山野をさまよい――今にいたっている。

 少年はわずかに表情をけわしくし、感情を抑えた声音で確認してきた。

「肩の傷は、その時のものですね?」

「ああ」

 誤魔化ごまかす必要もないので肯定すると、少年は何事か考え込んでいるような様子だったが、そのまま押し黙っている。


 俺は一つ息をついてから、あえて淡々と、告げた。

「俺は落ち武者だ。俺をねらっている奴が、ここを見つけて襲ってくるかもしれん。追っ手とか、落ち武者狩りとかがな」

 このまま素性を明かさずに養生ようじょうさせてもらうことも容易たやすかったが、万一ここが襲われれば、少年を巻き添えにする確率も高い。それはさすがに、ためらわれた。

 気づかれぬよう黙って立ち去ることも、考えなくはなかった。

 だがそうなれば、彼は山中を探し回るに違いない。危険から遠ざけなばならないのに、かえって危険が及んでは意味がない。

 それゆえ俺は、

「世話になった。俺は槻伏に戻らねばならん。母や弟たちの身が心配だからな。もし誰か俺を探しに来たら、そんな奴は見たこともないと言っておけばいい。小袖は返す。この陽気なら、直垂ひたたれはもう乾いているだろうから、着替えてくる」

 と断わって、ゆっくり立ち上がった。


 それを止めたのは、少年の指摘だった。

「来るのが敵とばかりは限らないのでは? お味方が探しにいらっしゃる可能性もあるのですから、むやみに山中を動き回るより、ここに留まって養生されたほうが賢明かと思います。そのほうが、お味方もあなたを見つけやすいでしょう」

「味方」という言葉が、胸にずきりと突き刺さる。

 俺は首を横に振り、きっぱり言い切った。

「『味方』は、来ない」

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