第5話 再訪

「ところで、俺を倒したあの大鹿はいったい何なんだ? 角の数が多いが、神獣か、もしくはあやかしたぐいではないのか?」

 道具を片付けている少年に、ふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。

 当の鹿は、いつの間にかどこかへ行ってしまっていて、姿が見えない。

 少年は手を止めて顔を上げた。

 質問内容が本人のことについてではなかったからか、思った以上にすんなり答えが返ってきた。

「よく分かりませんが、この山に元から住んでいたようです。小屋の近くで出会いました。私に良くしてくれています。悪さはしません」

「どうやって手なずけたんだ?」

「手なずけたわけではありません。出会った時から、食べられる物がどこにあるのかや、水場など、私にいろいろ教えて助けてくれているのです」

 こんな人里離れた山の中にいる鹿が、なつくものなのだろうか。それも、会ったばかりの人間に。


 鹿は群れで暮らすから、この近辺に他にも鹿がいるはずだ。その鹿はどうなのだろう。同じように懐くのか――いろんなことが気になり、たずねようとした時。

 こんこんと、入り口の戸が叩かれた。

 心臓がね上がった。まさか、追っ手か? それとも落ち武者狩りだろうか。

 俺と違って少年はどうじず、

「うわさをすれば」

 と、戸を開けた。

 はたしてそこには、あの二対の角を持つ大鹿がいた。


 角で軽く戸を突いたのだろう。そして何やら、口にくわえている。竹細工のかごのようだ。

 鹿はそれを、そっと地面に置いた。

「ああ、これはありがたい。必要だと考えて、持って来てくれたのですね」

 かごの中を見た少年は、そう言って微笑ほほえみ、鹿をなでた。

 鹿はうれしそうに、頭を少年の胸にすり寄せている。

 ずっと無表情なわけではなくて、ああいう顔も出来るんだな、と少年をぼんやりながめていると、彼はかごを持って振り返り、

「山芋は、召し上がられますか?」

 と聞いてきた。

 かごからは、山芋がにょこりと頭をのぞかせている。


 俺はまたもや、困惑に近い驚きを覚えた。

「そりゃ、食わせてもらえるなら、どんな物でもありがたくいただくが……鹿がそんな物まで持ってきてくれるのか?」

「食べ物のありかを、よく知っていますから」

「ずいぶん立派な芋だな。山芋がとれるのは秋だから、まだ先なのに。昨年の芋だとしたら、なかなかここまでいい状態では残らんと思うが」

「その辺りは、よく分かりません。私はただ、鹿がもたらしてくれるままに、ありがたくいただいているだけです」

 これもまた「分からない」か。いいんだろうか、そんなことばかりで。

 確かに、ありがたい話ではあるが


 俺は立ち上がり、鹿のそばまで寄った。

 離れた所から眺めていても、大きな鹿なのは充分、感じていたが。近くで見ると本当に、狩りでもなかなか出くわさないような大物だ。

 俺を小屋の中に運ぶのに、この鹿が手伝ってくれたと言っていたが。おそらく、むしろとかあみとか、そういう物にでも乗せて運んだのだろう。

 こいつがくわえて引きずっていった……とは、さすがに思いたくない。贅沢ぜいたくを言える立場ではないとはいえ。

「ありがとうな。礼を言うぞ」

 と、俺が鹿をなでようとしたら。

「っ!」

 角を突きつけ、威嚇いかくしてきた。

 俺は思わず、体を引いた。


 鹿の目は、こちらを真っすぐ見据みすえている。

 にらまれてる? そう感じるぐらい、目に力がある。

 戸惑とまどうこちらをよそに、鹿は少年の前に移動した。まるで、俺から少年をかばうように。

 ……まだ敵と見なされてるんだろうか。

 少年は鹿の顔をのぞき込み、落ち着いた態度でなだめた。

「この方は、私を傷つけるような方ではありません。安心しなさい」

 鹿は少年の顔をじっと見たかと思うと、納得したかのように警戒をき、小屋から出て行った。少年はその背中に、

「感謝してますよ。手ぶらで構わないから、またいつでも来なさい」

 と、まるで親類の子供か何かに対するように、声をかけた。

 鹿は足を止めて振り返り、「分かった」とでも言うように、ふぃーと小さく鳴き声をあげてから、去っていった。


 俺はわれ知らず、肩の力を抜いていた。

 襲撃者ではなかった。危険はないのだ。そう安堵あんどすると同時に、今の俺がどんな身の上なのか、あらためて突き付けられた。

 少年に目をやると、山芋の入ったかごを小屋の隅に置いているところだった。

 素性すじょうを詮索する気はないと彼は言っていたが――そうもいくまい。

 俺は覚悟を決めて、呼びかけた。

「話しておかなくてはならんことがある。聞いてくれないか」

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