第4話 何者

「ところで、ここは麻岐国まきのくにか? それとも俺は、うっかり斯野国しののくににまで来てしまってるんだろうか。笹羅山ささらやまはちょうど国境くにざかいにあるが、ここはどの辺りなのか教えてくれないか?」

 肩に薬をってもらいながらたずねると、少年は手を止めることも顔を上げることもせずに答えた。

「分かりません」

「あの……分からないとは、どういうことだ?」

「私は斯野国をずっと歩いてここまで来ましたが、まだ斯野しのなのか、それとも麻岐まきまで来たのかまでは、何とも言いようがありません」

 これで現在地が分かると安堵あんどしていたのに、当てがはずれた。


 しかし、歩いて来たというのなら、それほど遠くの住人でもないだろう。ある程度、この周辺の地理は知っているに違いない。

 そう期待して、俺はさらに問うた。

「そなたはどこに住んでいるんだ?」

「今はずっと、ここで寝泊まりしています」

 一瞬、どう意味を取ればいいのか分からなかった。

 ずっと、ここで?


「そなたは猟師にも杣人そまびとにも見えんが、何のためにここに? てっきり、普段は別の所に住んでいて、たまたまこの山に来ていただけなのかと思っていたが」

わけあって、家を出てきました。歩いているうちに、たまたまこの小屋にたどり着いたのです」

「いや、たどり着いたからといって、なぜ……」

「小屋の中を見ると、打ち捨てられたような様子だったので、もう誰も使わなくなったのだろうと判断しました」

 会話がみ合っているのか、いないのか、よく分からなくなってきた。

 誰も使わない小屋がたまたまあったとしても、普通は住み着いたりせんだろう。


「では、そなたがここに来る前に、元々いた所というのはどこなんだ」

 俺の質問に、心なしか少年の顔が強張こわばったように見えた。

 微妙びみょうな間がいてから、ぽつりと答えが返ってきた。

「もはや、捨てた場所です。今の私には関わりがありません」

 捨てた場所? どういうことだ?

 何やら、話を聞けば聞くほど理解から遠ざかっていく。


 俺は気を取り直し、少し話題を変えた。

「そう言えば、まだ名を聞いてなかったな。何というんだ?」

「名も捨てました」

 取り付く島もない。

 さすがに俺も、少々いら立ってきた。

「捨てたとしても、元々名乗っていた名があるだろう。それすら言えないのか? これでは、そなたを呼ぶことも出来ん」

「名前をおっしゃっていないのは、あなたも同じです」

「あ」

 こちらの素性すじょうについては何も言わないまま、一方的に問い詰めていたことに気づかされ、愕然がくぜんとした。

 いかん。これではただの尋問じんもんだ。

「失礼した。俺の名は……」

「私はあなたの素性も事情も聞こうと思いません。こちらのことも、どうか、詮索せんさくはご容赦ようしゃください」

「……」


 俺はひとまず、あきらめた。

 他に人がいるわけでもない。名など呼ばなくても、誰のことかは分かるだろう。

 人を助ける親切さと、人をこばむかたくなさ。それがどうにも不釣り合いだった。

 詮索しないでくれと言われても、やはり気になる。


 少年は薬を塗り終えた肩に、再び丁寧ていねいに布を巻いていく。

 いったい何者なのだろうと考えつつ、俺はその様子にちらりと目をやり――。

 あれ?

 何だろう、この感じは。ずっと以前にも、どこかで似たような感覚を経験したように思うが。誰といる時だったか。

 ああ、そうだ。爺様じじさまだ。

 愛想あいそのあの字もなく、他人が自分の中に踏み込んでくるのを拒んでおられた爺様の姿が、脳裏のうりによみがえる。

 孫の俺ですら、近づきがたい時が多々あった。

 そう言えば、爺様が住んでおられたいおりも、ここと大差なかったな。そんなことを考えながら、俺は小屋を見回した。


 豊かさとは無縁の、人が暮らすのに最低限必要なだけの空間。それでいて、生命の息吹いぶきがあふれている。


 心を過去と現在の狭間はざまただよわせていると、

「終わりました」

 と声をかけられ、我に返った。

「ああ。かたじけない」

 俺が礼を述べると、少年は、

「完全に治るまで、出来るだけ肩を動かさないようにしてください。もう少し良くなるまでは、歩き回るのもひかえたほうがいいでしょう。見たところ、あなたはこの近隣の方ではないご様子。どうぞ、好きなだけここにいてくださって構いません」

 と言い置いて、薬を片付けに行った。

 貴公子のごときその姿は、爺様とは似ても似つかない。口振りも、身のこなしも違う。

 それでもどこか、似通にかよっているように思われてならなかった。

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