第2話 少年

 誰かが森の中へ歩いていこうとしているのが見える。

 大柄おおがらなわけではないのに、不思議と存在感のある背中。手には重籐しげどうの弓。腰には鹿皮しかがわ空穂うつぼ。空穂の中に入っているのは、きっとたか矢羽やばねの矢だろう。

 爺様じじさまだ。

 またいつものように、狩りに行かれるのだろうか。そう思って俺は、爺様を追いかけた。

 だが、いくら走ってもなぜか追いつけない。声を出して呼ぼうとしても、一言も発せられない。

 そうしているうちに、距離がどんどん開いていく。ますます俺は必死になったが、その一方で、妙だなと感じ始めた。

 爺様はもう、この世にいらっしゃらないはずだ。

 そう気づいたら、すべてが混沌こんとんとし始めた。夢の世界から、ぐらりとうつつの世へ引き戻され――。




 少し離れた所で何か、かたっ、ことん、と音がした。物でも運んでいるような、日常にありふれた音。

 やや薄暗いが、物はちゃんと見える。どこかの建物の中か。

 寝ている感触は、土の上にしてはやわらかい。普段寝ている寝床ねどこに比べれば、快適さはおとるが。

 そこまで考えて、はっきりと目が覚めた。

 確か、何かがぶつかってきて、意識を失って、その後――。

「気が付かれましたか」

 そう声をかけられて、どきりとした。

 聞きおぼえがある。小屋の様子をうかがっていた時にかけられた、あの声と同じだ。


 声のほうに顔を向けると、少年が一人、こちらに近づいてくるところだった。

 俺より少し年下に見えた。十五、六歳だろうか。

 髪はもとどりわず、襟足えりあしで束ねただけで、縹色はなだいろ水干すいかんを身にまとっている。生地きじも仕立ても品が良く、その点だけでも、そこいらの百姓や山人やまびととは思えなかった。

 いや、それより何より。

「……天人てんにん?」

 思わずそんな言葉が、口からこぼれ落ちた。

 それぐらい、少年は整った顔立ちだった。目元といい、鼻梁びりょうといい、腕のいいたくみが像を彫っても、なかなかこんな見事な出来にはならないだろう。

 容姿のいい奴は身近にもそれなりにいたが、ここまでの美形を見たのは初めてだった。

 きっと女にもてるに違いない。うらやましい。


 少年は俺のかたわらに静かに座ると、こちらの顔をうかがいながら、

「お加減はいかがですか?」

 とたずねてきた。

 俺は、自分が寝たまま彼を見上げていることにはっとして、あわてて体を起こそうとした。

 その途端、左肩に激痛が走った。

「っ!」

「横になったままでかまいません。傷口が開きかねませんから、無理をなさらずに」

 少年に制止されて、俺は再び身を横たえた。


 改めて我が身が置かれている状況に目を向けると、寝かされているのはくまのものらしき毛皮の上だった。その毛皮の下にはむしろが敷かれている。毛皮は肩の保護のためか。

 体の上には、蘇芳すおう染めの上等な衣が掛けられている。怪我けがをした肩は布で巻かれ、手当てがされていた。

 ここはどこぞの小屋の中のようで、おけだの縄だのといった、様々な道具が壁際かべぎわに置かれている。弓も無造作むぞうさに壁に立てかけられているのを見ると、おそらく猟師小屋だろう。

 簡易ながあるだけで、間仕切まじきりもない。床は土間どまだけで、そこここに筵が敷き詰められている。

 いったい、何がどうなっているのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る