第67話 秘密会議 ①

 仕事が終わると同時に、息を深く長く吐き出した。


 自分の中の強張っていた何かがボロボロとこぼれ落ちていくような、そんな感覚が胸の奥からやってくる。


 わかってはいたけれど、今日も仕事はしんどかった。


 恋に浮かれても、こればっかりは変わらない。


 私は相変わらず役立たずだし、上司の叱責は毎度怖いし、私が叱責される姿を見ている先輩の方々もどことなく気まずそうで肩身が狭い。


 逃げる様に更衣室を後にして、寒空の中うーんと背伸びする。


 日が落ちて暗くなってしまった夜空が目の前に広がっていて、どことなくいたたまれなさを私に連れてくる。


 先輩方とは正直きまずくてあまり話が出来ていない。私のせいでかけたミスがあまりに多すぎて、声をかけるのもはばかれる。多分、私の顔なんてみたくもないだろうし。


 そう想って逃げるようにして会社を去ることが多くなったのはいつからだっけ。


 こんなはずじゃなかったのになあって、ついた溜息ももう何度目かもわからない。


 …………年末にみそのさんやまなかさんと会うまで、私、自分の想ったことなんてほとんど喋ることもできなかった。


 なのに、みそのさんやまなかさんと一緒に居るときは、なんでか想っていることは素直に言えた。まるで別人になったみたいにすらすらと想った言葉が口の奥から流れ出てくれる。私の喉の奥の方で詰まっていた石がまるで何かの拍子に抜けてしまったような、そんな気さえしてきたり。


 だけど、それ以外では何も変わらない、いつも通りの私だった。


 躊躇いが私の口を塞いでる。罪悪感が私の指先を鈍らせる。不安が私の眼を濁らせて、諦めが私の心臓を縛り上げてもうどれくらいたったんだっけ。


 あの二人と、みそのさんと、一緒に居る時が、まるで幻みたい。


 恋に背中を押されている私だけが別人みたいで、それいがいの私は相も変わらずここにいてもいいのかすらよくわからない。


 何か変わらなきゃと想うけれど。


 どう変わっていいのかはさっぱりとわからない。


 解決策をずっとずっと探すけれど。


 恐怖に震えた喉は、何一つだって答えを喋ってはくれないんだ。


 どうしたらいいんだろ。


 答えは出ない。


 打開策はどこにもない。


 手はとっくの昔に詰まってる。


 いつしか、そんな状態にすら慣れて、目をつむることが多くなった。


 嵐が過ぎ去るのを洞穴で待つ鼠のように、注射の痛みに耐える子どものように。


 そうやって眼を閉じることが多くなったのはいつからだっけ。


 寒空をじっと見上げた。帰らないと、そう思うけれど足はうまく動いてくれなくて。


 凍えて震えて、そのまま崩れ落ちそうになっていた。


 帰れる、かな。


 あれ、おっかしいな。最近、マシだったのに。


 マシだった、というか。


 あれかな。


 みそのさんとの一か月が終わるまでは大丈夫って。


 大丈夫でいなきゃいけないって。


 そんな風に気を張ってただけだったかな。


 そうだよね、ここ最近は、帰ったらずっと、みそのさんの昔話を聞いてたし。


 まなかさんとのセッティングとか結構やること多かったしね。


 仕方ないね。


 たまにはこんな膝が崩れる日があるのも。


 仕方、ないんだよね。


 そう、想った。


















 ※


 「あ、あんた加島さんっすか」


 「…………え?」


 「俺、俺、覚えてます? 一応、同期で、ほら四か月前までは一緒に総務にいた」


 「……あ、遠山さん」


 「っすね、あっちで柴咲先輩とうちの部長が呼んでるんでよかったら、どうっすか」


 「え…………?」


 少しぼーっとしていたら、ふと後ろから声をかけられた。


 どことなくちょっとぼーっとした感じの、童顔の青年。


 少し思考して、それが四か月ほど前に総務から移動になった同期の遠山君であることを知る。


 同期と言っても、同期飲みが一度か二度あったくらいで、その場でもあまりおしゃべりをする方じゃなかった彼とは正直面識と呼べるほどの交流はないわけだけど。


 そんな彼に連れられるままに、会社のビルから少し離れた信号まで連れられて行く。


 しばらくすると、信号の前でやいのやいのと言っている二人の姿が見えてきた。


 みそのさん―――と一緒に居るのは、あれ、隣の部署の部長さん?


 状況がいちいち飲み込めていないまま、遠山さんに少し急かされて小走りに二人の所まで走っていく。


 「―――っまたせしました。見つけましたよー、噂の加島さん」


 近づきざまに遠山さんがそう声をかけて、それに反応して顔を上げた二人がそろった笑顔でにっと笑った。


 「おつかれさま。ありがとな、足が速い部下を持って鼻が高い」


 「会社員やってて初めて足の速さ褒められましたよ」


 「おつかれー、ここね。ちょっとさご飯いかない?」


 そう言ってみそのさんは楽し気にうししと笑っていた。


 私はどことなく困惑した。心がざわざわとしてくる。だって私は結局みそのさん以外の前じゃ、うまく何もできなくて。


 あまり知らない人が二人いたら、きっといつもの役立たずの私に戻ってしまうそんな気がしてくる。


 だからか、胸の奥がじくじくと痛むのを正直、感じてしまっていたのだけど。


 「悪いね、加島さん。急に声かけちゃって、俺が無理言ってみそのに席組んでもらったんだよ」


 みそのさんの部長さんがそう言って、穏やかに笑っていたから、少しだけ面食らってしまうのが先だった。


 私より立場が上なのに、凄く丁寧で穏やかなそんな人に見えてきた。


 「ところで、今更だけど遠山もくる感じ?」


 「できたら同席したいっすね」


 「ほほーん、その心は?」


 「遠山にも色々あんだ。加島さん、ごめんな、しんどかったら大丈夫だし、……どうかな?」


 穏やかに、こちらの意思を明確に窺ってこられる。


 それがどことなくなんでか、居心地悪かったのだけど。


 でもそこまで気を遣われたら、いいえというわけにもいかなくて。


 私は問われるがままに頷いてしまっていた。


 一体何が始まるんだろう。


 そう想ってみそのさんのことを窺ったのだけど、あなたはどことなく楽し気ににやっと笑うだけだった。

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