第68話 秘密会議—②

 「―――ってなわけでして、なんとかなりません? 部長」


 仕事がひと段落した終業前十分くらいの時間で、私はここねの現状のあらましをうちの部長に伝えてみた。精神的に危うくなってること、それに大して周囲があまり助け舟を出せていない現状を。


 うちの部長はしばらく眼を細めて聞いた後、そっと手のひらで何かを閉ざすような真似をする。それを見た後輩は軽くうなずいて部署のカーテンをそっと閉じた。一応、隣部署だからね聞こえないよう配慮ってことなのかね。


 「前提として、隣部署のことだ。首突っ込むのはベターじゃない……ってのは承知の上での相談だよな」


 「いえす。今ほっとくとあの子ちょっと危ういと思います。勘ですけど」


 私の言葉に部長は軽く眉をひそめてふーっと息を吐いた。周囲の部署員も帰る準備をしながら、どことなく神妙な顔をしたままこちらを見ている。こういう話の時、大概興味なさそうにしている後輩まで、どことなく神妙とした顔で聞いてる。


 「柴咲さんの勘はそれなりに信用してるよ。君がそう想うんなら、何かしらやばい兆候が出てるってことだろ。……、俺らとして何ができるかって話だが。結論から言うと、部署としてできること何もない」


 部長はそう言って頭をぽりぽりと掻きながら、デスクにあったガムを一つ口に放り込んだ。


 その物言いに、私の隣で後輩がむっと眉根を寄せたのが感じられる。


 「それ『部署としては』ですよね」


 私がそう返すと、ゆっくりと微笑んで部長は頷いた。


 「おう、総務内でどう仕事を振って新人を扱うかは総務の管轄だ。いくら人手不足でもこっちから出歯亀するのはよろしくない。年末みたいなのは、うちの手がまるっと空いてる前提だしな。下手に触って混乱を招けば結果的に全員が不幸になる。……でもまあ、部署としてじゃないならいくらでも動きようはあるはなあ。さて、どっから攻める?」


 問題の話をしているけれど、その表情はどことなく楽し気だ。まあこの人は仕事での試練を解決するゲームか何かだと想ってる。だから困っても楽しくやる、私に対してもじゃあ君ならどう考える? って新しいアイデアが出てくるのを楽しんでいるみたいだ。


 そう問われて、私はふむと口元に手を当てて考え込む。


 そして、常日頃部長に言われてることを想い返す。『ソフトとハードで問題は切り分けて考える』『言葉にしてない前提を確認する』『とりあえず今この瞬間に実行可能なことを考える』『困ったら寝ろ』……は今、必要ないか。


 「目標はとりあえず、ここねが笑顔で働けることですかね。そのためには、ここねの気持ちのサポートと、後は実際の仕事での負担を減らしたり、人間関係の問題……要するに人事の面で解決するとか?」


 「おーけー、おーけー。ソフトを加島さんの心理的な安全。ハードを仕事の実情と、この場合じゃあ隣部署の部長に据えたわけだ。いいね、それで具体的に考えられることは?」


 「ソフト面ではここねの心理的なサポート何で、私が話を聞くくらいですかね。ハード面ではちょっと手出しがしにくいので、部長だよりになっちゃいます。人事に言って、来季の配属を総務から外すのってできますかね?」


 私の言葉に、部長はどことなく楽し気に頭を振った。


 「人事ってのは結構いろんなとことのバランス調整だからな。俺が口出ししてどうにかなるのはちと難しい。が、まあ、一応はやってみよう。ソフト面に関してはあれだなー、柴咲さんだけだと荷が重いから、他も色々混ぜてみよう」


 部長の言葉にはてと、私は首を傾げる。


 「他……とは、部長ですか?」


 「それでもいいが、多分俺より適任はいるだろうな。なあ、遠山くん」


 そう言って部長は私の隣にいた後輩に声をかけた。私はなんとはなしに首を横に振ってそちらを見て、ああとようやく納得する。


 「そっか、後輩春まで総務だったもんね。……てか同期か?」


 私の問いに、後輩はゆっくりと頷いた。


 「はい、同期っす。てか今年は内勤の新人二人しかいないんで、俺と加島さんだけだったんです」


 いつもはどことなく胡乱な瞳の彼が妙にはきはきと答えるから、私ははてと首を傾げる。そんな私たちの様子を部長はけらけら笑いながら見ているけど。


 「遠山くんも結構、想うとこあるだろ。まあ、よかったら話聞いてくんねえかな。同席してくれるだけでもいいし」


 そんな部長の問いに、後輩は珍しくまっすぐと頷いた。


 「そのつもりでした。……っていうか、多分、今加島さんがいびられてんの俺のせいでもあるんで」


 「…………? なんかあったの?」


 私の問いに部長はどことなく柔らかく笑うだけ、肝心の後輩は少しだけ気まずそうに目を逸らしたけど、やがて諦めたように言葉をぼそっと漏らした。


 「……俺も六月までは総務勤務だったんですよ。で、大喧嘩して退職寸前だったのを部長が拾ってくれたんです……」


 「ほら……こいつ入ってきた時期変だったろ? 新人にしては異動が早いし」


 部長に言われて、ようやく得心が行く。そう言えばそう、彼、妙な時期に入ってきてたっけ。


 「なーるほど、あんたが向こうの部長さんの、先代いじられ担当だったわけだ」


 この後輩、仕事の出来は良いんだけど、詰めが甘いのと、隙あらばサボろうとするところがある。うちの部署だから、サボるなら仕事終わらせてからドヤ顔でサボれ! で、済んでるけどお堅い総務でそれをやってたらしこたま怒られていたことだろう。その手のお叱りには倍は言い返すのがこの後輩だし。私も正直、結構手を焼いた。


 「……ですね。なんで多分、加島さんが厳しく当たられ出したの。半分は俺が原因なんす。こっちの部署に引き取られたのも大分、イレギュラーだったみたいで……。部長にも迷惑かけましたし」


 「っはっはっは、気にしてない、気にしてない。どうせ退職届出すみたいだったし、折角だからうちで働いてみたらって言って、たまたま馬があっただけさ。人事は前例がなーってぼやいてたけど。まあ、たまにはそういうのがあってもいいだろ」


 気前よく笑う部長を端目に私ははあと思わず、感心の息を漏らす。


 「あんたも大変だったねえ」


 ただ私の言葉に、後輩は若干視線を気まずそうに逸らしていた。


 「いや……俺のせいで加島さんが過度に当たられてるって話ですよ。多分、あれで向こうの部長の面目潰してるし」


 「あんたも罪悪感とか感じんのねえ……」


 この後輩、マジでドヤ顔でサボってる時はこっちの忙しさとかガン無視して、休憩してる奴なんだけど。人の心って、意外と誰にでもあるもんみたいだ。


 「いや、ありますよ?!」


 「それは俺も正直、想った」


 「部長?!」


 そんなこんなである程度細かい話を詰めて、とりあえず今日はここねを飲み会にでも誘ってみようということになった。部長と後輩が少しでも相談相手になれればいいなって感じだ。後輩の方はスマホに何やら箇条書きにしていたから、後で何してんのって聞いたら『クソ上司対策マニュアル』って答えてた。意外とこいつ頼りになるのかもしれない。他の部署員のおばちゃんおじちゃん達も行きたがったけど、あんまりいっぺんで囲んでも怖がらせるだけなので、今日はこのメンバーだけだ。


 でもまあ、所詮、私は他人。できることはそんなに多くない。


 ここねの人生の問題はどこまで行っても、ここねの問題で私が代わりに背負って歩けるわけじゃない。


 決意も決断もあくまでそれは彼女の物。そこを尊重することを忘れたら、善意はあっという間に重荷へとなり替わってしまう。


 大学時代の想い出を少し探りながら、自分がされて嬉しかったことを簡単に想い返してみる。


 とりあえずまあ、倒れたりしたら生活の面倒は見て、あとはちょこちょこ気分転換に連れ出して。


 どうにかなるかな、わからんけど。


 どうにかなれと、想っているよ。


 私は軽く伸びをして、後輩が連れてきた君に、にやっと笑って声をかけた。


 「ここねー、おつかれ! 今日は飲むよ! 楽しく飲むよ!」


 「え、あ、は、はい!?」


 上手く事情を理解していない君の肩を思いっきり組んで、私たちは意気揚々と夜の街へと歩き出した。隣で部長が穏やかに笑いながら、後輩がボイスレコーダーの有用性を説いているのを聞きながら。


 いつか、私が誰かにしてもらった優しさを、君に返せるようにと願いながら。


 夜の街を歩いてく。さあ、今日はたっぷりと飲んでしまおう。


 仕事の辛さなんてのは、お酒を飲んで忘れるものだと、相場が決まっているんだから。

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