第50話 いつかの私といつかのあなたー⑥
「言っとくけど、あのね、伝えなきゃわかんないからね」
まなかさんは、私に対して、いや私に限らずだけど。何度かそういうことを言っていた。大体、ちょっと困ったような顔をして。
「なんで、まなかさん。大体言わなくても察してくれるじゃないですか」
今にして思うと、随分とわがままな返答で子どもじゃあるまいし。そんな私の言葉に、まなかさんは少し困ったような顔のまま、私が書いた企画書に添削をしていた。そんな様すら、いいなと想えてしまうのが恋の盲目なところだった。
「あのねえ、私はなんとなく雰囲気で察してるだけで、別にみそのの頭の中を覗いてるわけじゃないんだぞ」
「はあい……」
自分で言ってて、どこか意気消沈しながら赤線が一杯引かれた企画書を受け取った。色々と書かれてはいるが、大体が文章を追加するような訂正。末尾にまなかさんの丸っこい文字で『言葉が足りないぞ!』と描かれている。
「あと、仮に私が察したことを全部叶えてたとしたら。今、この場で友山くんに私のコーヒーをあげないといけなくなるでしょ」
「あー……それはだめですね」
「え、雰囲気でそこまでわかる?」
隣の席でキーボードを売っていた友山先輩が驚いたように顔をあげた。まあちらちらコーヒーを見ていたから、それは私でもわかったんだけどね、友山先輩。
「…………気を付けます」
バイトでも同じようなこと言われたっけな。言葉が足りない、上手く伝わらない、会話がぎこちない、そんな話。
「うん、わかればよろしい。そして友山くんはコーヒー欲しいなら、自分で買ってきなさい」
「はあい…………」
隣で友山先輩が軽くしょげて、それを見て私とまなかさんもなんとはなしに笑ってた。
何気ないやり取りだ。些細で、小さな日常の中のやり取りだ。
気付いたら繰り返す日々のどこかに消えて、忘れてしまいそうな、そんなやり取り。
でも未だに時々想い出す。
伝えないと、わかんない。
そんなありふれて、どうでもいいような、ちょっとした教訓。
それを私は気付かないまま、歩いてしまった。
歩いていってしまったんだったね、ずっと。ずっと。
※
伝えないことが綺麗だなんて想ったことはない。
時々、まなかさんの身体をそういう目線で見てしまって、むしろ情けなくて。でもどうせバレてしまうから、ムラムラしたんで自室こもります! ってやけくそ気味に言ってたっけ。まなかさんはけらけら笑いながら、いってらっしゃーいって手を振ってた。
私の想いはどっちかっていうと罪悪感にも近かった。
まなかさんは、病気があってそういうことができなくて。
だから―――、きっと恋人なんていらないんだろう。
そんな言葉を何度か聞いた。他の誰かとのやり取りの内に何度か聞いた。
「恋人? いないいない。私が病気移したくないもん」
「そうは言ってもまなかさあ。世の中にはいるかもしれんよ、こう、プラトニックな関係がいいとか、別に一緒に病気にかかっても問題ないぜーみたいな」
「いるかなあ……? まあ、仮にいたとしても、そこは私の問題なんだよね。その人がさ、病気で苦しんだ時に私との関係後悔されたら嫌じゃない? それに好きな人にわざわざ不幸せになってなんて言えないよ」
「ほぉん。…………優しいねえ」
「でしょー、まなかさんの三割は他人への優しさでできてるんだよ」
「微妙な割合だ。もうちょっときりいいとこまで増やせない?」
「残念、まなかさんの七割は自分への優しさでできてるから、できない相談だね」
「実質、十割優しさ女じゃん」
「凄かろう?」
「はいはい、凄い凄い」
そんなやり取りを隣で聞いていた。
「まなかさん、結局、誰も彼もキスしまくってたんですか」
「うぶっ」
「………………」
「なんてもんを掘り返してくれるの……みそのは」
「してたんですか」
「あ―……いやはは、あついね」
「もうそろそろ秋ですよ」
「………………」
「……………………」
「…………あー、してたしてた。我ながら黒歴史なんだ。あんまり触れてくれないと助かる」
「…………くれたら」
「…………ん?」
「…………私にもしてくれたら満足します」
「………………え、ああ、えと。そ、そう。どうした急に」
「別に…………したことがないから、興味があっただけです」
「ふーん……そっか」
「…………してくれるんですか?」
「しない」
「………………じゃあ」
「みぞのが満足しようが、この話を止めなかろうが。私はしない、ごめんね。これは私にとって、そんくらい大事な話なんだ」
「………………」
「ちゃんとみそのが恋したときに、その人にしてもらいな」
「…………別に、なんとなくいってみただけですし」
「ほーら、拗ねない」
「拗ねてません」
「んなこと、ないでしょー。しゃーないなー、アイスでも奢ってあげよう。ほらコンビにまであるこ」
「…………」
「………………ハーゲンダッツ」
「……………………あー、わかりました。わかりました。行きますよ」
「っくふふ、私は抹茶が好き」
「……私は苺にします」
「甘酸っぱいねえ」
「…………」
こんなやり取りを、いつか二人でしていた。
「好きです」
これは酔い潰れて、眠りに堕ちたあなたに告げた一言。
これを起きてる時に言えていれば、いや、もしかしたら、あの時、何かの間違いでまなかさんが起きていたら。
そんなことを、何度夢想して、何度後悔して、何度忘れようと必死になったことか。
はあ、我ながら惨めったらしくて鬱陶しいねえ。
でもまあ、そろそろ終わりだ。
安心していい。
私たちは延々とだらだらと日常を過ごしていた。
気持ちだけを伝えないまま、それ以外の言いたいことは山ほど言っていた。
いつまでも続くようで、何事にも終わりは必ず来るんだ。
実がならなかった花は時がくれば、散っていく。
何者にもならないまま、散っていく。
仕方ない。
うん、仕方ないんだよ。
仕方、ないんだ。
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