第5話 妄想-福を選んだ場合-

(だーっ!ダメだダメだ、こんなんじゃっ!)


希一は思い切り頭を振り、繰り広げていた妄想を振り払う。


(楽じゃない、オレが選ぶべきなのは楽じゃないんだ、きっと)


神様らしからぬ天真爛漫な楽が流した涙が、希一の胸にチクリとした痛みを与える。


(じゃあ、福なのか?オレは福を選ぶべきなのか?)



******************************


「ただいま」

「おかえりなさい、希一さん」


仕事から帰った希一のコートを、出迎えた福が受けとり、ハンガーにかけてくれる。

おそらく明日希一が会社に行くまでには、手入れをしてくれているのだろう。


「お夕飯はできていますが、先にお風呂になさいますか?」


タワーマンションの高層階。

広々としたこの空間にいるのは、希一と福の2人だけ。

ここに、楽の姿は無い。

希一が福を選んだ瞬間に、楽は姿を消した。

『お姉ちゃんのこと、よろしくね』

悲しげな笑顔と小さな呟きを残して。


「メシにしようかな」

「はい、ただいま」


福は、まるで家政婦のように、希一の身の回りの世話をしてくれている

福を選んだ直後、大手企業から内定を貰った希一は、そのままその会社に就職した。

そして何故かトントン拍子に出世コースに乗っかって、今や異例の若さで重職になど就いている。

並みいる同期を押し退けての出世に、最初は希一も有頂天だった。

会社の仲間達をこの部屋に呼び、ドンチャン騒ぎもよくしたものだ。

だが、今。

希一の胸にあるのは、大きな虚しさ。

就職できたのも、出世も、今のこの何不自由のない生活も、全て福のお陰。

希一自身の力ではない。

時が経つにつれ、希一はそれを痛感していた。


「どうかなさいました?あっ、お口に合いませんでしたかっ?!」


いつの間にか箸を手にしたまま、希一はじっと福を見ていた。

福の慌てようにハッとし、希一は大きく首を振る。


「いや、旨いよ」


実際のところ、福の作る料理はどれも美味しかった。フレンチやイタリアンなどの豪華なものではないものの、心が安らぐような、どこか懐かしい味。


「良かったです」


福はホッとしたように表情を緩める。

希一が食事をしている間、福はずっと側に控えている。

どんなに誘っても、福が希一と一緒に食事をとることは無い。

そして。

楽が消えてしまってからは、福が楽しそうにコロコロと美しい笑い声をあげることも、一度も無かった。


「なぁ、福」

「なんでしょう」


張り付けたような笑顔を浮かべ、福が希一を見る。


「福は今、幸せ?」

「えっ」


自分がそうであるように、福も満たされていない何かを抱えているのではないか。

そう思い、希一は福に問うたのだが。


張り付けた笑顔を一瞬強ばらせたものの、福は直ぐにまた笑顔を浮かべる。


「もちろんです。希一さんに選んで頂いて、お礼をすることができましたし」

「本当に?」

「ええ、希一さんが幸せであれば」

「じゃあ、オレが今、幸せじゃないって言ったら?」

「…え?」


とたん。

福の笑顔が、脆くも剥がれ落ちた。

絶望的とも言える表情が、福の顔に浮かび上がる。


「申し訳ありません、私の力が足りないばかりに」

「いや、そうじゃなくて」

「楽が、いれば…」


そう呟き、福は俯いた。


「楽が、いてくれれば…」


ポトリと滴が一粒。

磨き抜かれたフローリングの上に、落ちた。

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