第5話 妄想-福を選んだ場合-
(だーっ!ダメだダメだ、こんなんじゃっ!)
希一は思い切り頭を振り、繰り広げていた妄想を振り払う。
(楽じゃない、オレが選ぶべきなのは楽じゃないんだ、きっと)
神様らしからぬ天真爛漫な楽が流した涙が、希一の胸にチクリとした痛みを与える。
(じゃあ、福なのか?オレは福を選ぶべきなのか?)
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「ただいま」
「おかえりなさい、希一さん」
仕事から帰った希一のコートを、出迎えた福が受けとり、ハンガーにかけてくれる。
おそらく明日希一が会社に行くまでには、手入れをしてくれているのだろう。
「お夕飯はできていますが、先にお風呂になさいますか?」
タワーマンションの高層階。
広々としたこの空間にいるのは、希一と福の2人だけ。
ここに、楽の姿は無い。
希一が福を選んだ瞬間に、楽は姿を消した。
『お姉ちゃんのこと、よろしくね』
悲しげな笑顔と小さな呟きを残して。
「メシにしようかな」
「はい、ただいま」
福は、まるで家政婦のように、希一の身の回りの世話をしてくれている
福を選んだ直後、大手企業から内定を貰った希一は、そのままその会社に就職した。
そして何故かトントン拍子に出世コースに乗っかって、今や異例の若さで重職になど就いている。
並みいる同期を押し退けての出世に、最初は希一も有頂天だった。
会社の仲間達をこの部屋に呼び、ドンチャン騒ぎもよくしたものだ。
だが、今。
希一の胸にあるのは、大きな虚しさ。
就職できたのも、出世も、今のこの何不自由のない生活も、全て福のお陰。
希一自身の力ではない。
時が経つにつれ、希一はそれを痛感していた。
「どうかなさいました?あっ、お口に合いませんでしたかっ?!」
いつの間にか箸を手にしたまま、希一はじっと福を見ていた。
福の慌てようにハッとし、希一は大きく首を振る。
「いや、旨いよ」
実際のところ、福の作る料理はどれも美味しかった。フレンチやイタリアンなどの豪華なものではないものの、心が安らぐような、どこか懐かしい味。
「良かったです」
福はホッとしたように表情を緩める。
希一が食事をしている間、福はずっと側に控えている。
どんなに誘っても、福が希一と一緒に食事をとることは無い。
そして。
楽が消えてしまってからは、福が楽しそうにコロコロと美しい笑い声をあげることも、一度も無かった。
「なぁ、福」
「なんでしょう」
張り付けたような笑顔を浮かべ、福が希一を見る。
「福は今、幸せ?」
「えっ」
自分がそうであるように、福も満たされていない何かを抱えているのではないか。
そう思い、希一は福に問うたのだが。
張り付けた笑顔を一瞬強ばらせたものの、福は直ぐにまた笑顔を浮かべる。
「もちろんです。希一さんに選んで頂いて、お礼をすることができましたし」
「本当に?」
「ええ、希一さんが幸せであれば」
「じゃあ、オレが今、幸せじゃないって言ったら?」
「…え?」
とたん。
福の笑顔が、脆くも剥がれ落ちた。
絶望的とも言える表情が、福の顔に浮かび上がる。
「申し訳ありません、私の力が足りないばかりに」
「いや、そうじゃなくて」
「楽が、いれば…」
そう呟き、福は俯いた。
「楽が、いてくれれば…」
ポトリと滴が一粒。
磨き抜かれたフローリングの上に、落ちた。
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