金曜午後六時ハチ公、命捨てるかパンプス買う散歩

KazeHumi

金曜午後六時ハチ公、命捨てるかパンプス買う散歩


金曜午後六時、渋谷駅ハチ公口はまだ明るい。


カップルの待ち合わせ。

友達同士の待ち合わせ。


今ここにいる人たちは、いったいその先に何があると思ってるんだろう。

どうしたら期待できるんだろう。


私はもう何も期待しない。

母親も愛犬のシナモンももういないし、友達も元カレも無価値だってことをいやってほど実感した。


十七年間生きて、誰もが注目する女子高生を現役で二年もやれば、多くの現実は正確に見えてるはずだ。


環境を変えた未来? そんなの面倒。

SNSで日々ふってくる鬱陶しい顔にも、世間にももううんざり。

この先別世界が待ってるなんてとても思えない。

もしあってもたどり着く気力はない。


でも私は痛いのは嫌だ。

自殺マニュアルサイトで首吊りは苦しくないしドアノブでもできるという事を知った時、久しぶりに心が晴れた。


でも一人では心配だった。

自殺未遂で発見されるなんて最悪だから。

だから私は死の介助をしてくれる死神を召喚した。


金曜午後六時、ハチ公前で死神と待ち合わせ。


私は今から、100の嫌な顔を見たら死ぬ。

もし嫌な顔が100未満だったら、パンプスを買って帰る。

でもパンプスを買う可能性は限りなく低い。

そのために金曜午後の渋谷を選んだ。


この散歩は自殺以上に命を否定したい私のお遊び。

人の命なんて、ゲームの結果みたいに軽い。



死神なんていうとちょっとかっこよく聞こえるけど、実際は女子高校生の死に立ち会うことに興奮するただの変態男だ。


アングラ層や犯罪者が集まるサイトで自殺に協力してくれる男を募集したら、思った以上にメッセージがきた。

この国は病んでいる。


メッセージを送ってきた変態のうち数人とやりとりして、死神に相応しい人物をオーディションした。

冷やかしやナンパ、痴漢ではなく、誠実に私の死に協力してくれそうな人物。

要するに一番ヤバそうな男を選んだ。


ラインは交換済み。

死神は見こんだとおり優秀で、私のラインを知った後も無駄な口説きやエロラインなんか一切送ってこなかった。


相手の身体的特徴は知らない。

当然のように金曜午後のハチ公前は雑多に人が多い。

「変態男」というくくりで見渡してみても該当しそうな男はいくらでもいる。


私の制服は比較的目立つデザインだ。

お母さんに似合うと言われたこの制服だけは好きだった。だから最後に着る服に選んだ。

それから変態男へのせめてものご褒美でもある。きっと制服のほうが喜ぶはずだ。


『ハチ公到着しました。黒髪ロングにグリーンのブレザー、黒縁眼鏡にマスクです』




『恐らく確認した。背後にグレーのスーツの男がいたら私だ』


後頭部がむずむずするような感覚があって振り返ると、スーツの男が私を見おろしていた。


身体の芯をぞわりと寒気がはしる。


細身で身長は高め、髪は短く黒髪、セルフレームの眼鏡をかけた顎の細い男。

かろうじて見える目は切れ長で、感情がないかのような冷たさがある。

年齢は三十代……? 不詳。

死神の眼鏡には、制服の私がしっかり映り込んでる。


女子高校生の死の介助をしたがる男。

肥満で脂ぎった変態らしい容姿をイメージしていたら、想像上の変態よりも危険そうな本物の死神みたいな男が現れた。


――絶対に逃げられない。


そんな感覚がよぎる。自分で用意した死の介助人とはいえ背筋が冷えた。

でも最悪なのは自殺が未遂で終わることだ。

むしろ中途半端な変態親父より安心かもしれない。

確実な死をもたらしてくれると考えれば頼もしい死神だ。


そう考えたら、死神に対する恐怖は吹っ切れた。




「君がレイか」


「本気で死に協力してくれるんですよね?」


主導権を握りたくて、上から目線ぎみに言ってみた。


死神はトートバッグのファスナーを引くと、私にだけ中が見えるように開いた。


「アラミド繊維のロープを用意した。細いが強靭で、君の体重程度では絶対に切れない」


死神の声は低く落ち着いている。


「滑りが良いためよく締まる。摩擦抵抗で失敗することもない」


「優秀なんですね。ロープも貴方も」


女子高校生の死に立ち会いたいわりに、女子高校生と対面した嬉しさや興奮みたいな感情は一切伝わってこない。

やっぱり死神には感情がないのかもしれない。


「それからリクエストのものだが、調べたところ飲みやすいという意見が多かった桃味を選んだ」


私は麻酔用にストロングゼロを頼んだ。

いくら途中で意識が途絶えるといっても、さすがに首を絞められたら苦しいはずだから。


「よく飲むのか」


「ええ、まあ。できる死神で安心しました」


実は飲んだことはない。

でも巷であれだけ絶賛されているストロングゼロなら、きっといい仕事をしてくれるに違いない。


「死神は私ひとりか」


バッグの中に見えたゴム手袋とタオルが生々しくて目を反らせた。


「そうです。仲間と楽しみたかったですか?」


「いや」




このお散歩のルールは死神と共有ずみ。


道玄坂を登り切る手間の雑居ビルに、屋上につづく踊り場がある。

防犯カメラなし、人が来る心配なし、頑丈なドアノブありの、できる死神が見つけてきた絶好のスポットだ。


そこが死のゴール。


ちゃんとゲーム化して死ねるようにシステムを作った。

「嫌な顔」を私が自己申告するのではなく、スマートウォッチでバイタルデータをとることで、私の感情の変化をカウントしていく。


SNSを見ている時、スマートウォッチの測定アプリが反応しているのに気がついた。数値を調整して通知を設定したらすぐに嫌な顔カウンターができた。


嫌な顔、思わず感情が高ぶるような奴の画像を見たときに反応して、アプリが通知する仕組みで、精度はSNSで実証済み。

嫌な顔の数を正確に判定できるし、もし途中で私の気が変わっても逃げられない。


死神のスマートフォンにも同じアプリを入れて同期した。




もう死にたいことに間違いはない。

そんな私でも、自分の意志以外の何かに後押ししてほしい気持ちがある。

それにどうせ死ぬなら、ゲームで決めるくらい命を軽く扱いたい。


私の命なんて、人間なんて、その程度の価値しかないと行動することで、最後にして唯一できるこの世だか何かだかへの復讐になる気もする。



「あんた、ハンカチどこにやったの?」


小学三、四年生くらいの女の子が困った顔で母親を見あげている。


「ちゃんと持ってきたもん……」


母娘の背後、私の足元に真新しいピンクのハンカチが落ちている。


女の子は母親の袖をつかんで、ほかにどうすることもできないというようにゆすっている。


私はローファーでハンカチを踏みつけて、隠すように後ろに蹴った。


バッグから処方の向精神薬をだしてゴミ箱に捨てた。


スマートウォッチの画面を死神に見せると、死神は無言でスマートフォンの画面を並べた。


「それじゃあスタート」


スタートボタンを押すと、連動して時を刻み始めた。

画面にはゼロの数字が三つ並んでいる。




視線を感じたような気がして顔をあげると、妙につやつやした浅黒い小太りの男がいた。


歳は三十代前半くらい、死神と同じくスーツだけどまるで違う雰囲気。

死神が無機物なら、腐りかけの生ものみたいだ。


制服の少女とスーツの男という組み合わせに対する興味を隠そうともしない図々しさで、私と死神を交互に見ている。

古い油を使った下品な肉団子みたいないやらしさがある。


「あっ」


ブブンッとスマートウォッチが振動した。


幸先が良いと思っていたら、肉団子を押しのけるように大きな人影が立ちはだかった。


筋肉質な外国人の男が、スマートフォンを私に向けてくる。

被写体に許可を得るという感覚が皆無らしい。

それどころか、まるでステーキでも見るような顔でにやけている。


――お前は動物か。


傍若無人な振る舞いといい、本能丸出しのアホ面といい、一見立派な筋肉からしても原始時代から進化してない人間なんじゃないかと思う。


外国人は私を画像におさめると満足したのかどこかへ消えた。


やっぱり金曜午後のハチ公は大正解だった。

ブブンッ、ブブンッと次々カウントが進む。




ハチ公前には似たようなシリーズの男だけでも何人もいて、スマートウォッチのカウントが進む。


アオガエルに背を預けると、ハチ公像の前、私と年が近そうなカップルに目がいった。

男が、一年前に別れた元カレに似てる。


ふんわりした猫っ毛で、いつも潤んでるみたいな大きな瞳、鼻が細くツンと尖ってて、リップをひいたみたいな血色の良い唇に、女の子みたいな真っ白くきめの細かい肌。


そして徹底的に中身がない男。

かわいいって言われたいだけ、セックスしたいだけの男。

心がなく欲のセンサーだけがある、ある意味昆虫みたいな生き物。


男が女の子に笑いかけると、照れたように女の子の顔がほころぶ。

男は子犬みたいな笑顔をつくれば評価されることを知りつくしているように見える。感情なんてそこには何もないのかもしれない。


むしろ笑顔とは真逆のことを考えてるのかもしれない。


『この女ちょろいな』だとか。

『ホテル代浮かせたいな』だとか。

『元カノよりこいつ肌汚いな』だとか。




そんなことを考える私も、母親が死んではじめて元カレの底の浅さを知った。


母親の死を報せたら、単調な定型の言葉だけが返ってきた。

そこまではまだ良い。私だってそれまで人の母親が死ぬなんて感覚は想像もできなかったと思う。


でもその直後、撮りたての自撮りについての出来を聞かれた。

まるで小学生と会話してるような気になって、一人でいるよりも孤独な気持ちになった。それですぐに別れた。


なんの価値もないどうでもいい存在だったということを実感した。

あんな空っぽと半年も付き合ったことが馬鹿らしくて哀しかった。


そういえばあれ以来、メイクどころかまとも鏡にむかったこともない。


――貴方はそれでもいいの?


あの女の子は幸せなんだろうか。


――貴方の話や悩み事なんてまるで聞いてないかもよ?


それともあの女の子は、すべて承知で子犬とセックスできればそれでいいのだろうか。


男がまた子犬みたいな笑顔を見せた瞬間、寒気がして、スマートウォッチが振動した。


男から顔をそらすと、横にいた死神と目があった。

子犬みたいな男の顔と死神の顔を見比べて、あまりの違いに吹き出しそうになる。


まったく同じ人間なのだろうか。

やっぱり一緒にいるのは人間じゃない、死神なんだ。



私が信号に向かって歩きだすと、死神は横に並ばず、斜め後ろからついてきた。


信号が赤になり、スクランブル交差点のまわりに人の塊ができる。

ハチ公前で信号待ちしている人だけでも百人以上はいそうだ。


すぐ近くに制服を着た女子高校生のグループがいる。


妙にテンションが高くてリアクションが大きくて、会話相手に向けてというより、まるで外部の人間に向かって演技してるみたいだ。


――劇団女子高生。


前は私も同じように見られていたのだろうか。


高校に入るとすぐ、似たような仲間がまわりに集まってきた。

その中には中学からSNSで私のフォロワーだったという子もいた。

私は暇で、SNSでメイクやコーデの投稿をしていた。


小さなころから母親を真似て、メイクもファッションも好きだった。

だからまわりの子から褒められるのも嬉しかった。




私がメイクをしなくなって眼鏡で登校するようになってから、一人、二人と友達は離れていった。人間として私と付きあってたわけじゃなくて、私の外見をいろんな形で利用したかっただけなんだろう。


なにかを自分で考える子なんていなかった。

みんな一律で、”大丈夫“なポイントをコピペしたいだけ。

一緒にいて”大丈夫“に見せたいだけ。


そんなファッションのどこが楽しかったんだろう。


口では10代向けの啓蒙書みたいなことをかんたんに言う子たちだった。

誰も他人のことなんて考えてないのに。


それが友達と呼ばれるもの?

もしもそうならば、友達も価値なんてない存在だ。


女子高校生の一人が共感の言葉を大きな声で発すると、のっかるように同じ言葉がつぎつぎとかさなる。

一見楽しそうな顔たちの奥を想像したら息苦しくなった。


ブブンッ、ブブンッ、ブブンッ……。


信号が青に変わった。

見てるだけで苦しくなる劇団から離れられる。


顔を前に向けると、スクランブル交差点の三方向、それぞれの信号の下に顔の集合体が待ち構えているようで怯んだ。


ハチ公側の集団と一緒に前進をはじめると、真正面、ツタヤ側から押し寄せる集団の顔が突進してきた。


まるでリアルSNS。

有無を言わさずどっと押し寄せる顔、顔、顔……。


全員が私を死なせたいと思っているような錯覚におちいる。




ハチ公側、ツタヤ側、それぞれの人の塊が交差点の中央でぶつかる。


スマートウォッチの振動が止まらない。


顔と顔の爆発から抜け、少し空が広くなって、パーソナルスペースができた。

斜め上から声がふってきた。


「マスクしてても顔の小ささバレバレ。顔隠してちゃもったいないよキミ」


二重線の幅が不自然に広い大きな目が私を見おろしている。


ひょろっとした二十代半ばくらいの男だ。

鼻が高くアゴの尖った彫りが深い顔。

整っているけど、目の空虚さのせいか、内面の問題か、いやらしさが漂う。

綺麗にそろえてるヒゲもナルシスト感がすごい。


初見でスマートウォッチが振動した。


――死へのご協力ありがとう。


「ねえ、なんか返事してよ」


この男に、最大の拒否、最大の否定をとどけたい。


最も効果的な方法は完全なる無視だ。


お前など道端の石ころほどの価値もない。

不快じゃないだけ石ころの勝利だ。

視界に入るなゴミくず。


「なんだよ冷てぇな。待てって」


視野に突然手が伸びてくる。

次の瞬間、両耳の上が擦れる感覚があって、視界が開けた。


「おお、やっぱ美少女」




男が取り上げた眼鏡をかざして口を曲げている。


どうでもいい。

石ころ以下の存在に注意を向けたらいけない。


マスクと同じ、顔を覆うためだけの伊達眼鏡だ。

ただの安物だし、今日死ぬならもう必要もない。


一年近く、どこに行く時もかけ続けていたせいか、眼鏡のない視界は新鮮だった。


「ほら、返してあげるから止まって」


どこまで頭が悪いんだろう。

お前窃盗だし、そんな眼鏡どうでもいいんだよ。


「お、おい。眼鏡どうすんだよー」


歩く速度を上げ、わざと人ごみの濃い方向へ進むと視界からゴミが消えた。




センター街の手前にも大きな人の塊ができている。


スマートウォッチを確認すると、カウントはすでに“90”だった。


もうただ坂を上るだけでも確実だなと、死を実感しはじめる。

人ごみを振り返ると、少し離れたところに死神がいた。


死は確実に訪れる。


誰も死から逃れることはできない。

お母さんがそうだったように。


センター街の入り口を過ぎて、道玄坂の上に向かって進む。

手首の振動がつづく。


空が薄暗くなりはじめた。


文化村通りを渡りきってスマートウォッチを見ると“99”と表示されている。


反射的に俯いた。




下がった視線の先、パンプスが目に飛び込んできた。


ショーウィンドウの中のマネキンが欲しかったパンプスを履いてる。


薄暗くなりかけていた空がみるみる色を落として、ショーウィンドウのパンプスの前にローファーを映した。


私のローファーに靴下。


結局私も、みんなと同じローファーに、同じソックス丈、同じスカート丈じゃん。


あんたも何も変わらないよ。


一番まわりに期待してたのは私なのかもしれない。


ブレザーもリボンも変わらない。


自分をこんなにじっくり見るのはいつぶりだろう。

知っていた身体より少し痩せたのかもしれない。


細い首の上で、顔の半分以上をマスクが隠してる。


そういえば眼鏡がない。


見たことのある目があった。

よく知ってる目。


長いマツゲの斜の端に接するように、左の目元にあるホクロ。

あともう一つ同じ位置のホクロがある。

左の口元のホクロも一緒。


マスクを下げると、ずいぶん久しぶりに見るよく知ってる顔があった。


いつからこんなに似ていたんだろう。


お母さんの顔だ。




ショーウィンドウに映る母の顔に手を伸ばす。


ガラスの頬をなぞる。


もう永遠に触れることのできない母の顔。


「お母さん。私、独りだよ……」


胸がしめつけられて呼吸が苦しくなる。


ブブンッ。


手首に振動がはしった。


腕をかざすとスマートウォッチに“100”と表示されている。


私の顔、いや、母の顔で反応してしまったのだ。

百顔目として。


この結果は死神のスマートフォンにも当然反映されているはずだ。


視線をずらすと、私の右背後に立つ死神の姿がショーウィンドウに映っていた。




いつからいたのか、物言わぬ表情で死神が私を見おろしている。

背筋が寒くなる。


お母さんの顔が大好きだ……、お母さんにもらった顔が大好きだ……、やっぱり私は……。


女子高校生の死に快楽を感じる死神に、カウントが進んだ原因を伝えることで果たして許してくれるだろうか。

戦わなくちゃ。


「死神さん、今のは違うの。嫌な顔って思ったわけじゃないの!」


「私は死神じゃない。西上だ」


言葉の意味が頭で繋がらず「へっ?」と間抜けな声が出た。


「ニシガミ……?」


ニシガミと名乗る死神は、胸ポケットに手を入れると焦げ茶色のパスケースのようなものを引きぬいて開いた。


縦に開かれたパスケースの上側には制服を着た人物の顔写真と名前、下側には金のエンブレムがついている。


「私は渋谷署生活安全課の西上だ」




頭の中が真っ白になった。


――なんで死神が……、警察?


肩から一気に力が抜けて、むくむくとくすぐったいような感情がわいてきた。

いろいろなことを頭に浮かべていたのにその泡で頭がいっぱいになって、思わず「ぷっ」と吹き出した。


「ニシガミって、なにその紛らわしい名前」


「そこまで珍しい苗字ではない。ある調査では全国におよそ4000人以上いるそうだ」


生真面目にかえす西上さんは、やっぱり死神が似合う。


「私、逮捕とかされるんですか?」


「君は犯罪は犯していない。ただ、署で話は聞かせてもらう。君が望むならカウンセリングを受けることも可能だ」


“署で話”という部分で、グレーのスチールデスクにカツ丼が出てくる映像が浮かんだ。

あれはドラマの中だけの話なのだろうか。

面倒くさそうだけど仕方がない。


――でも死神に許してもらえたんだ、私。


「私のことは、いつから……?」


「サイバーポリスと連携して君を監視していた。二度とあんなサイトは利用せず、こんな危険なことはやめなさい。それから、これは君のだろ」


西上さんが差し出したのは私の伊達眼鏡だった。


「男が持っていた」


私はお礼を言って受け取り、記憶を遡った。

ナンパ男に眼鏡を取られた後、西上さんが男から眼鏡を取り戻してくれたんだ。

その光景は胸がすくもので、ちょっと実際に見たかったと思った。


そのまま記憶を遡りつづけると、チクりと胸が痛む場所があった。


「あの私、ハチ公でハンカチ探してきていいですか?」




「その必要はない。あのハンカチは私が拾って母娘に渡しておいた」


やっぱりこの人は、警察じゃなくて死神なんじゃないだろうか。

顔をまじまじ見ても、やっぱりなんの感情も見あたらなかった。


「西上さんのその眼鏡って、伊達眼鏡ですよね?」


「よく解ったな。残念ながらすこぶる視力がいい」


西上さんが眼鏡をくいっと上にずらすと、切れ長の静かな目がはっきりと見えた。


「綺麗に映りこんでたし、歪んでなかったし。私のも伊達眼鏡だけど、コーティングレンズだからバレづらいんです」


「君はずいぶん詳しいんだな」


私は持っていた眼鏡のツルを開いて、「ほら」とレンズを西上さんに見せた。


「ファッションにはちょっとうるさいんですよ。これ、お仕事で使ってください。私はもういらない」


西上さんの胸ポケットに眼鏡を刺しいれた。


「眼鏡をかけながら胸ポケットにも眼鏡をいれてる感じ、変態感すごいですよ。しかも制服女子高生とスーツでお出かけ」


西上さんは慌てて胸の眼鏡を隠すように手で覆って、周囲をきょろきょろ見回した。


初めてみる死神の動揺だ。

ちょっと得した気分を味わった。


そうだ、ルール通り終えないといけない。


「パンプス買ってから警察署行きますね」


「ま、待ちなさい」




―了―






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金曜午後六時ハチ公、命捨てるかパンプス買う散歩 KazeHumi @kazeno_humi

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