『ペリカンの反省文』
駿介
ペリカンの反省文
つい先日友人と会う用事があり、今まで一度も下りたことのない駅で下りる機会があった。その日は愚図な私に珍しく、駅に着いたのは約束の時間の三十分も前であった。自分で言うのも変な気がするが、私はこの手の約束事にはたいていギリギリに行くタチである。毎度早めに着くように心がけて支度をするのだが、直前に思いがけぬ災難に見舞われたり、忘れ物をしたりして、結局ギリギリになってしまうのである。
待ち合わせていた友人に連絡をすると、三十分ほど遅れるとの返事がきた。どうやら寝坊して、うっかり乗る電車を間違えてしまったらしい。人によるだろうが、こういう時に私はあまり相手に苛立ったりしないタチである。大方察しがつくだろうが、こんな性分ゆえに私の遅刻による失態を挙げればキリがないほどで、これまでありとあらゆる方々に迷惑をかけてきた。人の小さな遅刻の一つや二つを咎めだてする資格などはとうに失しているに違いない。というより、正直なところ、こういう人間が他人からの遅刻連絡をもらって思うことは、自分でなくてよかった、というぐらいのものである。年中ボーっと生きている私にとって、一人で一時間過ごすことなどさして苦でもない。
駅前の書店で少し時間をつぶしてから、待ち合わせ場所までゆっくりと歩いていくことにした。駅から続くオフィス街のとあるビルが約束の場所であった。天気は見事な秋晴れだが、ビル群の間を吹き抜ける風は冷たい。思い切って冬物のコートを下ろしてきて正解だったな、などと思いつつ昼下がりの道をぼんやり歩いていたのだが、しばらくしてどうも様子が変なのである。駅から歩いて十五分と聞いていたのに、二十分経っても目的のビルの名が見えてこないのである。左右に見えてくるビルの名を一つずつ確かめるように歩いていったのだが、やはり目的のビルの名は見つからない。一度立ち止まって地図を確かめると、なんと本来行くべき道の一本横を歩いていたのである。もう一度地図をしっかりと確認し、少し遠回りにはなってしまったが、なんとか目的の場所までたどり着くことができたのであった。かなり早く着く予定のはずが、いつしかちょうどよい時間になってしまっていた。
こんな失態を書いた後では説得力の欠片もないであろうが、私は決して方向音痴ではない。少なくとも、自分ではそう思っている。
地図を見るのは嫌いではないし、旅行好きだから何なら人よりも地図を見ている自信がある。社会科が得意だったから等高線や地図記号も正確に読める。中高時代に所属していた登山部では、地形図を読んでコース上の地形を把握するのは私が一番上手いぐらいだった。運動音痴で体力もない私が中高六年間も登山部に居座れたのは、ひとえにこの読図能力と事務処理を一手に引き受けていたからに他ならない。この他にもその手の話はいくつかあるが、これ以上書き並べても言い訳がましいだけだからやめておこう。
では、それなのになぜ私は道を間違えたのか。理由は単純で、要は早合点をしていただけなのである。前もって地図を確認した時に、少し見ただけでさも道順を全て理解したかのように思いこんだことが原因なのである。それに加えて妙なところだけ自分を過信してる節があるから、それがまた傷口を大きくしたのであった。
自分が方向音痴だと思っている人間ならば何度も地図を見ながら進むだろうが、私の場合は、歩いているうちに何とかなる、と思っているからこうなるのである。普段は愚図なのに、こういう時に限って急ぐわけでもないのに気がせいてしまうのはどういう仕組みなのだろう。いざ道を間違えたと気づいたならば引き返せばよいものを、何とか違う道を見つけて目的地にたどり着こうとするあたり、いかにも意固地でひねくれた人間の行動である。
こういう悪癖は、自覚できていてもついつい何かの拍子に顔を出すものだから余計にタチが悪い。
車の助手席に座ってスマートフォン片手に道案内している時に道を間違えてしまったこともある。あれはいつだったか、両親とどこかに遠出した時だった。確か右折すべき所を左折してしまったのだったと思う。どういう訳か、私は昔から切羽詰まった時に右と左があやふやになることがあり、この時も父から、おいこの交差点どっちに曲がるんだ、と直前に訊かれてつい反射的に左と答えてしまったのだった。幸いすぐに間違えたことに気づいたから、隣の運転手には悟られないよう、その場で代わりの経路を調べ直してことなきを得た。おぼろげながらこれとよく似た記憶がまだある所を見るに、私という人間はそれほど成長していないようである。調べたところ、左右があやふやになるのは「左右盲」というらしい。先天性のものらしいが、後に私は車の運転を練習する時に、これに随分と苦しめられた。
その場では次から気をつけようと思ったはずなのに、忘れた頃にまたまた同じ轍を踏んでしまうのは、私が楽観的に考えている証拠である。あれこれと小細工や悪知恵をめぐらして問題がうわべだけでも片づくと、それに味をしめて、次も何とかなる、と思ってしまうのである。こういう小手先の方法ばかり使っていると、いつかにっちもさっちも行かなくなるに決まっている。が、そうと分かっていても、持ち前の愚図な性分で未だ改められずにいる。
なまじ自分を過信している所があるから、私の記憶の中には油断が原因の失敗が多い。何でも早合点で、一を聞いて十を知ったかのように思いこむのがいけないのである。頭の出来や要領がよい人間がこれをやるならば問題ないのだろうが、残念な頭の私が分不相応にこれをするから失敗するのである。幼い頃から人の話を最後まで聞かない癖があり、そのことで両親にたしなめられたことも多い。かなり改善した方だが、今でも人の話を聞いているようで、自分の思いこみで勝手な解釈をしていることがあったりする。
思えばテストの時も、問題文を最後までよく読まずにつまらない間違いをすることが多かった。
この間見た動画で、ちょうどペリカンが魚を丸吞みにする所を見たが、ちょうど私はあのペリカンのような存在なのかもしれない。ペリカンにしても鵜飼いの鵜にしても、あれほどの速さで獲物を飲みこんで果たして誤飲することはないのか。鳥にもおっちょこちょいな個体がいるのか。機会があれば、その辺のことを詳しい方に聞いてみたいものである。
テストの話で思い出したのだが、私にとって一年で一番長い日は八月三十一日であった。
この日にのんびりと過ごした記憶というのは皆無に等しい。私の中で、この日は「夏休みの宿題の仕上げをする日」と決まっていた。言うまでもなく、夏休みの宿題も最後にまとめてやるタイプの小学生だった。まだ間に合う、まだ間に合う、と言っている間に八月も下旬になり、両親に叱られながらようやく仕上げに取りかかる。それが私の夏休みであり、毎度全てが終わるのは三十一日の夜であった。最後には決まって、来年こそは、と心の中で呪文を唱えるのだが、まぁこれは成功した試しがない。むしろ中学に上がってからは、徹夜というものを覚えたお陰で状況は悪化する一方であった。締切の迫った課題に、定期テストの勉強。これまで幾度となく徹夜をしてそれらを片付けてきた。
そして今、こうして夜更けに万年筆を走らせているのだから何とも情けない限りである。一体何度目の徹夜だろう。二十一にもなろうかと言うのに、未だこうして自分の過信で墓穴を掘っているのである。気がせいているから、電気スタンドの横にある時計は三倍速で動いているような気さえしてくる。あと三時間もすれば夜明けである。
ちょうど今原稿を書いている机の前には窓があり、夜が明けてくると紺色の摺りガラスがぼんやりと白くなってくる。「空が白む」という言葉があるが、あれはつくづく的確な表現だと思う。まだ夜の気配を残す紺色の空に、まるで東の空から白い絵の具を少しずつ溶かしていくかのように夜は明けていく。紺色だった空の色は藍色になり、瑠璃色から群青色に、浅葱色から水色へと刻一刻と変化していく。そして、東の空の端が淡い藤色になったかと思うと、今度は段々と赤い絵の具が溶かされていくのである。天気が悪い日でもこの時間だけは雲の切れ間から空が見えることも多く、起きている時にはよく夜明けの景色を見ている。大方の人の目には清々しい朝の景色なのだろうが、宵っ張りの私にはほんの一時寝床に入る合図であり、今朝のような日には、私を急かすいまいましい風景なのである。
一体どこで道を一本間違えたのか、今でもこうして自分で自分を苦しめ、エサを探すペリカンのようにせわしなく動いている。私の場合は、もはや道の一本や二本では済まないかもしれない。周りの風景が違うと思っても立ち止まらず、道を間違えたと気付いてもなお引き返さず、他の道を探してなんとかしようとする───。そんなことをくり返す内にどんどん正しい道から外れ、いつの間にか何が正しかったのかさえ忘れてしまったのかもしれない。何か過ちをおかすたびに、そこから次に活かそうとするのだが、いつの間にかその反省を忘れ、覚えていたかと思えばまた別の失敗をする。私は「学習能力」というものの欠片をどこかに置いてきてしまったのかもしれない。この体たらくを見る限り、過去の失敗が活きる日はまだまだ遠い先の話のようである。
そういえば、鶏は三歩歩いたら忘れるというが、ペリカンはどうなのだろう。ペリカンでも反省とか後悔をすることがあるのだろうか。こちらもいつか機会があれば、是非真相を知りたいものである。
『ペリカンの反省文』 駿介 @syun-kazama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます