第21話 お酒に溺れて魅力に溺れて

「次、私にはピーチフィズ、隣の彼にはカシスオレンジをお願いします」

「かしこまりました」


 あっという間に濃厚ピーチカクテル・ファジーネーブルを飲み干した俺と紅葉先輩。

 とある日にした、もも酒風味のキスを思い出しちょっぴり悶々としている俺とは違い、普段からお酒に触れている先輩はなんて事ないように次のお酒を注文する。

 先輩は引き続きピーチベースのカクテル、俺はどこかで聞いたことあるような名前のオレンジカクテル。正直どんなのがくるのか分からないし、今、この瞬間はそんな事はどうでもよかった。


『隣の彼』

 先輩がなんとなく言ったその言葉にドキリとせずにはいられなかったからだ。

 彼氏としての“彼”なのか、それとも指示語としての“彼”なのか……。

 前者であって欲しいな……。


 そんな事を考えながら、なおも繋ぎ続けている先輩の手を強く握る。不安な気持ちをそのままに伝えるために。


「あの……先輩? そんなに早いペースで飲んで大丈夫なんですか? お酒とかその……」

「お金の事、心配してくれてる? それなら心配ないって」

「そうは言われても、やっぱり不安にはなりますよ」

「えへへ〜、孝志くんってば優しいね〜」

「揶揄ってる場合ですか」


 バーに入ってまだ十分。俺のグラスにはまだ半分、先輩のグラスはすでに空っぽ。

 いくらに甘いお酒が好きだと言っても、今日は家飲みでは無くバー飲み。飲んだら飲んだ分だけ青天井にお金がかかっていく場所。

 そんな中でのハイペースな注文。来店前に『お金の心配はないよ〜』と言われたが、流石に心配になってしまう。


 それでも、強く握った俺の手を優しくさすっては蕩けた目でこっちを見つめる紅葉先輩。

 どうしてそんなに余裕でいられるのか、俺には分からなかった。


「まぁ大丈夫だってば。キミが思っているような事は起こらないよ」

「それなら、いいんですけど……」

「でもそっかぁ、お金の心配で私とのお酒に集中出来てないなら、ネタバラシしとくかなぁ〜」


 恋人の蕩けた目をみてもなお、不安に駆られている俺を見兼ねた先輩はカウンター席に伏せられたままのメニュー表を俺の手元に持ってくる。そこには『大学生限定! カクテル飲み放題二千円!』の文字。


「え、飲み放題二千円って……カクテルが!?」

「そ。驚いた?」

「驚くなんてものじゃないですよ! それにこれ、時間制限が書かれてないようにも見えますけど……」

「そりゃ、その通りだもの。少しでも口コミで広げて欲しいって意図を込めてオーナーさんがこう決めたんだってさ。まぁ、結果は見ての通り裏路地で人集まってないけど」


 驚くなんてものではない。時間制限無しで飲み放題。手間が普通のお酒より掛かるカクテルをたった二千円で満足するまで味わえる。しかも、カクテルでなくとも、ビールや日本酒も飲み放題。オーナーさんの正気を疑うレベルだ。


 客寄せの為のアピールだと分かっていても、酒好きの人からしたら絶好の場所だろう。

 現実は、裏路地で妖しいネオンのせいもあって殆ど人がいないが……。


「お待たせしました、ピーチフィズとカシスオレンジです。引き続きごゆっくりお楽しみ下さい」


 そうこうしている間に、先輩が頼んでいたお酒がやってきた。俺はグラスに残っていたファジーネーブルを一気に流し込んで、空になったグラスを先輩のと一緒に渡す。


 そんな俺の行動を見ていた先輩は満足そうに語り掛ける。

「さ、これでお金の心配は無くなったわよね?」

 と。


 甘いお酒と言えども、お酒はお酒。さっきまでしっかりしていた頭が、少しだけふわふわしてくる。

 それと同時に、少しだけ……ほんの少しだけ、気が強くなる。


「そう、ですね」

「じゃあ、私とのお酒に没頭してもらうわよ〜? 初めてのキミとのバーだもの。どっぷりゆっくりお酒に酔いながら幸せに過ごしたいわ」

「お、俺も……先輩とお酒をゆっくり楽しみたいです!」

「ふふっ、言うじゃない。ドキドキしちゃってるくせに」

「先輩だって、負けじとドキドキしてますよね?」


 いつものように相槌を打ちながらも、何気ない先輩からの揶揄いを打ち返す俺。

 別にいつもの仕返しをしようとして図ったものでは無く、ただ気づいたら打ち返していた。


 絡み合った腕に感じる先輩の柔らかな身体。意図的に、俺を悶々とさせんとしてくる先輩の常套手段。

 けれど、先輩と言えどもカウンターを貰っていつも通りでいられるほどではなかったようで、耳がほんのり赤い。

 その赤さは酔った赤さでは無いのを俺はよく知っていた。先輩が酔った時は、頬を赤く染めるまで、と。

 今の先輩の耳の赤さは本気で照れている時の赤さだ、と。


 けれど、俺は油断していた。

「そんなの当たり前じゃない。……こうして、手を繋ぐのずっと楽しみにしてたんだもの」

「先輩……」

 先輩がただやられっぱなしで終わるわけがない、と。


 俺は思わず、手前に置かれたカシスオレンジを一飲みした。……勝ち誇らしげの目をした赤耳の紅葉先輩から顔を背けるベく。


「あ、照れ隠しでお酒飲んでる〜」

「別に照れ隠しじゃないです! これはその、どんな味か確かめたくて一口飲んだだけです!!」

「じゃあどんな味か、教えてよ」

「それは……」

「ほら言えない」


 言えるわけがない。ただ、顔が見れなくて……その口実が欲しくて口に含んだだけなのだから。口に含んだカシスオレンジはあっという間に喉元を通り過ぎて、酔いを加速させるだけだった。


 それでも、先輩が、勝ちを確信した紅葉先輩が攻めをやめてくれるわけがない。


「あ〜あ〜、お酒に酔って少しは素直になってくれると思ったんだけどな〜。やっぱりおっぱいで分からせてあげるしかないのかなぁ〜?」


 そう言って、握った手をゆっくりと少しガードの固い胸元へと近づける。ガードの固い服装の先には柔らかい谷間がある事を俺は知っている。知ってしまっている。

 谷間に手首を通され、柔らかく挟まれたまま指先を舐め回されたあの時に。


 意識しなくても思い出すあの時の感覚。そしてまた一つ積まれていく悶々とした感覚。それらを振り切るように俺は本音をぶちまけていく。


「そ、そうです! 照れ隠しです! 先輩とこうして手を繋いでデートしたかったですし、夜にゆっくり過ごしたかったから、今、この瞬間が最高に楽しくて仕方ないです!!」


 本音を言い切った後、俺は何かが吹っ切れた。


「んふふ、嬉しいねぇ〜。そんなこと言われちゃうと、も〜っと揶揄いたくなっちゃう」


 先輩のイジらしい笑顔に、カウンターテーブルの上に置かれた恋人繋ぎされたままの柔らかな手。

 ファジーネーブルでコーティングされたお酒味の唇に、さりげなく擦り寄せられた腰。


 暗く、大人な雰囲気漂う静かな空間で、俺はもう堕ちてしまった。


「……いいですよ。いっぱい、先輩の満足するまで揶揄ってください」


 酔いに身を任せてみたら、どうなるんだろうか……。


 そんな事を考えながら、泥沼の思考に沈んでいく。


「今日は先輩のおもちゃで、いいです」


 記念すべき、バーデビューでも先輩に勝てなさそうなのを認めながら。

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