第4話
下校を促す放送が校内に流れる。気づけばブラインドの隙間から流れ込む陽光は熟れたように橙が強くなっていた。
そろそろ帰ろうと私は朱音先輩を先に廊下に出し、ブラインドを完全に締切って二脚のパイプ椅子を化学室に返却して準備室に鍵をかけた。ガチャリと音を立てたと同時、朱音先輩が駆け寄ってきた。主人の帰りを大人しく待っていた犬みたいでちょっと可愛かった。
「鍵、職員室に返さなきゃならないので先に行っててください」
「ううん、ついてくよ」
激しく左右に揺れる尻尾の幻覚が見えた。
特別棟と教室棟をつなぐ長くて寂しい廊下はオレンジ色に満たされている。前方に長く私の影が伸びる。隣には先輩の影が。自分以外の誰かの影が夕日に映って並んでいるのは何ともくすぐったいような違和感があった。
「あの、私、駅までバス使いますけど先輩は?」
「私も、駅まで……」
朱音先輩ははにかんで目を逸らし、それから会話は続かなかった。しかし案外気まずい沈黙というわけではなく、うたた寝を誘う五限目の窓際の席のようで心地が良い。
ただ、視線を感じて目を合わそうとすればするりと逸される瞳だけはまだ扱い方が分からない。
職員室に立ち寄って鍵を返却し、階段を降りる。学年ごとに分けられた下駄箱でそれぞれ指定のローファーに履き替えて分厚いガラス扉の向こうで合流し、駐車場を抜けて校門のすぐそばのバス停に先客と少し距離をとって後ろに並んだ。スマホで時刻を確認する。バスが来るまであと十分といったところだろう。
時間つぶしついでに、気になっていたことを何気ない風を装って聞いてみることにした。
「前から私のこと見ているって言ってましたけど、いったい何がきっかけなんです?」
「ふぇっ⁉ あ、えっ……と……そのぉ……」
朱音先輩は一瞬だけ顔を上げ、ゆっくり気まずそうに目を伏せた。視線を泳がせて酸素を求める金魚のように口をパクパクさせた。適当にいなしてくれてもいいのに下手なウソすらつけない彼女の純粋培養されてきたような反応に興味がわいたが、いったん脳内フォルダに保存した。
「先輩、実は見られているの知っていたので余程じゃなきゃ今更引いたりしませんよ」
「……もしかして、覚えてないの?」
「………………え?」
覚えてない? つまり私にも認識し得た接点が過去のどこかであったということ?
記憶をたどろうにもなんだか散らかって整理がつかない。
さっき口ごもったのはごまかそうとしたのではなく私に共通しているはずの記憶がないことに驚いたからなのだとようやく理解して余計に冷静さを欠いていく。
だめだ、全く覚えていない。
「えっと……今日以前に先輩と接点なんてありました?」
思い出すことをあきらめて尋ねると、朱音先輩はいかにも失望したように静かに笑って首を振った。
「残念だけど本当に覚えてないんだね。私、麻琴ちゃんに助けられたんだよ」
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