第2話
「あ、あの…………えっ……と……」
その仮称ストーカー先輩はさらに紅色を強めて、耳の先や首までもにうっすらと色づいていく。濃紺色のハイソックスにつつまれた細い足には力が入っているようで、わずかに後退りした。
同じ学校の生徒とはいえ知らない人の後をつけるほどの勇気はあるのに、対面して話すのは苦手なのだろうか。
不思議な基準を持つストーカー先輩に興味が湧いてきた。
「んー……新入部員……ですか?」
眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げて表情を隠す。
あくまで彼女のことは知らない様子で話しかけてみる。
遠目からだけではあまりわからなかったが、私より頭一つ分は背が低かった。切り揃えられた前髪の下で長いまつ毛が微かに震えている。
「違くて、その……」
うつむき気味になっていた彼女はそっと顔をあげて、探るような上目遣いで瞳を覗きこんだ。
「誕生日だよね、今日、飯塚さんの」
「あー……そうだね……うん、そういえば誕生日です……」
自分ですら忘れていた誕生日を一度も言葉を交わしたことのない先輩が知っていて、あまつさえ覚えているということに心臓の奥がヒヤリとした。名前を知られていることなどもはや些末なことだった。
「実はクッキー焼いてきていて……えっと……」
ストーカー先輩もいっぱいいっぱいなのだろう。私の様子を気に留めずに次のフェーズに移行した。
スクールバッグから淡いブルーとリボンを基調に包装されたクッキーを取り出した。指先に力が入るようでビニールにしわがよる。
「お口に合うかわからないけど、自信はあるの……だから、これ……」
おずおずと差し出されたそれを受け取る。開けてもいないのに小麦とバターの優しく家庭的な匂いが漂ってくる。自信はあると自負するだけのことはあるようだ。
「あ、ありがとう、ございます……」
………………。
まだ何か用事があるのか、それとも何か私に期待するアクションでもあるのかストーカー先輩は動かない。
じわじわと締め付けるような沈黙を破ったのはストーカー先輩だった。少しでも音を立てればかき消されてしまいそうなほど微かな声で切り出した。
「それで、えっと……私、飯塚さんのことがずっと好きで……一ヶ月だけでいいから、恋人になってほしい、です……」
人通りのない廊下にか細い勇気の声が反響した。熱っぽい潤んだ琥珀色の瞳にさっきとは違う感情が心臓を握りしめる。
この眼はちょっとヤバいかもしれない。
「先輩」
ストーカー先輩の薄い肩がビクッと震える。眉根を寄せて目の端に涙をためる。
まだ何も言わないうちから一人で絶望の岸壁に立つ彼女の思考回路を憐れんだ。
「私は今まで誰かを好きになったことってないし、これからもそんな機会があるかどうかもわからないです。でも先輩は私を好きになってきっとたくさん苦しんでくれたんですよね。まだ先輩のことを何も知らないけど、先輩の恋人になって『恋愛感情』を理解できたらそれはとても意味のある経験になると思います」
頭の中に浮かんだ抽象的な感覚をなんとか言語化する。こういう場面になってようやく直感的に生きてきた自分に後悔する。
当のストーカー先輩は口を小さく開き、目を丸くしていた。
うまく伝わらなかったのかと言い換える言葉を探っているうちに、ストーカー先輩の表情が晴れてきた。
「それって……」
どうやら正確に伝わったようで、晴れた瞳に再び涙が滲む。泣いたり笑ったり落ち込んだり、まったく忙しい先輩だ。
私は軽く頷いた。
「先輩の恋人にして、ぜひその痛ましい感情を私に教えてほしいです」
無意識のうちに口角が少しだけ持ち上がるのを感じた。
おそらく目の前にいる彼女は『恋する乙女』そのものなのだろう。
彼女の幸せが伝播したみたいだ。
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