第4章 悪役令嬢が重要任務を課されるまで
第1話
さて、例の『ヒロイン腕章池ポチャ事件』から暫く時間が経ち、すっかり秋も深まる時期になった。風は冷たく、そろそろ冬を迎えようかとしているようにも思える。
かなり気が早いかもしれないが、わたしの今年のウィンターホリデーはどうなるんだろう。今までは長期の任務が入っていなければヴェッケンシュタイン本邸に帰っていたが、今年は学園の寮に留まるんだろうか。
なんでもいいが、ハンナとアイリーンが寮に留まるなら、わたしも寮にいたいな、なんてことをぼんやりと考えている。友達と年越しというのはしたことがないし。
――断罪イベントが予定されている学園創立記念パーティーが行われるのは春だ。ただ、今のところわたしはシャルロットといざこざを起こしていないし、むしろ池ポチャ事件の以後は、顔を合わせれば少し話をする仲になった。
あまり仲良くしすぎるとお互いにアレなので軽く雑談をする程度であるが、「ユリア様、ごきげんよう」と花が咲いたような笑みを浮かべてくれるようになったのは大変うれしい。……まあ、たまに探るような目で見られることがあるので、まだ完全に信用されてはいないのかもしれないけれど。
そして、未だにネズミの動きはない。何かを企んでいるにしても、長期的な目で見て動こうとしているのかもしれない。
クルトも生徒会役員を中心に、たまにさりげなくを装って触れたりしているようだが、彼の異能はコントロールができないという欠点がある。そのため、なかなかうまくそれらしい未来を知ることができないとぼやいていた――異能の使いすぎはあまり身体によくないので、ほどほどにしなよと言っておいたけれども。
そして、そんなある日の教室でのことだった。
わたしが座っている席の前に、クラスメイトであるレオナルド・ティガーが、こちらを威圧するように仁王立ちしたのは。
「ユリア・ヴェッケンシュタイン嬢。今から少し時間をもらえるか」
「……まあ、レオナルド様。どうかなさいましたか?」
こちらを睨みつけ、いやむしろ軽蔑しているような視線を向けてくるレオナルドに、困惑しかない。そもそもわたしたちは同じクラスとはいえ、そこまで話をしたことがない。
わたしは彼が攻略対象ということでなるべく距離を置いていたし、そもそもレオナルドに好かれていないことはなんとなく察していた。だが、こんな不躾な視線を送られるほど険悪な仲でもなかったはずだ。
(シャルロット関係か……? でもわたしはクラスではそれなりによくやってるよね)
他学年他クラスの方々はどうか知らないが、このクラスの人間なら、わたしとシャルロットの仲が悪いわけではないことを知っているはずだ。つまりレオナルドもそれを知っているということになる。
(じゃあ何……?)
わたしが内心首をひねっていると「あのっ」と声を上ずらせたハンナが口を挟んだ。
「レオ様。ユリア様に何か御用なのですか? なら、わたくしも……」
「お前には関係ない」
「え……」
冷たく切り捨てられ、ショックを受けた顔で硬直するハンナ。
(は……?)
ここ数か月で大切な友人となったハンナに冷たく当たるレオナルドに、瞬時に血が沸騰しそうになるが、しかし零課で積んだ訓練がそれを即座に鎮める。……零課のスパイたるもの、いついかなる時も冷静に。頭に血が上っていては、思考がうまく働かない。
わたしは愛用の黒檀の扇子をバ、と開くと、いつものように口元を隠して目を細めた。上目遣いで睨み上げるようなわたしの表情は、それなりに迫力があるとわたしは自分でようく知っている。現にレオナルドも、わたしの表情を見て少なからず怯んだようだった。
「よろしいわ。あまり心が躍る話題ではなさそうですけれど、時間を寄越せと仰るのであれば付き合ってさしあげてよ」
「随分と、横柄な態度じゃないか」
「約束もないのに突然『今から来い』などと仰った方が言うことかしら。まあいいですわ、ここでのこういった議論は時間の無駄ですものね。早く参りましょう。それともここでお話いたします?」
フン、と鼻を鳴らすとレオナルドは顔を歪めた。
しかし場所を考えたのか怒鳴るようなことはせず、ただ低い声で「ついてこい」とだけ言ってさっさと教室を出て行った。場所くらい言ってから行け。
「アイリーンさん、ハンナさんをお願いいたしますわね」
「はい、ユリア様」
顔色の悪いハンナをアイリーンに預け、わたしは急ぎ足でレオナルドを追う。
無言で歩き続けて、辿り着いたのは生徒会室だった。
なんだか嫌な予感がするなと思いつつも、「早く入れ」と、もはや公女相手に取り繕う様子もないレオナルドに命じられたので、ため息を吐きながら入室する。
(うわあ、豪華……)
少人数で活動することが想定されているため、生徒会室は通常教室よりかは多少狭い。しかし、王族が使うものだからか調度品は一級品だ。カーペット、テーブル、椅子などの家具から、絵画まで。一目で高級品だとわかる。
「来たか、ユリア嬢」
「は、ユリア様……!?」
中にいたのは、ハインツ殿下と、それからクルト。お兄様をはじめ、他の生徒会役員はいないようだ。クルトはあからさまに表情は変えはしないものの、僅かに目を見開いている。対してハインツ殿下は驚いていない。
(わたしがここに来ることをクルトは知らなくて、ハインツ殿下は知ってる……? うわますます嫌な予感)
入り口のあたりで足を止めたわたしに、ハインツ殿下は一言「座れ」と命じた。会議用に使っているのであろう円卓、そのうち彼が座っている椅子の向かいに座れという意味だろう。そして、わたしを連れてきたレオナルドは、わたしを生徒会室に押し込むと、さっさとハインツ殿下の後ろに控えた。
いや椅子くらい引けよ……と思っていると、瞬時に調子を戻したクルトが椅子を引いてくれる。「ありがとう」と言って腰掛けると、ハインツ殿下が「クルト、そんなことはしなくていい」と僅かに苛立ったような口調で言った。は?
「自分で椅子くらい引いて座らせればいい」
は? と思ったのはクルトも同じだったらしく、さすがにポカンとしている。
よかった、クルトの方にもわたしがこんな扱いを受けなければならない心当たりはないらしい。「そうなのですか……?」と応える声にも困惑が滲み出ている。
「それで、わたくしは一体どういったご用件で呼び出されたのでしょうか。この様子ですと、わたくしにご用がおありなのはハインツ殿下とお見受けいたしますが」
面倒くさくなって投げやりに聞くと、ハインツ殿下が僅かに目を見開いた。どうしたこの人? と思ったが、そういえば彼に対してぞんざいな態度を取ったことはあまりなかった、ということを思い出す。いつも好意的な態度を取っていた女が横柄な態度を取れば、たしかに意外に思うだろう。
しかしハインツ殿下もすぐに調子を取り戻したのか、「逆に聞くが、どうして呼び出されたのかわからないのか」と低い声で言った。
「さあ、心当たりはございませんわ。ああ、もしかして、婚約者同士の楽しいおしゃべりに誘っていただけたのかしら」
「っ君は昔から本当に変わらないな……! 自分が世界の中心だと思って疑っていない!」
少し煽っただけで、ハインツ殿下は額に青筋を立てた。この人こんなに怒りっぽい人だったっけ、と思いつつ、わたしは何も返さない。
「あの、殿下。俺は席を外した方がよいでしょうか」
「……いや、いてくれ、クルト」見かねて声を掛けたクルトに、ハインツ殿下は多少声を落ち着けてから首を振った。「君はこの場の証人だ」
「……承知いたしました」
恭しく頷くクルトの表情に滲む、「証人とは……」という感情。本当に何が起こっているのだ。
ハインツ殿下は椅子に凭れかかると、きっとわたしを睨んだ。どこかクルトに似た涼やかな目つきで正面から睨みつけられ、一瞬、肩が跳ねる。
「私が君に言いたいことはただ一つだ。即刻シャルロットへの嫌がらせをやめろ」
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