第9話

 *




「おうわ」


 生徒会顧問のデニス先生に腕章をもらってくると言うので職員室でクルトと別れたわたしは、そのまま寄り道をせず女子寮に帰ろうとした。が、その途中でわたしは見てしまった。シャルロットらしき人影が、池の中に入って何かを探している姿を。

 意味不明な声は、その姿を目撃してしまったことへのわたしのリアクションであった。

(え、あれ、シャルロットだよね……)

 一階、外廊下。わたしはさっと石の柱の後ろに身を隠すと、制服のワンピースの裾をたくし上げ、池の中に入っている少女の姿を見つめる。

 ミルクティーブラウンの柔らかそうな長い髪が水面についてしまうのも構わず、彼女は真剣に何かを探し回っているようだった。

(どうしよう……)

 見なかったことにして、放置しようか。

 幸い辺りには誰もいないようだし、それが一番ローリスクだ。下級貴族や平民の特待生たちからの評判があまりよくないのは知っているし、もし下手に出て行って『あざ笑いに来たのか』だとか『自作自演じゃないのか』だとか言われ出しては困る。

 しかし、どうしても、先程のクルトの言葉が脳裏を過る。

 シャルロットが嫌がらせを受けた間接的な原因は、確かにわたしかもしれない。

 池を必死に漁っているということは、私物を落とされたか何かしたのだろうか。現代日本でだって、立派ないじめだ。見て見ぬ振りをすれば、わたしも加害者と同類だ。

 わたしはギリ、と拳を握りしめる。


 ――余計な情を持つな。常に合理的に考え、目的意識を持って行動し、最善を以て良しとせよ。


 わたしは叔父に、そう言われて育てられた。

 けれど、ダメだ。……放っておけない!

「シャルロットさん」

 気が付いたら、隠れていた柱の影から飛び出していた。わたしの声が耳に届いたのか、シャルロットが驚いたように顔を上げる。

「ユリア……様」

「わたくしのことをご存じなの?」

「も、もちろんです」

「そう。それで……何をなさっているの」

 黒檀の扇子できつく顰めた顔を隠したまま、池に近寄っていく。シャルロットは眉をハの字にして顔を蒼褪めさせ、「あ、あの」と口を開いた。

「も、申し訳ございませんユリア様。わたし、学園の品位を落とすつもりなんてないんです」

「……、」

「ですが、あの、いただいた生徒会役員の腕章を、池に、お、落としてしまって」

「池に、落とした……あなたが?」

 シャルロットが青白い顔のまま口を噤む。やはり誰かに捨てられたのか。

 この池は外廊下から鑑賞するためのビオトープだ。わざわざ池の周りの植物やら何やらをかき分けて池までたどり着き、さらに池の中に腕章を落とすとはとても考えられない。

 可能性があるとすれば、盗まれてから窓から捨てられ、結果的に池に落ちた、くらいのものだろう。

「……わたくしも手伝いますわ」

「えっ」

 シャルロットが目を剥く。わたしは構わず靴とタイツを脱ぎ捨て、彼女と同じようにワンピースの裾をたくし上げた。「ゆ、ユリア様!」と制止の声が聞こえるが、聞こえないふりをしてざぶざぶと池に入る。九月とはいえ十月も近い時期、しかも夕暮れ時だ。池の水は冷たい。

「いけませんユリア様、お風邪を召してしまいます」

「いいから、さっさと見つけましょう。公爵令嬢たるわたくしがこんなことをしているだなんて誰かに知られたら、事ですもの」

「で、ですが……」

「……これ以上時間が経てば、それこそわたくしが風邪をひいてしまいますわよ。それでもよろしいの?」

 半ば脅しつけるようにそう言うと、シャルロットは言葉に詰まったようだった。しかし、顔を俯けると、ややあってから「……ありがとうございます」と小さく頭を下げた。

 それでいいのだ。

 わたしは軽く頷くと、真剣に腕章を探し始める。



「……あった」

 捜索開始から数十分が経った頃、わたしはようやく腕章らしき布を探し当てた。拾い上げ、少し痛くなり始めていた肩と腰、それから首を手でたたく。ずっと下を向いていたからか少し頭に血が上っていたらしく、姿勢を戻すとほんの僅か、眩暈がした。

「ほ、本当ですか、ユリア様!」

「ええ。これでしょう」

 臙脂の布に金糸で校章が刺繍された腕章を渡すと、シャルロットはわかりやすく目を輝かせた。

「そうです、これです! ありがとうございます、ユリア様……!」

「それはようございましたわ」

 さー帰ろ帰ろ。わたしはさっさと池から上がると、ブレザーに入っていた小さなタオルで足と腕を軽く拭き、タイツを履いた。

 寒中水泳は何度もこなしているので水の冷たさはまったく苦ではなかったが、思ったより腰にきたな。

「では、わたくしはこれにて。もうなくさないようになさいな」

「まっ……待ってください!」

 シャルロットの声に、わたしは足を止める。振り返ると、池から出てきた彼女はひどく強張ったような、困惑したような顔でこちらを見ていた。

「……どうして、ユリア様はわたしを助けて下さったのですか?」

「どういう意味かしら」

「だって……わたしなど……ユリア様に助けていただけるような立場の者じゃないですもの」

 それもどういう意味なんだろう。ハインツ殿下と仲良くしていたから、ということだろうか。

 それなら少しわかる。確かに婚約者がいる男性に惹かれている自覚があるなら、罪悪感を覚えてもおかしくはない。

 だが、もしそうでなかったとしたら尚更意味が分からない。

 だってこういう場合、人を助ける理由なんて、相場は決まっている。

「放っておけなかった。……というか、わたくしが気に食わなかったから、それだけですわ」

「え……?」

「どうせ、あなたの才能と容姿と、生徒会役員の方々とお近づきになれる立場を妬んだ者たちから嫌がらせを受けたのでしょう。悪趣味ですこと。虐げる手段にしたって美しさがないわ」

「ユリア様……」

「あなたももっと胸を張っていらしたら? 卑屈でいたらせっかくの華が勿体ないでしょう」

 シャルロットは宝石のようにキラキラした美少女ヒロインなのに、『わたしなど』なんて卑下されたらこっちが悲しいじゃないか。今のところ断罪イベントを迎える気はないが、婚約者をかっさらわれるなら最強の美少女がいい。

 ぽかんとしているシャルロットにため息を吐いてみせると、わたしは今度こそ彼女に背を向けた。そして歩き始めながら、言う。



「あなたもさっさと部屋にお戻りなさい。そのままでいるとお風邪を召してしまうわよ?」

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