第8話
――その日の放課後、あえて積極的に先生の手伝いを申し出たわたしは、ノートを抱えて職員室に向かった。そして隣には、すぐさま手伝いを名乗り出たクルト。
少し教室から離れたところで、彼は口を開いた。
「生徒会からスカウトが来た」
「え、やっぱり来たんだ」
まあ、なんとなく予想はついていたけれども。
「……それで、どうするの?」
「入るつもりだよ。第一王子を観察できるポジションなんてなかなか手に入らないから好都合だ。シャルロットも生徒会役員になる可能性が高いなら、彼女についての情報も集められるしな」
「確かに。わたしはハインツ殿下にもシャルロットにもあまり近寄れないしね」
婚約者なのに近寄れないというのはなかなかおかしな状態だが、ヒロインやメインヒーローには必要最低限しか接触しない方が身のためだろう。
すると、なんだか難しい顔をしたクルトが「そのことなんだけどさ」と言って立ち止まった。つられて立ち止まると、彼は眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「……お前、シャルロットか王子かに何か言ったか?」
「え? いや、言ってないよ。北の中庭で二人っきりになってるところをお兄様と目撃したけど、突撃もしなかったし。それが何か?」
「それが何かってお前……もしかして気づいてないのか」
片眉を上げたクルトに、急激に嫌な予感が募る。
それでも聞かない訳にはいかず、恐る恐る「何に」と聞くと、彼は片手で顔を覆った。
「おいおい……常日頃から情報収集くらい心がけろよユリア、零課のスパイの名が泣くぞ。ていうかもう号泣してるレベルだ。お前スパイ向いてないよ」
「えっめちゃくちゃ言うじゃん……ってことは、それってもしかして知ってなきゃマズイこと?」
「ああ。ったく……」
深く長く溜息を吐き出したクルトが、大きくかぶりを振る。その動作がさらに嫌な予感を煽り、わたしは聞く前から既に泣きそうだ。
「いいか、よく聞けよ――シャルロット・マグダリアは嫌がらせを受けてる」
「え……っ」
「まだ多少物が紛失したり、肩をぶつけられたりする程度みたいだが、確かに複数人からの攻撃を受けてる」
「わっ」思わず、目を剥いて叫ぶ。「わたしじゃないよ!?」
「知ってるよ! というか声がでかい!」
クルトの短い叱責に、わたしは慌てて自分の口を押さえる。
そして急いで周囲を見渡すが、人はいない。気配もない。放課後だからか、あるいは人が居ない道を選んで遠回りしたからか、誰にも聞かれずに済んだようだ。
ほっと息をついたタイミングで、クルトが呆れたようにわたしを見た。
「お前が何かしたなんて思うわけないだろ」
「クルト……」
「でも、お前が間接的な原因である可能性はあると思ってる。……王子とシャルロットが一緒にいたのを目撃した時、お前は兄貴といたんだろ。その時話していたことを、周りに聞かれた可能性はないか」
「それは、まあ……。でも誰かを刺激するようなことを言ったつもりはないよ、気をつけてるし」
「なら兄貴の方はどうだ?」
「お兄様? ……あ、」
そういえば、目に余るようならハインツ殿下には私から伝えるとかなんとか言っていた気もする。
わたしが言うと、クルトは溜息をついて「それだな」と言った。
「マティアス先輩は、婚約者がいるのにも関わらず他の女性と二人っきりになっていたハインツ殿下にある程度非があるのを理解していたようだが……貴族の中にはそう考えないやつも多いだろう。そういう奴らの主張はこうだ――王子殿下ではなく、誑かした女の方が悪い」
「う、でもそんなんじゃあ、当初の予定みたいに窘めることもできなくなっちゃうよ」
「……それに関しては俺の見通しが甘かったかもしれない」クルトが難しい顔で、片手にノートを抱えたまま器用に後頭部を掻く。「次期王太子妃候補や次期公爵の影響力を低く見積もりすぎてた。迂闊にシャルロットについて言及するのもマズイかもな」
「うう、どんどん禁止事項が増えてく……」
「禁止事項とまではいかないが、今以上に慎重になれ。というか、何も言わないなら言わないで『ユリア様は健気に我慢してる』と勝手に解釈して勝手に動くやつらも出てきそうだ」
「勘弁してくれ……」
何がなんでもユリア・ヴェッケンシュタインをバッドエンドに導いてやるという世界の意志を感じる。とても辛い。わたしだって一個の人間なんだが。
すると、疲れた顔をしていたクルトが、ふとわたしを見た。
「……そういえば、ユリア」
「ん……何?」
「お前さ、その……もし断罪イベントを回避したらどうするんだよ」
「ええ?」
こちらを見るクルトの翠瞳はいやに真剣で、戸惑う。
そういえば、死を回避したらどうするかなんて、まるで考えたことなかったな。
婚約破棄をされなかったら、普通にハインツ殿下と政略結婚することになるんだろうが……なんだろう、あまり歓迎したくないな、その展開も。
「わかんないなぁ。別にハインツ殿下と結婚したいとは思わないし……でも政略結婚にわたしの意志って問われないよね」
何せ絶対王政の国だ。国王と父公爵がGOと言ったらGOなのである。
「……その言い方だとユリアは、ハインツ王子のことは別に好きなわけじゃないのか?」
「うんまあ。前世の記憶を思い出す前は好きだったけど、今は別に。シンプルに全然タイプじゃないし、そもそも恐怖の対象だよ。仲良くもないし」
「ふぅん……」
「ふぅんって……聞いといて反応薄くない?」
眉を顰めるが、クルトは何やら真剣に考えているようで、こちらの不満には気づいていない様子だ。なんなんだ、一体。
何度か呼びかけても返事がなかったので、呆れてわたしが再び歩き出すと、やや遅れてからクルトも後からついてくる。そして追いついてくると、彼は「とにかく」と口を開いた。
「シャルロットのことは慎重に! あとは同時に、引き続きネズミについて探っていくぞ」
「はぁい、リーダー」
「よし!」
……ていうかリーダー、なんかいきなり機嫌いいね? なんで?
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