第2話
*
――ヴェッケンシュタイン家の家庭事情は複雑だが、ある意味ではシンプルだ。
わたしは『わたし』の記憶を思い出して暫くして、ようやく自身の周りのことを正確に把握した。五歳児の知識では『やさしいおとうさま』『やさしいおにいさま』がそれぞれ判別がつくくらいだったから、家族のことを詳しく――そう、詳しく知るために色々動いた。
……しかしまあ、一皮剥けば、家族がわたしに優しいなんて事実は存在しなかった。
わたしの家族は優秀だが事なかれ主義の父当主、優秀だが、だからこそ少し驕傲なところがある四つ年上の兄の二人だ。母はわたしが五歳の時に、流行病で亡くなっている。
父は大した才能もなく、かつ横暴でワガママばかりな長女のことを早々に見限り、教育全般を家の召使いたちに押し付けた。兄はわたしを見下しており、面と向かって馬鹿にされることはないものの、なるべく関わりたくないといった様子だ。どちらもわたしが癇癪を起こすと面倒だから、会ったら適当に甘やかしてあやしていたというだけ。何も知らない子どもはそりゃ両親や兄の認識が『やさしいかぞく』になる訳である。
そういった放任によりすくすく育ったワガママ女王が悪役令嬢ユリア・ヴェッケンシュタインと、そういうことだった。家族が本当に優しいのなら、放任はせず根気よく諌めるだろう。
五歳なのに家族に見限られるほどのワガママっぷりって……。
頭痛がするが、それにしたって後は野となれ山となれもいいところではなかろうか。ユリアが悪役令嬢になったのは家族にも原因があるのでは。もっとわたしを世話しといてくれよ。
「あっ、あの、ユリアお嬢様。お茶が入りましたが……」
「ああ、入ってきて頂戴」
「かっ、かしこまりました!」
記憶を取り戻して初めて邂逅した侍女さん――リタさんという名前だった――がお茶を運んできてくれる。
あの時、怒っていないし解雇もしないと頑張って説明したのだが、生来小心者であるという彼女は、まだ少しわたしに怯えているようだった。まあそりゃそう。筋金入りのワガママがちょっとやそっとで治るとは誰も思うまい。
「ほっ、本日は西方から取り寄せた茶葉を使ったお茶となっております。あの、み、ミルクを少し垂らすと美味しいかと存じます。……あ! け、決して指図をしている訳ではなく、わたしはその」
「……あら、本当ね。おいしいわ」
「!」
言われた通りミルクを少し入れて飲むと、独特の風味と香りがまろやかになって美味しい。リタは顔を赤くして「あっ、ありがとうございます」と慌てて言った。そんなに慌てなくとも……。
まあ以前のわたしなら『なにそれ、指図?』『わたくしにむかって言うことを聞けというの?』とかなんとか言っていたかもしれないので、その反応も仕方ないだろう。
「……こちらこそ、いつもありがとう」
「えっ」
「今まで怖がらせてしまってごめんなさい。わたくし、おにいさまやおとうさまの気を引きたくて、ワガママばかり言って……」
嘘だ。……いや以前の『ユリア』としては、あながち嘘でもないが。『やさしく』してはもらっていても、父がこと更に兄に目をかけていることは無意識下で理解していたから、家族に構ってもらいたかった、という心情があったのは嘘ではない。
ただ、もう『わたし』の本来の性格的に、というか精神年齢的に、ワガママ女王ムーブはできない。ゆえにこれはとっとと『ワガママお嬢様』は卒業してしまうに限る、という判断をした上での言葉だった。
ゲームの進行的に、行動改善がどこまでの影響を齎すかは不透明なので、態度をよくすることに大した意味はないかもしれない。でも五歳児のワガママを続けるのは精神的にもキツイので、相応に振る舞いたかった。ごめんなリタ、結局反省が二の次みたいな感じになってて。
「そ、そんな! と、とんでもございません……!」
「いっぱいひどいことしたわ。熱があって、苦しくて、元気になってやっと気づいたの。ごめんなさい……」
「お嬢様……」
わざとらしく項垂れてみせると、リタは声を震わせた。……なんかこの子ちょっとチョロすぎて心配になるな。
だがまあ、ユリア(わたし)がリタをこき使い、その前の侍女を何人もやめさせていたことは事実なので――項垂れてみせたのはわざとだが――当然謝意はある。むしろ思い出すと申し訳なさすぎて泣きそうになるくらいにはある。
なので、彼女もわたしの本気の謝意を汲み取ってくれたのかもしれない。
「お……お嬢様は」
「なあに? リタ」
リタが何か言いたげに、もごもごと口を動かした。じっと続きを待っていると、「そのう」と躊躇いがちに口を開く。
「変わられ、ましたね。その、ここ最近いっそう素敵な公女様になられたと、思います」
「ありがとう」
ちったぁマシになったなということだろうか。
……まあ記憶を取り戻してからは横暴に振る舞うのをやめたのでな。いや、というか、普通にしてんだからマシにならなきゃまずいのよ。
とはいえ謝ることができたのは今日が初めて、そしてリタが一人目だったので、これから迷惑をかけた使用人たちには少しずつ謝っていきたい。
わたしがにこにこしていると、「あ、あの!」と不意にリタが声を上げた。
「わたし、お嬢様がよろしければ、坊っちゃまや旦那様とお話するきっかけを探してまいりますよ!」
「え?」
「あ……す、すみませんわたしなどが! お、烏滸がましいことを申しました、お忘れください!」
「リタ、落ち着いて」聞き返しただけでそんなペコペコせんでも……。そこまで目つき悪いかな、わたし。「わたくし、別に怒っていないわ。どういうことか、くわしく聞かせてくださらない?」
「は、はいっ!」
――リタが言うには、召使いや侍女たちには情報通が多いらしい。だから二人の情報を得て、家族としての距離を縮めてみればいいのではないか、という提案をしたかったようだ。
なぜ情報通が多いのかと言うと、簡潔に言うのであれば婚活のためということになろう。見目麗しい父の後妻の座や、兄の未来の婚約者の座を狙っている侍女は一定数おり、そういう方々が二人の興味の方向や趣味などの情報を余すことなく掴んでいるのだそうだ。
母の後釜云々は生々しくて「あんま聞きたくねぇな」という感じだったが、理屈としては納得できなくもない。行儀見習いの高位侍女たちの中には下級貴族の令嬢もそれなりに在籍しているので、玉の輿狙いがいてもおかしくないだろう。リタも確か男爵家の末っ子だったはずだ。
「……と、いうわけですので! わたし、同僚からいろいろ、坊っちゃまや旦那様のお話を聞けるのです。最近、坊っちゃまのお気に入りは離れの図書室のようですから、もしかしたらそこでならゆっくりお話ができるやもしれませんわ」
「……そう……」
きっかけを探してまいりますわとか言いながら、既に案が出来上がっているのですがそれは。
というかやけに詳しくない? 本当に同僚から聞いたんか。……もしやリタも兄狙いか?
にこにこしながらリタを見つめるが、彼女は小動物のように愛らしい顔のまま首をかしげるだけ。……まあ仮にそうだとして、リタは侍女の中でもかなり若く、年齢も兄より三つか四つか年上くらいなので、ナシではないだろう。
いずれにせよ兄と親しく会話をする機会なんてあまりないので、情報は素直にありがたい。今後の生存戦略のためにも、次の公爵である兄と仲良くしておいて損はないだろう。まあヒロインをいじめて断罪されるのならヒロインをいじめなければいい話なのだが、そう上手くいくかは正直わからないのも事実。ので、保険はあればあるほどいい。
「じゃあ、午前のお勉強が終わったら、行ってみることにするわ。ありがとう、リタ」
「が、頑張ってくださいましお嬢様……!」
頷き、ふんすと拳を握るリタ。リスみたいで可愛らしいな。
「あとリタ、もしおにいさまのことがお好きなら、わたくしは応援しますわよ」
「えッッ⁉」
真っ赤になって飛び跳ねるリタ。やっぱり図星かな、かわいいね。恋せよ乙女。
……リタが退室し一人になった部屋で、ぼんやりと家庭教師を待ちながら、書斎に行って兄と何を話すかを考える。
ただ、その時のわたしはまあ、当然だが知らなかった。
――その書斎で、これからのわたしの身の振り方を決定づける出会いをする、なんてことは。
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