第1章 悪役令嬢がスパイになるまで

第1話


 突然だが、ユリア・ヴェッケンシュタインについての話をしよう。


 この世界で最大の陸面積を誇り、文明としての完成度も世界で最も高いと言われる国々があるオリヴィエ大陸。そして、所謂列強諸国と呼ばれるオリヴィエの国々の中でもひときわ大きな国が、北のヴェルキアナ帝国と、南のシルヴィア王国だ。

 北のヴェルキアナ、南のシルヴィア。この二国は太古から因縁深く、これまでの歴史の中で何度もぶつかり合いを繰り返してきた。周囲の小国を巻き込んだ戦争でどんどん成長していったヴェルキアナとシルヴィアは、今でこそ大国としてどっしり構える姿勢を見せるため大っぴらな戦争をやめ和平を結んだが、依然として水面下で睨み合いを続けている冷戦状態にある。

 ……いやまあ今はそんなこと、どうでもいいのである。

 大切なのはユリア・ヴェッケンシュタインというのは、そのシルヴィア王国の名門中の名門――ヴェッケンシュタイン公爵家の一人娘であるということ。


 そして、乙女ゲーム『メサイア・イン・アビス』にてヘイトを溜めまくった末にバッドエンドを迎えるという典型的な悪役令嬢であるということだ。



 *




「はわわ」


 ……なんてことをたった思い出したわたしの一言目である。

 はわわ。それ以上の言葉が出てこん。というか、それ以外に何を言えと言うのでしょうか。


 ――ユリア・ヴェッケンシュタイン五歳の夏のことである。

 ユリアわたしは、十九歳の女子大生であった、『わたし』の記憶を取り戻したのであった。


「……えっ待、なに? は?」


 それは三日前から夏風邪で寝込み、意識が浮上したまさにその瞬間のことだった。

 ユリアわたしは一瞬で、何もかも、全てを思い出した。日本という、シルヴィアより遥か文明が進んだ国で暮らしていたこと。そこでわたしは、高校時代は剣道部でそこそこの成績を残すなど、それなりに青春を謳歌したタイプの学生だったということ。それと同時に、本や漫画やアニメやゲームが好きな、『オタク』という存在でもあったということ。

 ヴェッケンシュタイン公爵令嬢ユリア・ヴェッケンシュタインとして生きてきた自分の中に、死ぬほど膨大な記憶が流れ込んできたのだ。それも、他人の記憶じゃなくて、『自分』の記憶だと、はっきりとわかる情報が――。


「落ち着け落ち着け落ち着け」

 情報を整理しよう。

 まず、わたしはユリア。ユリア・ヴェッケンシュタイン。それは間違いない。『わたし』が他人に成ったわけではなく、思い出しただけ。……『だけ』というのは事の大きさ的におかしい気もするが、そうである。

 家族構成は父親と兄。そしてわたしは公女として生まれ、死ぬほど好き勝手して生きてきたワガママお嬢様。どのくらいワガママかというと、お兄様も父親もほとほと呆れて既に放置気味でいるようなとんでもないクソガキで……はわわ……何これすごい死にたくなるじゃん。昨日までの記憶が一気に黒歴史に転換することとかある? 恥も外聞もなく泣き叫びたいが?


 いや待てそうじゃない。泣き叫ぶなら後だ。一番の問題が残っているだろう。

 ……そう、一番の問題。それは、ここが乙女ゲーム『インアビ』こと『メサイア・イン・アビス』の世界である可能性が高いということである。

 詳しく言うと、わたし――ユリア・ヴェッケンシュタインが作中随一『ムカつく』と評判だった悪役令嬢であり、『インアビ』の中でも悲しき悪役としてどころかヘイト最大値のまま死ぬキャラクターである、ということが何よりも問題だ。

 

 ユリアわたしはプレイヤーと攻略対象からのヘイトを買いまくって死ぬのだ。

 そしてわたしは今、ユリア・ヴェッケンシュタインなのだ!


「……え、詰んだじゃん」

 わたしはライトノベルをよく読むたちだったので知っている。これは所謂悪役令嬢転生ものというやつだ。

 そういう場合、転生した悪役令嬢つまり作中のヒロインは、自分の持ちうる原作知識を降るって自分の運命を改変しようと奮闘する。そして大体ハッピーエンドを掴むのだ。本で読んだ。

 だが。わたしは。わたしは……っ。


「『インアビ』ミリしらなんだよな〜!!」


 ――そう。

 わたしは『メサイア・イン・アビス』をプレイしたことがないのである。

 

 いや冗談抜きでホントに何も知らない。舞台が『シルヴィア王国』で、悪役令嬢が『ユリア・ヴェッケンシュタイン』で、ヒロインが『シャルロット』であることしか知らない。

 集合絵は見たことがあるので、メインヒーローと攻略対象の容姿は頑張ったら思い出せそうだが、それ以外はマッジで何も知らん。どうすんだオイ。初っ端から人生ハードモードか?

 あと、わたしが知っていることと言えば――ゲーマー従兄が謎に乙女ゲームにハマっていた時に教えられたことだが――ユリアがクズオブクズの雑魚(笑)で、なんやかんやしてから学園とやらの創立記念パーティー、つまるところの断罪イベントであっけなく死ぬ運命を決定づけられる、ということくらいだ。

 わたしは断罪イベに行き着くなんやかんやは見ているはずなのだが、そこだけ思い出せない。馬鹿野郎そのなんやかんやが知りたいんだっちゅうねん。


 端的に言って詰みである。

 拝啓前世のわたし様。ふざけんな。敬具。今世のわたしより。



「いや、待て」諦めるな。諦めたらそこで試合終了だって某先生も言っているだろう、まあわたしの場合は人生だけどな。「今持ってる情報からも推測できることはあるはず……」

 

 ……メインキャラクターのビジュアルはなんとか思い出せそうなのだ。そこからどうにかできないだろうか。

 恐らくメインヒーローは第一王子のハインツ殿下、だろう。なんかそんな気がする。

 ハインツ殿下はシルヴィアの貴色ロイヤル・カラーである銀の髪を持つ、絶世の美青年だ。今世で両親に紹介されて何度も遊んだことがあるので、恐らくあの美幼児があのキラキラ王子になるのは間違いない。

 それに、彼はユリアわたしが想いを寄せていた幼馴染みで……、


 ……あっ、もしかしてそういうこと?


 ハイハイハイもうわかった。これからの展開、わかっちゃったよ。そも、公女と王子を幼馴染にする意図などそれくらいしか思いつかないし。

 要するに――ハインツ王子は将来的にユリアわたしの婚約者となるのだ、きっと。そう、それでおそらくハインツ王子はユリアという婚約者がいながら、ヒロインと恋に落ちてしまうのだ。そしてそれに嫉妬したユリアはヒロインに数々の嫌がらせをし、ついには殺害を企てると――。


「はァ……」

 

 いや。

 わからんっての。

 前世を思い出して十数分で既にやさぐれモードに突入したわたしは、夏風邪の名残かまだ痛みがある頭を抱え、深い溜息をついた。

 そもそも、未プレイ時点で既に終わっているようなものなのだ。思索を巡らせたところで何になるというのか。

「どうしようかなあ」

 なんにせよ、わたし――ユリア・ヴェッケンシュタインがゲームの中で、ハインツ王子の婚約者としてヒロインに対して悪役令嬢ムーブをしていたのはほぼ間違いないだろう。死んで当然の悪役という評判だったなら裏事情もあるまい。

 そして断罪イベントで断罪され、よりにもよってユリア・ヴェッケンシュタインが処刑されることになるというのなら相当のことをしでかしたのだろう。この国において公爵家は準王族とも別称されるような権力を持つ、別格の大貴族だ。となると権力で揉み消せない大問題を引き起こしたとしか考えられない。

 ――でも。


「死にたくないな……」


 何をすればいいのかもわからんけれども。

 死にたくないなりにできることはやっておきたいとは、思う。そうだ、ハッピーエンドはいらんからせめて平穏がほしい。


 ――原作ミリしらのわたしにできることがあるなら、それはなんだろう。

 ぱっと思いつくのは、情報や知識の収集といったところか。ある程度、世界の歴史やら貴族同士の関係やら現在の情勢に関する知識を詰め込めば、なんとか原作の流れを推測できるかもしれない。

 それに、『インアビ』はあのゲーム大好き従兄がハマった乙女ゲームだ。となれば『インアビ』は、ただめくるめくラブストーリーを繰り広げるだけでなく、ある程度ストーリーや設定に作り込みがされていたゲームであるはず。わたしは前世の従兄の神作ゲームセンサーを信用している。

 とすれば――まあ希望的観測だが、世界観や設定やストーリーが作り込まれているのであれば、世界の情勢に合うようにキャラクターも動くのではなかろうか。

「……ようし」

 挑戦を続ける限りあなたにできないことはないのだ、とかの大王も言っている。

 前進あるのみ。


「やるぞーっっ!」

「失礼致します、ユリアお嬢様」


 と、その時であった。

 見覚えのある召使い服の侍女が氷嚢の替えを持って――わたしがまだ寝込んだままだと思ったのだろう――ノックもそこそこに入ってきた。彼女の名前は知らない。というかユリアが覚えていないのだろう。

 間の悪い侍女さんがぱちりと目を瞬く。目が合う。

 彼女の視線の先にあるのは、拳を天井に突き上げたポーズ、険しい顔をしたお嬢様ことわたし。

 そして侍女さんは許可を取らずに(不可抗力だが)令嬢の部屋に入ってきており、ユリアわたしは気に入らない召使いや侍女を次々とやめさせた前科を持つワガママお嬢様。

「……もっ」

 侍女さんは可哀想なくらい真っ青になった。

「申し訳ございませんッッ!! すぐに出ていきますから解雇だけはお許しくださいませっ!」

「アッちょ! 待ってーー?!」

 猛スピードで頭を下げ、その姿勢のまま素早く退室した侍女さんに向かって、叫ぶ。


 いやわたしこれ以上ワガママムーブする気ないから! 

 解雇なんてしないから話を聞いて!


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