第2話 甘えられない僕たちは少し似ている


 湯気に包まれたファル姉が、すっぽんぽんなまま腰に手を当てて言う。


 「さて、犯人捜ししますか。みんな、お風呂から出て。盗られたものがないか確認してね」


 僕たちは湯船から出る。布で体をぬぐいながら、無くなったものがないか探し始めた。ああ、僕の服はあった……。けれど、すぐに気がついた。


 「僕の短剣と長剣が無くなってます……」

 「あーしも。剣ふたつともギられたかも」

 「宰相閣下と皇室の印状も盗られていますね……」


 僕は服をあわてて着ながらファル姉にたずねる。


 「ファル姉、どうしようか。領事さんに言って……。ん? んんんーッッッ!」


 ファル姉が僕に唇を合わせる。突然のことでびっくりしているところへお構いなしに舌を入れてくる。舌と舌がこすれ合うくすぐったい感触、唾液と唾液が混ざり合う水の音、間近に感じるファル姉の甘い吐息。それらが僕の頭をいっぱいにする。


 「なーぁっっっ! なーーーぁっっっ! なにしてるんですがッッ!!」

 「ぷはぁ。体液による魔術共有は常識よ? ネネ?」

 「わかってますが! わぁーってますが! なんですか、その勝ち誇った目は!!」


 ぷんすか怒ってるネネを後目に、ファル姉が僕の後ろに寄り添って扉の向こうを指さす。


 「見えるかな、ナオくん?」

 「……はい。波だった半透明の線が見えます」

 「トレーサーって言う魔法でね。生き物が持つ魔力の痕跡を見ることができるの」

 「この形……。人より小さい……」

 「うん。小鬼系か使役された何かかな」

 「行こう。誰が盗ったにしろ返してもらわなきゃ」


 みんなが「うん」とうなづく。

 線が見えている僕とファル姉が2人を先導していく。少しひび割れた白い漆喰の廊下を何度も曲がり、下へと続く古い木の階段を降りていく。


 「結構続くね、ファル姉」

 「ここはもう地下のようですね……」


 下る階段をさらに曲がる。何度も何度も。その先の薄暗くなったところで黒い扉によって線は途切れていた。


 「なんか書いてありますよ。んー、図書室……、ですか。開けますよ」

 「いいわよ、ネネ」

 「えいっ。……わ。本だらけですね……」


 薄暗い部屋には天井まで覆う古くて重々しい本棚。その中にはびっしりと隙間なく古い本が詰まっていた。床には平積みされた大小いろいろな本が、山のように積み重なっている。

 僕らはそれを崩さないように中へ入っていく。ファル姉が通りながら何冊かの本を手に取る。


 「クルムヘトロジャン、ベーホ、無名祭祀書。これは異界黙示録だわ……。みんな古い魔術の本ばかり」

 「ちょっとこれ、宝の山じゃないですか?」

 「ネネ、わかるの?」

 「当たり前ですよ、ナオユキ。私は天才美少女大魔導士なんですから」

 「あーしには読めないし、こんなにいらんなー」


 ぽいっとメル姉が投げた本を僕は受け取る。

 ……ん? え、あ? なんで……。

 その本のタイトルは「ダンジョン作成マニュアル」と「日本語」で書かれていた。


 「ファル姉、これ……」

 「古い言葉のようですね。神聖文字でしょうか……」

 「違うんだよ。これ僕が転生する前の世界の言葉だ……」

 「なるほど……。ここには違う世界の本も混じってるようですね」


 そのとき、後ろで本が崩れる音がした。みんなが一斉に振り向く。


 「あわあわあわ……。ここには誰もいないんですぅ」

 「いや、いるけど。丸見えだし」


 ネネがツッコミを入れたその人は、ぼさぼさとしてふわふわとした長い髪と、度の強い黒縁メガネをカタカタ震わさせながら挙動不審になっている女の子だった。


 「ななななな、なんですか、あなたたちは! 帰ってください!」

 「そう言われても……。ほら」


 ファル姉が彼女のほうに向かって指さす。僕たちが追いかけてきた線が彼女のところで途切れていた。その後ろには、くたびれた犬のような小さなおじさんが、よいしょと本をめくり、よっこらしょという感じで本の中に入っていった。

 あわててその本を遠くに投げて、彼女は目を背けて知らんぷりをした。


 「あーっ! 『本隠れ』じゃないですか。本が集まっていると勝手に湧くんです。簡単な魔法で使役できるから私も使ってました。犯人絶対この人ですよ」


 ネネがぶんぶんと指さして抗議する。彼女はほっぺたを膨らまして、知らない知らないと首を横に振る。

 僕はやさしく怯えさせないように彼女へ声をかけた。


 「あなたが盗ったものを返していただけますか?」

 「さ、さあ。なんのことでしょう」

 「あれは僕たちにとってたいせつなものなんです」

 「し、知りませんよ、剣なんか知りません!」


 ネネが「剣なんてこっちは言ってないのに自分でバラしてら……」とぼそっとつぶやく。僕はやさしく言葉をかけ続ける。


 「それはあなたには重くて使えないものだと思います。どうか返してもらえないでしょうか」


 彼女は手にした印状を僕らの前にえいっと掲げる。


 「あ、あなたたちは勇者なのですよね!」

 「はい」

 「な、なら! 私を兄から助けてください!」

 「はい?」

 「兄は魔族なんです。入れ替わったんです! お願いです! いますぐ成敗してください!」

 「待ってください。あなたは……」

 「ラクリル・ラグラーチです。領事の娘です……」


 わなわなと震えるその娘を前に、みんなが顔を見合わせる。

 僕は話を続ける。


 「その……。魔族だというのは本当に?」

 「しょ、証拠なんかありません。あんな狡猾な魔族がそんなものを残すわけがない!」


 そう力説して本の山の上を拳で叩く。ぼふっとホコリが暗い部屋に舞う。


 「私はこの地下図書室に立てこもりながら兄を人へ戻す方法をずっと探してます。本を読むぐらいしかできないノロマなので……。お願いです。どうか兄を、魔族になった兄を救ってください。それが叶わなければ……」


 彼女が僕をまっすぐに見る。


 「兄を殺してください……」


 とまどう僕らに彼女は続けて言う。


 「そうでなければ、あなたたちの剣や印状はお返ししません」


 ネネが一歩前に出る。手をワキワキとさせながら彼女へと近づく。


 「ほう。立てこもりじゃなくて引きこもりだろうが。何を甘いことを……」

 「ひ、人を助けるのが勇者じゃないんですか! な、何するんですか! ちょ、やめてください!! わき腹は反則です! ぎゃ! だからってわきの下が大丈夫ってわけじゃ!」


 ネネに組み伏せられてひたすらくすぐられる彼女に、僕は静かに言う。


 「わかりました。調べてみましょう」

 「ただ」

 「ただ?」

 「良かったら、僕たちの願いも聞いていただけますか?」

 「それは……」

 「僕たちは青いひまわりを探しています。魔王討伐の鍵になると、ある人から教わりました」

 「青いひまわり……」

 「こちらにある本に何か記されていないか、調べてもらえたら嬉しいです」

 「わ、わかりました……。兄を! 兄を……。お願いします……」




 図書室を出て、ひたすら階段を上がっていく。僕はなんとなくファル姉にたずねた。


 「本当に魔族……なんでしょうか?」

 「わかりません……」


 ネネがイライラしながら口に出す。


 「甘ちゃんですね、あれは。実力行使すべきです。もう少しくすぐりの刑を続けていれば口を割ったはずです!」

 「えー。ネネちゃんとあの子は似てるけどなー」

 「なんですか、それ」

 「あーし知ってるし。ネネもアカデミーにひきこもってたよねー」

 「うるさいですね。ちゃんとこうして今は外にいるでしょうが」

 「にしし。ネネのふくれっ面、ほんときゃわたん」

 「ちょっとやめてください。実力行使はあっちにやってください、って、ぎにゃーっ!!」


 ネネが階段を駆け上がっていく。それを笑いながら追いかけていくメル姉。僕とファル姉はそれを後ろで眺めながらついていく。ふと横を見ると、ファル姉は手を顔に当てて何かを考え込んでいた。


 「どうしたのファル姉?」

 「何が彼女をあそこに閉じこめているのでしょうね」

 「え、お兄さんのせいじゃ……」

 「本当にそうでしょうか?」




 夕焼けで暖かいオレンジ色に染まっている部屋。そこにはメイドさんが待っていた。軽くおじぎをしながら「夕食の支度が整いました」と僕らに告げる。

 連れて行かれた食堂は少し広い部屋で、真ん中には白いクロスがかけられた横に長いテーブルがあった。その上には燭台のローソクがぼんやりと揺れている。壁にはたぶんこの館の主だった者の肖像画が、その灯りで厳かに照らされていた。

 席に着くとメイドさんが食事を持ってきてくれた。肉と野菜の欠片が入った薄いスープ、黒パン。それで終わりだった。


 「申し訳ございません。これが本日の夕食です」

 「あーし、しょんぽり……」

 「せめて白パンが欲しいですね……」

 「何気にネネはお嬢様ぽくね」

 「なんですと!」


 「寄進されたものはなんでもいただきます」とファル姉。

 「あーしの田舎は森の中だから、どんぐりを粉にして焼いた薄いパンを食べてた」とメル姉。

 「アカデミーの中にある食堂で食べてたんです。白パンと魚スープがいつも残ってて、かわいそうにと私のお腹に収めてて……、その……」とネネ。


 メル姉が人差し指でネネの頬っぺたをぷにっと指す。


 「ほらー」

 「しょうがないじゃないですか! ナオユキだって白パン食べたいでしょ?」

 「僕は……」


 食べられるだけマシな日々。殴られ口が切れて何も口にできなかった日……。黒くて酸っぱくてちょっと固いこのパンが食べられるだけでも、僕は嬉しかった。こうしてみんなと一緒に食べられることだってずっと幸せに思って……。


 ぐぎゅゅゅゅぅぅぅぅ。


 振り返るとメイドさんが顔を真っ赤にしてうつむいていた。

 僕は黒パンの皿をメイドさんに差し出す。


 「これ、まだ手をつけていませんから」

 「そんな、めっそうも……」

 「空腹のつらさはわかりますから」

 「……ありがとうございます」


 みんなが僕のほうを見る。


 「あーし、ナオくんにたらふく食わしてやりたい……」

 「私も……」

 「ナオくん、いい子……」


 領事さんと一緒にひとりの若い男が食堂にやってきた。その人が僕の前に立つと右手を胸に当てて礼をする。僕はあわてて立ち上がって同じことをした。それを見て男はニヤリと笑う。


 「遅れて申し訳ございません。私、ラズモンド・ラグラーチと申します。父の仕事を手伝っております。勇者様御一行にお会いでき、たいへん光栄でございます」


 糸のように細い目が弓のように曲がる。それが彼の笑っている顔なのだろう。ネネが僕の耳元で「胡散臭い人ですね。きっと声は鳥海さんか石田さんか櫻井さんですよ」とかつぶやく。誰それ?と聞き返そうとしたら、僕たちの向かいの席に座った領事さんが、メイドさんへ怒り出した。


 「おい。あれはまた来ないのか」

 「はい、今日もお部屋でお食事をとると」

 「困ったものだな。甘やかせすぎたか」

 「……私には存じかねます」

 「ふん。あれは器量が良くないうえに頭も悪い。嫁にも行かず、訳がわからん本ばかり読みおって。役立たずめが!」


 ドンっとテーブルを叩く。燭台が倒れそうになって、慌ててメイドさんが押さえる。


 「同じ母親から生まれたとは思えんな。違うか、ラズモンド?」


 その人は領事さんの隣の席にゆっくりと座りながら、それに答えた。


 「よいではないですか父上。これはきっとよいことなのですよ。そうは思いませんか?」

 「しかし……。まあ、そうだな……」


 それを聞いて落ち着いたのか、領事さんが僕たちに詫びるように話しかける。


 「お待たせして申し訳ない。このような質素なもので申し訳ない限りです。皇国との交易が止まってから、いろいろなものの物流が止まり、食料の値段も高くなる一方で……」

 「いえ、温かい食事をいただけるだけでもありがたいです」

 「あーしはお風呂! ほんとあざまる水産!」

 「ここは薪だけは豊富ですから。困ったものですね。本当に。でも、あなたがたのおがけで、やがていつもの光景に戻ることでしょう。そう、あなたがたのおがけでね」


 妹に魔族と呼ばれたその兄は、僕たちにニヤニヤと笑いかける。何かを言いたそうに。




 「あれ、ぜったい魔族ですよ。そんな顔してましたよ」

 「そーかなー。あーしにはわからんし」

 「ファルラさんだって、そう思いますよね」

 「うーん、私にもわからないのよね……」

 「そんなあ。あんなに怪しい人いませんて」


 夕食を済ませて少し暗い部屋に戻るなり、3人が話し出す。僕はそれを聞きながら考えていた。ラズモンドさんは……。


 トントン。


 「失礼します」

 「はい」


 僕が返事するとメイドさんが部屋に入ってきた。手には小さな皿を持っている。


 「こちら小さなお仲間に。いただいたパンを少し分けてミルクで煮てきました」

 「あ、ありがとうございます。ほら、ジロ、ご飯を作ってもらえたよ。おいで」


 メイドさんがかがみこんでジロに皿を差し出す。ジロは匂いをかいだあと、前足で砂をかけるようにひっかく。ああ、せっかくのご好意を……とハラハラしていたら、皿の中身をぺちゃぺちゃとなめだした。メイドさんがそんなジロの背中をゆっくりとなでる。


 「ラクリルさんは……」

 「お会いになられたのですか?」

 「はい」

 「かわいそうなお方です。いつもあのような誹りを領事様から受け、3年前から図書室にこもりきりで……」


 部屋の扉が乱暴に開く。


 「あまり関心しませんな」


 ラズモンドさんは僕らを細い糸目で眺める。その表情は笑っているように見えるけど、本当にそうなのかわからない。メイドさんが頭を下げる。


 「申し訳ございません。ラズモンド様」

 「勇者の方々もお疲れでしょう。どうか、おやすみください。行こうか」

 「はい……」

 「それでは皆様、よい夢を」


 扉がバタンと閉められる。僕らはそれぞれの顔を見合わせると、ネネが言う。


 「怪しさ大爆発ですよ。絶対魔族です」

 「クレリックの私がファインドを使って調べようとすると、疑っているのが相手にバレますからね……」

 「あーし、いま剣ないからなー。戦うのはちょっとつらたにえんー」

 「いまのうちに敗北を知らない天才美少女大魔導士であるこの私が、ヴォルザッパーをぶんぶん振り回して来ましょうか?」


 ファル姉がぽんと手を叩く。


 「まあ、寝ましょう」

 「ええー」

 「ネネ。まだわからないことが多いのですから、こちらから手を出すのは控えましょう」

 「でも、寝てるときに襲われたら……」

 「いつものように結界を張っておきます。それならいいですよね、ネネ」

 「まあ……」


 僕らが野宿するとき同じように、ネネとファル姉が結界を作っていく。部屋の四隅には白い紙を何度も折って人型にしたものを置き、お祈りをしながら聖油をかける。じんわりとした甘い匂いが部屋の中にただよう。この匂いは魔族が嫌がるとファル姉が言っていた。それでも悪意を持った者がこの部屋に入ったら、この紙が動き出して戦い出す。高位魔族に勝つのは難しいけれど、それでも目覚まし代わりにはなる。

 ファル姉が鈴をちりんと鳴らしてお祈りをする。それが終わったとたん、ネネがファル姉の袖を引っ張る。


 「やりますよ」

 「次は私の番かなと思うんですが……」

 「だめです。勝負は勝負です」

 「仕方ないですね……」

 「メルルクさんも」

 「あいよー」

 「せーの」

 「「「じゃっ、けっ、ぴ!」」」

 「おあー」

 「また負けました……」

 「やった!! 今日は私ですよ、ナオユキ!」


 ジロがあきれたように3人を見ながらぺろぺろと自分の手をなめている。

 3人と一緒に旅するようになってから、僕と添い寝する権利を巡ってよくこんな戦いをしていた。転生前にはじゃんけんとして知ってたこの方法は、ネネがみんなに教えてくれたものだ。この世界にも同じものがあることに僕は驚いたけれど、いまではすっかり馴染んでいた。


 「ほらほら、もう寝ますよ」


 下着姿のネネが僕の腕をひっぱる。僕は目をそらしてしまうが、ネネは当然のように気にしていない。

 この世界にはこうした男女の接触が多い。お風呂も混浴だし、添い寝は当たり前だし、ほかにも……。前にファル姉にたずねたら「魔族のせいで人の数が減ってるから、ちょっとそういう慣習が多いのかもしれません」と少し困りながら話してくれた。


 きれいで静かな月明かりの中、ふかふかな掛け布団をめくってベットにふたりで入る。寝る前のお祈りをささげてるファル姉の小声を聞きながら、僕らはお互い背中を向けて、言葉も交わさずただ寝ようとしていた。

 頑張ろうとした。

 羊を数えてみた。

 壁のしみを目でなぞっていった。

 それでも……。


 「ね、寝れなぁい……」


 お年頃なんだからしょうがないじゃないか。隣で女子が下着で寝てるんだよ。どうすればこれで寝られるんだよ。ねえ、ちょっと教えてよ、女神様!


 「ナオユキ、眠れないんですか?」

 「寝てるよ。ぐーぐー」


 ネネが僕のほうに寝返る。そのまま僕をゆっくりと抱きしめる。


 「バカですね……」


 ネネが僕の頭をなでながら小声で歌を歌う。のんびりとした異国の子守唄を聞きながら、背中に温もりを感じていた。僕はいつしか眠りに落ちていった。あたたかくてやさしい何かに包まれるように。




 まだ寝ている僕の頭に、ジロの「なおん」という声が響いた。うっすら目を開けるとまだ部屋は暗かった。もう少し寝かせて……と布団をかぶったら、ジロが小さなテーブルにあがって、そこから花瓶を落とそうとする音がした。あわてて布団をはねのけて起きる。テーブルの上でどうした?と言わんばかりのジロを抱えて降ろして「めっ」と叱る。ジロは気にする様子もなくベットに上がると、布団からはみ出たネネの細い足を枕にして寝てしまった。


 「もう……」


 まだ夜明け前だろう。窓からは月からの青白い光が差し込んでいた。ため息をひとつだけもらすと、寝ている3人を起こさないようにそっと部屋を出る。

 昼間に歩いた道順を思い出しながら、どうにか外に出ると、そこはひんやりと冷たかった。何か羽織ってくればよかったな……。少しうろうろと屋敷に沿って歩く。これならいいかな? 地面に落ちてる適当な枝を拾う。だいたい剣の重さと同じそれを握りしめると、頭の上に持ち上げてそれをふるう。何度もそれを繰り返す。


 ……強くならなきゃ。

 もっと強く。

 みんなを守れるぐらい強く……。


 戦いになると、3人の後ろにいるばかりで前に出られないでいた。この前のルフィカールとの闘いだって「とんだ甘ちゃんだ」と言われた。本当にそうなのだろう。僕は大したことができず、守られていてばかりだ。


 それがくやしかった。

 とてもくやしかった。

 傷つく彼女たちをそのまま見ていることしか今の僕にはできない。

 甘えてばかりの自分がなにより許せなかった。


 弱い心を振り払うように、ただ強くなりたいと願いながら、剣に見立てた枝を何度もふるっていた。月明かりで青く染まる世界の中で。




   →→→ 勇者ナオユキ → ネネ →→→




 「バカですね、本当に……」


 棒で素振りしているナオユキを屋敷の陰で見守るネネ。しばらくするとナオユキの体から湯気がかすかに立ち、汗が飛び散っているように見えた。


 「かわいそうな勇者様」


 そうつぶやくとネネは、月の光が届かない漆黒の暗闇へと消えていった。




   →→→ ネネ → 勇者ナオユキ →→→




 「ねぼすけさんですね、ナオユキ。そろそろ起きたほうがいいですよ」

 「ん……。ああ、ネネ。おはよう」

 「メルルクさんはもう行っちゃいましたよ」

 「え、どこへ?」

 「山へ。なんか一狩りしてくるとか、どっかのセリフのように言ってましたよ」

 「そっか……。ファル姉は?」

 「屋敷の中に古い聖堂があるとかで、朝のお祈りを捧げに行きました。そこで聖油とかいろいろ魔族対抗のアイテムを作るようです」

 「うーん。ふたりきりなんだ。どうしようか?」

 「どうしようかって。私たちにも役目はありますよ」

 「なんかあったっけ」

 「ナオユキ……。あのですね。私たちは旅しているんです。干し肉とか食料も必要ですし、いろいろ消耗品があるんです。買い出ししなきゃダメでしょうが」

 「そっか。そうだね」

 「笑ってごまかさないでください。支度したら行きますよ」


 ネネが僕の頬っぺたをつまみながら言う。足元で寝てたジロがうわんとあくびしてた。




 庭を掃除していたメイドさんに装備を整えたいと言うと、村の市場の場所を教えてくれた。屋敷から出て少し道を下る。その先には山の谷間に寄り添うようにびっしりと家々が建っていた。深い山の緑の中に赤やら青やら色とりどりの屋根がいくつもひしめきあっている。

 近くに行くと、崖にへばりつくように家が何層にも重なっていた。それを見てネネが「すごいですね」とつぶやく。人はこんな山の中でもたくさんの家を作ってみんなで住めるんだ。

 さらに道を下ってメイドさんに言われた通りひとつ路地を曲がると、連なる家々の軒先で品物が並んでいるのが見えた。いくつか店先を見てネネがつぶやく。


 「市場と言うか……。ちゃんと物を売ってるレベルなんですかね、これ」


 確かに物が少ない。店先にいる人はあくびをしたり、暇そうにしている。

 干し肉を探そうとしたら、肉そのものがなかった。


 「どうしようか、ネネ」

 「大したものがないですし……。あれ、いい匂いしますよ」


 ふと見ると、棒に薄い餅を巻きつけて炭火で焼いていた。ふんわり香ばしい匂いがしている。そういや朝ごはん食べてないや。店の人にすみませんと言いかけたら、ネネが僕の袖を引っ張った。


 「ナオユキ、これ皇国の5倍の値段がしますよ」

 「はっはっは。お嬢ちゃんたち、旅の者かい?」

 「ええ、イブリーン山脈を通って昨日ここへ」

 「あれ、あそこへ行く道は魔物が塞いでいなかったっけ」

 「それは……」

 「僕たちが……。いったぁい、ネネ!」


 討伐したことを言いかけた僕の足をネネが蹴る。僕の抗議を無視して店の人と話す。


 「領事さんたちがなんとかしたみたいですよ」

 「へえ、嬢ちゃん、ほんとかい?」

 「はい。私たちがここにいるのが証拠です」

 「そうかい。ちったあ役に立ったのか、あのぼんくらどもめ」

 「……それにしても、品物がないですね」

 「商売になんかなんねーよ。皇国に寝返ったあのクソ領事のせいだ」

 「そうだよな。昔は俺たちもまっとうに物を売って商売してたんだ」


 いつのまにか周りで店番していた人が集まってきていた。


 「帝国が荷をこっちに回さなくなったのはやつらのせいだ」

 「俺たちゃ金さえもらえれば帝国なんかどうでもよかったんだ」

 「金がなきゃ物なんか買えんよ」

 「皇国がもっと金を寄越してくれればいいんだよ」

 「そうだよな。金くれよ」

 「また皇国の奴らを捕まえて困らすか」

 「そうすっか。あんときは笑ったな」

 「いざとなりゃ、あのぼんくら領事の首を帝国に売ればいい」

 「それがいい。あはははははは」


 ネネが腕を引っ張って僕を連れ出す。「気分悪いですね」と小声で言い、しばらく僕と一緒に歩いていた。しばらく歩いて村の外れに来たら、ネネがぽつりとつぶやく。


 「甘えきってますね、この村……。領事さんたちはご飯すら困ってるのに、笑ってるなんて」

 「なんでだろうね」

 「ファルラさんが言ってたように皇国が金をバラまいたから、みんなで物乞いのようにたかってるんです。またどっからかもらえると思ってんでしょう」

 「でも……」

 「人間なんてそんなものですよ、ナオユキ。帰りましょうか」


 ネネが僕の手を引く。その手は少し震えていた。




 屋敷の門をくぐると、その庭に何匹もの『ドングリ喰らい』が積み重なっていた。『ドングリ喰らい』はイノシシのような茶色くて毛深い生き物だけど、大きさは人の2倍もあって、前足には鋭い爪が伸びている。だいぶ気性も荒い。人が捕まえるにはなかなか面倒な生き物だけど、こういう山の中ではよく食べられていた。

 その上からメル姉が僕らに手を振る。


 「おかえり。待ってたよー。ほら、大漁だよ!」

 「これ、どうしたの?」

 「捕ってきた」

 「どこで?」

 「裏の山」

 「え……、武器もないのに。どうしたの?」

 「てきとーな蔓と枝で弓作って、折った小枝を矢にして」

 「……すごいね、メル姉」

 「こー見えてもあーしはエルフだし。こんなん子供の遊びだよー」


 メル姉が「当然!」という顔をして笑いかける。ネネがぽつりと「肉食系ダークエルフが獲物を狩る……、なんかエロいですね」とかつぶやいている。

 ひょいとメル姉が飛び降りて僕らの前に立った。持ってた布袋に手を突っ込み、その中から小さくて赤い実を手渡してくれた。


 「ほい、ナオくんたちにおみやげー。赤すぐみだよ。山の中で群がって生えてるの見つけてさ。んまいよー」


 一粒つまむと少しぷにぷにとしていた。そのまま口の中に入れてみる。


 「「あまーい!!」」


 ネネと一緒に叫んでしまった。転生する前の記憶がよみがえる。友達の家で、食べさせてもらったケーキの上の……。イチゴだ。あれをたくさん集めて少し甘酸っぱくしたような味と香りがする。


 「ありがとう、メル姉。これ、すごく甘くておいしいよ」

 「にしし。良かったなー」


 青空を後ろにメル姉がとてもいい顔をして笑う。


 「あとで肉を焼くからー。たらふく食べような、ナオくん、ネネ」


 僕たちの頭を両手でガシガシとなでるメル姉、髪がぐしゃると嫌がるネネ。それを見て僕は笑っていた。


 「これはこれは。いささか多いですな」


 屋敷から糸目の男、ラズモンドさんが歩いて近づいてきた。


 「そうなん? さばくのはあーしたちがやるけど?」

 「いや、保存が……」

 「干すか塩漬けでもいいじゃん」

 「そういう問題ではなく」

 「じゃ、なんなんよ」

 「はっきり言いましょう。これはよろしくありません」

 「わけわかんないな……」

 「捕まえたのは迷惑だと言っています」

 「……ナオくん、こいつ殴っちゃおうか」

 「ダメだよメル姉」


 僕はメル姉の腕を引っ張る。ふたりがにらみ合う。


 「違いますよね。あなたは村人を恐れておいでだわ」


 いつのまにか来ていたファル姉がふたりの間に入った。


 「さあ、なんのことやら」

 「いい考えがあります」


 ファル姉がにっこりと笑った。




 夕闇の中、たいまつを持った村の男達が何十人も血相変えて領事の屋敷にやってきた。


 「ああ、クソが。本当だった」

 「こんなに捕りやがって。俺たちのぶんがなくなるだろうが」

 「どうしてくれんだ、ぼんくら領事が!」


 ラズモンドさんが男たちの前に出る。


 「おやおや。密猟しようとしたのですか?」

 「密猟なもんか。ここは俺たちの土地だ。自分ちのものを取って何が悪い」

 「皇国が払った金は、このあたりの土地の所有を含んでいる。その管理に我らがいる。なんのための領事であるか」

 「うるさい。どうでもいい。帝国から寝返ったくせに! 帝国からの荷が少なくなったのはお前たちのせいだぞ!」

 「そうか。では帝国に肉を始めとする山々の恵みを密売しようとしていたのはどう申し開きする」


 男たちが静まり返る。


 「なんでバレてる……」

 「バラしたのお前か?」

 「違う……」

 「帝国軍相手のおいしい商売だったんだぞ」

 「皇国がもっと金を寄越さないからだろう!」

 「そうだ! 俺たちは貧困にあえいでいるんだ!」


 ラズモンドさんはニヤリと笑う。


 「なるほど。では、この肉はお前たちに戻そう」


 安堵した雰囲気が村人たちに流れる。


 「ただし! 金を払え」

 「「「はあ?」」」


 一瞬で罵詈雑言が飛び交う。


 「適価で売ってやろう。帝国に売っても多少は儲けが残るだろうよ」

 「バカ言え。こづかい稼ぎにしかならねえじゃねえか」

 「捕ってきたのは我々だ。自分の土地で捕ったものだ。タダでやるわけなかろう」

 「たわごとを!」

 「我々にはたわごとで済むが……。帝国は約束を違えたものには容赦しないぞ」

 「う……」


 村人が黙る。

 しばらく沈黙が続いた。ある者は隣の男の顔を見て、ある者は地面を見つめている。

 やがて、男たちはぽつりぽつりと金貨をラズモンドさんに差し出してきた。それを受け取り、うれしそうに顔をゆがませる。


 「待て。……てめらを帝国に売り払ったほうが早いな」


 目の前にいた一人の男が鎌を取り出す。それを見せながらラズモンドさんを脅す。


 「こいつぐらいなら、みんなでやっちまえる」


 じりじりとラズモンドさんに近づく。

 屋敷の陰で見守ってた僕らが前に出ようとしたとき、それより先に領事さんが割って入った。


 「待て」


 領事さんがラズモンドさんからお金を受け取ると村人に差し出した。


 「この金でお前達を雇いたい」

 「……どういうことだ?」

 「干し肉を作るもの。袋詰めするもの。荷を運ぶもの。皇国と交渉して売るもの。人手がいる」

 「俺たちにそんなことさせるのか?」

 「道は開いたのだ。ここから近い帝国では食料は余っている。売っても二足三文だろう。遠い皇国のほうが売れる。私達はそれを支援できる」

 「そんなのわかんねえじゃねえか」

 「わからんさ。でも、それを続けたらどうだ。お前たちも知っての通り、ウルヴェンより南の皇国に繋がる街道は、食料を調達しにくい。我々が食べ物を売れば腹を空かさずに歩ける安全な道だと旅人がわかる。それを続けていれば、きっとここは交易の要衝として生き返る」

 「それはそうかもしれんが……」

 「自立しよう。私達がもらうんじゃない。与えるんだ」


 村人たちが顔を見合わせる。


 「……わかった」


 そのなかから一人の男がその金を受け取る。また一人とお金を受け取る。それを見てラズモンドさんと領事さんがほっとした表情を見せる。

 打ち合わせ通りうまく行ったみたいだ。村人達をなだめるためにお金を出していた領事さんたち。ファル姉が物資が足りないわりには村の様子が明るいので、おかしいと思ったようだ。メイドさんから密猟の話を聞き出したファル姉は、刺激しないように見て見ぬふりをしていた領事さんたちに「人々にお金より仕事を与えなさい」と諭していた。

 領事さんの金が半分になったとき、さっきまで鎌を振ろうとしていた男が懇願する。


 「待ってくれ。『ドングリ喰らい』の肉をあてにしてたんだ。子供達が飢えちまう」


 いつのまにかいなくなってたネネがその男に近づく。


 「本当に? 信じられないですね……。甘い汁を吸って生きた人間は一生治らないんですよ」


 ネネがその男の腕をつかむ。


 「私は、ナオユキ以外の人間はみんな滅ぼしてもかまわないと常日頃から思ってるんですが……」


 目には光がなくなり、赤い殺気が帯びていた。


 「ひっ!」


 男が尻もちをつく。あわてて僕は駆け寄る。


 「ネネ、あんまり脅しちゃ悪いよ」と僕。

 「だってですね……」とネネ。

 「そういう人もいるんです」とファル姉。

 「あーし、お腹ぺこりんだよー」と勝手なメル姉。


 領事さんが僕らを見てうなずく。


 「ふむ……。ではこうしましょう」




 屋敷の庭に薪がくべられ大きな焚火が明るく周りを照らす。メイドさんとハダラスさん、領事さんまでが参加して、みんなに肉を焼いてふるまってくれた。肉を大きな串に次々と刺しては火の回りに置いていく。肉が香ばしく焼けた端から村人たちがほおばっていった。

 メル姉が僕のぶんを特別に焼いて持ってきてくれた。香ばしい匂いに思わずお腹がぐうと鳴る。湯気が立つ肉にかじりつく。じんわりとしたうまみと木の実のような香りが口の中を満たしてくれる。あふれる肉汁で顔が汚れるのを気にせず、僕はメル姉に振り向く。


 「これおいしいよ、メル姉。すごくおいしい」

 「そっか、良かったなー。えへへ。これな、赤すぐりと塩と酒を混ぜて肉にまぶしてから焼いてんだ」

 「へえ……」


 僕にとっては少し懐かしい味だった。甘くてしょっぱい生姜焼きのような味だったから。母さんが生きてたときに食べられたそれは……。


 「腹いっぱいになるまで食べるんだよー」


 焚火の明かりに照らされてニッコリと笑うメル姉に、僕は母さんの面影を見てしまった。寂しい気持ちが勝手に心の奥底からあふれだしてしまう。それを隠すように顔をうつむき、僕はメル姉のスカートをつまんで少しだけひっぱる。


 「ん? どうした、ナオくん」

 「……ありがとう、メル姉」

 「いしし。ナオくんはかわいいなあ」

 「……」

 「もう、ナオくんは。ぎゅぅぅうって、してやろうか?」


 僕はメル姉を見上げる。僕に微笑んでるメル姉がそこにいた。僕のために怒ってくれて、僕のために悲しんでくれて、僕のために笑ってくれる。甘えたい。でも、甘えたらメル姉はまた戦って傷つく……。


 「違う……、から……」

 「ん?」


 僕は逃げるように後ろに下がる。そのとき誰かにぶつかってしまった。


 「ご、ごめんなさい」

 「これはこれは。勇者に謝られるなんて光栄ですな」

 「ラズモンドさん……」


 その人は細い目で笑っていた。


 「なかなか楽しいですな。村人もこれでわかってもらえるかもしれません。まあ今日はほんの小手先。まだまだ時間はかかるでしょうが」

 「そうですね……」

 「ファランドール様から『知らないのがいちばん怖い。知ってしまえばきっと何が変わる』と言われましたよ」

 「あのときですか?」

 「ええ。あなた方から策を授けられたときに」

 「ファル姉は僕にとって先生みたいな人です。きっとラズモンドさんも生徒のように思ったのかもしれません」

 「確かに。生徒としてはいささか不出来かもしれませんが」

 「そんなことないですよ。ラズモンドさんはお父さんを良く支えている。お父さんの苦悩を分かち合っている。妹のラクリルさんだってきっと、知れば何かが……」

 「父はもう長くないのです」


 僕は思わずラズモンドさんの顔を見る。その細い目は、笑っているようにも悲しんでいるようにも見えた。


 「体を良くないものが蝕む病だそうで。いつ死んでもおかしくないと医者は言ってました。3年前にそれを知ったときから、私はいつその日が来てもよいように父を支えることに決めました」

 「そうだったんですか……」

 「このままラクリルをほっとけない、自分で生きられるように強くあってほしい。父と私はそんな気持ちでしたが……。焦ってばかりでよくありませんね」

 「ラクリルさんはこのことを……」

 「知らせていません。父が心配させたくないと言いまして。私はできるだけ父が元気なうちにラクリルと触れ合いさせたいのですが……。さっきも連れてこようとしたら怒られまして。昔は外へ無理に連れ出そうとしたこともありましたが……」

 「魔族って言われてましたよ」

 「はは。そうですね……。何しろこの顔なので、とても誤解がされやすくて」

 「え……。もしかして昨日の夜、僕たちの前に出てきたのは?」

 「たまたま部屋の前を通ったら、メイドがあなたたちの睡眠を妨害するのが見えて……」

 「最初にお会いしたときに笑われたのは?」

 「あなたが慌てる様子がおもしろく……」

 「メル姉の獲物の前に現れたのは……」

 「本気で困ったのですよ。村人たちの猟を邪魔されたら何をされるのかわからず……」

 「……は、はは」

 「おかしいですか?」

 「ええ。ラクリルさんに聞かせるとよいですよ」

 「そうですね……。よく話してみます」


 ラズモンドさんが笑う。焚火の灯りで照らされたその顔は、ちゃんと本心で笑っているように見えた。

 そばにいて一緒に聞いてたメル姉が僕の頭をなでる。


 「ナオくん、行ってあげたら。それがいいなって、あーしは思うよ」

 「そうだね……。そうするよ」




 ほどよく焼けた肉が山盛りになった皿を手に、僕は長い階段を下りていく。やがてたどり着いた図書室と書かれたその扉をコンコンと叩く。


 「ご飯持ってきたよ」

 「……そこに置いといてください」

 「開けるよ」

 「ダメ!! ……ダメです」


 僕は扉の取っ手からそっと手を離す。


 「お兄さん、さっき、ここに来たみたいだけど」

 「あなたたちも仲間だったんですね! 勇者が魔族の仲間だったとは!」


 僕は扉を背にして座り込む。扉の奥にいるその人に向けてぽつりと話しかける。


 「ねえ、いまどんな本読んでるの?」

 「知ってどうするんですか?」

 「君のことが知りたいんだ」


 僕はラクリルさんの言葉を待った。しばらくしたら、今までとは違う感じの小さな声が聞こえてきた。


 「……えっと。いまは『アル・アジフの大冒険』という本を読んでいます。海を目指して砂漠を旅する男が、途中で遭遇する女神や魔族たちと話をするという話で……。男が機転を利かせて魔族をぎゃふんと言わせるのが痛快でいいんですが……。砂漠の風景が細かく描写されてるのが好きで……。自分も一緒に砂漠にいる気分になれるのがとても好きで……」

 「僕も砂漠に行ってみたいな。きっと砂だらけで暑いんだろうね」

 「そうですね。日差しでじりじりと肌を焼かれるから、服を着こまないといけなくて。夜になれば、すごく冷え込んで体が震えるぐらい。でも、そこはどこよりも奇麗なんです。砂に生えている小さな草が夜露に濡れる時間、上を見上げたらそこには満点の星空が広がってて、この世界の宝石をどんなに集めても、それには遠く及ばないぐらいキラキラしてて……」


 はずんでいた声が急に途絶える。僕は心配して話しかける。


 「どうしたの?」

 「私はここに閉じこもりきりです。死ぬまでにそんな星空なんか見れるはずがない……」

 「そうかな」

 「そうですよ」

 「僕にはそうやって自分を傷つけているように見えるよ」

 「そんなことは……」

 「お父さんからひどい言葉を言われたり、お兄さんから嫌なことされたり。君は満身創痍なんだ。せめて自分だけは自分にやさしくしてあげてよ」

 「意味が……、わからないです……」

 「そうだね。僕もまだよくわからないんだ。ファル姉にそう言われてさ。自分を救わなくては他人も救えないって。でも僕はみんなに甘えてばかりだから……」

 「自分を罰していればこれ以上他人に罰を受けないとでも思ってる……」

 「そうだね……。そうかもしれないね……」


 僕はゆっくり下を向く。


 「僕らはちょっと似てるかな」


 言葉が止まる。やがて扉の奥でくすくす笑いが聞こえてきた。


 「ぜんぜん似てませんよ。勇者様には持って生まれたものがあるじゃないですか」

 「そんなことないよ。僕のはちょっとだけ。自分では使えないスキルだし」

 「私には何もないんです……」

 「君にはこの図書室があるし、本があるし、字が読めるし、砂漠を旅する想像力だって……」

 「私には何もないんですっ!! できそこないなんですっっ!! だから私の居場所はここにしかないんですっっっ!!!」


 はあはあという荒い息遣いが聞こえる。僕は目をつむって言う。


 「居たいだけ居ていい。でもさ。外に出たくなったらちゃんと出ていいんだよ。そうしても誰も怒らないから。お兄さんがきっと支えてくれる。お兄さんだけじゃない。メイドさんも、僕たちも」


 彼女は何も言い返さなくなった。ただ黙っていた。


 「いつか、みんなで一緒に砂漠に行って、夜空でキラキラしてる綺麗な星を見られたらいいな……」


 それは僕の本心だった。彼女も僕と一緒の想像をしていてくれたら嬉しいな……。


 「お肉おいしいよ。口に入れるとじゅわってするんだ。ここに置いとくから、暖かいうちに食べてね」


 僕は立ち上がると、階段をゆっくりと登る。後ろでかすかに「ありがとう」という声が聞こえた。




 暗い部屋には、窓から映る焚火の明かりがあたたかくゆらめていた。足にすり寄ってきたジロを捕まえて抱えようとしたら、みょーんと体が伸びていく。それを肩にかけながらだっこして、僕は外を見た。

 宴は続く。

 大人たちは肉をほうばり酒を酌み交わす。

 みんな笑ってるくせに、僕にはそれが寂しそうに見えた。


 「甘えたいけど甘えられないんだろうな。きっと、みんなが……」


 ふいに腕をつかまれた。


 「何ひとりでたそがれているんですか! メルルクさんが酔っぱらってウザガラミしまくりで大変なんですよ! ファルラさんなんかひとりで樽一個のお酒を飲み干しちゃうし。助けてくださいよ!」

 「わかったよ、ネネ。行こうか」


 僕らは笑いあう。いまは寂しくない。ネネやメル姉、ファル姉といれば寂しくない。それは甘えなのかな。その甘えの果てに、いつかその日が来てしまうとしても。いまは。いまだけは……。

 僕はネネといっしょに外へと走り出した。




 翌朝、ウルヴェン領事ニルバス・ラグラーチが死んだ。







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次話は領事の急死でピンチになる勇者たちなお話です。そこに帝国の勇者がやってきて…。

お楽しみに!


推奨BGM: ねごと「メルシールー」

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