第9話 米作り

 集落の周りに植えた蕎麦が花を付ける頃、女たちの米作りが始まった。

 湿原を区切る畔が完成すると、女たちはその内側の草や木を取り除いていった。草は根元を掘り返して、根っこや地下茎も取り除く。木は幹を切り倒してから、切り株を掘り起こした。黒褐色の土がむき出しになった地面を、女たちはくわで掘り起こしていった。

 でこぼこになった地面を数日、日にさらした後、足踏み水車で水が流し込まれ、畔の内側は一面、水で覆われた。


 そして今日、水面の下の地面をならし、稲の種、籾を蒔く作業がこれから行われるところだ。吾は畔に立ち、タゴリと共に作業を見守っている。

 十人ほどの女たちが沓を脱ぎ、水で満たされた畔の内側に入った。皆、先端に竹を斜めに切って作った大きな爪が四つ並んだ竹竿を持っている。


「まず、あれで水の下の地面を掻き起こし、泥を舞い上がらせます」

 タゴリが吾に説明してくれた。

 女たちは上衣うわぎ腰衣こしぎぬという衣装だ。一人アヅミだけは、吾が贈った筒袴を穿いていた。膝上まで裾をたくし上げている。女たちは手を伸ばせは届くくらいに間を開けて、横一列に並んだ。水はふくらはぎまでほどの深さだ。振り向いて自分の後ろに竹竿を振り下ろし、爪を泥の中に打ち込むと、前を向き両手で竹竿をしっかりと保持して、反対側の畔に向かって歩き出した。歌を歌いながら歩調をそろえて歩いている。女たちが進むにつれ、泥の中に食い込んだ爪は水中に泥の濁りを巻き上げていく。

 反対側にたどり着くと、横に移動して掻き起こしをしていない場所に移り、今度は向こう側からこちらへ横一列になって爪の付いた竹竿を曳いて歩き、泥を搔き起こす。


「泥が沈む時に、早く沈む大きな粒の層の上に粘土の層ができて、水が地面の下に染み出しにくくなるのです」

「なるほど」


 吾はアヅミに声をかけようと思い、女たちが向かっている畔に移動した。

 女たちが近づき、歌が聞こえてきた。


『たのかみたのかみおいでませ

 われらのもとにおいでませ

 ぎいすきなんごおいやらい

 きんのいなほをたまわれよ』


 声を合わせて歌っているが、その中でアヅミの声を聞き分けることができた。なじみの者たちと一緒の時は声がしっかり出るようだ。

 女たちは畔にたどり着いた。吾に気付きぺこりと頭を下げる。アヅミも同様だ。


「アヅミ、きれいな歌声だったな。いいものを……」

 吾が言い終わらないうちにアヅミは竹竿を抱えて走り出した。バシャバシャと水音を立てて、次に掻き起こす方へ駆けて行く。他の女たちもあわてて後を追った。アヅミに追いつくとあたふたと整列し、反対側に向けて搔き起こしを始めた。

 あっけにとられた吾の許にタゴリがやって来た。

「吾は声を褒めたつもりなのだが、何か悪いことを言ってしまったのだろうか?」

「さてさて、後でアヅミに直接聞いてみられたらよろしかろう。悪いことだったかどうかを」

 タゴリはそう言ったが、アヅミが吾の質問に答えてくれるとは思えなかった。


 畔の中全ての搔き起こしが終わると、縦横を変えて同じことがもう一度行われた。

 その後で道具が交換された。今度の道具は竹竿の先に、細く切った竹が先端で広がるように数多く付けられており、竹の先端は地面を抑えるように曲げられていた。

「今度はこれで水の下の土をならします。でこぼこがあっては稲がうまく育ちませぬゆえ。表面を均せば、それはもう田んぼでございます」


 女たちは先ほどと同様に横一列になって水の下の土を均していった。これも縦横を変えて二回行われた。

「ここで泥が沈むまでしばらく待ちます。ヒコネ様は家の中でご休憩ください」


 タゴリに連れられて家の一つに上がる。家の窓には竹の格子戸が付けられ、入口には茣蓙ござがつるされて扉になっていた。

 茣蓙が並べられた床に上がり、タゴリと向かい合って座る。

「お茶をお出ししましょう。これ」

 タゴリに指示されて女たちの一人が家を出ていき、暫くして蓋の付いた椀を持って帰って来た。タゴリは椀を受け取ると、背後から小ぶりの椀を二つ取り出し、自分の前に置いた。蓋の付いた椀を両手で持ち、ふたを少しずらして、白湯のようなものを小ぶりの椀にそれぞれ注いだ。一つを吾の前に差し出す。

「お茶でございます。どうぞお飲みください」

 吾は椀を手に取った。かすかに湯気が立つそれはわずかに黄色味を帯び良い香りがした。口に含むとわずかな渋みと甘味を感じる。飲み下すとピリピリしたのど越しと共に体が温まる。

「これは?」

茶樹ちゃじゅの若葉を揉んで蒸し乾かしたものに、お湯をかけてしばらく置いてから濾したものです。お気に召しましたか?」

「うむ、なんだか力が湧いて来たような気がする」

「それはようございました。このあたりの山にも同じような葉を持つ木がありますので、それからもお茶が作れるかもしれません」

「そうか、いずれ試してみよう」


 しばらくくつろいだ後、良い頃合いと言うタゴリの言葉で外に出た。

 吾が家の外に出た時、誰かが後ろから吾の袖を引っ張った。振り向くと、すぐそばにアヅミの姿があった。吾の袖を掴み、目を伏せて小さい声で語りかけてくる。

「あの……、困ります。みんながいるのに私の名だけを呼んだり、褒めたりしないでください。きっと……、誤解する人がいます」

 ようやく顔を上げて、吾の顔を見た。

「他に……人がいなければいいんですよ。アヅミでもアっちゃんでも」

 それだけ言うと、身を翻して走り去って行った。今日はやたらとアヅミに走り去られる日だ。


 そして種籾蒔きが行われた。畔に作られた水門が開けられ、濁りが沈んで透き通った上部の水が抜かれた。水の深さはくるぶしまでほどになる。

 種籾蒔きはタゴリが中心となって行われた。タゴリと女たちは、四角い板に鼻緒が着いた田下駄と言うものを履いて田んぼに入る。やはり、横一列になって、左手に種籾の入った椀を持ち、右手で左右に種籾を振りまきながら進んで行く。反対側の畔に着いたら、場所をずらして繰り返し、その日のうちに種籾蒔きを完了させたのだった。

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