003 『ミルクとシナモンとアップルティー』
今回の依頼人マチルダ・スミスは、半年後にはこの世にはいなくなっている人物だ。
査定に落ちた人には、一年間の猶予期間が与えられる。
それは、お別れの時間とも言える。長いとも短いとも言える時間。
基本的には査定にはほぼ通らないので、大体の人は百歳近くなると、その準備を始める傾向がある。
自らの死を受け入れる準備をする。
もちろん一筋縄ではいかないと思うけど、それでも準備をする。
––––誰にとっても、死は等しく平等なのだから。
だから、彼女もそうなのだろう。
僕は何人もそういう人と会ってきた。みんながみんな、幸せな死を迎えられるわけじゃないとは思うけれど、そのお手伝いが少しでも出来るというのならばと、僕はこの仕事を始めた。
今じゃあ大ベテランを通り越して、レジェンド扱いだけど、その気持ちはずっと変わらない。
「初めまして、山田様。今回は依頼を受けていただきありがとうございます」
と、マチルダさんは頭を下げた。
疲れの見える目元に、少し毛先の痛んだ髪の毛。見るからに元気が無いように見える。
でも、優しそうな雰囲気のある女性だ。
僕は「おかけになってください」と席に案内してから、ミリーに目配せをする。
メッセージは、「甘いアップルティーを頼む」だ。
ミリーは僕のメッセージをしっかりと受信出来たのか、コクリと頷いてからキッチンへと向かった。
「まず最初に、簡単な質問をいくつかさせてもらいます。大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
マチルダさんは力強く答えたはいいものの、なんだか大丈夫そうではない。
何か心配ごとがあるのだろう。そしてそれは、自分の心配ではない。
「お手紙は、お子さんに向けてとお話を伺っておりますが、お子様のお写真などはお持ちですか?」
僕がそう尋ねると、マチルダさんは小綺麗な手帳を取り出して、今時珍しいフィルムの写真を見せてくれた(見るのは五百年ぶりだ。最近妙に流行っているらしい)。
活発そうな女の子が、ザリガニを片手にvサインを見せている。
vサインをしているのが女の子ではなくザリガニなのが、なんとも微笑ましい。
「元気そうなお子さんですね」
「エイミって言います。歳は十歳で、じっとしているのなんて、寝てる時か、ご飯を食べている時くらいなんですよ」
そう言って、マチルダさんは楽しそうに微笑んだ。
エイミ、確かフランス語由来の名前だった気がする。意味は、『愛しい』。
「エイミは外で遊ぶのが大好きで、一緒に遊ぶのが、私のダイエットになっちゃうくらい活発なんです」
「そいつは大変だ」
「子供は要らないと思っていたんですけれど、いざ産まれてみると、とっても楽しくて……なんでもっと早く産まなかったんだろう––––なんて思っちゃいます」
先程は元気が無さそうと思ったのだけれど––––お子さんの話をしている時のマチルダさんは、とても元気に見える。
「私は結婚したのがちょうど十五年前でして、当時八十五歳でした。主人は私より五つ上で九十歳でした。まあ、よくある高齢結婚だったと思います」
そう、よくある高齢結婚。平均寿命というものがなく、死ぬまで若々しい肉体を保持出来る現代では、結婚適齢期など存在しない。
七十代や八十代までは遊び、そこから結婚を考える人の割合はかなり多い。
そして、問題にもなっている。おそらく、今回のケースはそれに該当する。
「主人は五年前に先立ち、今は娘と二人で暮らしているのですが……」
「心配ですよね」
マチルダさんは、コクンと小さく頷いた。
「私達夫婦は高齢結婚だったこともあり、子供は作らないようにしようと話していたのですが、主人がどうしても欲しいからと……」
「年齢が年齢ですと、お子さんが成人するまで見守れないですもんね」
「一応、弟夫婦に今後の面倒は見てもらえることになってはいます。弟夫婦も私たち夫婦と同じように高齢結婚でして、『子供は作れない』と話していたそうなのですけれど、エイミの年齢なら、エイミが大人になるまでは側に居てあげられると––––心良く引き受けてくれました」
「それは心強いですね」
「弟夫婦もエイミのことはとても気に入ってくれていて、主人が亡くなった後は、弟が父親代わりみたいなものでした」
「では、娘さんの今後は特に心配ない……って、わけでもないですよね」
「はい……」
この世界のどこに自分の子供が心配じゃない親がいる。
成人して大人になった後も心配だというのに、エイミちゃんはまだ十歳だ。
いくら引き受け先が安心出来る人だったとしても、その将来を不安視するのは親なら当然だ。
先が無いから不安なのではなく、先が不透明だから不安なのだ。
子供のことを、側で見守ってあげられないのは本当にもどかしい気持ちだと思う。
なんとかしてあげたい。僕に出来ることは少ないし、出来ないことの方が多いけれど、それでもなんとかしてあげたい。
マチルダさんから聞いた話をメモに取り、見返していると、ミリーがトレーを片手にこちらに歩み寄ってきた。
ミリーにしてはいいタイミングだ。
「お茶を持ってまいりました」
ミリーは慣れた手付きでカップを置き、お茶を注ぐ。アップルフレーバーのいい匂いが、漂って来た。
「では、ごゆっくりどうぞ」
ミリーはお茶を注ぎ終わると、ニコリともせずにその場を離れて行った。
僕は苦笑いをしながら、マチルダさんに「どうぞ」とお茶を促す。
「個人的にミルクと、シナモンを入れるのがオススメの飲み方です」
すると何故か、マチルダさんはクスクスと笑いだした。
「随分と古い飲み方が好みなんですね」
「…………」
うん、僕は化石だからね。古い人だからね。名前とか山田太郎だからね。
最近は、冷たいのも暖かいのも炭酸を入れるのが流行っているらしいけど、僕はあり得ないって思っちゃうし。
でもさ、アップルティーはこの飲み方が一番美味しいのは間違いないし、古来からアップルティーはミルクとシナモンと決まっている。
ちなみにこの飲み方は千年前はポピュラーな飲み方だったし、流行ってもいたんだぞ!
ここは、マチルダさんにもその良さを理解してもらう必要がある!
「何を言っているんですか、アップルティーはミルクを入れた方がまろやかになりますし、シナモンの香りがりんごの匂いを引き立ててくれるんです。ほら、アップルパイにシナモンが合うように、アップルティーにもシナモンが合うんですよ。それに、シナモンはストレートよりも、ミルクを入れた方が口当たりが良くなるんですよ」
「は、はぁ……」
僕の熱弁にマチルダさんも納得してくれたのか、「そこまで言うなら」とミルクとシナモンを入れてアップルティーに口を付けた。
「……確かに、美味しいですね」
「でしょ!」
思わず身を乗り出した僕に対して、マチルダさんは再びクスクスと笑っていた。
「何が面白いんですか……」
「あっ、いえ、すいません。お噂通りの方だなと」
「……どうせ、僕はアップルティーにシナモンとミルクを入れる化石人間ですよ」
僕は知っている、世間では僕のことを『山田博物館』と言っているのを。
僕は、博物館に展示されてしまうほどの古い人間だとみんなから思われている。
しかし、それは違っていたようで、
「千年以上生きているのですから、もう少し硬い人なのかなと思っていたのですが、随分と、その、無邪気な方なのですね––––あっ、悪い意味ではないですよ」
「……よく言われます」
僕はそう嘆息しながら、カップを手に取る。
うん、やっぱりアップルティーはミルクとシナモンを入れるに限る。
マチルダさんはマグカップを置いてから、脱線した話を戻す。
「私が居なくなっても、あの子のことですから大丈夫だと信じたいですけれど––––やっぱり、不安です」
子供の成長を側で見守れないのは、親として一番辛いことだ。
だから、高齢結婚での出産はあまり推奨されていない。
そういう意味では、結婚適齢期はあるとも言えなくもない。
「正直、子供が何で行き詰まるかなんて、親には分からないですものね……」
「はい。それに私のように遊んで過ごすのではなく、早いうちから家庭を持って欲しいと思っています」
「気持ちは分かりますが、それを決めるのはあくまでエイミちゃんです。もちろん、そのことを伝えることは大事ですし、必要なことだとは思いますが––––あくまでエイミちゃんの人生ですから」
「分かっています。でも、あの子に教えてあげられなかったことが多過ぎて……お化粧の仕方や、お料理、他にも沢山あって……」
マチルダさんは、ポーチから小さなハンカチを取り出し、目元を抑えた。
だから、高齢出産はダメだと言われているんだ。子も親も、どちらも幸せになれない。
僕はメモをもう一度確認しながら、考えをまとめる。
全体的には、『母親からのメッセージ』というシンプルな内容が良さそうだ。
エイミちゃんがマチルダさんを常に身近に思えるような手紙がいいだろう。
それに、こういう場合はよく使われるいいアイデアもある。
「お手紙を何通かに分けましょう。エイミちゃんの成長に合わせて、それぞれ違うメッセージを送りましょう」
「……では、一年後と、エイミが十五歳になった時と、二十歳になった時でお願いします」
マチルダさんは即答でそう答えた。予めそうするつもりだったのかもしれない。
でも僕は違う方法を提案する。
僕だからこそ出来る、方法を。
「なんなら、毎年出せますよ」
僕に『査定』は関係ない。エイミちゃんが百歳になっても僕は健在だ。
僕の提案に対しマチルダさんは大きく目を見開き、信じられないという表情を浮かべた。
「……そんな、そんなこと……本当に、構わないのですか?」
「もちろん構いません、時間の許す限り一緒にお手紙を書きましょう。伝えたいことを、全部伝えちゃいましょう。常にエイミちゃんの側にマチルダさんが居れるようにしましょう」
マチルダさんは再び目頭を押さえて、小さく「ありがとうございます」とお礼を言った。
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