002 『アボカドキムチ納豆マヨネーズカレー』

「山田さま、そろそろ起きませんと、朝食のアボカドキムチ納豆マヨネーズカレーが冷めてしまいますよ」


「まて、なんだその呪文のようなカレーは」


 文句を言いながら、時計を見る。短い針が十を指し、長い針が十二を指している。確かに起きる時間としては少し遅い。


「冷蔵庫に入っていた具材を全て入れ、調理いたしました」


 と、僕に言ったのは、ミリタリア・ホプキンス、通称ミリー。

 僕の身の回りの世話をしてくれる付き人のような存在だ。


「というか、なんで普通にカレーを作らないんだ?」


「知らないのですか? カレーという料理は、何を入れても美味しくなる魔法の料理なんですよ」


「なわけあるか」


 僕はため息をつきながら、もぞもぞとベッドを出る。寝起きはいい方ではないのだけれど、今日は予定があるのでいつまでも寝ているわけにはいかない。


 眠い目を擦りながら洗面所に直行し、顔に冷水を浴びせる。

 昔この国では、『冷水を浴びせる』ということわざがあった。

 この言葉は今はもうない。失われた言葉であり、多分僕くらいしか意味を知らない。

 意味は、『意気込んでいる人に、まるで冷水をかけるように、やる気を失わせる』こと。

 だけど、僕の場合はどちらかというと冷水を浴びると、気合いが入る。

 目が覚める。

 となると、このことわざは間違っている。

 だから忘れられたのだろう。

 誰も覚えていないのだろう。

 使わない言葉など、必要ない。


 僕はタオルを手に取り、顔の水気を取る。

 その後、アボカドキムチ納豆マヨネーズカレーとやらを食べるためにリビングへと向かった。

 そして、見る。

 アボカドキムチ納豆マヨネーズカレーを見る。

 うん、魔境。お皿の上に魔境が広がっている。ある意味ファンタジーだ。いや、ダークファンタジーだ。

 ミリーは先に席に座って、僕のことを待っていてくれた。


「これを食べろと?」


「はい、昨日、朝食は何がいいかとお尋ねしたところ、『なんでもいい』とのことでしたので、創作料理に精を出させてもらいました」


「確かに昨日僕はなんでもいいとは言ったが、『食べれるものなら、なんでもいい』という意味だ!」


 ミリーは、「食べられますよ?」とキョトンとした表情で首を傾けた。溜息である。

 ミリーとの付き合いは大分長い。なので、彼女のことはよく知ってはいる。家事は丁寧だし、器量もいいし、大抵の事はソツなくこなす。

 唯一弱点があるとするのならば、舌がおかしいことくらいである。

 そのせいで僕は毎日、被害を受けているのだけれど。


 まあ、せっかく作ってもらったのだから、例え魔境であっても一口くらい食べた方がいいだろう。

 幸い、僕の胃袋は目の生えたジャガイモを食べても平気なくらい強いし(お腹は下すけど)。


「いただきます」


「召し上がれ」


 スプーンを手に取り、魔境をスプーンですくう。なんか、スプーンの上でグツグツと泡立っているのだけれど、何でだろうか? 考えない方が良さそうだ。なんか、嫌な匂いもするし。

 僕は鼻をつまんでから、意を決してカレーを舌の上に乗せた。


 うん。うん。なるほど、なるほど。

 これは、あれだな。

 まず最初に舌を刺激する痛み! そして噛めば噛むほど増す苦味! これはまるで味のアルマゲドンだ!


「……まじゅい」


「おかしいですね、こんなに美味しいのですが」


 ミリーは、平気な顔をしながらアボカドキムチ納豆マヨネーズカレーを食べている。


 これは、もしかして逆なのか?

 僕の方が、現代人の味覚に疎いのか?


 僕は千年以上も生きているわけだから、やっぱり古い人間だと言わざるを得ない。

 だから、現代人にとってはこの魔境カレーは絶品なのかもしれない。

 おかしいのはこの魔境カレーでも、ミリーでもなくて、僕の方なのかもしれない。


 まったく、最近の若者の流行りには付いていけないよ(これを僕は千年以上言い続けている)。


「そういえば山田さま、本日は依頼人が来るそうですね」


「うん」


 ここで、僕の仕事をちょっとだけ話そうと思う。

 僕が千年以上生きられた理由とされてる、仕事の話をしよう。

 僕の仕事は、代筆屋さんだ。


 代筆屋って言うのは簡単に言うと、誰かの代わりに手紙を書くお仕事だと思ってくれていい。


 手紙なんて誰でも簡単に書けるじゃん、なんて思うかも知れないけれど––––これが結構難しい。

 言葉というものは、ちゃんと使えていても、正しく意味が伝わらないことがよくある。


 だから、僕が伝える。


 依頼人の気持ちをちゃんと理解して、想いを受け取って、手紙を受け取る人の未来を考えて、文字を書く。


 もうすぐこの世を去る人が、残された家族へと渡す最後の手紙を書く。


 僕は最後のメッセージを、大切な誰かに伝える仕事をしている。

 それが代筆屋さんだ。


「山田さま、早くお召し上がりになりませんと、依頼人の方が来てしまいますよ」


「…………」


 でもこのカレーをこれ以上食べるなら、先に遺書を書く必要がありそうだ。

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