第19話 ハイェム・フェルン⑭
それは何時のことだっただろうか。
はっきりとは覚えていない。ただ、自分が格式ばった、形式ばった世界にうんざりしていた頃だったことは間違いない。
いるのかいないのか分からない神のことだけを語り、誰も彼もが無意味な建造物を作ろうとしている。
そんな無意味な世界に、彼女は不意に現れた。
「ということで、私は常に負け犬だったというわけ。オルセナ女王は凄すぎたのよ」
目の前の美女が自嘲するように笑う。悔しさを隠すことはないが、口調などからは「彼女に負けたのなら仕方がない」という諦めのような様子も伺えた。その彼女は隣の大陸を大きく変えた存在らしい。
ならば……。無意味な世界に、ふと意味のようなものが浮かんでいることに気づいた。
「なら、俺がこの大陸を統一してみようか」
彼女は目を丸くした。
「そうすれば、君は二番目から脱却できる。俺も全くやりがいの無い世界に少しは意味を見出せる」
「へえ、単なる馬鹿若様じゃなかったわけ?」
「馬鹿若様は酷いな」
シェラビーは笑った。ただ、そう陰口を叩かれていることも知っていた。真面目な弟スメドアの方が高い評価を受けているということも。
それはそれでいいとも思っていたし、何なら面倒くさい枢機卿を弟がやってくれるなら、それでもいいと考えていた。
ただ、今、この瞬間から変わった。
「俺は、この大陸を変える。だからついてこないか? シルヴィア・ファーロット」
女は呆れたような、嬉しそうな顔で笑った。
「私の経験だと、そういう人って大体早死にするのよ。それでも頑張るつもりなら、見定めてあげるわ。貴女の行く末を……」
そう約束したはずだったのに……
最後まで見届けることなく、その女は逝ってしまった。
「シェラビー様!」
呼びかけに反応し、シェラビーは目を開いた。
「……俺は、どうしたのだ?」
「一瞬、意識を失っておられたようです」
「そうか。戦況は……、フェザートはどうなった?」
「残念ながら……」
辺りを見渡すと、全軍準備をしようとはしているが、完全に気落ちした状態であるため、動きが鈍い。
(何のことはない。俺が刺された時点で勝負ありだったわけか)
シェラビーはどうにか立ち上がり、状況を確認する。
「ヴィルシュハーゼ隊は既にコルネー隊を壊滅させ、こちらに向かってきています」
「そうか……」
「一旦、退避されてはどうでしょうか?」
ジェカ・スルートの進言に、シェラビーは目を見開く。
「このままではこの部隊も受け止められません。とはいえ、シェラビー様が生き残ればまだ再起の道は……」
「馬鹿なことを」
シェラビーは苦笑した。
「他の者達が命がけで戦っているのに、指揮官が逃げ出してどうする。そんな情けない男が統一などできようものか」
「しかし……」
「退却は無い。レファールやスメドアに会わせる顔がない」
刺された脇腹のあたりを見た。出血は中々止まらない。当初、致命傷ではないと判断したが、ひょっとすると特殊な刃物だったのかもしれない。
「逃げたうえに、途中で死んだとあっては二重の恥になるし、な……」
誰に話すでもない、ポツリと言った。
ジェカの肩を借りて、前方の様子を見る。
既にヴィルシュハーゼ隊との交戦は始まっていた。
状況は芳しくない。一方的にやられていると言っていい。
(強いな……)
シェラビーは素直にそう思った。
(俺はシルヴィアと会って以降、どこかでアクルクアの方がミベルサより上だと考えていたかもしれない。それが失敗だったのかもしれんな……)
スメドアからホスフェとフェルディスの戦闘経過を聞き、ルヴィナ・ヴィルシュハーゼというとんでもない指揮官がいるということは知っていた。しかし、それでもナイヴァル兵の訓練先としてアクルクアに向かわせた。
結果、その部隊は自らの負傷という精神的動揺があるにしても、全くヴィルシュハーゼ隊相手に抗することができない。
「や、やはり逃げた方が……」
「くどい。俺が死んでも、スメドアとレファールが残れば勝ちだ。おまえは俺に恥知らずな指揮官という汚名を着せたいのか?」
再度ジェカを一喝し、更に付け加える。
「それに、あの指揮官……フェルディスのルヴィナ・ヴィルシュハーゼも二人に負けず劣らずの英雄だろう。そうでなくとも去り行くものが、新しい英雄から逃げるのも情けないことだ」
「は、はぁ……」
ジェカはうなだれる。それ自体は無理もない。既に相手は百メートルくらい先のところまで迫ってきているのだから。
「これまでの忠誠、感謝している。後はスメドアに仕えてくれ」
「げ、猊下!?」
ジェカの悲痛な叫び声は、前方で蹴散らされる兵士達の悲鳴にかき消された。
長身の男と、体格のいい若者が二人、その後ろから指揮棒を持つ女と、石弓をもつ女が接近してくる。
どうやら、自分の目の前にも、死神が来たらしい。
シェラビーはそう思った。
「一体、何があったのだ?」
周囲と自分を見渡し、指揮棒を握る女が問いかけてきた。どうやら傷のことに気づいたらしい。
「……何が起きたかは分かるが、それがどういうことなのかは分からん」
シェラビーはそう答える。意味を掴みかねたのだろう、場にいる全員が不思議そうな顔をした。
「貴殿がフェルディスの死神か?」
中央の女に問いかける。女は複雑な表情を見せた。
「そのような大仰な名前を自称したことはない。ただ、そう呼ばれている存在であることは間違いない」
「一度、会ってみたいと思っていた」
「私も、だ。シェラビー・カルーグ枢機卿」
ルヴィナの言葉に、シェラビーは自嘲気味に笑う。
「負け犬として、か?」
「いや、時代を作った者を見たいと思って、だ」
「時代を作った者?」
ルヴィナの言葉が何を意味しているのか、シェラビーには分からない。
「シェラビー・カルーグ枢機卿、貴方はミベルサを変えた。貴方の前、この大陸の統一を考えた者はいなかった」
「……」
「貴方とレファール・セグメントが変えたのだ。今回はおそらくフェルディスが勝った。ただ、いずれ貴方の跡を継ぐものは出る。いずれ、ミベルサは統一される。貴方が作った機運、敷いた道筋を辿る者が……」
「フェルディスの死神、貴殿がなすのかな?」
ルヴィナは首を横に振る。
「私ではない。私もフェルディスも障壁にしかなれない。継ぐものはレファール・セグメントかもしれないし、スメドア・カルーグかもしれない」
いや、と首を高台の方に向ける。
「ノルベルファールン・クロアラントかもしれない。あるいはまだ見ぬ者かもしれない」
まだ見ぬ者と言っているが、恐らくルヴィナはその存在を知っているのであろう。どこか親しみを込めたような口調である。
「そういう者達の礎として、貴方の名前は残る」
「フッ」
シェラビーは薄笑いを浮かべた。ルヴィナの口ぶりは自分を過去の存在として捉えている。傷が致命傷であると考えたらしい。
そして、その見立ては正しいだろう、とも。
会話が途切れて数十秒、ルヴィナは様子を見ている。そのうえで首を二回、三回と回して口を開いた。
「……救命の道はあるかもしれない……が」
「無用だ」
おそらく優しさではないのだろう。自分を救って、後で処刑という道になっても面倒くさい。そういう素朴な感情を口にしたのだとシェラビーは考えた。
「どうやら出血は止まらないらしい。引きずり回されるのも迷惑だ。叶うならこのまま逝かせてくれ」
「……承知した。貴方が死ねば、ひとまず、戦いは終わる」
「一つだけ希望がある。できれば、サンウマのシルヴィアの隣に死体を入れてほしい」
「分かった。私の一存ではできないが、メリスフェール姫に頼んでみる」
「ああ、そうしてくれ」
メリスフェールに断られたのなら、仕方ないだろう。シェラビーはそう考え、あれと首を傾げた。
「……メリスフェールのことを知っているのか?」
「知っている。彼女は多分、今後のミベルサを左右する存在。私が知るもう一人の乙女とともに」
「もう一人の乙女……?」
シェラビーの問いかけにルヴィナは大きく頷いた。
「私が知る限り、彼女こそ世界を変えうる存在。いずれ、私は彼女の障壁とならなければならない。そして、今の貴方と同じく散ることになる。因果は繰り返す。貴方は地獄で私の座る椅子を用意して待っていればいい」
「……悲しいな」
「……それが戦場に出る者の運命だ」
ルヴィナは全軍に停止を命令した。既に総大将が捕虜同然となったこともあって、シェラビーの部隊も全面降伏の展開である。そのうえで動かないということは、これ以上の戦線拡大はしたくないということなのであろう。
坂の上の状況がどうかは分からない。ただ、ルヴィナはスメドアやレファールまでをも含めて殺し合うような展開は望んでいないと分かる。それで十分であった。
傷口を押さえていた右手を下ろして、上空を見た。
空は青い。靄が若干かかってはいるが、突き抜けるような青さであった。
(シルヴィア……、俺も二番手だった。ある意味、おまえの相手として一番ふさわしい結果だったのかもしれないな……)
口元を暖かいものが伝うのを感じた。
その消失とともに、シェラビーの意識も永遠に失われた。
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