第18話 ハイェム・フェルン⑬
状況の変化には気づいていても、リムアーノ・ニッキーウェイに打てる手はほとんどない。
「どうやら味方本陣に敵騎兵隊が侵入したようです」
「分かっている。だが、俺に何かできると思っているのか?」
冷静な副官ファーナ・リバイストアの淡々とした報告が、この場は憎たらしくも感じられた。前方のフィンブリア隊を指さす。
「あいつらだって同じだろうよ。味方の騎兵を信じ、本陣が持ちこたえるのを信じるのみだ」
「……失礼いたしました」
「あのホスフェ人がいる限り、いつまで経っても俺達はこの場で押し合いへし合いをする運命だ。向こうも同じ心境だろうが、な」
「参りましたね」
「後ろの様子だけでなく、前の様子を見て楽しくさせてくれ」
「それが……、フィンブリア隊とブローブ隊が邪魔で坂の下までは見えません」
「……分かるのは悪いことばかり、か」
自嘲気味の笑みを浮かべたところに、伝令が駆け込んでくる。
「侯爵。後方に変な兵士が合流しております」
「変な兵士?」
リムアーノの脳裏に、ルヴィナ・ヴィルシュハーゼが男になったような兵士が思い浮かぶ。
しかし、伝令の回答はそうした想像とは悪い方に異なっていた。
「はい。自らをマハティーラ・ファールフだと名乗っておりまして」
両方の眉が吊り上がった。
「マハティーラ、閣下だと……?」
リムアーノは近くの馬にまたがり、後方の様子を見た。
本陣は今にも崩れそうな状況である。
(まさか、指揮官ともあろう者が、本陣を放棄してこちらに逃げ込んできたというのか?)
ありえない、と思った。
だが、同時にマハティーラならやりかねない、とも思った。
事実、三年半前には勝手に敵軍に突っ込んだ挙句、負けそうになって逃げだしたという前歴もある。
(どうせなら敵兵の恰好で来てくれればよかったものを)
リムアーノは大きな溜息をついた。
「閣下の名前を騙っている可能性もあるが、状況からして本人である可能性もある。ひとまず連れてきてくれ」
「ははっ」
伝令は頷いて、反転して迎えに行った。
程なく現れた兵士姿の男を見て、リムアーノは再度溜息をついた。そのうえで頭を切り替えて恭しく、頭を下げる。
「これは閣下。いかがなさいましたか?」
マハティーラは不機嫌だ。
「いかがしたも何もあるか? 貴様にはあの情けない本陣の体たらくが見えんのか?」
(おまえのせいだろうが……)
リムアーノは内心でぼやきながらも「確かに攻撃を受けておりますな」と応じる。
「ブローブも役に立たん。日頃は大将軍など大層な名前を名乗っているくせに、攻め込まれたらあっという間に崩壊しそうだった」
「それで、閣下は尻尾を巻いて逃げてきたと?」
「逃げたのではない! 仕切り直しだ!」
「しかし、あの豪華な天幕や総大将旗が奪われたのは勿体ないですな」
「あんなものは金さえあれば何とでもなる。とにかく、ブローブがああなった以上、おまえが何とかしろ」
「……はっ。大将軍が不在とあれば、ひとまず総指揮官の地位、不詳リムアーノが背負わせていただきます」
「……余は疲れた。しばらく寝かせてくれい」
マハティーラは一方的に言い放ち、近くの台の上で横になった。さすがに「もっといいベッドを用意せよ」とは言わない。もし、そんなことを言ったり、ファーナを連れていくなどと言ったりしたら、この場で斬り殺していたかもしれない。リムアーノはそう思い、そんな自分が怖くなって肩をすくめる。
「そういえば、ホルカールはどうした?」
本陣を守るために部隊を割って止めに入っていたシャーリー・ホルカールのことを思い出す。
「部隊は壊滅したようです」
「だろうな……」
レファール、フレリン、ジュストの攻撃を一部隊で耐えきるというのは不可能だ。あくまで時間稼ぎ以上のことは期待できない。
(とはいえ、マハティーラがさっさと逃げ延びてきたことを考えると……)
あまりにも報われない話である。
30分後、シャーリーがようやく回収されたという話がファーナからもたらされた。
「ただ、右腕を失い、相当危ない状況だということです」
「そうか……本当に報われん兄弟だなぁ」
リムアーノは深い溜息をついて、奥歯を噛みしめる。
(俺は、あんな男のせいで死んだり重傷なんていうことには、絶対にならんぞ……)
攻撃から一時間、フェザート隊の抵抗を、ヴィルシュハーゼ隊は鎮圧していた。
「フェザート・クリュゲールはどうする?」
クリスティーヌ・オクセルが尋ねてきた。
フェザート隊はほぼ壊滅状態だが、親衛隊をはじめとする二百人くらいが何とか隊列を維持して最後の抵抗をしている。
これを踏みつぶすか、それとも捕虜にとるか。
「……坂の上では味方が攻撃を受けている。捕虜にしておけば選択肢が広がる」
敵の姿を視野に捉えたわけではないが、上方で何か起きているらしいことは雰囲気で分かる。この戦闘への背景からしても、また、レファール達が不在ということからしても、本隊が攻撃を受けている可能性が高い。
戦死するなら仕方ないが、もし、ブローブが捕虜になった場合には人質交換などが必要となる。フェザートなら、ちょうどいい相手だろう。
(マハティーラなら……考えるだけ無駄か)
「了解。グッジェンに任せるわ」
「残りはシェラビー・カルーグに突っ込む。しかし、一体、何があったのか?」
シェラビー隊が全く攻撃を仕掛けてこないことに、ルヴィナは奇異の念を抱いていた。全くありえないことである。
「何かあったのかもしれないわね」
「何が起こったのだろう?」
「いや、あたしに聞かれても困るけど」
クリスティーヌの言う通りである。それに自分にとっては都合のいい事態であるから、あまり深く考えても仕方ない。
「最後のひと踏ん張りだ。もう少しだけ、頼む」
ルヴィナは指揮棒を振り上げる。
ヴィルシュハーゼ隊が矛先を変え、シェラビー隊へと向かっていく。
坂の、少し上を見た。
レビェーデはスメドアと、サラーヴィーはメラザと、それぞれ引き続き応戦している。
「あの二人、強いのにねぇ」
シールヤに引き続き、決定打となりきれない二人。
そんな二人に対して、クリスティーヌは「もう少しできるはずなのに」という疑問を呈している。
「確かに強い。ただ、あの二人は依然として個人が引っ張る形。個人が止められてしまうと全体も意気消沈する。本人達は強くなったかもしれない。しかし、全体は変わらない。数年前から進歩がない」
「辛辣ね」
クリスティーヌは苦笑し、首を傾げる。
「ということは、あたし達は進歩したかしら?」
「分からない。それを判断するのは自分達ではない。第三者」
南北の峠の方に視線を向ける。そのどこかに、冷徹な目で見ている部外者がいることだろう。
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