第12話 リュインフェアの告白②
サリュフネーテの顔が曇る。
「ハイェム・フェルンに……?」
ホスフェからの情報はここサンウマにも届いてきている。シールヤ平原で連合軍は敗戦し、その後ハイェム・フェルンに転進していると聞いていた。
そのハイェム・フェルンに、ホスフェ執政官を暗殺したというチャンシャン……アムグンが向かうと言う。
「リュインフェア、ちょっと整理させてもらっていい? まず、チャンシャンは今、平面だけの存在になっているというのよね?」
「この言い方が正確かどうかは分からないけど、概念としてはそう思ってもらって間違いないわ」
「でも、平面だけの存在だとおかしく見えたりしないかしら?」
確かに真横になった状態だと線でしか見えないし、存在を把握できないのは分かる。しかし、彼はフグィでラドリエル・ビーリッツの配下として生活していたという。大勢の人が周囲にいる場合、角度によって消えたり現れたりと不可解なことにならないだろうか。
「おかしく見えていたとして、どうなるの?」
「えっ?」
「例えば、姉さんは今、あたしと話している。だからあたしの変化には気づくと思うわ。だけど、例えば近くに衛兵がいた場合に、そこにどれだけの意識を払う?」
リュインフェアは指を向けてきて、それを上下左右に動かす。
「あと、人間の目は二つ離れている。だから、死角が出来て見えないポイントがあったりするの。でも、仮に一瞬見えなかったとしても、人間の頭は前後のイメージとつなげてしまう。その人間が消えたとは判断しないようになっているわけ」
死角という言葉は聞いたことがある。リュインフェアの指がそのポイントに入っている可能性はあるかもしれないが、少なくともサリュフネーテの目にはリュインフェアの指はずっと見えている。
「だから、多少変だなと思ったとしても、余程親しい人でない限り、決定的な疑念にはならないのよ。彼は占い師という不思議な立場だし、ホスフェまで瞬間移動したのではないかという疑念もある。だから、多少変な状況でも、頭が混乱を避けるべく別の答えを作り出すわけ。彼は何もする必要がない。あたし達が解釈を変える。勝手にね」
「何となくだけど、分かったわ」
サリュフネーテは大きな溜息をついた。
不吉な胸騒ぎがしてくるのを、感じずにはいられない。
大きく深呼吸をして、心を落ち着かせ、再度座る。
「このことを、私以外の人に言っているの?」
「執政官が暗殺されたときから、誰かに言った方がいいかなと思っていたけれど、みんな決戦のことで頭が一杯だろうし、時間を取らせるのも悪いからここでは言っていない。ただ、エルミーズにいるメリスフェール姉さんには手紙で知らせた」
「メリスフェールは何て?」
「返事がないわ。姉さんも忙しいだろうし、どう返事したらいいか分からないのだろうとも思う」
「確かにね」
直接話をしている自分にしても、何を言っていいか分からない状態である。いきなり手紙で説明されても、メリスフェールも困惑するだけだろう。
「ホスフェの執政官のことなら、それでもいいと思っていたけれど、ハイェム・フェルンに向かうとなると、いても立ってもいられなくなって」
「あれ、でも聞いたのは数日前って言っていなかった……?」
「すぐに向かってきたのよ。あたし、バシアンにいたから」
「バシアンに? あれ、貴方バシアンにいたの?」
「えぇ。シェラビー様に、ネブ・ロバーツの様子を見てほしいと言われていたのよ」
「ネブ・ロバーツの?」
現在、バシアンの名目上の管理人は総主教ワグ・ロバーツである。実質的な管理人はその父親であるネブ・ロバーツであった。ただ、今まで監視だのといった話はなかったので、リュインフェアの言葉は奇異に感じられた。
「勝ったらともかく、負けた場合に、予想外の動きをする可能性がある。だから、見ておいてくれって言われていたの。もっとも、魔力がなくなったことは言っていなかったから、魔法で監視すると思っていたんだろうけれど」
「……まあ、確かに現在、ナイヴァルで一番活発的に動いているのはロバーツ枢機卿だけど」
ネブ・ロバーツは枢機卿の中では下っ端という認識であったが、現在はシェラビー、レファール、ネオーペと有力枢機卿が全員国外に出ている。セウレラとイダリスが高齢であることを考えれば、現時点では彼がナイヴァルの頂点にいることになる。
それを維持するために予想外の行動をすることは、確かにありえる話であった。
しかし、そうだとしても腑に落ちないことがある。
「……何でリュインフェアに要請しながら、私には言ってくれなかったのかしら?」
リュインフェアは魔法があるから、監視に向いているというのは理解できる。しかし、実質的な代理人である自分には無言というのは、自分が信頼されていないようで情けない。
「それは、姉さんはシェラビー様の妻だからでしょ。お母さんにしてもそうだったじゃない。無用な心配はかけさせたくないのよ、あの人は……」
「……」
確かにそうかもしれない。
自分がそうだと認識したことはなかったが、母シルヴィアに対してシェラビーがそういうところがあったことは認識している。
共有しようとしないシェラビーにも苛立ったし、それを容認している母にも不満を覚えたものであった。
サリュフネーテは妹に問いかける。
「チャンシャンが狙っているのは、やっぱりシェラビー?」
「……だと思う。ユマド神がどうこうという語り声が聞こえていたし」
「裏に何があるかとか、どの勢力がどういう狙いがあるのか、というのはセウレラ・カムナノッシ枢機卿に聞くのが一番いいのかもしれないけれど、そうするとまたバシアンまで戻らないといけないわね」
そこまでして分かったとしても、伝える頃には既に全てが終わっているだろう。
「……とりあえず、シェラビー様には伝えることを急いだほうが良かったかな?」
「何とも言えないわ」
サリュフネーテは諦観めいた溜息をついた。
「戦場で慌ただしい中で、余計な情報をもたらすだけになるかもしれないし、何が良くて何が悪いかなんて分からないから。もし、殺されるのだとしたら、そういう運命だったということなんでしょう」
「……それでいいの? あたし、伝えるのが遅すぎるって怒られるかなと思っていたのに」
「そういう運命なのよ、リュインフェア……」
「姉さん……」
リュインフェアはしばらく無言で座っていたが、やおら立ち上がり、外へと向かう。
「バシアンに戻るの?」
「違うわ、エルミーズに行くの。メリスフェール姉さんにも相談してくる」
少し不機嫌そうな響きが声に含まれていた。それを裏付ける文句も飛んでくる。
「何もしないっていうのは、違うと思うの……」
リュインフェアが出て行った後、部屋に一人、サリュフネーテは座っている。
ぼんやりと外に視線を向け、どのくらいの時間が経ったか。
不意に泣き声が聞こえてきた。末妹マリアージュの声だ。歩いていて転んだか何かしたのだろう。「痛い、痛い」という声が聞こえてくる。
「今行くから、ちょっと待っていてね」
もやもやした感情は、妹の慌ただしい泣き声で、一時解消された。
いずれ、また覆う時が来るのだろうと思いながらも、サリュフネーテは妹の部屋へと急いでいった。
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