第11話 リュインフェアの告白

 ほぼ同時刻、サンウマのカルーグ邸。


 サリュフネーテ・ファーロットはかつて母が使用していた部屋から東の方を眺めていた。もっとも北側にあるため、北・東・西がくまなく見えるのは、海以外の南側を全て見えるようにしたい、手にしたいという母の信条だったのだろうか。


 もちろん、今、その時、戦いが行われているかということまでは分からない。しかし、彼女の夫シェラビーをはじめとして、多くの者が戦場にいるのだろうということは分かる。


 できることは何もない。


 ただ、勝利を祈るだけである。




 祈りを捧げている途中、扉がノックされた。


「サリュフネーテ様、リュインフェア様が参られました」


「リュインフェアが……?」


 サリュフネーテは首を傾げるが。


「分かりました。すぐに行きます」


 永遠に捧げる祈りというわけでもない。十字を切って切り上げて、応接間へと向かう。


「姉さん……」


 ソファに座るリュインフェアは生気がない目を向けてきた。その表情を見るだけで、憂鬱な話をもってきたということが理解できる。


「どうかしたの? リュインフェア」


「ちょっと話したいことがあって」


「いいわよ?」


 サリュフネーテは紅茶の準備をするように指示を出し、リュインフェアの前に座った。


「お姉ちゃん、あたしが魔法を使えることを知っていたでしょ?」


「……私が、というより、お母さんが知っていて、教えてもらっただけよ。それがどうかしたの?」


「魔法っていうのはね、実は、ルールが色々あるんだけど、それが分かっていれば子供の時から使えるものなのよ。正確には、子供の方が使えるものなの。魔法は頭の中にある余剰スペースっていうのかな、そういうものを使うから、大人になればなるほど使いにくくなっていくのよ。きちんとした理論を理解していないと使えなくなるの」


「そうなんだ……」


 サリュフネーテはそもそも魔法のことを知らない。リュインフェアの話も、「そういうものなのね」以上の返事をしようがない。


「ということは、貴方も年々魔法がダメになっているわけね?」


「うん。多分、7歳の時が一番強かったと思う。魔法の理論とかそういうものをきちんと学ぶことができなかったから。で、最近はもう全くできなくなった」


「魔法は卒業、というわけね」


 リュインフェアは頷いた。


「あたしが、魔法で何をしていたのかも知っているでしょ?」


「チャンシャンっていう占い師を通じて、プロクブルの監視をさせていたということは聞いていたわ」


 コルネー海軍を叩いて制海権を掌握するにはプロクブルを支配する必要があった。


 そのためにプロクブルに密偵を潜入させる必要があった。旅の占い師というのは、周囲を欺くにはちょうどいい存在だと思われたのである。


「彼は、魔力への感応度も高かったの。あたしみたいな魔法を使える人が、監視の目とするには使いやすかったわけ」


「……確か、彼ってプロクブルで行方不明になって、ホスフェに現れたって聞いているけれど、それもあなたの仕業なわけ?」


 サリュフネーテの問いかけに、リュインフェアは再度頷く。


「目として監視していたから、レファール達が迫ってきたことに気づいたの。危ないと思ったから、移動させようと思って」


「移動? 魔法があれば移動も簡単にできるの?」


「できない。だけど、当時は魔力が強かったから、できると思い込んでいたのよね。縮地っていうか、例えば姉さんから見て、あたしの右手と左手の間には距離があるように見えるでしょ」


 リュインフェアが両手を横に広げた。確かに右手と左手の間には距離がある。


「だけど、あたしと後ろの窓の外の景色との距離は、分からないでしょ?」


「距離があるのは分かるけど、そうね。そもそも、窓の外の山やら林との距離がどれだけあるかは考えたことがないわ」


「魔力の感覚で距離をゼロにすれば移動ができるはずなんだけど、そこであたしの魔力の限界を超えてしまったの」


「限界を超えた……、そうするとどうなるの?」


 不吉な響きであることは明らかだ。しかし、魔法の何たるかを知らないサリュフネーテにはそれが何を意味するかが分からない。


「あたしにも分からなかった。だけど、チャンシャンは移動できた。想像より遥かに長い距離を移動してしまって……」


 リュインフェアはうつむいた。


 感情が高ぶってきていることは分かる。しかし、何がまずいのか分からない以上、サリュフネーテには掛けるべき言葉が思いつかない。本人に促すのも酷い話のように思えた。


 だから、しばらくは黙っているしかない。




 数分して、リュインフェアは大きな溜息をついた。


「最近になって、何が起きたのか分かったの」


「研究したってこと?」


「研究というよりは推測かな。アクルクアには魔力の理論に関する文献が多いから、そういうものを取り寄せて色々調べていたの。気になっていたからね」


「その結果として、何が分かったの?」


「魔力が限界を超えた結果、あたしはチャンシャンの一部だけを移動させたのよ。具体的には平面部分を」


「平面部分?」


 言葉は分かるが、意味が分からない。


 リュインフェアもそれは分かったのだろう、自分の体を触りながら説明を加える。


「さっき縮地の話をしたけど、人って、線と面と厚みからなっているわよね」


「もちろんよ」


「だけど、線と面まであれば、その人がいることは分かるでしょ?」


「線と面? つまり、私の目に映るリュインフェアみたいな状態ってこと?」


 触ればもちろん厚みを感じるが、目で見る分には、しかも多少距離を空けているとリュインフェアは面のような存在には見える。


「うん? もしかして、貴方が魔力移動をしようとした結果、彼は面だけの存在になったということなの?」


「そういうこと」


「そうなると、厚みはどこに行ってしまったの?」


「分からない。ただ、今のチャンシャンは面だけで生きている存在なの。ううん、生きているのか、死んでいるのかも分からない状態という方が正しいのかもしれない」


「……想像もできない事態ね。というより、そんなできないことまで魔法でしようとした理由は何なの?」


 怒っているわけではない。チャンシャンは全く知らない人間である。


 とはいえ、他人に対して、そんな無茶苦茶なことをしていい道理はない。


 リュインフェアは大きく溜息をついた。


「メリスフェール姉さんと比べると、あたしは地味だってよく言われていたでしょ」


「そうね……」


 リュインフェアだけではない。自分もメリスフェールとよく比べられた。妹のことを疎ましく思ったことは一度や二度では済まない。


「だから、姉さんにできないことができて、シェラビーが褒めてくれた時には嬉しかったの」


「その結果として無理をしてしまったわけね」


 リュインフェアは力なく頷く。


 サリュフネーテは首を傾げた。


「……それは分かったわ。でも、今になって、私にそのことを言うつもりになったのは何故なの?」


「あたしは魔法を卒業した、って言ったでしょ? ただ、薄れてはいても、多少見えたりはしているの」


「何か良くないものが見えたわけ?」


「それだけならいいんだけどね。彼は感応度が強いって言ったでしょ? 最近、別の人間が彼を使うようになったのよ」


「別の人間?」


「その人間はあたしよりも強い支配力があるみたいで、彼はオトゥケンイェルの議事堂に侵入して、執政官を殺害したのよ」


「えぇっ? ち、ちょっと待って」


 サリュフネーテがこめかみのあたりに指をあてる。話が飛び過ぎてついていくのが大変だ。


「そんな簡単に侵入できるの?」


「彼は平面だけの存在なのよ。紙を横から見たらどうなる?」


「あっ……」


 紙を横にすると、線にしか見えない。つまり、視界に入らない。


「で、数日前、別の声が聞こえたの。『ハイェム・フェルンに行け』って」


 荒唐無稽な話に唖然としている暇もない。リュインフェアの話は続く。

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