第9話 ハイェム・フェルン⑥

 同じ頃、ノルン一行は戦場の北側にある岩肌に待機していた。


 当初は、戦況全域が見えるハイェム峠、若しくはフェルン峠の頂上近くからの観戦を想定していたのであるが、いざ移動してみると下側に霧がかかっていて下の様子が全く分からない。


 そのため、低地へと移動してきたのであるが、戦況全域は見渡しづらい。


「……まあ、仕方ありません。このあたりで観戦することにしましょう」


「どうなるのでしょう?」


 今回もついてきているマーニャ他、数人の女性に護衛の兵士も周辺に座っている。


「前回のシールヤはただ広い平原でした。広いということは戦術行動がとりやすいのと、逃げやすいということがあります。今回は行動範囲が限定されていますから、戦術行動もかなり制限されますし、何より逃げる場所がありません。どちらが勝つにしても前回の戦いより死傷者が大勢出るのは間違いないですね。恐らく連合軍側でしょうが、肉を切らせて骨を断つ作戦に出てきました」


 マーニャの喉がゴクリと動く様子が見えた。


「まあ、やむをえないところでしょう。これだけの軍勢を動員できる機会というものはそうあるわけではありません。シェラビー・カルーグは動員できているうちに結果を出さないといけない。次はないと見て良さそうですからね。しかし」


「しかし、何ですか?」


「この峠は高い側に行けば行くほど靄がかかってくるようです。下にいる分には視界が制限を受けることはなさそうですが、上からだと見られないというのは興味深い」


「何が興味深いのですか?」


「私がこの地を戦場にするのなら、部隊の一部を隠して相手に奇襲をかけたりするような作戦を考えてみますね。果たしてフェルディス軍がその警戒をしているかどうか」


 ノルンはまずは西、次いで東に視線を向ける。


「恐らくシェラビー・カルーグとマハティーラ・ファールフ、どちらの部隊が先に叩き潰されるかという勝負になるでしょう。連合軍はその覚悟を決めています。フェルディス軍はどうでしょうねぇ。シールヤで勝ったので、何となく流れで決めに来ているような雰囲気があります」


「ノルン様の話しぶりだと、今回は連合軍が有利なように聞こえますが」


 マーニャの言葉に、ノルンは「その通りです」と頷く。


「シールヤで連合軍はルヴィナ・ヴィルシュハーゼとレビェーデ・ジェーナスを食い止めようとしましたが、結局、ルヴィナを食い止めることができなかった。そこで今回は、食い止めることを諦めて、何部隊か潰させることを前提として、自分達が先に重要な部分だけを叩き潰す準備をしている」


 ノルンは無意識に舌なめずりをしていた。


「非常に興味深い。将来、私がルヴィナやレビェーデを敵に回すことになった場合には参考にしたいやり方ですね」


「しかし、そのヴィルシュハーゼ隊が見当たりませんね」


 マーニャが戦況を見渡して首を傾げる。


 何といっても、ヴィルシュハーゼ隊は死神の旗が目立つので、いないとはっきり分かる。


「実は連合軍側も、レファール殿やフォクゼーレの部隊が見当たりません。狭い戦場なのに見えない部隊がいる。これもまた面白い展開ですね」


 ノルンは頬杖をついて、下の様子を再度西から東へと確認していくのであった。




 8月14日、朝。


 前日の午後に前線に戻ってきたリムアーノ・ニッキーウェイのところに、後方から伝令がやってくる。


 暗い、消極的な顔でおずおずとリムアーノの前まで現れ、マハティーラの言葉を伝える。


「閣下が、早く戦闘を始めろと叫んでいるそうです」


「……誰のせいでのんびりしていると思っているんだ? ちんたら輿で移動してきたのはどこの誰だ?」


 リムアーノが震える声を出した。声だけではなく、手も震えている。


 伝令は「も、申し訳ありません」と泣きそうな顔で二歩ほど後ずさった。


 どやしつけても仕方がないことはリムアーノも分かっている。溜息をついて、睨みつける。


「午後には前進する。閣下に伝えろ」


「ははっ」


 伝令も、リムアーノが怒り心頭に達していることは察したのであろう。脱兎のように後方へと走り去っていった。


「全く……」


 気を落ち着かせようと深呼吸をしているところに、ファーナが近づいてきた。


「リムアーノ様、ヴィルシュハーゼ伯がまだついておりませんが」


「そういえば……」


 ブネーからの増援を待って、合流してから来ると言っていたが、まだ追いついてはいない。


 リムアーノは東を見たが、もちろん、道の先にヴィルシュハーゼ隊がいるかどうかは分かるわけではない。


「……不在は辛いが、ヴィルシュハーゼ隊がいなければ戦端も開けないというのも情けない話だ。すぐに合流すると信じるしかあるまい。午後まででも数時間ある。ヴィルシュハーゼ隊は騎兵のみだから十キロ程度は移動してくるだろう」


「そうですね、分かりました。準備させておきます」


 ファーナは頷いて、すぐに準備に取り掛かった。




 リムアーノ隊の西にいるフィンブリアにも、その状況が見えてくる。


「いよいよだな」


 フィンブリアは後ろを振り返った。


「勇敢なるホスフェ兵よ! フグィとセンギラの勇士達よ! 東西の決戦はいよいよ最終章だ! 力の限り戦ってくれ! 生き残ったら、孫に語り告げる! 死んだなら、あの世で執政官バヤナ・エルグアバに自慢するのだ!」


 フィンブリアの激に、居並ぶホスフェ兵から雄叫びがあがる。


 雄叫びがあがるだけではない、それぞれが武器を構え、更にそのうちの何人かが前進を始めた。一度前進が始まると、周囲も遅れじと動き出す。


「お、おい、ちょっと待て……。こちらから仕掛けるわけには……」


 予想外の事態にフィンブリアが一瞬慌てた顔をした。


 今回の戦いは、あくまで峠の間に布陣している部隊は相手の攻撃を受けて耐える側である。自分達から仕掛けるわけではない。


 しかし、フィンブリアはすぐに考えを切り替える。


「ま、いっか。よぉし! 前進だ!」


 最終的にどうなるかが合えば、途中経過の全てまでコントロールする必要はない。


 今、兵士が意気上がっている状況に水を差すのは無粋である。



 8月14日午前11時過ぎ。


 前期18年戦争の末尾を締めくくるハイェム・フェルンの戦いは、前回と同じくフィンブリア隊の前進により開始された。

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