第8話 ハイェム・フェルン⑤

 連合軍の最前線にはフィンブリア・ラングロークとホスフェ軍がいた。


 そう、フィンブリア一人である。シールヤでは並んで指揮をとっていたラドリエル・ビーリッツは一足先にフグィに帰っており、全軍がフィンブリアの指揮下にあった。


 過去に問題を起こしていたことを危惧していたフィンブリアであったが、幸いにしてそれが悪影響を及ぼしていることはない。シールヤで敗戦のきっかけとなってしまったことに対する負い目を果たさんとばかり士気は高い。


 その士気は、遠目にフェルディス軍の旗が見えてきたことで更に浮上する。


「調子はどうだ?」


「お、これはカルーグ枢機卿。全軍ともまあまあですよ。少なくとも前回のようなことはありません」


 突然前方まで出てきたシェラビーに驚きながらも、兵士達の様子を見せる。


「最前線を引き受けてもらって申し訳ないな」


「とんでもありません。ほとんどの連中は、前回の汚名を晴らすと息巻いていますよ。ホスフェの力はあんなものではないって、見せつけてやるとね」


 フィンブリアの言葉が聞こえたようで、近くにいるホスフェ兵が「えい、えい、おー」と雄叫びをあげる。付近にいた兵士もシェラビーに気づき、それに応え、波が広がるように全体へと波及していく。


「それにオトゥケンイェルの連中ですよ。フェルディスから鞍替えして俺達にへいこらしたと思ったら、また負けたんで再びフェルディスにへいこらしているらしいですからね。あんな連中にはなりたくないものです」


「ハハハハ、確かにあれは我々も笑うしかない話だな」


「とにかく、我々は踏み石となる存在ではありますが、前回のように簡単にはやられませんよ。その点は安心してください」


「分かっている。よろしく頼む」


 シェラビーは二度、大きく頷いて戻っていった。




 シェラビーは、今度はルベンス・ネオーペの部隊に立ち寄った。


 フィンブリアの部隊と比べると、さすがに劣るが、こちらも決して悪くない状況に見える。個々の兵士とも、気合に満ちた表情をしていた。


「ネオーペ枢機卿、調子はどうだ?」


 ルベンスを見つけると、フィンブリアと同じような挨拶をかわす。


「むっ、カルーグ枢機卿」


 ルベンスはシェラビーを見て、嫌そうな顔をした。


 無理からぬところではある。娘を妻として嫁がせていたのも今は昔、今では圧倒される存在となり、ただひたすらシェラビーの機嫌を損ねないようにして生き延びてきたのであるから。


 仮に近衛兵がいなければ、恨みを晴らすべしと襲ってくるかもしれない。そのくらいの関係である。


 当然、シェラビーの問いかけにも不機嫌そうな顔で答える。


「調子は上々と言いたいところだが、何とも言えない。これだけ危険な場所で戦うとなると、落ち着いていられないということはあるな」


「うむ。まあ、セグメント枢機卿やフォクゼーレ、イルーゼンの面々が来るまでの辛抱だ」


「頼りになるのかね……」


 ムスッとした様子で答えて、慌てて修正する。


「い、いや、もちろん、レファール・セグメントが頼りになる男だということは分かっている。何せ俺もサンウマで奴に助けられたのだからな。しかし、フェルディスも強い。そうそう簡単に行くのかどうか」


「それならば、別にフェルディス軍に降っても構わないが?」


 シェラビーの挑発的な言葉に、ルベンスは更に不機嫌になる。


「……馬鹿にしてもらっては困る。今は神のために戦わなければならない時だ。貴様には含むところがあるが、そうした個人的感情と神への信仰を混同することはない」


 大真面目に答えたルベンスに、シェラビーは目に見えて笑いを堪えている。自分の手首をつねって、何とか笑いを堪えると。


「そうだな。よろしく頼む」


 と言って、前線を出た。


 距離を取ったところで銀貨を一枚取り出して笑う。


「ま、奴にとっての神はユマド神よりも、こちらなのだろうが」


 レファールからフレリンの考えについては聞いている。兵士達の士気が高いのも、他の部隊から金や貴重品を預けてもらったことが影響しているのであろう。


「降伏したらフェルディス軍から取り上げられる。逃げるのがベストだが逃げられる場所ではない。だから必死に戦うしかない。仮に捕まった場合、フェルディス軍も奴らの財布が潤っていることを知っているから、どうしても懐を漁りたくなる。さすがにフォクゼーレの攻撃をしのいだアレウトの人間だけのことはある。人間の機微に通じているわ」


 苦笑しながら、今度はコルネー隊の方に移動した。




 ネオーペ隊の後ろ側にムーノ・アークとメラザ・カスルンドの部隊がいる。


 メラザは「今度こそサラーヴィーと決着をつけてやる」と息巻いているうえに、全体としてクンファの仇討ちをという意欲がひしひしと伝わってくる。


「これは、下手すると我々ナイヴァルが一番遅れを取っているかもしれないな」


 シェラビーはコルネー隊を離れて、ナイヴァル隊の方に向かった。




 ナイヴァル隊はスメドアとマフディルが部隊指揮をとることになっている。


「スメドアよ」


 シェラビーは弟の部隊に出向いて、声をかけた。


「おや、これは兄上」


「調子はどうだ?」


「うーん、特筆すべきものはないので、何とも答えにくいですな。まあ、いきなり逃げ出したりすることはありませんよ。いくらフェルディスの死神が恐ろしいとは言ってもね。とはいえ……」


 スメドアは地形を見渡す。


「まあ、どちらが勝つにしてもただでは済まない場所ですな。ここに布陣することになって、改めてシールヤ平原で勝ちたかったと思うところもあります」


 連合軍は低地で高地からのフェルディス軍の攻撃を受けることになる。逃げ場も少なく、被害は相当なものになるだろう。


 もちろん、そのフェルディス軍も、レファールら伏兵隊の攻撃が背後から来れば甚大な被害が発生することになる。


 勝つ側も、負ける側も、多大な損失が出ること必至な場所であった。


「とはいえ、この戦いまでたどり着けずに死んでいった者も多くいることを考えれば、贅沢は言っていられませんな」


「ああ……」


「義姉上のためにも、勝ちましょう」


「それはどちらのことだ?」


 シェラビーが苦笑いして尋ねた。スメドアは一瞬、質問の意図が分からなかったようで目を見開き、ややあってこちらも苦笑する。


「もちろんシルヴィアさんですよ。サリュフネーテを義姉と呼ぶのは無理です。十何年も妹のような扱いでしたからな。レファールも嫌でしょうが、私の方がより抵抗がある」


 と言いつつ、遠い目をして溜息をついた。


「……とはいえ、もうあと数年も経てば、それを受け入れざるを得ない時が来るんでしょうね」


「おまえ、まだ数年もかけるつもりなのか?」


 シェラビーの笑いが大きくなるが、真顔に戻る。


「とはいえ、他ならぬ俺自身もそうだ。戦いに勝って、ようやくだろうな。サリュフネーテとの日々を楽しむことができるようになるのは」


「つかみ取りましょう」


 スメドアが右手を出してきた。


 その手を強く握りしめ、お互いに背中を叩き合い、しばらくしてから距離をとる。


 その後、言葉を交わすことはない。


 シェラビーは自らの部隊へと戻り、戦闘準備を整える。


 最後の決着をつけるために。

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