第5話 ハイェム・フェルン②
オトゥケンイェルに滞在しているフェルディス軍に対して、連合軍は西へと下がっていく、中東部にあるギメシュに移動した。
更に半月ほどすると、連合軍が南西の方向に出発したという情報が入ってくる。
「……フグィを目指すのだろうか?」
南西に進み続けると、ナイヴァル派の一大拠点である南部フグィへと続く道へと出ることになる。
「しかし、そこまで進むと中部の支配権をほぼ放棄することになるが、な」
リムアーノの疑問に、ブローブが回答する。
ブローブの言う通り、連合軍はまだ軍としての体裁は保っている。とはいえ、シールヤ平原で敗北したという状況は既に伝わっているので、仮に明け渡してしまったら、ギメシュもフェルディス軍に降ることになるだろう。
自分達が相手の立場なら、そこまで退くだろうか。
ひとまず地の利に詳しいニバルを呼んで確認した。
「……南西に向かったところに、ホスフェ中部では唯一といっていい丘のようなハイェム・フェルン峠があり、そこかに海岸沿いの道へと繋がります」
「さすがに平地で迎撃はないだろう。迎え撃つとすれば、ハイェム・フェルン峠となるわけか。どんなところだ?」
「どんなところと申されても、普通の峠道というより他ありません。ただ、海に向かって低地になっていくので、全体としては東から西への下りが多いですね」
「東から西へ下りるのか……」
リムアーノは再度首を傾げた。
騎兵隊の機動力と突撃力を恐れているとすれば、フェルディス軍にとっては登り道となるような形で布陣したいはずである。しかし、ニバルの言う通りだとすると、下り道となる。
「海岸線付近まで下がるつもりかしれんな」
ラドリエル・ビーリッツが漁師ギルドのトップだということは聞いている。海岸沿いに船を並べることで、フグィへの進路を守るつもりかもしれない。
この時点では、フェルディス軍は連合軍の意図を掴み切れていない。
「そろそろ全員に出発の準備をさせんことには、な。閣下が我慢しきれなくなるだろう」
マハティーラは毎日のように「出陣の準備は万全か?」、「今度こそ相手を全滅させるぞ」と息巻いている。相手が南西に離れていくように移動していると知れば、更に「追いかけるぞ」とうるさく叫ぶことだろう。
「リムアーノ様」
そこにファーナが入ってきた。
「どうしたんだ?」
ブローブを含め、上役と話している時には無言で控えているのがファーナのスタイルである。彼女がブローブとの会話中に入ってくるのは珍しい。
「先ほど、気になる話を聞きまして」
「気になる話?」
「はい。シャーリー・ホルカールが剣を持って、南の村に向かったとか」
「シャーリー・ホルカールが?」
それだけでは何の話か分からない。
ただし、南の村にルヴィナ・ヴィルシュハーゼがいることは分かっている。
そこに剣を持って出て行ったというのは穏やかではない。
「もしかして、シールヤで見捨てられそうになったことへの抗議でもするのだろうか?」
「ありえますな……」
そうだとすると、面倒な話である。
「ファーナ、ホルカールは何人引き連れて行ったのだ?」
「供の者も含めて三人で向かわれたそうです」
「三人?」
抗議にしては迫力がない。
「その人数ならスーテルやグッジェンが睨みつければどうとでもなるだろう。置いておこう」
さして大きな問題になるとは思わなかった。
オトゥケンイェルの南5キロほどのところに小さな村がある。
ヴィルシュハーゼ家七千の軍はその村に滞在していた。村の人口より多い軍が滞在することになるため、近くの農場の馬小屋の近くにテントを張って生活をしていた。
静かな場所であるが、ルヴィナがこの場所に布陣しているのはそれが理由ではない。
「オトゥケンイェルの連中は連合軍に賭けて負けた。彼らにもプライドがある。失敗したと認めたくない。ただ、相手が神なら別。ルーを軍神に祭り上げる。それで彼らはプライドを保とうとしている」
「……人の言い方を真似するな」
クリスティーヌの報告に、ルヴィナがムスッとした顔で答える。
さすがにこの二人は農家を一つ借りており、椅子に座って話をしている。
「私が入るだけでお祭り騒ぎ。面倒くさい」
「本当よねぇ。他の部隊の反感も買いそうだし、やっていられないわよね」
「ブネーからの増援は?」
「伝令は戻ってきているから、順調にいけば五日くらいで着くはずだけど、三日後には西に向けて出発するからねぇ」
ヴィルシュハーゼ隊にも、マハティーラが焦っているという話は入ってきている。
「……追いかけさせれば間に合うは間に合う。ただ、休息があるかどうか不安」
「そうね……」
と言ったところで、扉がノックされた。
「ルヴィナ、いいか?」
スーテルの声である。
「……何か?」
「シャーリー・ホルカールが話をしたいと言って来ている」
外からの言葉に、主従二人は顔を見合わせる。クリスティーヌが難詰するような口調で。
「この前、見殺しにしたから、文句を言いに来たんじゃない?」
「……見殺しにはした。だが、彼なら何とか生き残ると思った」
「いや、それは見殺しにされた方には通用しないでしょ?」
クリスティーヌは苦笑している。
ルヴィナははぁと重い息を吐いた。文句を言われるのは憂鬱ではあるが。
「……あからさまに不満を持たれても困る。仕方ない。連れてきてくれ」
「分かった」
スーテルがいったん下がっていった。
数分後、スーテルがシャーリーを連れてきた。中まで案内して、そのまま去っていく。どうやら大叔父である彼も、シャーリーが苦言を呈しに来たと思ったらしい。面倒ごとには付き合いたくないというようなそそくさとした足取りで去っていく。
入ってきたのはシャーリー一人であった。真正面から相対するのはリヒラテラ以来だが、相変わらず兄のマハルラと比較すると痩せており、不健康そうな顔色が目立つ。
「……私に用があるとか?」
「シールヤでの件についてだが」
やはりその話か。ルヴィナはうんざりとするが、避けて通るのも難しい。
「……悪かったとは思っている。だが、勝つにはああするしかなかった」
南側の戦線まで戻っていたら、おそらくフェザートらコルネー軍に引っ掛かることとなり、時間のロスが大きかったはずだ。仮に突き崩せたとしても、コルネー王クンファの部隊を攻撃することは難しかったであろう。
「それなら、それであらかじめ言ってくれても良かったのではないか? まさか墓参りをすると言ったことで説明が済んだと思っていたのだろうか?」
「……そういうわけではない。説明したら、バレる。それでは意味がない」
あらかじめ伝えていたとすれば、ホルカール隊が単独で戦うことになっていただろう。その場合、戦い方も変わって、コルネー軍が気づいた可能性も高い。
「ああするしかなかった。悪いことをしたとは理解している。すまないとも思っている」
「ホルカール家は多くの兵を失ったのだ。ペルシュワカ、バラーフ、バフラジー、そして貴家との均衡が失することにつながりかねない」
「……どうすればいいのだ?」
げんなりとした顔で尋ねる。
「この戦いが終われば、私と結婚してもらいたい」
「……何?」
ルヴィナだけではなく、クリスティーヌも目を丸く見開いた。
「そうすれば、今後、ホルカール家とヴィルシュハーゼ家で軍を掌握できる。ならば私が采配を振るい、貴女が戦いを決めるということができるはずだ」
「……」
ルヴィナはぽかんと口を開ける。そんな話になりうるということ自体予測していなかったようだ。しばらく目をパチパチとさせて、首を捻る。
「……考えたことがない。ただ、言わんとすることは理解した。うーん」
ルヴィナはしばらく首を左右に傾けて考え、しばらくしてポンと手を叩く。
「分かった。レビェーデより活躍すれば前向きに考える。活躍できなければ後ろ向きに考える」
「……試練というわけか?」
「レビェーデに勝てない。フェルディス軍の指揮にふさわしくない」
「分かった。そうしよう」
シャーリーは納得したようで、「邪魔をした」と背を向けて戻っていった。
二人だけになると、クリスティーヌがアハハと楽しそうに笑い声をあげる。
「面白い話になってきたわねぇ」
ルヴィナはムッとした顔を向ける。
「面白くない。だが、今後もありうる話……、憂鬱だ」
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