第4話 三度鞍替え

 7月14日、フェルディス軍は一旦引き上げて、オトゥケンイェルへと入った。


「どういう顔をして出て来るんだろうなぁ」


 日頃、冷静なリムアーノが意地の悪い顔をするのも無理はない。オトゥケンイェルはこの6年間、親フェルディス派として立っていながら、執政官バヤナ・エルグアバが暗殺された途端に手のひらを返して連合軍側に回った。


 しかし、シールヤで連合軍は敗れて撤退した。どこかで反攻の準備をするのであろうが、オトゥケンイェルは再度フェルディスの支配下に置かれる。


「これで『フェルディス万歳』だと、さすがに厚かましすぎると思うのだが……」


「さすがにそこまでのことはないでしょうけれど、抵抗することはないでしょう。多分、淡々と出迎えるのではないでしょうか」


 副官のファーナ・リバイストアが苦笑いを浮かべて予想しているが……




 門まで近づいた時、リムアーノ部隊に駆け込む者がいた。


 本来ならフェルディス軍の先頭にいるシャーリー・ホルカールである。


「どうしたんだ? 何かトラブルでもあったのか?」


「いや、城壁にさぁ」


「城壁に……?」


 そこから先は呆れた笑いを浮かべるだけである。


 その時点では首を傾げたリムアーノであったが、城門に近づくにつれて状況が飲み込めてくる。


「あの旗は……」


 シャーリーの言う通り、確かに城壁に何十本という旗が掲げられている。結果が伝わってからわずか三日程度であれだけの旗を作るのは大変であっただろう。


「死神の旗……、ヴィルシュハーゼ伯を称えているのか」


 全てが黄金地の旗に鎌をもった死神の旗である。


「まあ、確かにシールヤはヴィルシュハーゼ伯爵がいなければ勝てなかっただろうとは思いますが、極端ですね」


「……あるいはオトゥケンイェル市民なりの嫌がらせだろうか?」


「嫌がらせ?」


「確かにヴィルシュハーゼ伯は凄いが、ああまで一色だと他の者が反感を持つだろう」


 特に自分が中心でないと気が済まないマハティーラなどは我慢ならないだろう。




 果たして城内に入ると、大勢いるオトゥケンイェル市民が「フェルディス軍万歳!」、「金色の死神万歳!」と歓呼の声をあげている。


「さすがに連合軍が負けたからフェルディス万歳だけだとあまりに情けないということで、ヴィルシュハーゼ伯にしたというところでしょうか」


 ファーナが呆気に取られながら、推測を立てている。


「そんなところかもしれないな。しかしまあ、ここまで厚かましいと本当に言葉もない。うん、何だ?」


 急に後ろから引っ張られてリムアーノが振り返る。子供の伝令がいた。


「ブローブ将軍が、ちょっと来てほしいって」


「大将軍が? マハティーラ閣下が暴れているのかな?」


 リムアーノはファーナに部隊を任せると、後方へと下がっていった。




 果たしてマハティーラが荒れていた。


「何だ、あいつらは! 何故ヴィルシュハーゼ伯ばかり称えられているのだ!」


「閣下の威徳は既に知られたところでございます。オトゥケンイェル市民にとっては、今回の戦いでのヴィルシュハーゼ伯の活躍が凄かったということなのでしょう」


 ブローブが宥めている様子を見て、リムアーノは心の中で大きな溜息をつく。


「おお、リムアーノ」


 やってきたことに気づくと、ブローブがこっそりと手招きした。やむをえずそろそろと近づくと、耳元で小声を出す。


「……責任者に一言かけて、旗をマハティーラ閣下のものと取り換えろ」


「……閣下の旗なんてあるんですか?」


 各貴族にはそれぞれの家の旗があるが、マハティーラの場合皇族の一人ということで特別な旗は用意されていないはずである。


「……フェルディス帝国の旗を幾つか用意してある。あれを閣下の旗ということにしよう」


「……分かりました」


 面倒なことになったと思いつつ、リムアーノはオトゥケンイェルの市内に入り、アッセル・ニバルを呼び出した。




 出張ってきたアッセル・ニバルを、リムアーノは叱責する。


「一体全体、どういうつもりなのだ? フェルディス軍に喧嘩を売るつもりなのか?」


「と、とんでもございません」


「ヴィルシュハーゼ伯爵はあくまでフェルディス軍の一翼を担う存在である。それをああも称えるというのは、オトゥケンイェルはヴィルシュハーゼ伯を担いで反乱でもするつもりなのか?」


「いいえ! いい加減、勝つ方に鞍替えするのも疲れたので、今度は絶対負けそうにない者にしようということになり、こうなりました」


「……はぁ」


 リムアーノはあんぐりと口を開いて絶句した。


 卑屈な発言もここまで堂々となされるといっそ清々しい。


「総司令官のマハティーラ閣下が大層お怒りである。フェルディス軍内部でつまらないいさかいになるかもしれない。早く私が用意してきた旗と入れ替えるのだ」


「わ、分かりました」


「全く……」


 すぐに取り掛かるニバルに、「二時間以内でやるのだ」と発破をかけ、リムアーノは戻ることにした。




 本陣まで戻る頃には、城壁の旗がフェルディス帝国のものに変えられている。


「ご覧ください、閣下。どうやら、オトゥケンイェルの市民は閣下が明日来ると勘違いしていたようで、二番目の功労者であるヴィルシュハーゼ伯を称えるつもりでいたようです」


「ふうむ……。しかし、フェルディスの旗が俺の旗というのはちょっと面白くないな。ヴィルシュハーゼ伯のような、目立つ旗を誂えさせたいものだ」


(確かに。相手にもっと「ここにマハティーラがいる」ということをはっきり分かるようにしてほしい)


 リムアーノは内心で何度も頷く。


 ひとまずマハティーラの機嫌が収まったようなので、リムアーノは自軍のところに戻った。ファーナに尋ねる。


「そういえば、当のヴィルシュハーゼ伯はどうしたのだろうか?」


 フェルディス軍はほとんどがオトゥケンイェル城内に入ってきているが、肝心の死神の旗がどこにも見えない。


「先程、ご本人が来て、『あの中に行くのは面倒。私はもう少し東へ向かう』と言っておられました」


「東へ? 別の町にでも行くということか?」


「そこまでは分かりませんが、ブネーに伝令を送って、残りの三千も連れてくるみたいなことも言っておられました」


 ファーナの言葉に、リムアーノはまたも溜息をつく。


「……マハティーラ閣下にも困ったものだが、あの娘の勝手な行動も何とかならないものかな」


「それもそうですが……」


 ファーナは予想外に深刻な表情をしている。


「何だ?」


「ブネーからの援軍が必要だと判断したということは、再戦は意外と厄介なことになるのではないでしょうか?」


「それはまあ」


 リムアーノも腕組みをする。


「閣下が指揮官になるのだから、厄介なことになることは決まっている。とはいえ、ヴィルシュハーゼ伯は閣下の生死などどうでもいいはずだ。兵士が足りない可能性を見込んでいるとすれば、厄介なところではあるな。まあ、いずれにせよ」


「……?」


「これからの一か月、卑屈極まりないオトゥケンイェルの連中の褒め殺しに浮かれないように気を付けなければならないな」


「閣下は大丈夫でしょうか?」


「無理だろう。閣下が天に上る様子を見て、我々の反面教師となすのだ」


 マハティーラを見て、「ああなってはいけない」と考えられるとすれば、マハティーラがいる意味があるのかもれしない。


 というよりも、そのくらいのことしか、存在する意味がないだろう。


 リムアーノはそう思った。

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