第32話 撤収へ①

 フェザート・クリュゲールの目にもクンファ隊が瓦解していく様子ははっきりと見えた。


「間に合わなかったか……」


 壊滅はもちろん、その崩壊ぶりからクンファも戦死したらしいことを悟る。


「撤退しかない、か……」


 ヴィルシュハーゼ隊もさすがに攻勢限界点を超えたのであろう。現在は戦線から遠い位置へと移動をしている。しかし、それはあくまで今しばらくということで、休息をとった後に再度攻撃を仕掛けてくるだろう。


 そうなれば、南側か北側、どちらかが崩壊して更に悲惨な事態になることは間違いない。


「……だが、このまま負けっぱなしで終わってはコルネーの名が廃る」


 右手を握りしめ、兵士達に向かって叫ぶ。


「クンファ陛下のためにも、眼前の部隊だけは叩き潰す! コルネーの意地を見せよ!」


 おそらくダメだろうと思いつつも、確認したわけではないのでクンファの弔い合戦という言葉は使わない。兵士達にもその意図が伝わったのであろう。


「目の前の部隊だけは!」、「陛下のために!」


 一致団結して、シャーリー・ホルカールの部隊への攻撃を強化した。




 コルネー国王クンファにとって、ルヴィナは死神であった。


 一方、シャーリー・ホルカールにとっては、ルヴィナは疫病神と言える存在であった。


「こらぁ、ヴィルシュハーゼ伯、話がまたまた違うではないか!」


 シャーリーが南の方へ去っていったルヴィナに向かって叫ぶ。もちろん、二キロ以上離れてしまったルヴィナには聞こえるはずもないのであるが。


 シャーリーの文句は当然といえば当然である。レビェーデとサラーヴィーの代わりに南側に回ると言いながら、無視して中央突破をし、クンファを撃破した後は、疲労を理由にさっさと休息に向かってしまった。


 支援しないどころか、相手の士気まで上げてしまっているのだから溜まらない。


「こんなの、持ちこたえられるか! 下がれ!」


 シャーリーは程なく戦線維持が不可能であると悟り、後退を命じた。しかし、ムーノ・アーク、メラザ・カスルンド、フェザートと三方向から攻撃されているホルカール隊に冷静に下がる余裕はない。


 シャーリー他、中枢にいたメンバーは後退したが、周囲にいる兵士達の中には、それを潰走と勘違いし、逃げ出す者が現れた。こうした者が現れると連鎖的に広がっていく。


 結局、ホルカール隊は四割近くがちりぢりになるという惨憺たる状態となった。ギリギリ崩壊を避けることはできたが、壊滅したと言っても言い過ぎではなかった。


 戦況図:https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16817330649928472293




 ホルカール隊の後退を確認し、フェザートは涙ながらに叫ぶ。


「クンファ陛下、万歳!」


 兵士達も一斉に「クンファ陛下、万歳!」と叫ぶ。


 大いに意気上がったところで、フェザートが改めて指示を出す。


「既に確認した者もいるかもしれないが、クンファ陛下の部隊は壊滅した。陛下がどうなっているかは定かではないが、ヴィルシュハーゼ隊に突破をされた以上、このまま戦線を維持するのは極めて難しい。無念ではあるが、一度後退して状況の確認にあたる」


 反論をする者はいなかった。




 ルベンス・ネオーペの部隊は、この日も当初は眼前にいるバフラジー隊と互角の戦いを繰り広げていた。


 そんな最中に自分達のすぐ北をヴィルシュハーゼ隊が抜けていった。それだけでも脅威であるが、後ろにいたクンファ隊を討滅してしまった。更に前方にブローブ率いるフェルディス本隊が入ってくるなど、目まぐるしい展開に全くついていけず、恐慌状態寸前まで陥っていた。


 それでも何とか戦えていたのは、南側にいるコルネー隊が支援してくれたことが大きい。であるからこそ、そのコルネー隊が下がっていく様子を見て、ネオーペ隊も直ちに戦意を喪失してしまった。たちまち背後をめがけて走り去っていく。


 もし、バラーフが追撃を決断していれば、ネオーペ隊の被害は相当なものであっただろう。しかし、南側にいるホルカール隊が壊滅状態で後退している中でバラーフだけ前進を決意するのは困難であったのだろう。


 しばらくすると、バラーフ隊も秩序立った形で、撤退を開始した。




「畜生!」


 南側で両軍とも後退していく様子を確認し、フィンブリアは剣を地面に突き立てた。


「あの馬鹿のせいで、全部がフイになってしまった!」


 もちろん、後方の状況も確認している。コルネー王クンファが戦死したのだろうということを把握していた。


 その数時間前まで全てが順調に行っていると思っていただけに、この結果は大きなショックであった。全く知らない人間のせいであれば諦めもつくが、最も長く行動を共にしていた同僚によるものだけに悔やみきれない。


「……後退しろ!」


 とはいえ、どれだけ悔やんでも現状は変わらない。南側の部隊は軒並み撤退しているし、ラドリエル隊も戦闘を維持できる状態ではない。下がる以外の選択肢は存在していなかった。




 正面のフィンブリア・ラドリエル隊の後退を確認し、リムアーノは副官のファーナの顔を見た。


「……我々は勝ったのか?」


「はい。リムアーノ様、フェルディス軍の勝利でございます……っと、大丈夫ですか? リムアーノ様?」


 足から崩れ落ちたリムアーノを、ファーナが慌てて助け起こす。


「すまん。勝ったのかと思った途端、全身の力が抜けてしまった。それにしても」


 リムアーノは戦場の奥に視線を向ける。


「ヴィルシュハーゼ伯がいきなり我々の隣を抜けた時には、気が狂ったのかと思ってしまった」


「はい。私も仰天しました。ですが、彼女は数年前のリヒラテラでも、手の内を最後まで見せませんでした。そうしたやりかたなのでしょう」


 ファーナは落ち着いた様子で話している。


「……何はともあれ、俺の作戦で負けるということはなさそうで、ホッとした」


 リムアーノは心底安堵したのだろう、大きな溜息をついて、その場に座り込んだ。




 シェラビーは、ヴィルシュハーゼ隊を追いかけようとしていたが、補足する前に早々にクンファ隊を壊滅させて戦線を離脱するべく移動を始めた。


 その後、コルネー軍が最後の奮起をした後、後退を始めてきた。更にそれに伴い、ネオーペやホスフェ隊の後退も始まっている。


「……この辺りが潮時か」


 シェラビーは空を見上げた。


「あと一歩だったのですがなぁ」


 ラミューレが無念そうな表情で語り掛けてきた。ラミューレだけではない。ジェカやスニーら古参の部下は全員泣きそうな顔をしている。


 この戦いで敗北するということは、大きな後退を意味することは間違いない。特にホスフェのナイヴァル派の重鎮であったラドリエル・ビーリッツが敗因のきっかけとなってしまったことは大きかった。これでホスフェの勢力図がまた大きく変わるかもしれない。


 また、コルネー王クンファが戦死したということは、当分コルネーが直接的な戦力としてはアテにならないことも意味する。


「この敗戦を取り戻すには数年はかかるだろう。出直しということにはなるはずだが、二度と立ち直れない敗北ではないはずだ……」


 シェラビーは大きく息を吐いた。


「撤収の合図を出せ」


 そう言って、まだ激しく戦闘を続けている北側に視線を向けた。

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