第31話 クンファの死
クンファにとっては全くの青天の霹靂であった。
「敵が左前方から迫ってきています!」
という報告を受けた時、一体何が起きたのか。全く飲み込めなかった。
しかし、その時点では既に遠目に死神の旗が翻る様子が見えていた。それがフェルディス軍最強の部隊であるということも理解もしていた。
程なく、その部隊がこちらに向かってくることも確認できた。
「このままでは危険です! どうかお逃げを」
エルシスが進言する。
「逃げる……?」
「はい。一旦下がりましょう」
「しかし、我々が下がったら、相手はシェラビーを狙うのではないか?」
国王であるとはいえ、自分がこの戦いの最重要責任者という自覚はない。ただ、自分とシェラビーが双方逃げるようなことがあっては、連合軍十万人が全滅するかもしれないという危惧を抱く。
「……逃げることはならん。踏みとどまるのだ」
「陛下、ここは危険です」
「そんなことは分かっている! しかし、ここで下がったら、味方が全面崩壊するかもしれない。それでも尚逃げるというのでは、つまり戦いに出ること自体間違っていることになるではないか!」
クンファの言葉にエルシスが小さく唸った。
「ここで時間を稼げばフェザートらが駆けつけてくれる。しばらく耐えるのだ!」
「分かりました!」
エルシスもさすがに軍人である。残ると決めたら、その場で全軍に徹底抗戦を呼びかけた。
コルネー王クンファがその場で踏みとどまって応戦するというのは、ルヴィナにとっても若干の予想外であった。
(実戦経験も少ない国王と聞いていたが、ここで踏みとどまるとは……。中々勇敢なことだ)
とはいえ、クンファの指揮官としての経験の乏しさは勇敢さだけでは覆い隠せない。国王が踏みとどまるという決意を固めたことは兵士にも伝わったようであるが、そこで何をするかという、対処策が何もない。兵士達にしても戦闘経験があるわけではない。
結果として、ヴィルシュハーゼ隊が突っ込んだ中で、コルネー軍の兵士達が個々にバラバラで戦うことになる。組織立った反攻ができないので、ただひたすら死者と負傷者を増やしている。
(正面からの突入は失敗だったか……)
圧倒的に優位な状況ではあるが、ルヴィナの唯一の誤算は、ひたすら立ち向かわれることで速やかな撃破が阻まれたことであった。
戦闘の帰趨は被害数で決まるわけではない。目的を達成できたか、できていないかということによって決まる。
コルネー軍の殲滅に付き合わされることになったのはルヴィナにとっては誤算であった。
もっとも、これを誤算と見るか、一大事と見るかは、人によって変わる。
背後にいたシェラビーには、当然はっきりと状況が見えていた。
「これはまずい。支援に向かうぞ」
と移動を開始する。
「間に合いますかな?」
「分からん」
ジェカ・スルートの問いかけに不機嫌そうに答える。
「ただ、仮に間に合わなかったとしても、あの部隊をこれ以上自由にさせておくわけにもいかないだろう」
ヴィルシュハーゼ隊を放置しておいては北に向かうか南に向かうか分からない。少なくとも補足しておけば仮にクンファ隊が全滅したとしても、それ以降も戦闘継続が可能ではある。
「向こうもそのことは把握しているはずだ。我々が近づくことがプレッシャーとなるかもしれない」
希望的観測が込められてはいたが、シェラビーの言には間違いはなかった。
事実、ルヴィナもシェラビー隊の動きを見て舌打ちをした。
(この部隊を倒し終えた後、シェラビー・カルーグとも戦うのはさすがに無理だ)
練度の高さでは大陸一を誇るとはいえ、ヴィルシュハーゼ隊は無敵ではない。既にラドリエル隊を蹴散らしている。このうえでクンファ部隊と戦い、更にシェラビー隊とも交戦するのはさすがに体力も気力ももたない。
(コルネー軍の奴ら、ただ、ただ、やられるだけだが、鬱陶しい。我々の攻勢限界点も考えなければならないか……)
今のところ、攻撃の勢いが騎兵の心身の疲労を上回っている。それが逆転する前にカタをつけなければならないし、不可能であればうまく撤収しなければならない。
(まあ、仕方ない……。これは大陸の運命が決まる戦い……。楽に済むはずがない。マハティーラの遊びとは違う)
自分に言い聞かせて、周囲の兵士達の状況を探ろうとした時、奥の方にいる白銀の鎧を身に着け、見事な白馬に乗った若者が目に入った。その若者は何故だか分からないが、自分のことを食い入るように見つめている。
「クリス!」
ルヴィナはクリスティーヌを探した。
「何よ?」
いつもと同じ、自分の左斜め後ろにいる。
ルヴィナは黙って先程の男を指さした。クリスティーヌもそちらに視線を向けて、ややあって頷き、石弓を構えた。
圧倒的に不利な状況だということは分かっていた。
それでも、クンファは懸命に指示を出している。その指示で何かが変わるわけではないと思いながら。
(戦争をうまくやる方法は、あるのだろうか……)
クンファにとって、戦いというものは個人のものを超えるものではなかった。王族に生まれたこともあって、きちんとした試合形式の戦いで勝つこと、それのみを教えられてきたし、それに関しては秀逸な結果を出してきていた。
もちろん、実際の戦闘が集団戦で行われるものであることは認識していたが、それが何であるかは分からなかった。ムーノ・アークから学んだりもしていたが、「基本的にはエルシスに任せてください」ということであった。
しかし、そのエルシスにしても、今は何もできていない。正面からとはいえ、予想外のタイミングで攻撃を受けたことにより、対処策の全てを失っていたように見えた。
一方で、相手はそうしたことを全部把握しているかのような流麗な動きを見せている。自分の目にはバラバラで無秩序な状態としか見えない空間に、相手は何かを見出しているのであろう。
相手の隊列の中に鮮やかな金の髪をなびかせる女がいた。常に首を動かして周囲の状況を把握しては、腕を動かしている。それに応じて、相手の隊列も若干変わっているようであった。
(あの女には、この空間は、自分はどう見えているのだろうか……)
そう思っていると、相手と目が合った。自分が何者か分かったのであろう、近くにいる者に呼びかけて、別の女、片目に眼帯をあてた女が石弓を向けてくる。
(そうか、私は死ぬのか……)
クンファがそう思ったのと、ほぼ同時に、女が石弓を二発撃ってきた。焼け付くような痛みとともに大きな衝撃で後ろに突き倒される。
(ミーシャ……、マルナトを……)
急激に闇が広がっていく中、妻の顔と息子の顔が浮かび、クンファの意識は永遠に途絶した。
「へ、陛下が!」
コルネー兵から絶望の悲鳴があがった。
「もうダメだ! 撤退だ」
近場にいた近衛兵が、クンファの遺体を馬に乗せて、後方へ走り出す。それを見た兵士達も我先にと逃げ出す構えを見せた。
一気に目の前が開け、ルヴィナは胸をなでおろす。そのまま指示を出して、クンファ部隊を突破し、一旦、誰もいない地点へと向かう。
「危なかった」
改めて確認すると、北から騎兵隊が向かっているし、南のフェザートもこちらに向けて移動しようとしていた。殲滅に時間をかけていたら、あるいは完全に包囲されていたかもしれない。
背後でクリスティーヌが溜息をついている。
「クリス、おめでとう。これで立派なキング・スレイヤー。死ぬまでコルネーの敵」
ルヴィナの声に、クリスティーヌが露骨に嫌そうな顔をした。
「いただきたくない称号ね」
「冗談はさておき、コルネー王が死んだら、兵士達が逃げ出した。慕われていた証拠」
「指揮官経験があれば、もっと苦労したかもね」
「間違いない。マハティーラなんかより遥かに上。だけど、勝ったのはマハティーラで、コルネー王は敗者」
ルヴィナは明確に勝者と敗者という言葉を使った。
「理不尽ね」
「そう。理不尽。だけど、世界はそんなもの。今後、もっと理不尽なことが起こる」
短く息をついて、後ろを向く。
「さすがに私の部隊も攻勢の限界。あとは他の者に任せる」
ルヴィナは敵も味方もいない南西へと向かう。
その後にはラドリエル隊とクンファ隊の死傷者が大勢残されていた。
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