第27話 ラドリエルの奥に
シールヤ平原から離れたところで観戦していたノルンは思わず口笛を吹いた。
「ああ、さすがはルヴィナ・ヴィルシュハーゼ。やっぱりそこに行きましたね」
「ど、どうしてなんですか?」
隣にいるマーニャ・シセルプトが不思議そうに尋ねる。
「ラドリエル・ビーリッツは八年前、私の指示を必死に考えてきちんと行動した男です。ホスフェ軍でもっとも警戒すべき男ですし、当然、ヴィルシュハーゼ伯爵もそう認識していたでしょう。本来なら彼の部隊に正面突撃を仕掛けるのは考えられません。しかし」
ノルンが首を傾げる。
「今回の彼は隣にいる友軍に引っ張られるまま動いているだけで、何かを変えようという動きを一つもしていません。しかも、細かいところではありますが、食事時間も常に一番長い。指揮官が兵士の行動を管理できていない。今時点で見るならば、連合軍では一番士気の低い部隊です。ほら」
ノルンの指し示す前で、早くも衝突を受けたラドリエル隊が散り散りに逃げ始めていた。
「意思統一も低いですね。おそらくですが、フグィの兵士だけならこのようなことはないでしょうが、全ホスフェの兵ということで別々の場所のところも混ざっているのでしょう」
そう言ってから、再度不思議そうに頭を捻る。
「しかし、本当にどうしてしまったんでしょうかね、彼は……」
ノルンは首を傾げるだけで済むが、連合軍にとっては一大事である。
「何やってんだよ!? ラドリエル!」
特に隣にいるフィンブリアは真っ青な顔で叫んでいた。
フィンブリア隊は正面のリムアーノ隊と交戦しているが、フィンブリアは少し下がった位置で全体を把握している。だから、ルヴィナ・ヴィルシュハーゼの部隊が迂回してラドリエルの部隊に突撃を敢行したのも最初から見ていた。
その時点のフィンブリアは「これはラッキー」と思った。
もちろん、ルヴィナは一番恐ろしい存在ではあるが、正面からの突撃なら持ちこたえることができるはずである。衝撃で後退したり、少しの穴をあけたりしたとしても、それは後ろにいるクンファが支えられるはずだ。
ところが、ラドリエル隊は全く持ちこたえようという意欲を見せないまま、道を開けるかのように切り裂かれている。
「馬鹿野郎! 死んでも止めろ! 突破されたら、後ろにコルネー王がいるんだぞ!」
フィンブリアは声を枯らして叫んでいるが、しかし、ラドリエルには届かない。
ヴィルシュハーゼ隊の楽士隊は引き続き前進、前進の音を奏でて進んでいる。
ルヴィナの視線の端にラドリエルがチラリと映った。茫然とした様子で何かつぶやいている。
(迷っているなら、出るべきではなかったのだ)
声に出すことなく、ルヴィナはラドリエルに語り掛ける。
(有能なことは私も知っている。しかし、70パーセントの力しか出せないなら、100パーセントの力が出せる75の能力の者と代わるべきだった)
ノルンと同じく、ルヴィナもラドリエル隊の低調ぶりは確認していた。
同じ指揮官でも、その日の体調や集中力によって全体の出来が大きく変わる。そうした様子をルヴィナは音楽という舞台で何度となく見ていた。
ましてや、ラドリエルはホスフェの中核としてその動きを何度となく見ている。しかも他の者がこぞって「決戦だ」と息巻いて自分の能力以上の力を出している中である。彼の低調な出来は目に見えて明らかであった。
不出来の原因もルヴィナには大方分かっていた。
(まだ、執政官暗殺以降の激変を消化しきれていない)
ラドリエルの下にはオトゥケンイェルの兵士も多くいる。それまでは散々「フグィは敵だ」と言っていた連中が、いきなり「ラドリエル様」と卑屈な態度になったのである。そんな面々に嫌悪感を抱き、自分の戦いに対する正当性を見いだせないままでいたのであろう。
仮に単独で行動していたのなら、そうした不調ぶりはすぐに判明したはずである。しかし、ラドリエルの隣にいたフィンブリアは独創的な戦いをするなど絶好調だったため、その不出来が覆い隠されることになった。
(皮肉なものだ……)
友軍の出来が良すぎたために、致命傷となりうる部分が放置されていたのであるから。
その間、ラドリエルはどうだったのか。
茫然としたまま、眺めている彼の視界に、逃げまどい、刺殺される兵達の姿が見える。
それを見ても怒りという感情が湧いてこない。全くの偶然ではあったが、右側にオトゥケンイェルの兵士を配していたため、仲間が殺されているという実感がなかった。
少し前、「ホスフェの敵ラドリエルめ、フグィに帰れ!」と叫んでいた連中が、「ラドリエル様万歳、ホスフェ万歳!」と叫ぶ。そのあまりの豹変ぶりに「醜い」と思った者達が逃げまどっている。
同情も怒りもない。
微かにフィンブリアの怒声のようなものが聞こえた。
何とかしなければいけない、と思わないではない。
しかし、何ができるのだ?
その時、ルヴィナと視線が合った。無表情な翠の瞳の中に僅かながら自分を憐れむような色が見えた。そうではあるが、彼女の部下達はまるで前に敵などいないかのように全速力で前進している。
(コーテス氏も、メルテンスも、こういう思いだったのだろうか?)
蛇に睨まれたカエルのごとく、何かをしようという思いさえ縮こまっていく。
ルヴィナの部隊は半ば以上を過ぎ去っていた。
このまま抜けたら、どうなるのだろうか。他人事のように思った。
「ルー、あれ!」
クリスティーヌの声にルヴィナは前を向いた。
「何!?」
それまで無表情だったルヴィナの目が驚愕に見開かれた。ラドリエル隊の少し後ろにコルネーの旗が見えたのである。
(突破した後は、敵右翼を背後から叩く……)
ルヴィナは当初そう想定していた。
ラドリエル隊を突破した後については二つの選択肢があった。相手本陣まで突っ込むか、並んでいる部隊を回り込んで背後から叩くかのいずれかである。
ルヴィナの選択は後者であった。
理由は二つ、本来支援に行くはずだったホルカール隊を放置してしまっているから助けてやった方がいいだろうというのが一つ、本陣までは距離があるので強攻しても突破は難しいだろうというのがもう一つの理由であった。
しかし、本陣の一つが真正面にいるとなれば別である。
クンファが戦列の乱れを早期にフォローできるように前進していたという事情はもちろんルヴィナの知るところではない。だが、どんな理由であれ、この位置にいるということはルヴィナにとっては最大のチャンスである。
「もうひと踏ん張りだ! コルネー王を取るぞ!」
興奮のあまりルヴィナは指揮に優先して叫んだ。その後慌てて棒を振り、音の指示を出させる。
「嘘だろ……」
フィンブリアは足から崩れ落ちた。
彼の眼前で、今まさにヴィルシュハーゼ隊がラドリエル隊を突破しようとしている。その後ろにいるクンファの部隊がようやく異変に気付いたが、対応が遅い。
元々、クンファはフォローのつもりで出て来ている。意識していたのは前線の並びであって、自分達が攻撃を受けるということを考えていなかったはずだ。
だから、ヴィルシュハーゼ隊の攻撃はクンファ隊にとっては全く予期せぬものとなっている。真正面から突っ込んできたのであるが、効果としては奇襲に近い。
「やっぱり、三、四部隊をつけるくらいすべきだったんじゃねえかよ……」
自分が少し前に誇張気味に言った言葉が正しかったことを知った。
相手は死神、人間が容易に相手できる存在ではなかったのだ、と。
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